私から、異世界転生した保育士を抜いたら何が残るのだろう。
お母様が帰った夜ふけの魔王城。
私は考えた。しこたま考えた。うんとこ考えた。
で、今更ながらに私は自分が結構なアレで病んでいることに気が付いたのだ。
自分の中にある異世界知識のベースは紛れもなく保育士で、その為に身に着けてきた知識その他も保育士とて役に立つものばかりだ。
歌、ダンスは子どもに教える為のもので趣味って訳では無いし。
ピアノ、ウクレレも同様。
裁縫、刺繍、工作も以下同文。
料理は、まあ、職場のストレスを解消するのに美味しいものを。
と思って凝ってやることもあったけど凄くやりたいって訳でもないし。
っていうか、料理は作って貰った方が嬉しいし美味しい。
数少ない趣味はアロマテラピーと、彫金だったけれどそれも職場のストレス解消が目的だ。
一生を賭けて打ち込みたい、と言えるようなものでは無かった。
向こうの世界では、それなりにミュージカルを見たり、マンガを見たりゲームをしたりはしていたけれど、基本は仕事をして、家で残った仕事をして寝ての繰り返し。
考えてみれば、それはこちらでも変わらない。
「ぬああ~。
私から保育士を抜いたら何も残らないの~~?」
「だから前から言ってるだろ。一人の時間とか、自分のやりたいことないのかって」
私が唸っていたのは、自室では無く広間の食堂、テーブルでだったから。
何をいまさら、と呆れた様にリオンが私を見る。
考えてみればリオンにもフェイにも良く言われたっけ。
子どもから離れる時間を作れって。
「マリカはこれをしていることが心底幸せだ。やりたい、って思う事は無いんですか?」
「それはあるよ。子ども達が笑っている顔を見たり声を聞いたり。
後、自分が作った料理や、やったことで誰かが喜んでくれると嬉しい」
今は嫌おう無しに子ども達と離れる時間が多いから、一緒にいられる時間は楽しい。
喜んでもらえるようにいろんなことをしたいと思う。
「でも、それ以外にただ、自分が楽しむ為とかでやりたい事って言われると……思いつかない」
はあ、と溜息が重なる。
因みにその溜息の主はリオン、フェイにアル。
ティーナは苦笑いしてる。
本当だったらこの時間は私の留守中の魔王城、子ども達についての報告と情報交換だったのだ。
「まあ、解らなくも無いけどな。
俺も『精霊の獣』であることが全てだ。
全ての精霊と人を守れる存在になる。
それ以外のモノになれ、と言われても困るし必要ない」
リオンは腕を組みながらきっぱりはっきり宣言する。
こういう所は本当に潔い。
「今はそれにマリカを守る、とライオの力になる。
が加わってるけどな。
だから、その為の勉強は楽しい。
今まで何百年も一人で閉じこもった視点でしか物事を考えられなかったからライオから学ぶ軍略や、政治、経済とかは新鮮だ」
お父様は時間を見て本気でリオンに、普通の戦い方以外の教育をしているらしい。
それがまた婿候補を育てていると言われるのだけれど。
今までほぼ一人で国政の実務を担当していたことを考えられると、兄皇子様達と仕事を分け合い、リオンが補佐しているので楽になったと笑っていたっけ。
でも、リオンにも自分の為にやっていること、学ぶことがあるのだ。
ついでに言えば
「僕も同じですね。
魔術師としてリオンとマリカを助ける。
その為に力と知識をつけること、が今やりたいことであり、やっていることです」
フェイの返答も迷いはない、
文官長タートザッヘ様を素直に、先達。
自分とは違う生きた知識をもった人として尊敬し、王宮魔術師ソレルティア様を人間関係の師として仰ぐようになったフェイは人当たりが良くなった。
貴族女性からの人気も高いらしい。
「あと、読書も楽しいですよ。
魔王城の本は最高峰でしたが、外の本も別視点で見ていて面白い。
各国巡りの時、もう少し時間があれば図書館の本をもっと見て見たかったですが」
第三皇子家の蔵書は読み終わって、今は王宮の図書館の本を読みまくっているとのこと。
「アルは?」
「オレはさ、今は仕事が楽しい。
表に立って色々できるようになってきただろ?」
「うん」
「奴隷として、閉じ込められてて、ずっと外なんて知らなかった。
でも魔王城に来て、そしてゲシュマック商会で仕事をするようになって、自分の知らない世界がまだまだ世の中にはあるんだって解って、毎日がすげー楽しいんだ」
「そうなんだ」
「ああ。後、大きな仕事をやり遂げて、利益を出して。
ガルフ達に認められるのも嬉しい。
だからその為の勉強。料理を学んだりとか商業の勉強したりとかは今後も続けていきたい」
「みんな、ちゃんと色々考えてるんだね。
あ、でも、仕事が中心で、それに関わることがやりたいことっていうのは私と同じじゃない?」
リオンもフェイもアルも。
自分のやりたい事=仕事でその為の勉強がやりたい事だ。
趣味とかを持っている訳じゃない。
「全然違う。
俺達は俺達が望む未来の為に、成長したくて、その為に努力している。
マリカは『自分の為』にやりたいことをやってないってことだ」
「自分の為に……」
子ども達の笑顔が見たくって、その為に毎日ドタバタ走り続けて来た。
それが『自分の為』であるかと言われると、確かに自信は無いと改めて気付く。
「マリカ様が、『精霊の書物』で知識を豊富にお持ちな事の弊害ではないでしょうか?
既に必要な事をお持ちですから、なかなか新しい事を始めようという意識は生まれないのかもしれませんね」
ティーナは私が異世界転生者であることは知らない。
だからこそ問題の本質を言い当てている気がする。
向こうでの保育に必要とされる能力は本当に広くて、それでいて深淵で極めようと思うとそれこそキリが無かった。
ピアノの練習も、パソコンも、文書作成も必死になってやっていた。
良い保育士、というなりたい自分になる為の努力だったのだ。
今は、言っちゃなんだけれども中世異世界では、中途半端だった向こうでの知識で何でもそれなり以上に通用する。
そのせいで自分を高めようという気持ちがあまり生まれてこなかったことに私はようやく気が付いた。
『能力で最強! 誰より強いぜ。ひゃっはー』
系ではないけれど、なんだかんだで私も異世界チートでそれに甘えていたんだな。と反省。
多分、お母様は息抜きしろとか、趣味をもて、とか言っている訳じゃない。
『皇女』『商人』『料理人』『神殿長』『聖なる乙女』『保育士』
既に色々な顔と立場をもつ自分自身を見つめ直して、本当に大切にしてやりたいことを見つけろ、とおっしゃっているのだ。
「ティーナは?」
「私は、マリカ様に魔王城をお任せいただいた保育士として、子ども達を守り育てる知識と力をつけるのが目的ですわ。
文字の勉強、計算、子どもを育てる意味で必要な様々な事を学ぶのが毎日楽しくて仕方がありませんの」
「……ありがとう」
「いえいえ」
考える。
『私』が今、やりたいことは何だろう。
なりたい未来のビジョン……。
そう考えた時に、一つのことが心に浮かんだ。
正確には二人の人、だけれども。
あと、皇王陛下の声も聞こえた。
「そっか、そう……だね」
「宿題の答えは見つかりましたか?」
「うん。壮大だけどやってみたいこと、見つけた」
「なら良かった。ティラトリーツェ妃じゃないけど、お前が自分の為にやりたい事があるのなら、俺達は全力で手助けする。
遠慮なく言えよ」
「その時はお願いします」
優しい眼差しで私の答えを待っていてくれたリオンの眼差しが嬉しい。
私は彼と、仲間達に、深く頭を下げたのだった。
心からの感謝を込めて。
「ステキな『大人』になりたいと思います」
翌日、戻った館で、私はお母様の前でそう宣言した。
宿題の答えを報告する為に。
「『ステキな大人』?」
「はい。お母様のように、周囲を気遣いつつ他者を守れるような強くて美しい女性。
あるいは皇王陛下がおっしゃったような、優しく広い心で人々を導いたというかつての『精霊の貴人』
他にも皇王陛下や皇王妃様や、プラーミァの王族の方々のように、深い思慮と責任をもって立って、大切なモノを守れる強い『大人』になりたいです」
色々考えたけれど、それが私の結論だ。
向こうの世界で、自分がそんな大人になれていたかどうかは自信がない。
ならば、こちらの世界で今度こそ胸を貼って、子ども達の前で見本となれるようなステキな『大人』に私はなりたい。
保育士になる為。保育士の知識。
それを抜いたら空っぽかもしれないけれど、それを含めての私自身。
私の成長した姿は『精霊の貴人』と決まっているけれど、全てを抱いてあの外見に見合う存在になりたい。
そして『星』と『精霊』の全てを守る『精霊の獣』
リオンを助け、支えたい。
リオンがこの『星』を守るなら、そのリオンを私は守りたい。
大切な人、全てが生きるこの世界を守れる大人でありたい。
それが向こうとこちら。
両方の『マリカ』の小さいけれど、壮大な目標であり野望。
「そう……それはとてもいい目標ね。
けれどとても難しくもあるわ。努力と精進が必要よ。特に自分の行動に責任をもつことと、周囲を慮ること」
「はい。どうか今後もお見捨てなく、御指導下さい」
「解りました。しっかりついていらっしゃい」
お母様はそう微笑むと、立ち上がり、私の頭を優しく撫でて下さった。
宿題はどうやら花丸が貰えたみたい。
髪の毛を慈しむように撫でる手のひらは優しく、そして暖かかった。
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