仕事前の朝、ゲシュマック商会の女子寮に寄るのは事件の後の私の日課になっている。
「おはようございます。リタさん、子ども達の様子はどうですか?」
「おはようマリカ。うん、少しずつ元気を見せて来てるよ」
食堂から、食事を運ぼうとする女性と丁度顔を合わせた私は挨拶をすると、
「良かった。退屈でしょうからおもちゃを持ってきたんです。遊ぶのに使って貰えたらいいな、って思って」
手に持った荷物を掲げて見せる。
「もう起きているなら挨拶して行ってもいいですか?」
「ああ、きっと喜ぶよ。前に貰った積み木も触って遊んでいるし、みんなマリカのことが大好きだからね」
「そうだといいんですけど…」
四人分の食事が入ったカートを押しながらリタさんは1階の奥まった部屋の前に立った。
トントンとノックをすると
「はーい、どーぞ」
とのんびりとした返事が返った。
ドアをそっと開くと中に置かれたテーブルから八つの宝石が私達に光を向ける。
「おはようございます。カリテさん。
おはよう。マーテ、ルスティー。
おはよう。シャンス、サニー」
「おはよう。マリカさん。
今日も、みんないい子ですよ」
子ども達の側に立つカリテさんがそう言ってくれる。
まだ挨拶はできないけれど、私の登場に驚きや泣き顔ではないものを見せてくれるだけでも今は十分。
「ご飯を食べたら、また遊びましょう?
今日はね、いいものを持ってきたの。木のカルタ。面白いよ」
少し子ども達の間の空気が、期待に弛む。
私は配膳を手伝いながら、そんな変化を嬉しいと思ったのだった。
「それじゃあ、みんなで頂きます」
今日の朝ごはんは野菜とベーコンのスープと丸パン。
本当はまだパンは貴重品なのだけれど、子ども達に元気と体力をつけて貰う為に回している。
イノシシ肉の薄切り焼肉、デザートは今が旬のピアン。
みんな夢中になって口に運んでいる。
「自分で食事ができるようになってきましたね」
「ああ、美味しいし、元気が出るって解ってきたみたいだ」
リタさんが亜麻色の髪を揺らしながら嬉しそうに笑う。
「まだまだ、匙やフォークの使い方はおぼつかないけどね」
「とりあえず、食べる事が優先でいいんじゃないですかー?
大人だってまだ、上手かっていったらそうじゃない人多いですよー。
ほらほら、こぼさないで。こぼすと食べる分が減りますよ~」
のんびりした口調でカリテさんはそう言うと、マーテの手元に自分の手を添え持っていたスプーンをフォークに持ち替えさせる。
長い栗毛色のポニテがリズムを取るように動いている。
スプーンで焼き肉を取ろうとして苦戦していたようだ。
ゆったり見守りながらも、子ども達の様子を把握してくれているところが頼もしい。
ドルガスタ伯爵家に囚われていた五人の奴隷少年達。
そのうち一人はもう十二歳近くて本人の意思もしっかりしていたので、復帰を果たしているけれど、残りの四人はまだとても、普通の生活を送らせるには難しい状況だった。
なのでゲシュマック商会の女子従業員寮に預けて面倒を見て貰っている。
本当は魔王城に連れて行きたかったのだけれども、ドルガスタ伯爵家のトラブルの生き証人だから連れ出し許可が下りなかったのだ。
従業員の中から、子ども達の存在に忌避感を持たないで、大事にしてくれそうな人を選んで子ども達の世話役に引き抜いて見て貰っている。
鉛色の髪をした碧瞳の子どもマーテと、明るい金髪に蒼い瞳の子どもルスティーは4歳から5歳。
名前は後見人、ということでライオット皇子に付けて頂いた。
栄養不良を差し引いても6歳にはなっていないと思う。
まだ買い取られて間もなく、ほぼ放置。
最年長のクオレ少年がいう事を聞かせる為に言葉を教えていたところだという。
こっちの言っている事は多分、なんとなく解っているけれど、自分の言葉はまだ出てこない。意思も見えない。
ずっと表情も無くボーっとしているだけだった。
根気強く話す事で、少しずつ動ける様になっているけれどまだ笑顔は出てこない。
ただ、こちらはまだいい方だった。
酷いありさまだったのは多分8~9歳くらいの男の子二人。
シャンスと皇子が名付けてくれた銀髪に空の蒼のような眼をした子と、淡いブロンドに夕闇の紫の瞳の少年、サニーは救出された時は地下に繋がれた状態だったという。
…裸で。
所謂、性奴隷として相当手酷く使われていたようだった。
汚れたまま転がるように投げ出されていて、身体のあちこちから血が出ていた。
使う前の時だけ湯で洗われ、飾られ、使われ、後は放置されていたとはクオレの談。
…変態伯爵。爆発しろ。
そういう事情だから身体を洗う事も、服を着させることさえ、最初は怯えていた。
言葉は教えられていたようだけれども、片言さえ言葉が出て来ない。
しかも定期的に香を使って人格や意志を奪われていたので、救出後二日くらいは凄い熱を出して苦しそうだった。
「しっかりおし、死ぬんじゃないよ?」
リタさんを中心とする寮の女性達が総出の交代で看病してくれて、最近、ようやく普通の生活ができるようになってきたのだ。
食事の味を覚えて、食べると元気が出る事を学んで、自分で食事ができるようになるここまでで約10日、かかった。
だんだんに自分の世話をしてくれる二人にも慣れ、ここには自分を傷つける者がいないという事を知れたようで、少しずつ動きも出て来たがまだ何をしたらいいか、解らない。
という風情なので、私は魔王城で使っていた学習おもちゃを持ち込んで遊ばせている。
木の積み木とカルタはどちらも文字と絵が描かれていて、字や物の名前を覚える勉強になるが、まだそこまでしなくてもいい。
触ったり並べたりするだけでも上等。
それを使って遊び始めてくれればなお結構。
自分から何かをしよういう気持ちが芽生えればと願わずにはいられない。
「おや、食べ終わったのかい。じゃあ、その食器を片付けておくれ」
キレイに欠片も残さず食べ終えたサニーの皿を見て、リタさんは目を細めるとカートを指さした。
毎日繰り返しやっているからだろう。
サニーは皿とスープ椀、お盆とカトラリーを同じ種類に丁寧に片づけることができた。
「おお! 上手にできたね。ありがとうよ!」
片づけを終えて、何かを求めるように自分を見上げるサニーに応えてリタさんは、ぎゅう、まだ細い肩に手を回して抱きしめる。
昔、不老不死以前は子ども八人を育て上げたというリタさんは、肝っ玉かあさんといった風情。
子ども達を大きな優しさで包み込んでくれている。
孤児院実現には必要な人材なので厨房副主任からこちらに来てもらった。
そして
「ほらほら、焦らない、焦らない。ぎゅうもだっこも逃げないですから」
褒められるサニーを見て我もと言わんばかりに、真剣に匙を進めるルスティを後ろから抱きしめ頬ずりする。
ルスティの頬が赤らむのが見えて嬉しくなる。
のんびりに見えるけれど、一人ひとりをちゃんと見てくれているカリテさんは、接客より保育士向きだと思ってホールから私がスカウトしたのだ。
この二人にあと二人、助手兼掃除や雑務担当を付けて孤児院はスタートの予定。
子ども達も二人に心を開き始めているようだし、そろそろ移動させてもいいかもしれない。
「おいしいごはん、ごちそうさまでした」
「ーた!」「した~!」
手合わせた食後、台を拭く、机を片付けるなどは大きい二人も手伝ってくれる。
「てつだってくれてありがとう」「助かったよ。あとは遊んできていいからね」
二人に、ぎゅうと抱きしめられてから子ども達は押されるままに部屋の真ん中に出る。
持ってきた木札のカルタを部屋の真ん中に、木の積み木と一緒に出しておくと二人も先に遊び始めた年少二人と共に触れ始めた。
じっと、絵を見つめて、次々交換していくのはかなりいい傾向だ。
子ども達の様子を見守りながら、私はリタさんとカリテさん。
この世界、ある意味アルケディウス最初の保育士を見やった。
「近いうち…火の二月が終わる前には孤児院の用意が終わると思うので、移動の準備をして頂けますか?」
「了解、何、あたしらもあの子達も大した荷物は無いから、行けと言われれば直ぐに行けるよ」
「お願いします。子ども相手なのでお休みとか不定期になってしまいますけど、ちゃんと交代でお休みできる日も作りますから」
「別にいいですって。お休みがあったからって何をするでもなし。給料も倍額貰ってますし。
子ども達と遊んでいる方が楽しかったりしますから」
「それはありがたいですけど。お休みはお休みでけじめます。
無理して身を削っての仕事は長続きしないし、子ども達と一日、ずっと付き合って頂くんですから子どもから離れる時間も大事ですよ」
…自分の事を棚に上げている自覚はあります。
フェイあたりが聞いたらだったら自分がまず実践しろと怒られる。多分。
でも、この二人と孤児院がこの先のアルケディウスの保育士の待遇の基準になるのだから、しっかりと優遇しておかないといけない。
子どもを守り育てる保育士という仕事が現実世界の様に低く見られ、低賃金、重労働のブラック職場になることは絶対に避けたいのだ。
私は。
「ありがとよ。
せっかく期待して新しい仕事を任せて貰ったんだ。全力で頑張るさ」
「同じく。あの子達がお店の子達みたいに元気になってくれるといいですね」
二人の優しい笑顔に
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
私は深く、深く頭を下げた。
心からの感謝を込めて。
その後、私はちょっと子ども達と一緒に遊んで、
「じゃあ、私そろそろ行きますね」
立ち上がった。
うーん、靴を履いたまま各部屋を利用するから汚れは出るなあ。
遊び用に茣蓙でも作った方がいいかも…。
「あ…」
今まで一緒に木のカルタでドミノ倒しをやっていた皆が一斉に私を見る。
行っちゃうの? と目が言っているけど今日は調理実習の日だからこのまま、貴族街でお仕事だ。
「また、明日来ます。だから…楽しく過ごしていて下さいね」
良い子でいてね。
とつい零れそうになった保育士の定番セリフを私は飲み込む。
子ども達に大人が望む、良い子を押し付けるのはしない、と決めたのだ。
みんなが楽しく過ごせるように。
笑顔でやりたいことを見つけて行けるように。
入り口で私達を見守ってくれるお二人と子ども達。
閉じ込められた館から出て来たけれど。
まだ、子ども達は部屋の外を殆ど知らない。
でも、いつか自由に出歩いて、店に買い物に行って、外で遊ぶ。
そんなことができる環境を、世界を私は作る! 絶対に。
心の中で子ども達に向けて誓って、私は仕事に歩き出した。
世界の環境整備という異世界保育士の仕事に向かって。
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