目が覚めた時、というか気付いた時、私は椅子に座っていた。
今が、何時なのかは解らないけれど、多分、そんなに時間は経ってない気がする。
私の周囲は…多分、意識を失っていたと思しき時から…何にも変わってないから。
「…あ、うん…なんだ? 今の?」
「夢、と言うには妙に生々しくて…」
「夢だったのか? マリカの世界に行って、みんなで遊んだの?」
「リオン! フェイ! アル!!」
私は周りを見回して、同じ部屋の中にいる四人に声をかけた。
周囲には他に誰もいない。四人、だけだ。
「マリカ…こっちの世界の服…だな」
「向こうでは考える間もありませんでしたが、まったく違いますね。
僕達の服も、戻っている…」
「って、ことは三人とも、向こうの世界の記憶が残ってるの?」
ぼんやりと、頭を振る三人に私が呼びかけると三人とも、三者三様に、でもはっきりと頷いてくれる。
「ああ、マリカが転生する前にいた、という世界に行った。
そこでお父上やお母上に会って、一緒に食事をした。買い物をし、遊び、本を読み、花火をしたことを覚えてる」
「インターネット、という情報の繋がりを教えて貰いました。それから一緒にチェスやリバーシをしたでしょう?
お母上に飼って頂いたジュース。あんなに甘くてそれでいて刺激的な飲み物は初めてでした。
それから甘いのに塩辛い。不思議な食感のパータトの薄切りフライも、ビエイリークよりも種類豊富な魚売り場も」
「飛び跳ねる床、投げたら弾む柔らかいボール。一緒に遊んだ子どもを覚えてるぜ。
腹いっぱい食べたカレーも、四人で山の上から見た街の風景もしっかりと記憶に残ってる」
「…じゃあ、あれは…」
夢だけど、夢じゃなかった。
それは、古い大好きなアニメのワンシーン。
使い古された言葉だけれども、今の思いを言葉にするのに、それ以外も、それ以上の言葉も見つからない。
「マリカ!」「どうしたんです?」
気が付けば、私は立ち尽くしたまま、ボロボロと泣いていた。
泣こうと思ったとか、哀しいとか、寂しいとか、そんなじゃない。
ただただ、本当にただひたすらに涙が溢れて来る。止まらない。
どしたらいいか、解らず立ち尽くす私の肩を、身体を暖かい何かが包み込んだ。
「マリカ!!」
それがリオンの腕だ、なんて意識している余裕は私には無かった。
でも伝わってくる体温が、凍ったように強張っていた身体を溶かしてくれる。
「リオン! リオン! リオン!!」
私はリオンの胸にしがみ付いて泣いた。
もう、周囲の目をはばからず、ワンワンと。
誰かが聞いていたら心配かけちゃうな、とか男の子に抱き付いて…なんてことも、頭の奥の奥、欠片のようなすみっこにちょっと感じていたけれど、出てはこない。
とにかく、もう自分でもどうしたらいいか、解らない位、ぐちゃぐちゃな思いが涙で流れて溶けて消えるまで。
リオンは、私の事を、ぎゅう、と抱きしめてくれていたし、フェイとアルも黙って、本当に黙って見守ってくれていた。
「少し…落ちつきましたか?
マリカ」
多分、随分、時間は経ったのだと思う。
「あ、うん…ありがとう」
私はリオンの胸元から離れて大きく深呼吸した。
フェイが指し出してくれたハンカチで目元を拭う。
「あ、気持ちいい…」
ひんやりと冷たく濡れた布が、目のほてりを沈めてくれるようだ。
「マリカは夢だと言ったけど、夢じゃなかったのか?
四人で、同じモノを見た、なんてさ」
「ううん、多分、夢。
あの世界、現実のようでそうじゃなかったもん」
私はアルの言葉に首を横に振った。
向こうの世界で、私は今と同じ『マリカ』の姿をしていた。
学童保育の先生も、違和感なく挨拶してくれたけれど。
夜色の髪、紫水晶の瞳。
落ちついて考えれば、日本人じゃない。
お父さんとお母さんの娘『北村真理香』の小学生時代はまったく違う顔形だった。
菊地先生と清水先生。
児童館にいた学童保育の先生は、私がいた時の担当。
私が十一歳の頃には人事異動で別の幼稚園に行かれていた筈だ。
他にも小さい事は細々あるけれど、徹底的だったのはお母さんが土曜日家にいた事。
保育士だったお母さんは、仕事をしている保護者の子どもを見るのが仕事。
土曜日に休み、なんて滅多になかった。
私達がキャンプに行ったのは連休とか特別の時だけ。
それに…
「もう、こうしてみてもお父さんと、お母さんの顔、思い出せないもん…」
「あ…」
小さく呟いたのはリオンだけど、きっと、フェイやアルも同じ。
鮮やかなあの世界の記憶はあっても、きっとお父さんやお母さんの顔は思い出せないだろう。
「…あれは、きっと誰かが見せてくれた一時の夢だったんだと思う」
「誰か…か」
私の記憶の中の都合のいい夢に、皆の気持ちがシンクロした。
誰かが見せてくれた優しい夢。それでいい。
「あー、楽しかった。
まさか、夢の中ででももう一度お父さんのベーコンと、お母さんのカレーを食べて、皆で遊べるとは思わなかった。
でも、どうせ向こうに行くのなら、もっと凄い物とかも見せてあげたかったんだけどね。
東京タワーとか、金閣寺とか。新幹線とかも乗せてあげたかったな。
速いんだよ。本当に、びゅわーんって…」
「マリカ…」
リオンの漆黒の瞳が私を真っ直ぐに見つめる。
「帰りたいのか?」
静かな問いかけが、私の心に届いた。
まるで水面に投げ込まれた小石が波紋を作るように、私の胸に広がっていく。
この問いかけは二度目だ。
「ううん」
だから、私はあの時よりもはっきりと首を横に振って応える。
応えられる。
「向こうの世界は便利で、ステキなとこだったけど決して楽園、って訳でもないし」
リオン達には見せずに済んだけれど、戦争、紛争、病気、事故、当たり前の日々や日常の中に死や悪夢は転がっていたし、辛い事もたくさんあった。
大人になった時の方が世界は色々便利なのに、子ども時代に行ったのは、多分あの頃が一番幸せだったからなのだ。
北村真理香の職場や家を見せていたら、きっと、笑顔で楽しい思い出は作れなかっただろう。
それに…
「私の居場所はここ。
魔王城で、アルケディウスで、皆の側。それでいいの」
ここには、私のやるべきことがある。
家族がいて、大切で守りたい人がいて、不幸な子ども達がいる。
私は皆を幸せにする為に全力でやると決めたのだ。
「ああ、それならいい」
私の返事に少し、リオンが頷き微笑む。
その眼と表情には、ホッとしたものが浮かんでいるのが解った。
「良い世界だったな、マリカの世界。みんな、笑ってて、楽しそうだった」
「うん」
「色々な品物が豊富にあって、誰でも平等に何でも手に入れられて、食べられて、何でも知れて、どこにでも行けて」
「うん」
「子どもが幸せで親やみんなに見守られてて、笑ってられる暖かい世界」
「うん。だからそんな世界を、こっちに作りたいの。みんなと一緒に」
向こうの世界は私がいなくても大丈夫。
でも、この世界を変えられるのはきっと私、ううん私達だけだから。
「ああ。大丈夫だ。一人になんかしない。
一緒にやりとげていくんだ」
「約束、しましたからね。お父上とお母上に」
「うん、絶対に守るって約束したもんな」
「みんな! ありがとう」
リオン、フェイ、アル。
私は一人ずつ、ぎゅうと、胸の中に抱きしめる。
みんなと一緒に向こうの世界で遊ぶことができた。
いくつかのお土産ももってこれたし、なにより。
自己満足かも知れないけれど、たった一つの心残り。
両親とのお別れもできた。
私的には本当に最高の夢だった。
「あ、今、何時かな? もしかして凄く寝過ごしちゃった?」
「大丈夫だろ? 少しくらい息抜きも必要だ」
「でも、色々とやらなきゃいけない事は山積みですからね。行きましょうか?」
「そうだな。みんな待ってる」
私は一度だけ、目を閉じた。
あんな夢が、また見れたらいいな。と思う反面、ダメだろう、ということは解っている。
眼を開き、深呼吸。前を向き歩いていく。
大丈夫。
もう『向こうの世界』に未練は無い。
私はここで生きていくのだ。
皆の側で。
皆と一緒に。
向こうの世界に、もう思いは残さない。
残すのはただ一つ。
「お父さん、お母さん、さようなら…
今まで、本当に、ありがとう」
感謝の言葉と思い。
それだけでいい。
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