出産現場というのは戦場だ。
「カマラ! そろそろ出てきます。
子ども達と一緒にお湯を貰って来て。できるだけたくさん!」
「はい!」
「ミュールズさんは、カマラ達がお湯を持って来たら、産湯の準備を」
「かしこまりました」
「リタさん、頭が出て来たら躊躇わず引っ張って赤ちゃんを引き出して下さい。
時間がかかると危険になるので、なるべく速やかに」
「解りました!」
「アンヌティーレ様、母親のおなかをさすりながら押す様に力を貸してあげて下さい」
「こ、こうですか?」
「はい。そんな感じで。赤ちゃんは自分から出ようとしているので無理に押さなくていいです。赤ちゃんの背中を押してあげるような気持ちで。
ノアールとセリーナはお母さんの肩を支えてあげて」
「「はい」」
「……頑張って下さい。もう少しですよ」
「マリカ様! 出てきました!」
「! 最後です、静かに息を吐いて……そう」
「は、はい……あ!」
おぎゃあ、おぎゃああ、おぎゃああ!
「……よく頑張りましたね。体重約三ルーク。
元気な女の子ですよ」
「あ、ありがとうございます」
長い戦いの果て、一人の子どもがアルケディウスに生まれ出た。
皆に助けられ、見守られ、祝福されて生まれた赤子が母親の腕に、抱かれる姿はどこか神々しささえも宿していて、立ち合った者達はいつもながらに息を呑む。
今回で三回目の私でさえ、いつも涙だが止まらない。
「命の誕生、とはこんなにも美しく、尊いものだったのですね」
アンヌティーレ様は、静かに呟いた。
胸の中に溢れているであろう思いを押さえながら。
アーヴェントルクからアンヌティーレ皇女がアルケディウスにやってきたのは騎士試験が終わって間もなくのことだった。
待遇は皇族では無く研修生。アルケディウスの孤児院の設備と対応、教育方法を学ぶという名目。
一時期剥奪されていた皇族位は戻っていて『皇女』ではあるものの、護衛も身の回りの世話をする随員も最小限。大人の護衛と侍女が一人ずつ、後は三人の子どもを連れているだけだ。
「その節はマリカ様を始め、アルケディウスの皆様には大変なご無礼を働き、申しわけありませんでした」
謁見の間でアンヌティーレ皇女は皇王陛下と皇王妃様、第三皇子に第三皇子妃、居並ぶアルケディウス皇族達の前で、深々と頭を下げて見せた。
その中には勿論、妹である第一皇子妃 アドラクィーレ様もいるけれど、躊躇うことなく膝をつき真摯な礼を捧げたアンヌティーレ様に皇王陛下は鷹揚に頷いて見せる。
「正直に申し上げれば、謝られたからと言って直ぐに許せる類の話では無いが、罪の元凶は貴女ではないと理解している。当の本人が気にしないと言っている上に、アーヴェントルクから損害賠償も頂いている。貴女自身も十分な罰も受けておられるようだ」
項垂れるアンヌティーレ皇女の仕草にかつての『星唯一の聖なる乙女』としてブイブイ言わせていた頃の面影は無い。不老不死を剥奪され、怯えた子猫のような不安の想いを皇女のプライドでなんとか押さえている、と言う感じだろうか?
「以降、マリカ誘拐とそれに纏わる騒動に関しては不問とさせて頂くが、二度はないと思って頂きたい」
「アルケディウスの御温情に心から感謝申し上げます。
私の事は孤児院経営を学びに来た一研修生として扱って頂ければ幸いです」
「そのように要請があったので、居住場所も孤児院の一角にご用意させて頂いた。皇族の外遊、国賓としての待遇は致しかねるがよろしいか?」
「はい。一生懸命努めますので、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します」
妹にも特別な言葉をかけることもなかったのでちょっと拍子抜けしたくらいだけれどもこうしてアンヌティーレ皇女はアルケディウスの孤児院で、研修生としての仕事を行う事になったのだ。
二階の職員居住エリアに部屋を用意して、孤児院長リタさんの元、孤児院経営と保育を学ぶ。
保育士としての雑用や子ども達の世話もする。
今まで、皇女として『聖なる乙女』としてちやほやされるだけだったアンヌティーレ様には結構大変じゃないかな、と思って心配になってこまめに様子を見に行ったり、報告を聞いたりしているのだけれど
「とても良くして貰っております。一日三食、最新の『新しい食』を食べる事ができ、清潔な衣服に、掃除の行き届いた室内。毎日の入浴。
大貴族でもなかなか整えられない図書室に、遊具、勉強道具の数々。
王侯貴族もかくやという生活をこの孤児院の子ども達は送っておりますのね」
と至って元気そうであるという。
まあ、中世なりに私の理想を詰め込んだ孤児院兼保育園だからね。
子ども達と対する保育士が余裕を持って仕事ができるように調理師と掃除婦は専任で雇ってある。
その上で、子ども達には自分の部屋、自分達が使った遊具、食事の後の片付けとかは自分でやるように徹底させている。
子どもだから掃除苦手とか、遊ぶ方がいいとか、面倒くさいとかは勿論言って来る子もいるけれどそこはしっかりケジメて。
ここは中世だから、向こうの世界のようにいつまでも甘えさせてあげられないし、成人年齢も低い。将来の為に最低でも自分のことは自分でできるようになるのは絶対必要なのだ。
その上で、命の大切さも教えている。
クロトリとヤギの飼育、庭での野菜の栽培なども。
自分で作ったものを食べる。それ以上の食育はないと思う。
「私も、色々と子ども達と一緒に勉強させて頂いています。何百年も生きて来たのに知らない事ばかり。本当に何をやっていたのでしょう?」
「アンヌティーレ様……」
寂しそうにアンヌティーレ様は微笑んでいたけれど、甘い悪夢から覚めた現実は色々と辛い事も多いだろうな。と思う。
そして、今日の出産だ。
孤児院には現在(旅行前より一人増えて)三人の妊婦がいる。
そのうちの一人が産気づいたというので、私は大至急手伝いに行った。
他の用事は後回し。
出産介助の産婆はお殿様の行列よりも優先されるのだ。
今回は希望で私の侍女頭ミュールズさんにも入って貰った。
いずれお産を取り仕切れるようになりたいっておっしゃっていたし。
で、私は壮絶な場であることは承知で、孤児院の女の子達も手伝いに入れた。
と同時にアンヌティーレ様にも入って貰う。
「孤児院と母子福祉は切っても切り離せません。
母親が幸せでないと、子どもも幸せになることは難しいのです」
そう告げた私の言葉に真摯に頷いて、アンヌティーレ様は産屋に入って一生懸命仕事をして下さったのだ。
実際のとりあげはリタさんとミュールズさんにお願いして、私は今回は全体の指導。
いつも私が側についてあげられる訳では無いから、私がいない間でも大丈夫なように沢山の人に出産の知識と経験を得て欲しいから。
幸い今回は逆子とか双子とかも無く、比較的安産。
五時間ほどで元気な赤ちゃんが無事生まれてきた。
母子ともに健康。
良かった。
「命と言うのは……これほどまでに壮絶な戦いの果てに生み出される奇跡なのですね」
後産や後片付けを任せながら、親子の様子を見ていたら母親が私達に赤ちゃんをだっこさせてくれた。
出産直後の赤ちゃんは本当に小さくて、軽い。
でも人間の部品は全て揃っていていつも生命の不思議に感動するのだ。
「ええ。キリアトゥーレ様もアンヌティーレ様を本当に愛して、命を分けて生んで育ててくれたのだと思いますよ」
思いを叶えられない、認められない。
自らの悔しい思いを叶える分身としての歪んだものであったとしても。
きっとそこには紛れも無い愛があったと、今なら私にも思える。
「私は、私利私欲で多くの子ども達の命を奪ってきた……。なんと罪深い事でしょう」
ぽつりと、落ちた雫を赤ちゃんが握りしめる。
彼女の後悔を受けとめるかのように。
「時間は巻き戻せません。罪も消えません」
許される、なんて甘い言葉はかけられない。
そもそも許す権利は私には無い。
被害者たる子ども達にしかそれは無く、子ども達はもう許す事さえもできないのだから。
「ですから、アンヌティーレ様はこれから少しでも償っていって下さい。
失われた命の代わりはありませんが、新しく生まれる命を愛し、幸せにしてあげて下さい」
そうすれば、その先にいつか、許しが見つかるかもしれない。
誰が与えるでもない、アンヌティーレ様の中で。
私の言葉にアンヌティーレ様の返事は無かったけれど、この日の経験が彼女のこれからに消えることの無い灯を灯した事を私は感じていた。
子どもの名付けを頼まれたアンヌティーレ様は色々調べて、ナディアと決めたという。
『ナディエージタっていうのはアルケディウスの精霊古語で、希望って意味。
一生懸命考えて、良い名前を調べて選んだんだと思うよ』
と後で、精霊神様が教えてくれた。
アンヌティーレ様にとっても彼女が、この孤児院が希望になりますように。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!