ヴェートリッヒ様との会談の後、私はそのまま、皇帝陛下との面会に望んだ。
謁見の間にいるのは皇帝陛下のみ。
隣の皇妃の席は空席だ。アンヌティーレ様の姿も見えない。
皇子と護衛、リオンとカマラと一緒に。
念の為、フェイにもついて来て貰って謁見の間に立つと、皇帝陛下は泰然とした様子を揺るがすことなく、私を見た。
「『聖なる乙女』よ。
昨晩は見事な舞とアーヴェントルクへの祝福を賜り感謝する。
お疲れの御様子であったが、体調の方はいかがかな?」
思ったより優しい口調でかけられたねぎらいの言葉に私は頭を下げる。
「一晩休みましたので、問題はございません。必要とあらば、今日より仕事に戻ります。
残る日数もあとわずかでございますので」
「そうして頂けると助かる。昨夜の晩餐会で、姫君が差配された料理の数々。
大貴族達も多くが興味を示し、我が料理人も指導に預かりたいという要望が引きも切らぬ。
五名の料理人が直接調理、五名の料理人がそれを見学するという今迄の形式でよろしいか?」
「はい。こちらはそれで構いません。既に私共の派遣料は支払われておりますので、調理実習の形式や参加者の選択はアーヴェントルクにお任せします」
今更だけれども、今回の七国の訪問にあたり、一カ国から旅費、滞在費別で私達は金貨二百枚を貰っている。
単純に換算はできないけど、一回に二億くらいの計算になるのかな。
我ながらけっこうな金額だ。
でもこの中には二週間で約五十種の料理レシピと調味料の作り方、活用方法なども含まれている。
一枚だけの約束で、文書化したものも残して行く。
醤油や砂糖、酒、胡椒や香辛料などは持ち込んでいるし、調理道具なども各国には無いものが多いからもってきて貸与している。
大抵は滞在中に、各国共、道具を鍛冶工房に持ち込んで国内で作れるようにして、新しい産業のきっかけにしているので、ぼったくりだとは思わない。
思わないから、貰った分の金額はちゃんと仕事をする。
「料理の文書化したレシピは、アーヴェントルク皇家に残してまいります。
それを希望者に販売するのは妨げませんが、契約通り基本的に高額での転売は禁止とさせて下さい」
「了承している。料理の裾野を広げる事で、食材確保を円滑にする為、であったな」
「はい。いくらレシピがあっても、材料が無ければ食べられません。その為に各国で一度は絶滅した生産、加工業を復活させるのが、我々の目的なのです」
「アルケディウスの意図は理解している。
我が国の牧場経営者に新しい商圏と、無駄にしていたものの再利用を提案頂いた。
流石大神殿が認めた『聖なる乙女』
神や精霊神に愛される能力と、聡明さをお持ちだ」
「ありがとうございます」
流れるようになめらかな口上には感情が見えない。
まるで決められた文章を読み上げているようにさえ思えるなあ。
「アーヴェントルクは強き者、力ある者、賢き者を尊重し、敬する。
後、残り一週間、国の力の底上げにご協力を賜りたい」
「全力で努めます」
「うむ、助手として愚息を付ける。
必要な事、食材その他があれば何でも申しつけると良いだろう」
「お心づかい、感謝いたします。皇子の顔の広さや、知識にはいつも助けられております」
「武勇に欠ける出来損ないだと思っていたが」
「人の強さとは、戦いの力だけではないと思います。皇子にはアーヴェントルクを支える力があると存じます」
「ふむ、精霊神の祝福を受ける乙女の言葉であれば、多少の信用もできるか…。
まあ、引き続きこき使ってやるといい。
ヴェートリッヒ。『聖なる乙女』のお力になるように」
「御意」
私達がお辞儀をしてこれで、会話は終了。なのだけれど。
このまま、本気で話を終えられてしまったら、昨日の騒動におけるアーヴェントルクの反応や対応が知れないままになってしまう。
「失礼ながら、皇帝陛下。
アンヌティーレ様はどちらにおいででしょうか?
私、舞の衣装をお借りしていたのですが、大きさが合わず、自分のを使ってしまって……」
ちょっと強引ではあるが、少しでも反応を引き出したくて、私は会話を振ってみた。
「アンヌティーレか」
小さく唇を上げるとアンヌティーレ皇女を可愛がっている、という皇帝陛下は思いもかけない事を言う。
「アレは今、神殿にて修行をやり直させている」
「修行の、やり直し……ですか?」
初めて聞く言葉に目を瞬かせる私に、ああ、と皇帝陛下は頷いて見せる。
「『聖なる乙女』として認められたばかりの皇女に、五百余年『聖なる乙女』として立ってきた者が遅れを取った。
これは恥ずべき事。強さ、力を尊重するアーヴェントルクでは許されぬ事だ。
ただ一人の『聖なる乙女』と驕っていた結果だろう。
故に神殿に籠り、力を高めるための修行を科している」
「……修行をして、力が高まるものですか?
私は……失礼ながら修行、などということをしたことが無いのですが」
「知らぬ。神殿長が、神殿に預かる。『七精霊』の精霊石と対話をすることで力が高まるのではないか、というので預けたまでだ。
最低でも、皇女と同じく『精霊神』か『神』の祝福を得るまで戻って来るなと申し伝えてある。
皇妃はその世話だ。
暫く、下手したら皇女の滞在中には出てこれぬだろう。お気になさるな」
私は思わず右手の指を左手指に重ねる。
この指は、精霊獣達が言うのだからアーヴェントルクの『精霊神』様からのメッセージなのだろうけれど、この様子からして私が神殿に行く事とかはできそうにない。
「解りました。
以前、アンヌティーレ様に花の香りについて望まれたことがあったのですが、蜂蜜シャンプーの製法と共に、その採取方法の一部をアーヴェントルクにお譲りしていく事になりました。
お戻りになりましたら、ぜひお使いになって下さいと伝えて頂ければ……」
「ほほう。いいのか? 特殊な技術と聞いているが?」
「花の時期しか採取できないので、出し惜しみするよりは活用して頂いた方が良いと思いました。
既に皇子に概要はお伝えしてありますので、数日中に見本をお渡しできるかと思います」
「了解した。ヴェートリッヒ。アンヌティーレも皇妃も暫くは動けぬ。
花の香りについては其方の妻達と差配して、確保を進めておけ」
「はい」
「では、改めて引き続きお世話になる」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
謁見の間を退出して、私達五人はそれぞれ、五者五様の反応で、でも同じ思いで息を吐き出した。
「昨日の事、本当に、殆ど話題にも上りませんでしたね。
無かった事にしたいみたいです。
でもアンヌティーレ様、神殿で修行とは、思わなかったなあ」
「弱力者は皇女でも容赦なしですか。厳しいですね」
「僕もちょっと予想外。
私に恥をかかせた、って怒って乗り込んで来るか、逆に優しい笑顔で君を持ち上げて油断させて、懐に入ってバッサリとかしてくるかと思ったのに」
「そこまでします?」
「イザとなればすると思ってたんだけどね。
まあ、流石の父上もアンヌティーレが暴走して、他国の皇女に手を出させるのは避けたいところだったか…」
怖いことを皇子は言うけれど、とりあえずは暫くアンヌティーレ皇女と顔を合せないで済みそうでホッとした。
でも…代わりにとは言わないけれど
「マリカ皇女の婚約者 リオン! 決闘を申し込む!」
そんな無謀な求婚者が増えて来た。
正式に文書で申し込んで来た三人を蹴散らした後、とにかく増えて来た。
通りすがりのように手袋を投げつけて来る者もいる。
この世界でも、手袋ぶつけるの決闘の申し込みなんだ。
じゃなくって。
「麗しの乙女。
昨夜の貴女の舞に心を奪われてしまいました。
どうか私の妻になって下さい。私の強さを示しますから……」
だそうだ。
皇子が調べて下さったけれど、どうやら大貴族達に
『聖なる乙女を手にしたくば、婚約者を倒すだけの実力を示せと父皇子が言っていた』
と広まっているようだ。
他ならぬだ皇帝陛下から。
つまり、他国と同じく皇帝陛下も、あわよくば「聖なる乙女」をアーヴェントルクに、という意図があるのだろう。
皇子を付けてはいるけれど、とにかく手数を増やして私の確保を試みる。
リオンのことも、私達の事も子どもだから、って侮られているのかもしれない。
勿論、リオンは即日。
ホントもう速攻で片付けてくれるのだけれどプラーミァの時よりももっと酷く次から次へと仕掛けてくるのは本当にめんどくさい。
「厄介だな。マリカの側に付いている時間が減る」
リオンはそう言ってため息をつき、ヴェートリッヒ皇子は
「仕掛けてくるのは、低級騎士ばかりだから君にとっては面倒だろうね。
戦に参加して君の実力を知っている連中は、仕掛けてこないだろうから」
そう困ったように笑っていた。
後で、反省する。
私達にとっては笑い話のような求婚決闘劇も、実は『アーヴェントルク』からの目に見えない攻撃だったということを、この時の私達は気付く事ができなかったのだから。
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