「マリカ。俺に、成長のギフトをかけてくれ」
リオンの言葉に、私はぶんぶんと大きく首を横に振る。
「ダメ! 無理、止めて!
見てたでしょ。すっごく痛いよ。苦しいよ。本当に死にそうなくらいなんだから」
「それをあっさりやったのはどこのどいつだ?」
「…それは、ここの私だけど…」
私を睨む、いや見つめるリオンの眼には激しさは無い。
以前、私が何も考えず、自分の身体を傷つけた時、それを諌める為に自分の手に穴を開けた時とは違う、強くて確かな決意が見える。
「解ってる。一番近くで見ていたんだ。
お前が変化する全てを、二度。
だからその意味を多分、お前自身より解っている。
その上で、頼む。
俺には、あれがどうしても必要なんだ…」
「? なんでだよ。マリカの様子を確かめに来た、だけじゃないのかよ?」
アルが理由が解らない、というように目を瞬かせた。
彼は、理由を聞いていないのだろう。
リオンの言葉から、逃げるように視線を逸らし、私は後ろに立つフェイを見た。
本来なら、止めてくれる筈のフェイは無言でこちらを見ている。
さっきまでの、軽口を叩く余裕も今の彼には無い事が解った。
危険だと止めたい。
でも、止める事は出来ないと、血の気を失くした顔が、握りしめられた拳がはっきりと言っている。
「…どうして?」
私は視線をリオンに戻す。
「理由を、聞かせてくれる?」
「ああ」
答えたリオンは私と視線を合わせた。
「理由は、二つある。一つ目…マリカの成長、変化。
あれは、形を変えた…変生なんだ」
「!」
『変生』
その言葉を最初に聞いたのは、やはりリオンの口からだった。
忘れもしない、フェイが魔王城の宝物蔵で魔術師の杖を手に入れた時。
『魔術師』になった時に身体を作り変えられている、とエルフィリーネは語った。
人の運命の形を変えてしまう、危険な術であると他ならぬリオンが口にしていた。
「変生は、人間をその宿命から切り離し、星と大地に括りつける技。
高位精霊が自分の選んだ者に力を与えるときに使う。
受けた者は人を超えた力を得るが、引き換えに人以外の者になってしまう」
「…ってことは、私は…」
喉が詰まった。たまった唾が驚く程の大きな音を耳に響かせる。
「ああ、もう厳密に言うと人間じゃない。
精霊と人の狭間の者。
二つの能力を身体に宿す時点で、普通の人間なら死んでいた。
その為に、本来なら一日以上かけてゆっくりと身体を変える変生を一気にかけて身体を作り変えた。
おかげで生き残れた事に疑いの余地はないが、ただの人間とは言えないものに、もうなってる」
そうか、と思う。
別に悲壮感とか後悔とかは無い。
魔王として世界に立ち向かうと決めた時から、ううん。
保育士としてみんなを守ると、この世界に立った時から、その為には、なんでもすると決めたのだから。
それでいいと、頭の隅で納得している。
「俺は、転生して人間として生まれている。
精霊の力も大よそ失って、12年かけてもようやく半分戻ったか、戻らないか。
少しでも早く、精霊の力を取り戻したい。
変生をかけられるのは自分より、上位の精霊だけ。
精霊の獣に、変生を与えられるのは精霊の貴人だけだから」
自分の力だけでは時間がかかりすぎる。
変生で、精霊の力を取り戻したい。
それは一つ目の理由。
「じゃあ、もう一つは?」
「…俺は、大人になったことが無いんだ」
「えっ?」
ギリリ、と歯を噛みしめる音にリオンの悔しさが見えた。
「最初の時は16で死んだ。
その後は何度転生を繰り返しても、呪われたようにその先に進めずに死ぬ。
未だかつて、一度も18歳にさえ、俺は辿りついたことはない」
顔を歪め、忌々し気に吐き出すその唸るような声には怒りが滲む。
敵と同様に、ふがいない自分自身への怒りに私は思えた。
「どうしても必要なんだ!
精霊の獣が目指し、辿り着くべき目標。明確なイメージが!
一度、一瞬でいい。
自分の辿り着くべき形を知れれば、あとはそこに向かって自分を鍛えていける。
頼む…マリカ…」
この身は子ども
力が足りない。
それは、どうしようもないまでに、どうしようもないこと。
時間しか解決する術はないと知っていても。
焦っても仕方ないと解っていても、
いや、解っているからこそ寄る辺が必要なのだと、リオンは声にならない声で叫んでいた。
「…私を信じてくれる?」
私の中の「形を変える」変化のギフト。
自分の身体の変化さえ、さっき初めて成功したばかりだ。
他者の、リオンの身体に働きかけて、どう作用するかは解らない。
けれど
「信じてる」
即答だった。一秒の迷いさえない。
「多分、アルはダメだ。フェイも危うい。
でも、俺ならできる。
お前の力は、絶対に俺を殺さない。そう信じてる」
彼が、信じてくれるなら、私がすべきことは一つだ。
「解った。着替えて。
持ってきた荷物、そうなんでしょ?」
「マリカ!」
今まで、口を挟めなかったアルが、心配そうに声を上げるけど、リオンが私を信じて望むなら、それが必要だというのなら、私は応える。
ずっと、今まで支えてきてくれたリオンを、支え助ける術があるなら全力でやる。
私は最初から、そう決めているのだ。
「頼みます。マリカ…」
「うん」
絞り出すようなフェイの、心配を宿した声に私は頷く。
リオンが着替える間、私もいつもの服に戻って待った。
やがて、準備を整えたリオンが覚悟を決めたように、ベッドに横になる。
その横で、私がリオンを見つめる。
さっきと丁度反対だ。
「いくよ。リオン」
「ああ」
私は目を閉じて、リオンの手を握った。
全ての感覚を閉じてリオンだけを感じて『スイッチ』を入れる。
バチン!
火花が散った、そんな印象だった。
と、同時、AEDの電気ショックを受けた様に、身体が強く爆ぜたと同時、リオンの身体の変化が始まる。
「が…はっ…」
メキメキ、バキバキと音を立ててリオンの身体が軋んでいく。
私は始めて、外から変化のギフトが発動する様子を見た。
皆が、心配するのも道理だ。
自分が変化する中で、聞いていた音とはまったく違って聞こえる。
フェイが言った通り、人間のそれが発する音ではない。
身体が恐ろしい熱を発し、身体全体から湯気のようなものまで立ち上がるのが見えた。
けれど、リオンは一言の悲鳴もあげはしない。
全身を苛んでいる強烈な苦痛を取り込み、従えようとしているようだ。
「ぐっ…ああっ!」
「リオン!」
やがて、確実な変化が始まった。
手足が太く、長く伸びている。
少年の持つしなやかなそれを鹿に例えるなら、狼のような太く、ガッチリとしたものへと。
胸板も厚みを増して、脹れていく。
私のようなまろみをもったものではない。
みっちりとしっかりと筋肉のついた男性の、いや戦士のそれだ。
悲鳴を呑みこみながらも左右に振られた肩口から伸びた黒髪が流れる。
息を呑んだ。
全身に油のような汗を滴らせ、呻くリオンの変化に、その美しさに…。
「う! うああああっ!!」
初めて、リオンが悲鳴をあげた。
最後の波、稲妻にも似た衝撃が、身体を駆け抜けている筈だ。
「リオン!」「リオン!」「リオン兄!!!」
ゆっくりと、整っていく呼吸。
身体が、緩やかな鼓動と共に真っ直ぐに伸びていく。
「あ、っ…うっ…」
「リオン!」
微かな、呻き声と共に閉じられていた、瞼が開く。
その瞬間、私は呼吸も忘れた。
ただただ、魅入る、
現れた、美しい精霊の獣の真の姿に…。
この世界に来て、解ったことがある。
精霊というのは美しいモノなのだ。
そう星により定められている。
例えば、水が、風が、木が、花がそれぞれに個性は違えども、人に美しいと感じさせるように。
星から生まれた自然の具現。
だから精霊は美しく生まれてくる。
この世界において、自然の摂理にもそれは等しいことなのだろう。
自分も、その末端なのだということはまだ自覚できないけれど理解した。
成長した『精霊の貴人』の姿を見て。
そして、今また、実感した。
彼も正しく、星の末端。精霊の一翼。
『精霊の獣』
なのだ。と。
「あ…俺…は…」
微かに頭を振り、身体を起こしたリオンを、フェイが背中に手を当て支える。
「僕が、解りますか? リオン…いいえ『精霊の獣』」
「…フェイ」
「はい。変化は、成功したようです。見て見ますか?」
まだ、だるさ、身体の接続の悪さが残っているのだろう。
私にも覚えがある。
ゆっくりと呼吸と身体を整えるリオンに、私はさっき自分が使った姿見を取って渡す。
「はい…リオン」
なんと、声をかけていいか解らない。
「ああ、ありがとう…」
鏡を受け取り、お礼を言うリオンの口元、目元には少年の時の印象が残る。
彼はリオンなのだと、ちゃんと解る。
でも、一オクターブは下がった低い、大人の声に私は胸の鼓動が収まらない。
完成された身体は、まるで良くできた彫像を見ているようだった。
薄いチュニックとズボンとシャツを通しても、鍛え上げられた筋肉がはっきりと解る。
身長も高い。
多分180cmを超えているだろう。
けれども細さ、高さは見栄えだけのことではない。
戦士として完成された無駄のない身体は本当に、呼吸忘れる程に美しい。
夜色の髪は整えられてはいない。
長く、無造作に伸びているが汚くは見えない。
むしろ闇そのもののような精悍さで、彼に良く似合っている。
何より驚くのは瞳だ。
片方は露に濡れたような深い闇の色。そしてもう片方は新緑に輝く緑柱石をはめ込んだような碧色。
オッドアイと呼ばれる双眸に射抜かれたら、誰もが魅入ってしまうだろう。
そんな深さを宿していた。
自分の姿を鏡と、実感として確かめたリオンは驚きに目を見開いている。
「…スゴイな。俺は…ここまで届くのか?」
「ええ、これが本来の貴方の力にして姿、なのだと思いますよ。
ありとあらゆるものから精霊と、人を護る、精霊の獣」
ゆっくりと立ち上がり、リオンは手足の動きを確かめると、枕元に置いていた短剣を手に取り、ブンと横に振る。
「わっ!」
無造作な動きに見えたのに、まるで見えなかった。
風が吹き抜けるかのように、ただ、剣が奔る…。
「初めてだ。ここまで思い通りに動く身体は」
その一つの動きだけでもはっきりと解った。
彼の、戦士としての完成度が。
「ああ、ここまで行けるなら、そして、もっと高められるなら、奴らにもきっと手が届く。
あいつらを…今度こそ…」
リオンの吐息に応える様に短剣が光った。
「焦らないで、リオン」
それを見て、私はリオンの手を握る。
思いを込めて、強く、強く。
「この姿は、まだリオンのものじゃない。
リオンが今のまま、研鑽と努力の果てに辿り着く未来。いつか、必ず届くから…今は未来に返そう」
少し苦し気に、でもリオンは静かに頷いた。
「ああ、解ってる。
大丈夫だ。今世こそ、必ずここまで辿り着いてみせる」
「精霊の獣 精霊の貴人」
「フェイ?」
私達二人の前に、フェイが膝をついた。
心臓を掴む様に胸の前に置いた手を、私達二人の前に開き、差し出す。
「我が運命は精霊の獣に、わが魂は精霊の貴人に捧げましょう
生涯の全てを賭けて力になると誓います…」
「フェイ…」
これと、同じものどこかで見た、と思った刹那
「リオン兄! 戻れ! 身体がヤバイ」
アルが声を上げた。
とほぼ同時、
「がっ…あああっ!」
リオンの膝が、がくんと落ちた。
そのまま、空気が抜けるように力が散って空に消えていく。
「リオン!」
力を失い、崩れたリオンの身体を、フェイとアルが支えベッドに横たえたとほぼ同時、リオンの身体は、元の少年に戻っていた。
「私より、リオンの方が成長の負荷が大きかったみたいだね」
「身体の持つ力が桁外れです。無理もないですよ」
意識は完全に飛んでいる。
私の時とは違う反応に、身体に布団をかけながらフェイは頷く。
「精霊の貴人は多分、精神力で能力を使うタイプ。
成人した精神が制御しているのであれでも、負担は多分少なかった。
精霊の獣は逆に、肉体の持つ能力に、戦闘力が依存するようですね。
だから、多分、成長が遅いんです。じっくりと強大な力に耐えられる身体を作る為に」
精霊の貴人と精霊の獣。
二つの力は求められ、生み出された対のようなものだと以前聞いた。
でも、精霊の貴人は、精霊の獣より年上で、彼を育てていた。というのはそういうことなのかもしれない。
「あそこまでリオンが身体を育てられれば、多分敵はいないと思いますね。
だから、それをさせないように敵は狙ってくる…」
思い出す。
見る者を魅了する、真なる精霊の獣。
あれは、この星の宝だ。
「…守って行かないとね」
「それは、リオンだけではありません。君もですよ。マリカ。
君とリオンが奪われたら、500年前と同じ。僕達の敗北です」
「うん…気を付ける」
焦らず、ゆっくりと育てていこう。
絶対に、奪われたくない。
奪われるわけにいかないのだと、眠るリオンを見ながらそう思った。
リオンに部屋を譲って、私はアルと部屋を出た。
廊下の時計を見れば、もう日が、替わっている事に気が付いた。
それは月の終わりと一年の終わりも意味する。
星月が終わり、木の月へ。
新しい一年が。
今までとは違う一年が始まることを、私達は感じずにはいられなかった。
魔王城の一年の終わり。
そして新しい何かの始まりです。
精霊の獣 アルフィリーガの成人した姿、開帳。
神か精霊かと見まごう完成された存在になる可能性があります。
でも、それはリオンが、今の思いと誓いを忘れず、研鑽した先に有るものです。
今は、力が大きすぎて、一時の幻でしかありませんが、きっとそれを目指して、リオンは努力し続ける事でしょう。
新しい年がはじまり、新しい物語もスタートの予定。
それまであともう少しの魔王城の生活をお楽しみ
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