それは新しい年の始まり。
一つの戦いが終わり、それぞれがそれぞれの在るべき場所に帰ってきた宵。
精霊たちの内緒話。
「…そうですか。
貴方はとうとうそこに至ったのですね」
彼の姿を一目見た、城の守護精霊は静かに、そして哀し気にそう微笑んでいた。
大聖都から戻ってきて数日後。
僕は、リオン、アル、そしてマリカと彼女の侍女セリーナと一緒に魔王城に戻って来ていた。
「やっと帰って来れた!!
長かったよ~~~」
まる一月以上、四人全員が不在。
事前に話は勿論言い聞かせてあったがやはり不安はあったのだろう。
マリカの魂の叫びを聞きつけて
「お帰りなさい! マリカ姉! リオン兄! フェイ兄! アル兄!!」
「うわー、みんないっしょに帰ってきたのひさしぶりだねえ~。うれしいな」
「おかえり、おかえり」
「ばうっ!!」
子ども達は僕達が帰ってきたのに気付くとすぐ、ドヤドヤと集まってきた。
護衛兼遊び役、オルドクスも一緒に。
「ただいま~。みんな、元気だった? 元気してたね? 良かった♪
ひとりずつ、だっこさせて~。触れ合いに飢えてるの」
「元気にやってたか? オルドクス?
お前のおかげで俺達は、安心して城を空けられる」
「ばふうっ~~!!」
子ども達を本当に一人ずつだっこして、もしくは抱きしめるマリカの横で、ぽんぽんとリオンが背中を叩いてやると嬉しそうにオルドクスは身体を摺り寄せて来た。
彼も主の帰還が嬉しいのだろう、と思ったが、
「バウ?」
次の瞬間、ピクンと何かを感じ取ったように身動きを止める。
そして主とよく似た黒い、丸い目で伺う様にリオンを見上げているのだ。
「…大丈夫だ。心配するな」
もう一度、ぽんぽん。背中を叩く仕草とその視線は主として、黙っていろ、と命令している。
忠実なこの守護獣はその様子にもう何も言わず、もう一度だけ信頼と敬意を込めて身体を摺り寄せると子ども達の方に戻っていく。
「何ですか? 一体?」
「何でもない。気にするな」
リオンは僕の問いを黙殺して、子ども達とだんごになって触れ合うマリカを見つめている。
「セリーナお姉ちゃんもおかえり! すごくキレイ」
「ありがと。ファミーも元気そうで良かったわ」
「ねえ、お土産は無いの?」
「こないだ、エリセ姉が持ってきてくれた『にくじゃが』おいしかった! また食べたい!」
「りょーかい! 『ショーユ』と『サケ』はもってきたからね。
アル。残ってるナーハの食油もってきてたよね?」
「ああ、皇家の残り物だからな。処分しちゃっていいって言われてる。マリカが使うなら文句は言われねえよ」
「ありがと。よーし。今日はカラアゲにしてみよー?」
「カラアゲ? カラアゲってなあに?」
「マリカお姉様、私もお手伝いしますので教えて頂けませんか?」
「はーい、私も!」
「新しい料理作るつもりか? ならオレも見る」
「後でラールさんにも教えるって。とっても美味しいから!」
アルは今、事実上ゲシュマック商会のナンバー3。
ゲシュマック商会のマリカに関連する事業はアルが全て取り仕切ることになっている。
その関係で料理も自主的に学び、大分上手になった。
「と、その前に荷物を置いて着替えてからね」
「リオン兄、夕ご飯の前に遊んで!」
「ああ、いいぞ」
僕とリオンは久しぶりに長い廊下を歩き、魔王城の自室に辿り着いた。
扉を開けると僕達が城を出た時と寸分変わらない部屋が迎えてくれる。
ちりひとつ、ゴミ一つ落ちていないのはやはりエルフィリーネのおかげだろう。
「やっぱり魔王城は落ちつきますね。
この部屋に戻ってくると、帰ってきた。って気がします」
「ああ、確かにな」
やはり魔王城が僕達の帰る場所。
そんな感傷に小さく浸りながら、ベッドの上に先にごろんと横になったリオンを見る。
あの日、自らの命を賭して『神の手先』大神官を斃した日からリオンは変わった。
本人が細心の注意で隠しているからだろう。
僕以外に気付いている人は、多分ライオット皇子くらいだろうし、僕でさえ、そうだと思ってみないと解らない。
アルは、もしかしたら何かを感じているかもしれないけれど。
リオンは変わった。
封じていた精霊の力が解放され、元に戻ったことを別にしても明らかに変わっているのだ。
戦い前のリオンとは、まったく別の存在と言っていいほどに。
「?」
ベッドの上で目を閉じていたリオンが小さく頷いたように見えて僕が首を傾げると、彼は目を開け、僕の方を見る。
「フェイも一緒にチビ達と遊んでやるか?」
「そうですね。久しぶりに。
ファミーの様子も見てやりたいですし」
でも、こうして笑う姿はいつものリオン。
兄弟思いの優しい所も何も変わってはいない。
だから、僕は感じた不安を胸の中にしまい、蓋をして立ち上がると歩き出した。
彼と一緒に。
みんなで、ワイワイと夕食を楽しみ、久しぶりに大きな風呂に兄弟達と入り、寝かしつけ、…皆が寝静まった深夜。
僕は、隣で動く気配に気づいて目を覚ました。
瞼は閉じたまま、呼吸もなるべく静かに。
演技は成功したようで、リオンはホッとした息を吐き出すと部屋を出ていく。
足音が遠ざかっていくのを確かめて
「シュルーストラム」
僕は相棒たる杖を呼び出した。
『なんだ? フェイ。こんな夜中に』
「リオンが部屋を出て行きました。何処に行ったのか解りますか?」
僕の問いに微かに城の上を見上げたシュルーストラムは当たり前なことを、と苦笑しながらも
『城に戻ってきて、アルフィリーガが一人誰かに会いに行くというのであれば城の守護精霊の所に決まっているだろう。
色々あったのだ。報告と相談もあろうというもの…』
答えてくれた。
「色々…。シュルーストラムは、リオンの変化に気付いていますよね?」
『無論。あれだけの『変異』に気付かぬ精霊がいたらその方がおかしい』
「『変異…』一体、リオンの何がどう変わったというのです」
だがさっきまでの軽い口調と正反対にシュルーストラムの口は閉ざされる。
「シュルーストラム!」
『『星』の根源に属する我らの秘。
我らは語るを許されておらぬ』
「またそれですか? 『星』はいつも、どうして僕達に本当のことを教えてくれないのですか!」
『『星』の意志は絶対。我らは『星』に創られし者。『創造主』に逆らう事など不可能だ』
『星』の精霊達には自分でもどうしようないかけられた縛りがあることは承知している。
それでも、あまりにも融通の利かないその仕様は非情に思えて僕は我慢がならなかった。
「それは…ですが…」
『だから、貴様が勝手に見るがいい』
「え?」
僕の前に立ったシュルーストラムの指が、僕の額にぷすりと音も無く突き刺さった。
実体のない精霊の指だ。実害はない事は解っている。
けれど、その瞬間、僕の目の前に何かが開けた。
自室にいるのに目の前に広がる光景はそれとは違う。
見覚えがある。これは、ずっと前に一度見た城の最上階だ。
透明な『死んだ精霊石』のある場所。
そこで、泣き出しそうな哀しそうな顔で石に触れるリオンに静かな声がかけられた。
「お帰りなさい。アルフィリーガ。
…貴方はとうとう、そこに至ったのですね」
『僕』では当然ない声の主にリオンはそっと微笑み。
「ああ…。エルフィリーネ。
随分と、本当に随分、長い事待たせてしまったな」
静かに頷いていた。
『僕』はこの光景を見ていることしかできないのが解った。
シュルーストラムに何をしたと問いただす事すらできない。
ただ、エルフィリーネの目になって、おそらく今、この城のどこかで為されている会話を見る事しかできないのだ。
明らかな盗み聞き。
知れればリオンはいい気分にはならないだろう。
でも、それでもいいと開き直る。
リオンが語らない、精霊達が言えないリオンの重荷を少しでも知ることができるのなら。
「心配をかけたな。大神殿で色々あって、こういう事になってしまった。
『星』は心配して力を分けたり、封じて下さっていたのに、申し訳ない事だが…」
「それは良いのです。貴方達の為に為された事。
貴方達が自分の選択を悔いているのでなければ。
でも、どうしてそこまで…『星』の力と干渉無しで辿り着いてしまったのですか?」
心配をその眼に宿したエルフィリーネの問いにリオンはそっと首を横に振る。
「正直に言えば、完全に『精霊の獣』として覚醒したわけじゃあない。
神の大神官、フェデリクス・アルディクス。
俺の『弟』とも言える奴を倒した事で、そいつの力を俺は知らず取り込んだ。
結果、奴の記憶や力の一部が流れ込んで、自分が何か、どういう存在か、忘れていたというか目を反らしていた事を理解した、というだけだ」
「では…貴方は自分で『気付いた』と?」
「まあな」
…リオンは精霊石に触れて、目を閉じる。
精霊石は何の反応も無く、ただ静かにそこに佇むだけ。
「長の『死』は俺の責任だ。
俺がその命と存在を奪い取ったようなもの。
それだけじゃなく、『俺』はきっと『神』の端末として何も考えず…多くの精霊や『精霊の貴人』を傷つけてきたんだろうな。
今の俺は多くの犠牲の上にある」
「それは、貴方が責任を感じる事ではありません…。
長はマリカ様の願いがあったとはいえ、自らの意志で、貴方に希望と命を託したのですし。
実際貴方は、私達に多くの希望と喜びを与えてくれた…。
私達、生まれながらに完成された『精霊』には在りえなかった『成長』という祝福を見せてくれたのですから」
「だが、幸せを、エルトゥリアを壊したのも俺だ。
俺が何も知らないまま、外に出たりしなければ…。『神』の口車に乗って良いように操られたりしなければ…」
「アルフィリーガ…」
意味はよく解らない。
ただ、リオンがリオンの責任ではない何か罪を背負っているということ、それに気付き、悔いている事だけは理解できた。
リオン、違う『アルフィリーガ』という存在に纏わる秘密。
大神官を『弟』と呼ぶことからしておそらくは…
「心配しなくても俺は『精霊の獣』だ。もう奴の端末じゃない。
『神』を斃し、この世界に『星』の力を取り戻す。
その使命に迷いも、躊躇いも無い」
頭を大きく振り、告げるリオンの言葉に確かに迷いは見えない。
「大神官が転生し、成長するまで短くて三年、遅くとも五年。
遠くないうちには奴は戻ってくるだろう。
それまでに、世界を掌握する。
もう、神の影響に怯える必要も、精霊の力を隠す必要も無くなったからな。
全力で行くさ」
「ええ、貴方達とマリカ様ならやりとげるでしょう。心配はしていません」
「任せておいてくれ。
俺達を信じ、見守り、任せてくれる『星』の意志に俺は応える。
応えなくてはならない。
それがマリカやフェイ、皆の側にいたい、と。
『星』の手足たると、自分で選んだ俺の責任であり、義務なのだから」
誓う様にエルフィリーネに告げた言葉は、同時に自分自身に言い聞かせているようにも僕には見えた。
「でも、一人で抱え込み過ぎてはいけませんよ。貴方の『力』のことも『星』と相談してみますから」
「頼む。
正直、ようやく『ない』事に慣れたところだったから、急に前より強くなって戻ってきた力は重い…。
マリカは、大丈夫なのか」
「マリカ様は普段の生活に精霊の力を使っておられませんからさほど問題はありません。
前にも言いましたが貴方の方が危険度が高い。今のままでは…」
「解ってるから言わなくていい。皆にも言うなよ。
当面は魔性退治とかで発散させつつ、方法を探すさ。結界強化とか力が必要な時には言ってくれ」
「ええ、その時はお願いします。くれぐれも無理はせずに…」
そこで、僕の意識は遠のく。
スッと、抵抗できない眠気のようなものに襲われた僕は気が付けば、エルフィリーネ視界から追い出されて僕に戻っていた。
「貴方達は…一体何を考えて、僕にあんなものを見せたのですか?」
呼吸を整えながら問う僕にシュルーストラムは真剣な眼差しを返す。
『言っただろう? 我らは精霊。星の手足にして人の道具たるもの。
余計な事を言う権利は無く、単独で出来る事は限られている。
だがそれでも…其方達を心配しない訳でもなく、案じていない訳でもないのだ。
貴様なら、あれを見てもアルフィリーガへの態度を変える事はあるまい?』
「当然です。過去に何が有ろうと、生まれがどうあろうと…リオンはリオンですから」
『なら良い。見せたかいもあったというものだ』
「貴方達は優しいですね。本当に…」
零れ落ちた本心に、ぷいと照れたようにシュルーストラムが顔を背けた。
精霊達は本当に優しい。
さっきの光景も、おそらくはエルフィリーネが協力してくれたから見えたものなのだろう。
リオンが絶対に僕達には見せたくなかった彼の真実の欠片と現状の苦しみ。
それを『見せてくれた』ということは彼女が心からリオンを案じ、なおかつ僕を信じてくれたということ。
「感謝しています。僕も覚悟が決まりました」
ならさっきのリオンではないが、リオンの力にxなることを選び魔術師になった自分には精霊達の信頼に応える義務がある。
「リオンの精霊の力は封印が解かれて、前よりもリオンを圧迫しているのですね。
何とかする方法は?」
『あればしている。当面は肉体の成長を待ちつつ本人が言った通り対処療法で行くしかない。
後は前のように分割封印する方法を探すか、消費する方法を探すか…』
「少し時間を下さい。考えます」
『頼んだぞ。
後は寝台に戻れ。そろそろアルフィリーガが戻って来る』
「解りました」
精霊が姿を消したのを確認して、僕は杖を身体に戻し、寝台に潜りこんだ。
リオンが戻ってきたのはその直後で、彼は僕が出て行った時と変わらない様子を見て安堵したように微笑むと、また寝台に横たわる。
時折聞こえる、噛み殺したような呻きは、何かを必死に耐えている声。
日中は決して彼が見せない事だ。
彼が、見せないと決意しているのなら、僕は見ない。
見なかったことにする。
その上で考えるのだ。彼を助ける方法を、繋ぎ止める手段を。
僕は彼の『魔術師』なのだから。
「おはよう。フェイ」
「おはようございます。リオン、良い朝ですね」
互いに噛み殺したであろう眠気を飲み込んで僕は笑いかける。
「そろそろ朝食だ。行くぞ」
「ええ。今日も朝はマリカが腕を振るっている事でしょう。
昨日のカラアゲも美味でしたし、楽しみですね」
「おはよう! 二人とも。もうご飯出来ているよ。
早く顔と手を洗って座って!」
「おはよう。マリカ」「おはようございます。今日も朝から良い匂いですね。今すぐに」
マリカがいて、リオンがいて、アルがいて。
兄弟達と笑い合える日常を、平和を、幸せを。
守って見せると、僕は改めて強く心に誓ったのだった。
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