「カイケイカンサ? 姫君は一体何をするおつもりなのですか?」
どうやら知らない単語だったのだろう。
この世界の言葉は不思議だけれど、私と皆。
お互いに自動翻訳が働いている。
この世界に在る野菜、この世界独自の名前を持つ野菜。この世界に無いというか知られていなかった野菜など。
私が名付けてしまったものもあるけれど、物を前にすれば意思の疎通が可能だ。
一方で『保育士』『ガイドライン』など完全に無かった概念はそのままの言葉で出てくるっぽい。
「ミリアソリスは経験ありませんか?
金銭関係を司る部署が不正や使い込みをしていないか、上司が確認することです」
「そのような事は普通致しませんわ。
金銭関係を預かる者は通常、領主から信頼の篤い者ですし。
そのような事を持ちかけるのは相手を信用していないと思われかねないですから」
ミリアソリスは私の言う事が理解できないと眉を潜めるけれど、そっか。
この世界ではそういう考えになっちゃうんだ。
「じゃあ、絶対に横領とか使い込みとかは無い?
取引業者からの付け届けとか、値引きさせておいてそれを懐に入れるとか」
「それは…」
顔を背けるミリアソリス。
あるな、これは。
「信頼を受けて会計を預かる人が横領や使い込みなんてしたら、領主の顔を潰すことになるとは思わないんですか?」
「よほど悪質なものでなければ領主も黙認している場合が多いかと…」
「フェイ? 王宮でもある?」
「王宮では基本ないと思いますよ。文官長として会計を司るのがタートザッヘ様ですから。
僕もこの一年、何度か帳簿整理を手伝いましたが、計算の間違い一つ見逃さない見事なものでした」
それは何より。
でも国民の税金を預かるのならそれなりの責任をもって取り組むべきだ。
保育士だって会計に関してはそりゃあ、もう厳しく監査、査察があった。
一円たりともミスは許されない。
「会計は重要です。
今度の私の就任で、今までアルケディウス神殿がルペア・カディナに納めていた分の税金がアルケディウスに納められる事になります。
神殿費は別として。
なら、どのくらいの金額がアルケディウスに入り、そのくらいの神殿費が必要なのか把握する必要はあると思いませんか?」
「なるほど」「それは確かに…」
「後日、皇王陛下にお願いして文官を貸して頂きますが、今回、その概要を確認します。
計算ミスや不審な点がないかどうか見て下さい」
「解りました」
二人が頷いてくれたので私は少しホッとする。
暗算とか計算についてはあんまり得意ではないから、専門家に任せた方が良い。
「持って参りました」
暫くして国の徴税を司るだけあって、結構な量の羊皮紙、木札の山が運ばれてくる。
数人の司祭も一緒だ。
「個々人の徴収過程とかは後でいいです。
各地からの収入の総額と、支出関係を見せて貰えますか?」
「解りました」
アルケディウスの領地は大体のイメージで言うなら関東以北くらい。
そこに十八の領地と王都があって、王都五万弱。直轄地内の村などを入れても十万に届かない。
各領地全体に一~二万の民が住んでいる。
一つの街だと首都のようなところ五千人前後。
ビエイリークは北の辺境扱いで三千人くらいしか住んでいないようだ。
そして各領地に数百人から、数千人の都市などが点在している。
小さい村や集落は数十人とかのところもある。
少なく見えるけれど、億の人数が住んでいた現代と比べてはいけない。
特にアルケディウスなど首都は城壁に囲まれているのだ。
城壁を作り、その中に街を作るだけでも大変な事だろう。
とはいえアルケディウスという国全体で百万どころか五十万に達してないというのがビックリした。
七国全部足しても千万もいかないのか。
前にも思ったけれど、小さいんだな、この世界。
そして同様にビックリしたのは奴隷待遇の人間の多さ。
衣食住の人間が生きるのに必要な中で『食』の仕事が無くなったので、食に関わる人間が大量にあぶれた。
彼等は混乱の三十年の後、多くが大貴族や貴族、豪商などで奴隷扱いとして働く事になった。
衣と住と税を保証して貰う代わりに生涯ほぼタダ働き。
そんなに使う所も無く、娯楽も無いからそういうものだと思ってしまうのかもしれないけれど。
なんか、やだな。
神殿の人達給料無しって聞いてブラックだと思ったけど、社会全体がブラックなんだ。
向こうでだって基本的人権とか、人類平等なんて思想が広まって来たのも近世だと解っているけど。
それでも古い体質はなかなか治らなかったと知っているけれど。
「ただし王宮とその関連は例外ですよ。
高貴な身分の者に仕えるので厳重な審査がある分、身分も保証されているし給料も出ます」
とはフェイの言葉。
上に行ければある程度自由に生きられるけれど、下に固定されてしまえば苦しみが永遠に続くだけ。
と以前ガルフも言っていた。
まあその辺の社会問題はゆっくり皇王陛下やお父様達と考えよう。
今はこっち
「…フェイ。ミリアソリス。
この神殿費を今回は集中して見てみて」
私は国家最強クラスの文官二人を手招きする。
「あら? 随分と諸経費が多いですわね。
あと、食が必要がないのに飲食関連がこんなに高額なのは何故です?」
「儀礼用の酒代だと思います。…後は大貴族との会食代とか」
「それに計算もあちこち間違っている。ここなどここで桁が一つ違いますよ」
「神殿長の儀式用衣装は随分高額なものが多いのですね。姫様のそれよりも高いのは何故です?」
私も一緒にざっと見ただけだけれど、前神殿長とその取り巻きが弄っていたという神殿費はやっぱり相当に酷いことになっていたようだ。
っていうか、帳簿そのものも、相当に雑。
ゲシュマック商会で商売に携わっていた私やフェイから見てみればどんぶり勘定以前の問題だ。
「神殿はこんな会計がまかり通っているのですか?」
「そ、それは…神殿費の会計は…神殿長の管轄で…」
側に立つフラーブや、会計担当司祭の顔からは完全に血の気が引いている。
まさか『聖なる乙女』として名前だけの神殿長として迎えた筈の小娘とその側近に、こんなにみっちり会計を見られて不正やミスを指摘さられるとは思ってなかったんだろう。
やられる立場から考えられると、着任してきたばかりの上司に会計監査されるなんて、怖さしかないけど。
ちなみに、これはあくまでざっと見ただけ。
正確に最初から計算確認とかすればもっとボロが出ると思う。
それら全てを今、ここで引っ張り出すつもりはない。
「そうですか。神殿長が担当しておられたのですね…」
「は、はい…我々は…間違っていると思っても…指摘する事もできず…」
「大変でしたね。真面目な方達が割を食っていたのではないですか?」
「はい…その通りで…。お解りになっていただだけるのですか?」
「ええ。『神』に真摯に仕えていた皆さんの全てがペトロザウルのような思想を持っていたとは思いません。」
俯いたフラーブが嘘を言っているのか、それとも本当に、まじめに仕事をしていたけれど、神殿長の権威に押されて不正を見逃してきたのかは解らない。
彼自身も甘い汁を吸っていたかもしれないけれど、今はそれは横に置くとしよう。
肩を落とすフラーブの前に立ち微笑みかける。
「でも、もう神殿長はいません。彼を指示していた人たちも更迭されたと聞きました。
であれば、間違っていると解っている所は改善していきたいと思います。貴方の力を貸しては頂けませんか?」
「力を…?」
「ええ。私は神殿を変えていきたいと思います。
働きやすい職場、いえ、皆さんの生活のほぼ全てを過ごす場なのですから、気持ちよく過ごせるところにしたいのです。
神殿を支え、私に付き従って下さる皆さんの為に」
「私達の…為に?」
「はい。皆様、とても頑張って下さっていますもの。
それに報いる報酬があってしかるべきだと思うのです」
怒られて、自分達も身分剥奪。下手したら不老不死解除。
『聖なる乙女』の不興をかったと落ち込んでいた司祭たちの顔に安堵が浮かぶ。
「私は神殿長就任の儀式の後、アーヴェントルクに向かいます。
戻ってくるまでの一月の間に、会計を確認して間違いを正し、新しい予算案を作成して頂けますか?」
「予算案、ですか?」
「はい。神殿が適切に運用する為に必要な金額の概略を計算して下さい。
衣装代、生活費その他全て。
私には解りませんから、皆さんが相談の上適正に作って頂けると嬉しいです。
下働きの人も含めて、皆さんが生活しやすいように。気持ちよく働ける様に…。
どのようにしたいですか?」
私が質問すると、司祭達の目に力が戻ってきた気がする。
「色々と腹案はあります。でも費用は…」
「正しく計算し、神殿長が使っていた不正金額が判明したら、その分の余剰金額は神殿の皆さんに還元したいと思います。
お給料や、食費。
『新しい食』を神殿に導入するなどして」
「『新しい食』を神殿にも?」「あの菓子のような?」
「ええ。どうですか? やってみようという気になりませんか?
それとも前の神殿長の悪いと解っている前例を、踏襲し続けますか?
悪い事は『精霊神』様が見ておられますよ」
ごくり、と司祭達の喉が鳴ったのが解った。あのお菓子、食べたのかな?
神殿関係者もゲシュマック商会の上流店舗を利用している、という話も聞いたから『新しい食』を口にしたことがある人物もいるのかもしれない。
先の神殿内の生活改善費と給料の支給も含めて、少しやる気が出てきたようだ。
「かしこまりました。
必ずやご満足して頂ける内容を整えて見せます。
『神』と『精霊神』と麗しの神殿長様の御名にかけて」
「お願いしますね。フェイ。王宮で使われている予算の書式を教えてあげて下さい。
こういう書式は統一した方が後々便利です」
膝を付き礼を捧げる司祭達に私は『ニッコリ』微笑んで見せたのだった。
その後は、簡単に神殿長就任の儀式について打ち合わせをして、神殿を辞した。
「…久しぶりに見ましたね。マリカ様の手腕を…」
帰りの馬車の中。
フェイが本当に楽しそうに私を見る。
馬車の中にいるのは私に、リオン、カマラ、フェイ、セリーナとノアールにミリアソリス。
ほぼ身内だけれどもその言葉の意味を本当に理解しているのは多分、リオンとフェイだけだろう。
「受容と共感…でしたか? 人心掌握術」
「本当に、とんでもないものを見た気分ですわ。
久しぶり…というのはあのような事が幾度か?」
「ええ、ゲシュマック商会の創設時に…」
「奇跡の復活と大躍進を遂げたゲシュマック商会の裏にはマリカ様の手腕有り、というのは本当でしたのね」
「フェイ…」
ミリアソリスは目を輝かせているけれどフェイが言っているのは多分、ガルフが最初に魔王城の島に来た時の事だ。
「人心掌握、なんて大層なものではないですよ。
ただ、誠実に相手に向かい合い、話を聞き、受けとめ、自分の思いを伝える。
それだけです」
人の心というのは万国異世界多分共通。
自分がやられて嫌だったことはしない。相手の立場を思いやって、信じる。
しっかり話をして、大切に尊重する。
そうすれば、応えてくれることは、人は多いと思う。
敵国と言われるアーヴェントルクでも、そうだといいんだけれど…通じない人もいないではないからなあ。
「フェイ。戻ったら皇王陛下とタートザッヘ様に今日の報告を。
神殿の経費について約束してしまいましたが、大丈夫でしょうか?」
話題を変える為にフェイを見る。
私はこの後、館に戻って明後日の儀式の衣装合わせだ。
でないと明日の安息日、魔王城に帰れない。
「大聖都に送られていた分は金額が大きすぎて、私の裁量を超えますが、神殿の諸経費くらいは多少融通が利きますよね?」
「大丈夫だと思いますよ。むしろ今までの国家予算に匹敵する金額が増えるのです。
色々な点に予算を潤沢に使えるのではないでしょうか?」
「じゃあ、今度ご相談してみます」
フェイの話を聞いて、そして今日の神殿の事も含めて思った。
子ども関係や農業関係、新技術の開発や人材育成、生活改善にお金をかけられるようになればいいな、って。
奴隷とか自分の意思で自分の人生を生きられない人が少しでも減ればいいなって。
『精霊神』様は民を『子ども達』って呼ぶ。
人が幸せに生きられない世界は、子どもも幸せには生きられない。
子どもが、そして少しでも多く人が笑顔で暮らせる世界を作りたいな。
まずは自分の職場から。
手の届くところから、ちょっとずつでも変えていこう。
私は改めて、そう心に決めたのだった。
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