娘を膝に乗せる時。我が子達を腕に抱き上げる時思う。
自分にこんな時が訪れる日が来ると、あの時は思っていなかった。
友と出会うまでは。
この世界に、自分はたった一人きりだと思っていた。
周囲の人と自分はあまりにも違いすぎて。
仲間がいても、優しい両親に愛されていても孤独だと感じていた。
世界が美しいものだとは知っている。守らなければならないと、心と身体が理解している。
けれど
こんな世界、壊れてしまえと何度思ったことだろう。
「そうか。辛かったんだな」
そんな自分に、頷いてくれる存在がいた。
この世の中に、たった一人でも自分を理解してくれる者がいる。
人間はそれだけで生きていける生き物だ。
五百年を経ても消えない思い出。
俺は、こいつのおかげで一人じゃなくなった。
だから、俺はこいつを絶対に一人にしないと決めたのだ。
「っと、これで殲滅終了。お疲れ様。ライオ」
「ふん。手ごたえのない。もっと強い奴。魔王はどこにいるんだよ」
今から五百年以上まえ。所謂暗黒時代。魔術師と、神官と三人で旅をしていた俺は一番どん底だったと自覚している。
「焦っちゃだめよ。いくら貴方が強くたって敵はこの世界、全ての魔性を統べているのよ。油断できないわ」
「ふん。俺が勝てない相手がいるのならお目にかかってみたいもんだ」
「そりゃあ、君は二国の精霊の血を受け継ぐ英傑の才だけどさ。世の中広いんだ。君より上の実力者はいるんじゃないかな?」
「いない。アルケディウスより強い戦士国のプラーミァだって、子どもの俺に勝てる奴はいなかったんだ。各国の王宮にいないんだから、俺より強い奴なんていないんだ」
「自分より強い人がいないことが嬉しいっていう訳じゃないんだからひねくれ者よね。ライオは」
「別に、誰も強く生んでくれなんて頼んでねえし」
呆れた顔で、同行者二人が顔を見合わせたことを覚えている。
あの当時、俺は生まれ持った自分の力を持て余していた。
『精霊神』の恵みを受けた王家同士の婚姻で、二国の血を受けた者は英傑の才をもって生まれてくる。ただし、その子が子孫を成せる可能性は殆どなく。生涯国を守る部品として生きることになるだろう。
そう語られ、避けられていた二国間の婚姻。恋愛結婚により、何代かぶりに生まれた英傑の才が自分であると幼い頃から知らされていた。
自分に見えないモノが見え、精霊にまとわりつかれるのも、人より身体的に色々と優れ、兄を追い越して、周囲を、親や師さえも追い越して強くなれるのもそのせいだと。
努力をしてこなかった、訳では無いけれど。頑張れば大抵のことができるようになった自分を頑張ってもできない兄達は妬み、疎んだ。
そして結果、自分はここにいる。魔王討伐という名の厄介払いに出され、王宮を追い払われたのだ。
旅は気楽で、王宮にいた時よりはよっぽど自由で楽しかったけれど。
やはり面白くない、納得したくないという思いは胸の中に燻る。
「ったく、誰も生んでくれなんて頼んでないってのに」
「そんなことを言うものではありませんよ。『星』も『神』も、皆この世界に生きる者達を愛し、役割をもって生み出しているのですから」
「それって『道具』ってことじゃねえか。俺らは偉い奴のいいように生み出された道具なのかよ」
荒れた俺をよく神官は諫めたけれど、俺の中に吹きすさぶ苛立ちは消えることが無かった。
誰も、自分と同じものを見ることができない孤独を俺は魔性退治に叩きつけていたのだろうと今なら思える。
「山奥に巨大魔性? いいぜ。やっつけてやる」
その依頼を受けたのも偶々通りかかった村で、頼まれたからで。
八つ当たりには丁度いいと思ったし、負ける可能性など、欠片も考えなかった。
だから、そこでまさか。運命を変える存在と出くわすことになるとも思ってもみなかった。
『お前は……誰だ? ここで、何をやってるんだ?』
『俺は…………アルフィリーガ』
俺には、子どもの頃から『精霊の力』が見えた。ありとあらゆるものに薄く宿る微小の不思議な粒子。それを扱う事で魔術師や神官が術を使っていることが解っていたのだ。
普通の人間にはそれが見えなくて、自分には人よりもはるかに大きなそれがあると解ったのはある程度の歳を経て分別がついてからのことであったけれど。
それまでは、気持ち悪かったし、好きにはなれなかった。
自分は周囲とは違うのだと思い知らされもしたし。
だから、精霊の力の介入する余地のない剣術にのめり込んだ。余計なものが入り込まない剣と剣のやり取りであるのなら、自分は他の人間と同じであると思えたからだ。
……まあ、身体の中にあり取り除くことができず。
常に自分底上げする精霊の力によって、どうあっても自分と同じにはなれないのだと思い知らされただけであったけれど。
だから、そいつと会った時には目を剥いた。魅了された。
自分より小さいのに、自分以上の『精霊の力』をもつ輝かしい男。
人の容をした『精霊』の王子。
そいつは、全てにおいて俺より上だったのに、最初から。
「俺の事は気にしなくていい。俺は『精霊』。『星』と『子ども達』を守る為に生まれた『獣』なのだから」
俺と違い奴は、精霊として、自分の道具としての運命を、全て受け入れていたから。
「だー! もう、何度も言ってるだろ!! 一人で前に出るな。俺達の準備ができるまで少し待て!!」
「悪いとは、思っている。でも、敵が部下を呼んで数が増えてからでは近づけなくなるし、危険度も大きい。だから、一気に攻めるのが得策だと判断した」
「前に出るな、とは言ってない。一人で勝手に突っ走るな。って言ってるんだ」
「心配しなくても、あの程度の魔性に俺は傷つけられないし、傷ついても直ぐに治る。
精霊の回復力は早いんだ」
「そういう問題じゃなくってだな!!」
「アルフィリーガが来てから、ライオは随分と面倒見が良くなりましたね。荒れた所も無くなったというか」
「ライオは元々、『精霊の愛し子』だもの。世話を焼くのが好きなのよ。今までは機会がなかっただけで」
「そういうものですか?」
「……アルフィリーガにとっても、この出会いは必要なことだったのね。だから、きっと……」
「リーテ?」
「なんでもない」
自分は『星』や人々を守る道具であると自分を定義づけ、一切躊躇うことなく目的に突き進む『精霊の獣』を見る度、俺は自分の矮小さを感じずにはいられなかった。
そして、あの夜を迎えたのだ。
「あれ? アルフィリーガは?」
「ちょっと出てくるって、言ってたわよ」
依頼された魔性退治を終え、とある町に宿をとった夕暮れのこと。
俺はアルフィリーガが一人、外に出て行ったことに気が付いた。
外に出て、目を凝らす。
奴が見える範囲にいるのなら、解ると思った。
一番、精霊の力が大きく煌めくのがあいつだから。
「いた!」
見れば、町の丘の上、教会の鐘楼の上に奴らしい光が見えた。
俺も追いかける。
朱に染まった街並みを、そいつは一人見つめていた。
「何を、しているんだ? アルフィリーガ?」
「ん? お前も見るか? ライオ」
俺を横に招いた奴の視線の先にあるのは、当たり前の人の住む街並み。
「故郷にいたころ、よくマリカ様と一緒に見ていたんだ。
城の塔の上から、人々の街を、夜になって灯りがともる光景を見るのが好きだった」
朱色に染まった空が、徐々に夕暮れが進むにつれて、彩度を落としていく。
徐々に暗くなり、赤みを帯びた太陽は夕空に広がる雲や空気を赤や紫色に照らしていた。
やがて空が深い青や紺色に変わる頃。星が空と、地上に一つずつ現れ、明るく輝き始めた。 夕焼けの美しい色合いは徐々に消え去り、代わりに星々の光が空を照らし出す。
空と、家の窓から漏れる暖かな光が地上と空の境目を無くし、一面の星の海を作り上げていた。
「地上の星。あの灯りの下に人々の命の営みがある。
それを守り、導くのが俺達の務めだと、あの方は言っていた」
「あの方?」
「だから、俺はこの光景が好きなんだ。自己満足だとは解っているけれど、こうして灯りを眺めていると、自分は役目を果たせている。そう思えるから」
慈しむように、抱きしめるように、俺達には見せたことの無い優しい笑みで。
眼下を見下ろす『精霊の獣』
それが、どうにも苦しくて悲しくて、腹立たしくて。
「いいのか? それで?」
「どうした? ライオ?」
「お前は、それでいいのか? って言ってるんだよ!!」
俺は叫んでいた。奴の胸倉をつかみ上げて。
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