まるで、熱に浮かされているようだと、彼は思った。
普段のこの国を、街を、人々を彼はそうは知らない。
でも、今の状態は異常である事は解る。それを齎したのは誰であろう、自分自身なのだし。
ここはアルケディウス 王都。
皇女マリカの本拠地であり、アルケディウス皇王家は国民から支持を受け、愛されている。
だからこそ、街の人間達はジレンマに苦しんでいるようだ。
五百年もの間、遠ざかっていた死の恐怖が目の前に迫ってきた。それをたった一人の少女の命で贖えるのならどちらを選ぶかなど、選択の余地はない。自明の理だ。
ただ、そうであっても繁栄の象徴。人々にまごうこと無き幸せを運んだ少女の命を失うのは忍びない。焦燥感から、周囲を見る余裕もない彼らは、皆、何かから逃げているように彼には思えた。
誰も自分の事など気にも留めない。
「ふん。偉そうなことを言っても、やっぱりみんな自分の事が一番大事なんだよな」
喧騒の中を少年は一人歩く。迷いの無い足取りで、彼らから逆らうように進んだ少年は下町のある一軒家に入る。勝手知ったる他人の家。
鍵がどこに隠されているか知っているし、今の時間は営業中、誰もいない、と憑依した少年の記憶が言っている。
彼を阻む者は誰もいない、そう思っていた。
「アル」
「! ガルフ……様?」
だが、扉を開き、前を見てみれば玄関ホールに三人の男達がいる。
一人のことを、彼は知っている。けれど他の二人はあいまいだ。
彼は自分、いや少年の記憶の中を検索した。
少年の意識は、封じて閉じ込めたが、このような時の為に彼の記憶はいつでも参照できるようにしてある。
その記憶によれば、目の前に立つ恰幅の良い男は少年、アルの上司にして保護者役、ゲシュマック商会の長ガルフ。隣に居るのは番頭のリードと貴族街店舗の店長、ラールだ。
「どうしたんだ? 一週間も消息を絶って。誘拐され、酷い目に遭わされているのではないかと心配したんだぞ」
本当に自分を案じている様子の男に心の中で舌打ちしながらも、彼は殊勝に見える仕草で頭を下げる。
「すみません。旦那様。
別に誘拐って訳では無かったんですよ。オレに話がしたいっていうだけのことで。
丁重に扱ってもらって、話が終わったので戻ってきました」
ある意味、嘘では無い。できるだけ、笑顔で子どもらしく答えると、ガルフは大きく息を吐きだして見せた。彼をまだ警戒の眼差しで見つめながら。
「マリカ様も、リオン様も本当に心配していた。
国を巻き込んだ大騒動。そんな言葉で済むと思っているのか?」
「いや、実際その通りですし、他に言うことは無いですよ。
誘拐先、というか招待先ではとても良くして貰ったので、事を荒立てたくは無いですし」
「とにかく、魔王城に戻るより先に大聖都に行くぞ。マリカ様達に報告だ」
流石、マリカの右腕。簡単には誤魔化されてくれないか。
ぐいっと、太く、固い指で手首を掴まれた。
さて、どうしたものか?
こういう時に、子どもの身体は不便だ。純粋な力では大人に叶わない。
思った彼は、静かに振り返り目くばせする。
と、同時
ガツン!ドン!
鈍い音と友に、二つの身体が地面に臥した。
不老不死者というのは肉体の損傷が禁じられているものなので、鈍器による衝撃やダメージなどは脳や内臓に通る。
一時的なものではあるけれど。
「よくやった。ラール」
「何百年も放っておいて、そんな偉そうに命令しないで下さいませんか。
父上。
正直、俺はとっても迷惑してるんですから」
上役二人を後ろから昏倒させた『神の子』ラールは凶器をぽんと、投げ捨てると腰に手を当てた。
こいつの性格は、昔から変わっていない。と彼は父親として息を吐く。
「悪趣味ですね。父上。孫に乗り移って体を操るなんて」
「黙れ。お前こそ、こんな所にいるとは思わなかったぞ。
料理人だと? そんな趣味があったのか?」
「マンガもアニメも、ゲームも、テレビも何にもない発展途上の中世風の世界で、楽しみなんて食べる事しかないでしょうに?
さらには世の中を不老不死なんかにしてくれたせいでその楽しみも奪われて、雇ってくれた店も潰れて。不老不死からこっち、俺は本当に酷い目にあっていたんですから。
生き延びたのが不思議なくらいです」
「昔から、お前は身体だけは丈夫であったからな」
「おかげさまで」
長い航海と長期の冷凍保存に肉体が耐え切れず、限界を迎え、この地で目覚めた子が何人かいる。その中でもこいつは困りものだった。と彼は思い返す。
いつも自分に反抗し、城を飛び出た第一号。
素直だったミオルとは大違いだ。と。
「何故戻って来なかった。こんないい位置にいながら連絡をしてくるでも、情報を流す、でもなく」
「戻ったところで何が変わるわけでなし。
どうせ、戻って来ない輝かしい日々の話をぐじぐじ聞かされるのなんて御免です。
そもそも、あれから何百年経ってると思ってるんですか?
通信機なんてとっくに壊れましたよ」
目覚めた子ども達、その多くは虚弱でこの世界で生きていく為に助力を必要とした。
可能な限り通信機や精霊石を持たせてやったが、それでも、行方知れずになった子は幾人かいる。
この世界はあまりにも生きるに厳しすぎる、と彼は憤るが、自分自身が不老不死を敷いたことで子ども達が生きるには厳しい世界にした、とは考えが及ば無い。
「それに俺は、あんたの事嫌いですから。いっつも自分の思いを押し付けるばっかりで、こっちの気持ちを聞いてもくれない。
何よりミオルを使い捨てたこと、今だって許してませんから」
「使い捨てた訳ではない、と言っても意味は無いのだろう?」
「無いですね。何を言われてもアル君の身体を勝手に操作して使っている時点で有罪です。
……返してくれる気はないんですね」
「この子には可哀相だが、地球に帰り、子ども達を導く為には実体が必要なのだ。
かつて預かった種子は使い切った。『精霊神』のような仮の身体では弱すぎる。
何より、全ての『精霊』に適合し優先権限を持つ身体。
手放すわけにはいかぬ」
「その為には、相手の意思なんてお構いなし、ですか。
アル君は誰よりもあんたを憎んでましたよ。自分が迫害されたのは不老不死世のせいだって」
「……私のせい、ではない。元々、この世界が未熟すぎるのだ」
「にしたって、あんたが変な介入しなければ、も少し前に進めてたんじゃないですか?
この二年で車や蒸気機関までできたんですよ。
料理もチョコレートやポテトチップス、パスタやパフェまで再現できるようになりましたし」
「そんなものは、所詮まがい物だ」
やれやれ、とラールは聞く耳を持たない彼に肩を竦めて見せる。
「……今の俺は、どっちかっていうと『星』寄りです。
例え帰れたとしても、あんたと一緒に『帰る』気、ありませんから。旦那様達を気絶させたのも、あんたがお二人に変な事をしないように、です。……この人達には、恩がありますからね」
哀れだ、と彼は思っていた。
こいつは、この世界に馴染み過ぎている。もう戻れまい。と。
同じように我が子に哀れまれているとは思ってもいない。
「……元より、お前達は帰れぬ。この星で目覚めてしまった以上、再びの冷凍睡眠、長期移動は不可能だからな」
「それが解ってて、他の連中を良いように使うあんたが俺は、本当に嫌いです!」
「人は、心の支えなくば生きられぬ。例えそれが儚い、邯鄲の夢であろうとも」
「むしろ、そんな偽りの夢からとっとと醒めて、新しい夢を見つけた方がずっと前向きだと思いますけどね」
「誰もが、お前のように強くは立てぬ。何より、私には子ども達を守る義務がある」
「守るのと過保護は違うって、マリカちゃんよく言ってますよ。
子ども達ができる力を信じて育てることが大事だって。
そもそも守れてないですし」
「お前は、本当に『星』とあの娘に毒されているのだな」
「目覚めた、って言って下さい。俺は、自分の意志であの子を助け、この星に生きるって決めてますから」
どうせ連れていってやることはできないのだ。
彼は我儘な息子を見捨てるように、励ますように肩を竦めた。
「好きにしろ。邪魔さえしなければ、それでいい」
「邪魔なんてしませんよ。それは、俺の役目じゃありません。どうぞお好きに」
道化師めいたポーズでお辞儀をして見せるラールを軽く一瞥して、彼は階段を上っていった。
「大丈夫ですか。旦那様、リードさん」
父の姿が消えたのを確認して、ラールは自分が殴り倒した上司を助け起こす。
頭を振り、呻き声を上げながらも、彼らはゆっくりと身体を上げた。
「少し、くらくらするが、大丈夫だ。意識もちゃんと残ってた」
「本当に、アルは乗っ取られているのですね。そして、貴方も……」
「黙っていて、すみません。
でも、あいつには本当に、何も話したりしてませんから」
「ああ。それは解っている。お前の事は……信じている」
「ありがとうございます。詳しい説明は後でします。今は……」
そういうとラールは服の隠しから黒い鏡を取り出した。
そしてそのまま耳に当てて呟いた。
「聞いてたかい。マリカちゃん。
そっちへ向かった。後は、よろしく」
一人、魔王城に乗り込んだ彼は、密かに地下、宝物蔵に向かう。
ほぼ無人に見えた魔王城で『神』は見ることになる。
「お久しぶりでございます。『神』いいえ。『神矢』様」
「エルフィリーネ」
「しんや、貴方、日本人だったんですか?」
「な、何故お前がここにいる?」
「俺もいる。久しぶり、と言うには、長い時間が過ぎたけれど」
「ゆっくりと挨拶をしている時間も無くて失礼ですけれど、まずはどんな交渉よりも先に」
自分に丁寧なお辞儀を向ける魔王城の精霊とその傍らに立ち、自分を真っすぐに見つめる少女と少年を。
彼らは手を差し伸べる。
彼に、ではなく彼の宿る少年に向けて。
「アルを返してくれませんか? 子どもは、親の所有物じゃないんですよ!」
「そいつをこれ以上傷つけたら、俺は貴方を絶対に許さない」
マリカとリオン。
魔王城の主たる二人の『人型精霊』は、眼光鋭く、彼を『神』を睨みつけていた。
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