プラーミァ滞在 二週目 早朝。
まだ薄紫色に染まる空気の中、私は庭園で薔薇…ロッサの花を摘んでいた。
「開ききっておらず、痛みの無い、できるだけ綺麗な花を摘んで下さい」
私の指示に従って籠を持った下働きさん達が丁寧に花を摘み取っていく。
今日は香油作りを行う予定なのだ。
流石南国プラーミァ。
私が出て来た頃はまだアルケディウスはまだ、薔薇は蕾以前だったんだけど、もう満開だ。
溢れる香気にむせ返りそう。
人海戦術は強いなあ。あっという間に大きな籠がいっぱいになる。
「皆さん、ありがとうございます。朝早くに。
じゃあ…ウォル。これを応接間に運んで下さい。王妃様達がお待ちなので」
「解りました。姫君」
ウォル君に荷物運びと助手をお願いしたので、他の下働きさん達はそれぞれの仕事に戻っていく。
私は、割と耳がいい方だと思う。
向こうの時代も、子どもの泣き声やおしゃべりは聞き逃さなかったし、テレビが付いている部屋もよく解った。
だから、まあ、聞こえるのだ。
カマラとリオン、フェイ。
そしてウォル君を連れていく私達の背中にかけられた。
「まったく…あんな汚らしい子をよく…」
そんな羨望交じりの使用人さん達の声も割とはっきりと。
アルケディウスから持ってきた蒸留器に取ってきたばかりのロッサの花びらを千切って火にかけるとふわりとした芳香が漂い始める。
「まあ、随分と不思議な形をしておりますのね。
これが花の芳香を取り出す道具、ですか?」
王妃様が機械を見る目は真剣そのもので、構造や仕組みを理解しようとしておられるのがよく解った。
「はい。花の芳香、というのは主に花びらの中に染み込んでいます。それを水と熱の力で分離させて取り出すのがこの道具です」
「この管は渦を巻いているな。ガラス、というのはこのような形にもなるものなのか」
「渦を巻いた管を通る事で熱せられ、空気に溶けた香りの成分が冷えてまた形を取るという感じでしょうか?
なのでこの管状のガラスが、一番重要なのです」
王様も、王子様、王子妃様も興味津々という顔で作業を見つめている。
食材の発見、料理の指導と同じくらいにプラーミァに望まれていたのは美容品の作成方法だった。
口紅とシャンプー、そして香りの技術はぜひ教えて欲しいと強い要望されていた。
でも、今回の訪問では口紅とシャンプーの作り方は教えない事と決められている。
作り方を教えてしまえば簡単な事なので、他国で作られてしまう。
そうするとアルケディウスの優位性が薄れてしまうし、化粧品関連を交渉するならフリュッスカイトとの方が互いの研究を交換したりして有利に取引ができるから。
ただし、南国であるプラーミァはアルケディウスより沢山の花が、長く咲く。
だから花の香りに関する技術は教えてもいい。
代りに産出されたオイルの一部をアルケディウスに輸出してもらう。
チョコレートの時と同じ相互取引協定を結ぶことを条件とするように指示されていたのだ。
一週間交渉を重ねて、機材は一台だけ王宮に金貨五枚で売却。
今年一年は王宮の花でのみ採取を行い次年度以降、花も増産して貰うことになった。
プラーミァには装置の複製もしないように頼んである。
作ろうにもコイルガラスが入手不可能だから作れない筈だけどね。
「これが、コリーヌの言っていた冬にも春を運ぶ花の香りの油。
随分と大量に花を使ったのに、作れたのはこれだけ、なのですね?」
「でも、お義母様、本当に花の香りが凝縮されています。きっと皆驚きますわよ」
六時間かけて、大籠一杯のロッサから採れたオイルは親指程の小瓶に一杯分。
相変わらすロッサ、ローズオイルは採れる量がえげつないけど、ローズウォーターも含めて王妃様、王子妃様はとても喜んで下さった。
「これは、他の花でもできるかしら? ハイビ―の花とかは難しい?」
「花びらにどのくらい香りの成分が含まれているかにもよるので…。あ、でもキトロンの皮などからはいいオイルが取れた筈です。
近似種のオランジュのオイルはとても良い香りがして人気なんです」
「ハイビ―の花はあまり香りがしないから無理でしょう。でも、ネールやイラーナの花とかならできるかもしれないわ。
じっくりと、色々研究してみましょう」
アロマテラピーが趣味だったから、ハーブの名前や効能は覚えているけれど、この世界での花の名前やそもそも、どんな木や草にどんな風に生えているのかまでは私も解らない。
確実に知っているのはラヴェンダーやジャスミン、カモミールなどの有名どころくらいだ。
プラーミァの珍しい花とオイルの研究はこちらにお任せしよう。
「ご苦労でしたね。マリカ。感謝します。
ウォル。機材を洗って片付けて貰えるかしら?」
「かしこまりました。王妃様」
実験の後、手早く片付けなどをこなすウォル君を王様は目を細めて見ている。
「良く働くな。なかなかに拾いものであったか?」
「ええ、素直で気が利くので妻も気に入っております」
カーンさんもウォル君を気に入ってくれたようで褒められて嬉しそうに笑ってくれているけれど
「ですが陛下。以降はいきなり何の相談も無しに、身元の知れぬ者を王宮に入れるのはお止め下さいませ」
ウォル君が部屋を出てすぐに向けられた王妃様の目と言葉は厳しい。
城を預かり取り仕切る主婦だから、いきなり使用人を、それも身元の知れぬ浮浪児をねじ込まれたら確かにいい気分ではないだろう。
「すみません、王妃様。私が我が儘をお願いしたから…」
「ああ、別に雇う事そのものは良いのですよ。あの子が良い子だということは私も解っていますし、子どもの保護と育成の重要性も理解しない訳ではありません」
ウォル君を拾い、引き上げたのは私の我が儘を兄王様が聞いて下さったからで、言わば私の責任。
そう思って頭を下げた私に王妃様は、私の願いやウォル君そのものに文句があるわけではないと、微笑む。
「ただ、根回しも何もなくいきなり王宮という、特殊で未知の世界に放り込まれたらあの子自身が辛いだろう、というだけです。
王宮に勤める、ということは私達自信が言うのもなんですが、国民多くの憧れ。貴族の子弟などでも容易く望めぬ名誉なことですからね」
「…はい」
浮浪児上りが、とウォル君を蔑む声があることは解っている。
それを見越してフェイはフォローの意味を込めて、アルケディウス使節団に付けて教育してくれているのだけれど、それ自体も皇女の気まぐれ、えこひいき。
と思われていることだろう。
孤児をいきなり預けられ、偏見なく面倒を見てくれるカーンさんが例外中の例外なのだ。
ウォル君も、きっといっぱい我慢をしている。
目標があって、向上心があって。
そして私達やハイファ君の顔を潰さないようにという思いやりがある、賢い子だから辛い事を呑み込んで大人しくしてくれているけれど。
「その辺が面倒なのだ。
才ある者は重用する。才無く、努力無き者は去る。それで何が悪い」
王様は王様らしくきっぱりと告げる。
残酷なまでに強く正しい、やり方。
でも、それだけでは弱い人間は切り捨てられてしまう。
切り捨てられた方は、解っていてもやはり恨みを抱えることに…。
「悪いわけではありませんが、変わる事、在ったものが失われる事、在り続けると信じていたものが失われた後の世界や自分を、誰もがすぐさま受け入れられる訳でもないということです。
五百年、世界は変わらなかったのですから。
皆が皆、変化を受け入れ対応できる程の強さはもっていないと、私は考えます」
長年王様を支え、フォローし続けて来た王妃様の言葉は重い。
そして解った。
王妃様が、王様に言いながら、私にも注意してくれているのだと。
「はい、申しわけありません」
「お前が謝る必要は無い。怒られているのは私だ。
まったく、このような場所で騒ぐな。オルファリア。王の威厳が形無しだ」
「王を怒るなどとんでもない。ただ、お願いしただけですわ。
周りも良く見てご相談下さい、と」
拗ねた様に顔を背ける兄王様に王妃様はくすり、と小さく、優しく微笑む。
「私もあの子が気に入っておりますから。
王も、マリカ様も、本能的に『良き事』を見つけ出し、最短距離で掴み取る。
祝福された『七精霊の子』の血筋故でしょうか?」
「良き事…相談…精霊…」
私は顎に手を当て、周囲を見回した。
今回の花の油の抽出は王家の秘として扱われる作業なので、徹底的に人は払われている、
いるのは王家の方々と私と、私と王家の護衛兵だけ。
当のウォル君は、井戸まで道具を洗いに行ったのなら戻って来るのに少し時間がかかる。
「リオン、フェイ」
二人を見る。二人も、今の話を聞いて思う所があったのだろう。
私の意図を多分読んで頷いてくれた。
「王様、王妃様。ご相談があるのですが聞いて頂けますでしょうか?」
「何だ? マリカ」「どうしました?」
膝を付き礼をとる私に視線が集まる。
私達が良かれと思ってした事が、プラーミァに騒動を巻き起こしてしまったら申し訳ない。
ここは先にちゃんと相談しておかないと。
「これは、私達アルケディウスの考えです。
ですがプラーミァの重大事。最終的な判断はプラーミァの皆様に委ねます」
「だから、なんだ? と言っている」
「国王陛下、並びに王家の皆様方におかれましては魔術師の交代について、どう思われますでしょうか? ウォル少年に魔術師の才あり、としたら」
「なに?」
まだロッサの香りの残る密室で、私はウォル君の今後。
魔術師交代計画についての話を始めたのだった。
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