今、大聖都、大神殿は総力を挙げた準備に追われていた。
活気がある、とか賑やか、ではなくむしろ暗い雰囲気を追い払う為の空元気ではあるのだけれど。
「大神殿の隅から隅まで、しっかりと祓い、洗い、清めなさい。
埃の一欠けらさえも残してはなりません」
「はっ!」
神官長である僕の指示に、膝を折っていた司祭達が頭を垂れ、動き始めた。
彼らと入れ違うように、謁見の間に入ってきたのは女神官長マイアだ。
「お召しでございますか? 神官長」
「はい。女神官長におかれましてはアルケディウスへの遣いをお願いしたく」
「アルケディウスに、ですか?」
「はい。シュライフェ商会と連絡を取り、大神官の衣装の準備を。もう仮縫いをする時間さえありませんが、皇女の最期の装束です。化粧品、アクセサリーなども最上の物を。
しっかりと整えて頂きたく思います」
「かしこまりました。面会し、ご要望などがあればお聞きしたいところでございますが、今は会いたくないと拒絶されておりまして……」
「仕方ないでしょう。一番信頼していた貴女から『神』にその命を捧げるように、と諭されれば」
ヒンメルヴェルエクトから、大神殿に戻ってきたマリカに開口一番、
「『神』の国への招聘、心からお喜び申し上げます。
人々の為に命を捧げる『聖なる乙女』は勇者アルフィリーガのように、人々の心に長く残る伝説となるでしょう」
そう告げてマイア女神官長はマリカに『大神官』の使命、『神』に仕えることの喜び、そして命令に従い、人々の為に命を捧げろ、とこんこんと話し諭したのだという。
神官を束ねる長としては、自分の頭上からの行動は正直、面白くないのだが、彼女は全く悪びれる様子はない。
「僕は、貴女はマリカの価値を解ってくれる同士と思っていたのですけれどね」
「……私とて、大神官を、マリカ様を失いたくはございません。ですが『神』の決定は絶対。
『神』に仕える者として、反論など許されません」
「それは解らないでもありませんが、窓を外から開かぬように打ち留め、軟禁するなどやりすぎでは?」
「マリカ様を御守りする為です。式典まで絶対に我々はマリカ様を失う訳には参りませんから」
狂信者。そんな言葉が頭を過る。
神官を束ねる神官長としては、こんなことを考える時点で失格なのだろうとは解っている。『神』の使徒としてはマイア女神官長の言うことが正しいのかもしれない。
現在、大神殿においてマリカの生贄を反対している者は誰もいない。
個人的には涙したり、哀れんだりしてくれているものはいると信じたいけれど、そんな思いも不老不死を失うかもしれないという現実に勝るものではなく。
絶対の存在である『神』に逆らうなど考える事さえできず。
間近に迫った死への恐怖にも抗えないのだろう。
一人の少女の命で、世界全ての人が救われるのならそれでいい、と皆が受け入れている。
(「相変わらず、この世界の大人というのは腐っていますね」)
昔の自分であれば、きっと怒り狂い、怒鳴りつけ大暴れしていた。
勿論、今もそうしたい。けれど今、それを実行に移すことはマリカとリオンの計画を妨げ、彼らを危険に晒すことに繋がる。
「心配する気持ちは解りますが……、いえ、止めましょう。
儀式に関しては全て、任せるとの言質を預かっています」
「やはり、まだお怒りなのですね」
何故、相手が怒らないと思うのだ。と逆に聞きたいが狂信者には通じまい。
僕は静かに息を吐き告げた。
神官長。彼女の上に立つ者として。
「お怒り、というよりも苛立ち、苦しみ、ですね。
解っていたとしても、あの大神官です。急な『神』の宣告。
そしてシュロノスの野への招聘は、理解していても気持ちの整理に時間がかかると思います。刺激しないでやって下さい」
「解りました。本当は奥殿に籠り潔斎を頂きたいところですが……」
「それは、式典の前で良いでしょう。間もなくティラトリーツェ様もおいでになられます。
大神官の説得と、心の安定はアルケディウスの皆様にお任せして、我々は準備を滞りなく進めておくのが良いと思います」
「はい……」
マイア女官長が下がり、他の者達にもいくつかの指示を与えた後、連絡が届いた。
間もなく第三皇子妃、ティラトリーツェ様がやってくると。
転移陣使用の許可を出し、直ぐに迎えに行く。
程なく、アルケディウスからの転移陣が動いて、ティラトリーツェ様が二人の御子と護衛兼侍女でもあるミーティラ様と一緒に姿を現す。
僕は少し安堵した。これで、一人で抱え込まずに済む。
「ようこそお越しくださいました。ティラトリーツェ様」
「許可を出してくれてありがとう。フェイ。
かなり無理をしたのではなくって?」
「自分の大神官にあと三日で死ね、と告げた『神』の横暴に比べればこれくらい、なんの無理でもございません」
「まあ」
神官長が遠慮もなく紡いだ『神』への暴言。
周囲の護衛兼、監視である司祭や神殿騎士の視線が少し痛いが、気にしてはいられない。
「一度、離宮に入りましたら、御子も含め、儀式当日の朝まで外出が禁じられますがよろしいですか?
無論、衣服や荷物は運ばせますし、食事も用意します」
「構いません。想定の範囲内です。この子達にもある程度話をしてありますから」
「ありがとうございます。では早速」
四人を促して、離宮に向かう。本当なら細かい打ち合わせなどをしたいところではあるが、僕自身もあの日から厳重な監視下にある。
マリカびいき、リオンびいきなのは解っているので、万が一にも彼らを逃がさないように直接の面会は禁止されているのだ。
「リオンは、どうしていますか?」
「神殿外の自宅で、騎士団の監視の元監禁されています。二人の従卒以外は建物に入る事さえできない状態です」
「そう……」
ティラトリーツェ妃も賢い方だ。こうしている会話にも周囲が聞き耳を立てている事に気付いているのだろう。寂しそうに目を伏せると、それ以上余計な事は言わなかった。
側に仕えるミーティラ様は勿論、暴れたい盛り、我がままや自己主張が激しい四歳児二人も空気を察してか押し黙っている。
やがて、マリカが監禁されている大神官の宮にたどり着く。
監視の兵達に軽く荷物の確認をされてから、僕は一歩退いた。
「ここから先は、僕は入ることができません。
どうか、マリカをよろしくお願いいたします」
「ありがとう。任せて頂戴、とは言えないけれど、できる限りの事はしてくるわ。
あの子の為にも、私達の為にも」
四人が部屋に入ると、固く扉が閉ざされ、外から鍵をかけられる。
大神殿、いや、大人達の、絶対にマリカを逃がさない。
不老不死を失いたくない、という意思が見て取れる。
「……バカな奴らだ。『神』の術中に嵌っていることにも気付かないで」
『マジシャンズセレクトって知ってる?』
あの運命の日の前夜、マリカが話してくれたことを思い出す。
僕は、マリカの一番の『能力』は物の形を変えたり、人の怪我を癒すような『精霊』の能力ではなく、人の心、心理を理解し、読み取り掴んで適切に働きかける事だと思っている。
ティラトリーツェ様やミーティラ様は、事前にマリカに直接話を聞いて理解しているだろうけれど、子ども達二人は大丈夫だろうか。騒ぎ立てたりしないだろうか。と少し、気になる。
母親がいるし、お二人の子どもだ。心配には及ばないと解っていても、僕にはマリカ程、きょうだい以外の子ども達を信頼できない。
でも、今は全ての力を総動員する時だ。本当は一緒に行ってリオンとマリカを側で助けたいけれど、僕にはここで、僕にしかできない仕事がある。
無意識に服の隠しの通信鏡に触れる。もし、これで呼ばれたら例え監視がいようと、神官長の位を捨ててでも駆け付ける用意と覚悟はしているし。
『隠そう、隠そう、と思うとかえって不自然になるからね。堂々としていつも通りにしていて。フェイならきっと大丈夫、信じてるから』
『頼りにしている。こっちは任せたぞ。相棒』
二人の言葉を握りしめ、顔を上げる。神官長として。
知られてはいけない。気付かれてはいけない。
マリカもリオンも。
既にこの大聖都にいないことは決して。
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