「じゃあ、留守を頼むよ。カリテ」
私はドアの前で最後にもう一度振り返った。
視線の向こうでは信頼する相棒が、頼もしく笑っている。
「はいな。任せて下さい。リタさんこそ、気を付けて。
大聖都に呼ばれたからってあんまり緊張しちゃダメですよ。
皇女の信頼を受ける腹心として、胸を貼って堂々と!」
「いや、わかっちゃいるけど、緊張するなっていうのは無理さね。まだ孤児院から出てないのに心臓がバクバク言ってるよ」
「皇女も言ってたじゃないですか。笑顔、笑顔ですよ」
ニコッ、と満面の笑みを浮かべて見せるカリテに、あたしも笑みを返してみるけれど。
あー、ダメだ。緊張でやっぱり顔が強張る。
「向こうに行くまでに練習しておくといいかもですね」
「いや、もういいよ。
それに今回は子どもと接するというよりも新しい孤児院施設の立ち上げが主だからね。
笑わなくてもなんとかなる。多分」
「だからこそ、余裕をもって。どーんと構える。そういうの得意でしょ」
「まあ、ね」
なかなか、一歩が踏み出せないままそんな会話をしているうちに、
「あ、院長先生おでかけ~?」
「しまった。長話しすぎたか」
「ほら。とっとと覚悟決めないから」
見つかってしまった。
あちらから、こちらから、わらわらと子ども達が集まってくる。
「あー、ちょっとお仕事でね。出かけて来る。
カリテや他のホイクシの言うことを聞いていい子にしてるんだよ」
「どこいくの?」
「マリカ皇女の頼みで、大聖都にね」
「ちょっとリタさん!」
「だいせいと! すごーい」
カリテに止められた通り、あたしは言った途端に失敗したと思ったね。
子ども達がまるで蜂の巣を突いた様な大騒ぎになっちまったから。
「一人で行くの?」
「皆で行ったら、あんた達が困るだろ? 用事が終わったら直ぐに帰って来るからいい子にしているんだよ。
もしかしたら新しい家族が来るかもしれないし」
今回の呼び出しは新しく大聖都の大神官となったマリカ皇女からのものだ。
子どもの保護に対して、強い情熱を持つ彼女は大神官に就任すると同時に、大聖都にも孤児院を設立すると決めたという。
マリカ皇女が大聖都に籍を移し、大神官になると聞いて、正直あたしはアルケディウスの孤児院も手薄になるんじゃないか、と少し心配になっていた。
でも、皇女は自分のアルケディウスでの職務を、責任をもって引き継いでくれた。
孤児院長、あたし。副院長はカリテ。
全体的な指揮は第三皇子妃が見る。
予算も今まで通り。
もしくはそれ以上になっているのは孤児院で何人も子どもが生まれたので人数も増えているから。助かるけれど逆に恐縮してしまう。
その上で、彼女は私に仕事を依頼してきた。
大聖都に、孤児院を設立する予定だから手伝って欲しい。と。
「孤児院の思想から、ちゃんと教えて欲しいんです。
リタさんは私が心から信頼する保育士ですから」
そう言われ、見込まれたのに、断ることはできないだろう。
「おや、レオも来てくれたのかい?」
人見知りの激しい、一歳の赤ん坊がとことこ歩き、あたしに抱き着いてきた。
連れていけと言わんばかりにしがみつくけれど、流石に一緒には連れていけない。
「ダメですよ。レオ。先生を困らせては」
引きはがしてくれたローラの腕の中で、レオはまだジタバタと暴れている。
この子がここまで感情を露わにするのも珍しい話だ。
「先生。失礼ですが、早くお出になって頂けますか?
レオが追いかけていきそうで」
「解った。改めてよろしく頼むよ」
子どもとの分離はスパッと。覚悟が大事。
ダラダラとしていると、後々が大変になる。
と皇女も言っていたっけ。
「じゃあ、行ってきます」
「はい。皇女、基、大神官様によろしくお伝え下さいね」
後追い激しいレオを置いて、あたしは着替えや見本の遊具の入った行李を下げ孤児院を後にした。
本来であるのなら大聖都に行くには馬車でも数日はかかる。
だが今回は一人だし、皇女からの依頼なので、大聖都の転移陣を使う事を許可された。
特別な許可証を見せたり、本人確認をしたり多少手間はかかったけれど、移動そのものはあっという間。
私はその日のうちに生まれて初めての外国。
大聖都に足を踏み入れることになったのだ。
あたしは到着すると直ぐに、皇女への謁見が許可された。
皇女からの依頼があったとはいえ、これはかなり異例なことではないかと思う。
「遠い所、無理を言って来て下さってありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、神殿の転移陣を使わせて頂いて感謝しております。
魔術、というのは凄いものですね」
「今までは門外不出のようになっていましたが、これからはある程度一般にも許可を出していこうとおもっています。せっかくある者は活用しないともったいないですものね」
大神官になっても変わらない皇女の笑顔に少しホッとする。
ああ、この人は本当に変わらない。大神官になり、世界を指揮する立場になろうともマリカ皇女はマリカ皇女だ。
「大聖都にも孤児院を立ち上げます。
神殿は今まで、堕胎術を行っていたのですがそれは原則廃止して、妊娠、出産する女性を助ける機能を強化する予定です。
ただ、今までに前例がない事なので、経験者であるリタさんの知見が必要なのです。
力を貸して下さい」
自分の立場で命令すれば良いだけなのにいつもながらこの皇女は腰が低く、あたしたちのような実務畑の人間をしっかりと尊重してくれる。
それが嬉しく、誇らしい。
だから、あたしは心からの敬意と思いを込めて深くお辞儀をしたのだった。
「あたしに何ができるか解りませんが、全力を尽くさせて頂きます」
と。
何も無かったところに、新しい事業を立ち上げる。というのは結構大変な事だ。
孤児院で言えば、設備を用意し、子ども達と職員の住環境を整える。
書類仕事もたくさんあるし、必要な品物の手配もある。
勿論、箱だけあってもダメで、それを使う人間、保育士も育てないといけない。
なので連日、あたしは大忙しだった。
アルケディウスで、まったくの0から孤児院を作った時に比べれば……。
いや、比べちゃいけない類だね。これは。
ただ、予算は潤沢にあり、職員にやる気があるので大きな問題は特に発生することなくスムーズに事は進んでいる。
大神殿の孤児院は院長を、マリカ皇女の女官長、ミュールズ女史が兼任するという。
「大神官としての身支度や、身の回りの事は女神官長が担当するので、少し手が空くのです。マリカ皇女はありがたくも手がかからない御方なので、念願の母子保健を学ぶ機会を増やさせて頂こうかと」
彼女はどこか照れくさそうにそう微笑んでいた。
後は、女神官数名が保育士として子ども達を見ていくことになるだろう。
意欲もあり、子どもを邪険に扱う事も無さそうで安心した。
「えーっと、文字積み木と、カルタと、トランプは……。あれ?」
私は実物を見せるべく、行李を漁るあたしは、入れた筈の無いものを見つけた。
取り出して首を捻る。
「これ、レオの人形? なんでこんなところに?」
荷物の中に、何故か、小さな犬のぬいぐるみが紛れ込んでいたのだ。
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