治療は、驚くほどにあっけなく終わった。気がする。
「どうですか? ダーダン様?」
応接室のソファに横たわっていたダーダン様は、私の声に閉じていた両目をそっと開く。
それから、瞬きを三回。
大きく闇色の瞳、両眼を開き輝かせて。
「ああ、世界とはこんなに美しいものだったのですね」
噛みしめるようなその一言が全てを物語っている。
よかった。成功だ。
「足の方は、どうでしょうか?」
「待って下さい。今……っと」
「大丈夫ですか? 旦那様」
「心配ない。急に周りが見えすぎるようになったので、めまいがしただけだ。
……信じられません。本当に足も動く」
「足の筋肉の方は、長年麻痺していたので、本当の意味で完治して杖無しで歩いたり、走ったりできるようになるには少し時間がかかるかもしれません。眼の方もさっきおっしゃられたように使えない時期が長かったので、脳がそれに慣れている可能性があります。
少しずつ慣らしていくと違和感が少なくなるかもしれませんね」
「ありがとうございます。まさか、四百年の苦悩が解消される日がこようとは……」
「次は、シュンシー様の治療ですね。外に出て交換してきて頂けますか?」
「解りました。マリカ様。この御礼は後程改めて」
付き添いの執事さんに支えられて、でも確かに自分の足で床を踏みしめて歩くダーダン様の後姿を見て、
「よかった。失敗しなくて」
私は胸を撫で下ろした。思わず大きな安堵の息が零れる。
扉の外から歓びに溢れた声が聞こえる。多分、グアン様やユン君の。
彼らにとってダーダン様は、恩人というか家族のような方みたいだから。
「お父様もありがとうございます。力をお貸し下さったでしょう?」
私は肩口に乗ったままの精霊獣にお礼を言う。
『あれは何をしたのだ? 『精霊の力』を随分と持って行っただろう?』
「目の方は、確かに視神経が完全に機能を失っていたので体内にあるナノマシンウイルスを視神経に溶け込ませて、機能を補助した感じです。眼球が残っていたのは幸いでした。
義眼とかだったら治せなかったかもです」
『そのような使い方ができるのか……』
「『精霊の力』って助けの力って前に伺いましたけれど、体内の中ではなんにでも使える補助細胞みたいに使えるようですね。足りない所に導いて、その手助けをするように変換すれば傷を塞いだりできるので、その応用で壊死した部分に『精霊の力』移植して機能を回復させた感じですか?」
傷を塞ぐ術式そのものは、精霊神様達も使えるし、ステラ様から呪文を教えてもらったので回復術として神殿の者たち達が使っている。
その応用。だと思う。私はそこまで考えてやっていないので。
「足の方も機能を失った神経を精霊の力で代替したのだと……。
正直、どういう仕組みかは解らないんですよ。私はお父様から分けて頂いた無色の精霊の力をダーダン様の体内に入れて、治って、って念じただけなんです」
『マリカ。お前随分と簡単に言ってくれるが……』
精霊の力たちはみんないい子で、大抵は私の言うことを聞いてくれるみたいだ。
多分、大母神で生みの親であるステラ様と繋がっているからかな。
「次はシュンシー様だけど、リオンお願いできる?」
『神』が娘にかけた防御壁は神の代行者が取った方がいいだろう。
でも……
『其方がやれ。マリカ』
「え?」
リオンの腕のバングルが光ったかと思うと、現れた『彼』は金の髪を煩そうになびかせ、鷹揚に私にそう『命じる』
『力を貸してやる。其方がシュンシーの防御壁を外せ』
「リオンの身体を乗っ取った貴方はレルギディオス様ですか? それともマリク?」
『レルギディオスだ。リオンの了承は得ている』
リオンでないのは解っていたし、態度からして『神』だろうな。と思ったけれどやっぱりそうだった。
カマラとミュールズさんは膝を付こうとするけれど、私はそれを手で制した。
ふふん、と鼻を鳴らしどこか不機嫌そうに続ける『神』
『女の腹に男が手を触れるの医療行為と解っていても不安だろう。それにリオンが奇跡を行った、と騒がれるよりは其方がやった方がいいのではないか?』
「あ、それはそうですね……」
リオンの身体を好き勝手使うのは気に食わないけど彼の言っていることは正しい。
大神殿でマイアさんに『神の力』を見せて説得した後、マイアさんはリオンの事を崇めるようになった。ある意味、私より。
ただでさえ勇者の転生ということが知れているのに、神の子どもとか代行者とか各国で騒がれたら気の毒だ。私も嫌だし。
『それにダーダンも、あれだけ批判した私が側にいると解ればいい気持ちはすまい。
余計な事は言わずにやれ』
「命令口調なのが気に入りませんが解りました」
私が頷くと同時、軽いノックの音と共にシュンシーさんが入ってくる。
スーダイ様も一緒だ。
「私も側に付いていていいか?」
「……どうぞ」
リオンではなく、私がすることにして良かった、と思う。
気が付けばリオンの外見は元に戻っている。視線、というか目の力がリオンのものではないので、多分、まだ『神』なのだろうけれど。
「お力をお貸し下さい。精霊神様、リオン」
私は両脇の二人にお願いして側に来て貰った。
多分、今回の治療にはアーレリオス様から力を貰う必要はなさそうだけど、私が一人で治療した、というよりは納得してもらいやすそうだから。
どうしたらいいか解らないので、とりあえず腹部に手を当てる。
と、その上にリオンの手が重ねられた。
リオンの手、大きい。
私の手などすっぽりと被せられて見えなくなってしまう。
(『マリカ』)
「!」
言葉にならない声が聞こえてくる。
所謂テレパシー。近くにいるか座標がはっきりと解れば私とリオンは声に出さなくても意思の疎通ができる。それを利用しているのだろう。
『神』の指示に私は目を閉じた。
(『さっきの治療よりは容易い筈。精神を集中し、シュンシーの腹の中にある私の力に戻れ、と命じよ。バングルと私の命令に吸い寄せられ集まってくるからそれを束ね形にすれば終わりだ』)
(「はい」)
「『星』と『神』の御名において命じる。『神』の護りたる意志よ。
『目覚め、集え』」
言われる通り力を集中させると、掌が熱くなる。
眼には見えないけれどシュンシーさんの身体の中にある異質なナニカ。
特別な加工を施されたナノマシンウイルスが『神』の力にまるで磁石か何かのように引き寄せられてくるのが解った。これを外に出さなければいけない。
シュンシーさんの身体を傷つけないように。
(『今だ!』)
『来たれ!』
『神』の言葉にタイミングを合わせて呼び寄せると、シュンシーさんの中から金の光がシュルシュルっと飛び出て来て、返した私の掌に集まり小さな石? になった。
金色の、小指の爪ほどの薄く曇った水晶のような。
これが、ナノマシンウイルスの結晶体、なのだろうか?
「シュンシー!」
「スーダイ様……」
「これで、終わったのか?」
リオンがスッと手を引いたのを確認して、私は心配そうな面持ちでシュンシー様に寄り添うスーダイ様にはい、と頷いた。
嬉しそうに抱き合う二人。
その睦まじさにちょっと羨ましくなる。
「ここから先は、お二人次第です。御子が授かるかどうかは天運なので、ご無理はなさらず。
ご多幸を、お祈りいたしております」
「感謝する。マリカ姫。リオン殿」
「この御恩は一生忘れません」
繰り返し、繰り返し感謝の言葉を残して去って行った二人を見送って後、
「そろそろ、リオンを返して貰えませんか?」
私は私の傍らに当たり前のように今も立つ『神』に声をかける。
『解っている。だが、お前はやはり恐ろしい女だな』
「何がですか? 人を悪女みたいに」
『みたい、ではなく悪女そのものだろう? ありとあらゆる者を誑かす魔性の女』
「なんでですか? 私はリオン一筋。他の男性に色目を使ったことなんてないですよ!」
『……いい。意識していない分やっかいだが、まだ対処のしようはありそうだ』
「だから…なん……!」
『後は、任せた』
ズルい、と思う。
くってかかった、私の詰問は吸い取られてしまったから。
「ホントに、大人ってズルいよな」
「ズルいのは……リオンも……」
帰ってきた、リオンの唇に。
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