週二日(なんだかんだで追加されることも多いけど)の王宮通い。
その帰りに私は私は、必ず第三皇子の館に寄っている。
ティラトリーツェ様の診察、ではないけれど妊娠の様子を見る為だ。
「ティラトリーツェ様、お身体の具合はいかがですか?」
「いらっしゃい。マリカ。だいぶ良くなってきてます。
つわりも落ち着いた感じね。吐き気も無くなりました」
私が寄るとティラトリーツェ様は、いつも優しく出迎えて下さる。
お腹もはっきりと丸みを帯びている。
全体的にシャープなイメージだったティラトリーツェ様は、子どもを宿してから少し雰囲気が変わった。
穏やかで優しく、ほのかに丸みを帯びて…本当に『お母さん』という感じだ。
…元々、ティラトリーツェ様は私にとって、厳しくも優しいお母さん、だったけれど。
人払いした応接室で、長椅子に横になったティラトリーツェ様の横に私は膝をついた。
「今の所、順調、のようですね。
私には、お腹の中の様子を知る術は無いので、カンでしかないですけれども…」
お腹に触れさせてもらい、指先で中の様子を感じる。
頭はちゃんと下を向いているっぽい。逆子とかの心配はなさそうだ。
アルの方がそういうのを感じ取れるだろうか?
今度、聞いてみたい。
「つわりが収まってきたら、食欲が出て来たの。
どんなものを食べたらいいかしら」
「基本的には、ティラトリーツェ様が食べたいと思われるものでいいと思います。
ただ、一辺に食べると胃袋が圧迫されているので吐き気が出やすいかと。
色々な種類を、少しずつ食べるのがいいかと思います」
「パンケーキや、サンドイッチを食べても大丈夫かしら?」
「はい。ただ、糖分の取り過ぎは良くないので控えめに。
後は鉄分やカルシウム…。最近、トランスヴァール伯爵領から採れるようになった魚類、良く火を通した貝類。
あと卵などをバランスよく」
この世界には産婦人科も無いし超音波やエコーもない。
赤ちゃんが無事に生まれるかどうか。
私にできるのは本当にただ、祈ることだけだ。
「マリカ」
目を閉じたままティラトリーツェ様が私の名を呼ぶ。
「はい、何でしょうか?」
「スィンドラー家の側仕えのようにこの子は、貴方が取り上げてくれますか?」
「…やはり、出産を任せられる方は見つかりませんか?」
いつか、頼まれるだろうな、とは思っていた。
頼みを問いで返すのは失礼な事。
でも、正直受けるのはとても怖いことだった。
私は医者でも、産婆でもない。
ティーナを出産させた時は運が良かったのだ。
もし、大量出血とか、臍帯が首に巻き付くとかがあったら私には手が施せない。
震えがくる。
もし、ティラトリーツェ様の子をこの世に出してあげられなかったら…。
それに他に人のいない魔王城と違い、私のような子どもがしかも皇子妃、皇族の出産に携わるのは色々と問題がありそうに思う。
なんで私のような子どもが出産介護の経験がある?
と問われれば答えようがない。
でも、
「不老不死以降、そもそも王宮には医師がいないのよ。
皇子も調べて下さったけれど、出産介助の経験があって、それを記憶している使用人も、誰もいなかったわ」
場末には逆に産婆などがいるかもしれないけれど、知らない相手に身体を任せたくない、というティラトリーツェ様の気持ちはよく解る。
「皇王妃様が良ければついて下さると言って下さいましたが、あの方もご自分がお産みになっただけで、取り上げた経験はお有りにはならないから…。
本当に、貴女しかいないのです」
ゆっくり体を起こし、私を見つめる眼差しは本当に真剣で、私を頼りにして下さっているのだと解る。
力になりたいと心から思うし、ティラトリーツェ様の子どもは絶対にこの世に出してあげたい。
でももし、本当に引き受けるとなればエリセやミルカにも力を貸して貰わないとならない。
私より小さな子ども二人を貴族区画に入れて、出産介助など認められるだろうか?
あの子達がダメなら、信用できる方。
ソレルティア様とミーティラ様とか…。
「少し、考えさせて下さい」
「ええ、いい返事を期待しています」
まだ時間はある。
ティラトリーツェ様を助ける事は絶対なのだから、後は具体的にどうするかを考えるだけだ。
私の無礼な返事をティラトリーツェ様は笑顔で受け入れて下さった。
出産についての話は終わり、話題は仕事の話に。
ベッドから身を起こし
「アドラクィーレ様や第一皇子の方はどう?
困らされていませんか?」
ティラトリーツェ様は気遣う様に聞いて下さるけど
「ははは」
私は乾いた笑顔で応えるしかない。
心配かけない為に、笑顔で大丈夫です~と言いたいところだけれど、正直今も、愚痴は山脈山々。
「でも結構、貴婦人方々とは仲良くなってるんですよ。
第一皇子の食事会ではトランスヴァール伯爵も目をかけて下さっていますし」
お茶会ごとの給仕とか、会合ごとの昼餐とか無理を言われることは無くなったけれど、時々は手伝いに駆り出されている。
大変だし、面倒ではあるけれどそれをきっかけに私も情報収集させて貰っているのでそこはまあ、winwinの関係と思っておく。
会合の噂話でなんとなく、アルケディウスの作物事情も解ってきたしね。
アルケディウスは東北気候だから、南はともかく北の方は穀物の実りはあんまり良くないらしい。
でも海を擁していて、海産物で一発逆転を果たしたトランスヴァール伯爵領は例外としても、荒れた土地でも栽培できるものは色々ある。
パータトやナーハ、チスノーク栽培は北部でも結構いけるし、サフィーレなどの果実も寒さに強い。
実際トランスヴァール伯爵領や、北部のいくつかの領から纏まった量のナーハの種が仕入れられたので、次の調理実習あたりでは揚げ物にもチャレンジできそうなのだ。
「商業ギルドとの契約で、新しく五店舗が新規に食事処を開く事になりましたので、各地からそれぞれの領地に適した食材を仕入れて。
アルケディウス全体が潤う様にできればいいな、と思っています」
「頼もしい事ね。
それに、立ち居振る舞いも姿勢も格段に良くなっているわ。やはり最高位の女性に指導を受けて宴席で場数を踏むと違いますか?」
少し拗ねたようにティラトリーツェ様は言うけれど、
「止めて下さい。ホント、そういうの! 毎回死ぬ思いなんですから!」
「大声を出さない。せっかく褒めたのに」
眉をひそめて怒られても冗談ポイだ。
私は早くティラトリーツェ様の元に戻りたい。
「どうかお身体を大事にされて、本格的に安定期に入ったら公務や調理実習に復帰なさって下さい。
私、頑張りますから!」
先月の騎士試験は、主催が第三皇子だったから奥方が隣にいない訳にはいかず、ティラトリーツェ様も参加してた。
でもなんとかなってたし妊娠五カ月ならさっきの話からしてももう安定期に入る筈。
アドラクィーレ様も、下手な手出しはできないだろう。
私が第一皇子の所に行ったのはティラトリーツェ様と子からアドラクィーレ様の視線を逸らす為。
情報もそこそこ集まったし、皇子妃派閥の誰と誰が仲良くて、誰を苦手にしているかとかも解ってきた。
偶然もあったとはいえ一人、派閥を移らせ勢力も逆転している。
それなりに木馬としての役割は果たしたと思う。
「そうね。あの方から貴女を取り戻すのは楽しそう。
丸二カ月あったのに貴女をこき使うばかりで篭絡できなかったのだから奪い返されても仕方ありませんね」
頼りになる笑み。強く請け合って下さるのは嬉しい。
母は強し。
ホッとする。
「まあ、この後、産前産後で公務が出来ない日も続きますから、アドラクィーレ様とは完全に縁も切れないけれど、その辺は上手くやりましょう。貴女は取り返します。
…私も貴女に側にいて欲しいもの」
「ありがとうございます!
私もお子が生まれたら、もっと、もっと一生懸命お手伝いしますから!」
同じ仕事も、ティラトリーツェ様の為と思えば苦にはならないのだ。
「あら…?」
? ティラトリーツェ様がくすくすと笑いながら小さく首を傾げた。
あれ? 私、何か変な事。言ったかな?
「まあ、いいわ。そういえば、マリカ、明日用事はあるかしら?」
「はい。アドラクィーレ様のお茶会の日なので手伝え、とは言われていますが…」
「なら、朝一で、うちにいらっしゃい。
会わせたいお客が来るの」
「お客、ですか?」
改まってティラトリーツェ様がこういうなんて珍しい。
『お客』ってことは定例会の貴婦人方、って訳でもなさそうだ。
「お茶会は中止になるから大丈夫。
ああ、でも晩餐会の手伝いには呼ばれるかしら? その時にはうちに来てから城に行けば良いわね」
「はい? 晩餐会、ですか?」
ますます意味が解らない。
けれど、見ればテーブルに、封緘が割られた羊皮紙。
誰かからの手紙?
来客の連絡でもあったのだろうか?
随分と楽しそうなお顔だ。
「後で、お土産もゲシュマック商会に発注するわ。日持ちのするお菓子をお願い。
詳しい話は、明日改めてするけれど…」
「よく解りませんが、解りました」
結局、ティラトリーツェ様は最後まで、楽し気に笑ったまま、来客が誰かとか教えて下さらなかったので私はそのまま館を辞した。
彼女の言葉の真実。
来客の正体を知ったのは、店に戻り、城に帰り
「マリカ!」
飛び込んで来たリオンがのんびりしていた私の腕を引っ張ってから。
「直ぐに戻れ。マリカ。
王宮から晩餐会への協力依頼が来て、店が大騒ぎだ」
「へ? 晩餐会? 協力依頼? なんで?」
意味が解らず、目をパチクリさせる私にリオンが、ゆっくりと、言い聞かせるように教えて、くれた。
「…プラーミァ国王が、お忍びで、アルケディウスに来てる」
「プラーミァ、国王…って、まさか?」
「そうだ。ティラトリーツェ様の、兄上だ」
心臓が止まるかと思った。
でも、この衝撃など序の口。
兄上、来襲。
南の国からやってきた来訪者が、アルケディウスに大きな騒動と小さなきっかけを齎していく事をまだ、私は知る由も無かった。
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