火の二月が終わると一年の半分が終わる。
この世界は春に始まって冬に終わるのでわかりやすいといえばいろいろ解りやすい。
礼大祭が終わると秋の足音が聞こえるという言葉もあるそうで。
少し過ごしやすくなった日々の中。私達は風の一月に入って直ぐのフリュッスカイト訪問に向けた準備を始めていた。
「フリュッスカイトは公主様が治めておられるので女性優位の国。
それがやりやすいようでもあり、やりにくいようでもあり、という感じかしらね」
皇王妃様はフリュッスカイトをそう称しておられた。
フリュッスカイトに直接足を踏み入れたことのある皇族は、不老不死時代旅をしていた時に寄ったお父様だけなんだって。
不老不死時代になってからは、隣国だというのに誰も行ってないとか。
五〇〇年の不思議をいつも感じずにはいられない。
「水の国 と言われるだけあって水が豊富だ。大きな大河に湖もいくつも。
その湖の一つにフリュッスカイトの首都 ヴェーネ がある」
その遠い記憶の中お父様は、フリュッスカイトのことを思い出せる限りで話して下さった。
「干潟のような浅瀬の島に作られた街で水路が蜘蛛の巣のように入り組んでいる。その間を船で行き来するんだ」
「船?」
「小舟のようなものだな。首都がそういうところだから造船が盛んだった。
アルケディウスでの造船はビエイリークが一番だが、世界全体だとフリュッスカイトの方が上だったかもしれんな」
「だった、ですか?」
「不老不死社会になってからは、ビエイリークと同じで海運や造船は廃れたんじゃないか?
今は石鹸、クリーム、ガラス工芸などが主な産業だった筈だ」
話を聞くにアレだ。フリュッスカイトのイメージはイタリア。
アドリア海にヴェネチアって感じ。
オリーブならぬオリーヴァがよく採れ、オリーブオイルの採油が盛ん。
加えてガラスに石鹸、という点で多分、フリュッスカイトは科学に秀でているんじゃないかなと推察できる。
苛性ソーダとか手に入ったりするだろうか?
オリーブの塩漬けは美味しい大人の味だけど、私が知っている灰汁抜きの仕方は苛性ソーダを使うものだけだ。
劇薬だし、中世での作り方は私には想像もつかないけど。
でも、まあ、各国、面白いくらいに個性が分かれているなあと思う。
似たような国が一つもない。
残り二つの秋国がどんなだか、楽しみになってくる。
「武よりも知を重んじる印象で例年の戦はアルケディウスとほぼ分けている。
むろん、個々人で素晴らしい実力を有する戦士はいるから油断はできないぞ」
「はい、ルイヴィル様にはお会いしました」
新年の参賀の時お会いしたフリュッスカイト難攻不落の鎧騎士 ルイヴィル様。
去年の戦、リオンに自分の不在を狙われるという奇策で負けた事を激怒してたけど、実際に手合わせしてからは認めて、可愛がって下さってたっけ。
お会いするのが楽しみだ。
この世界には七国と大聖都があるからこれで半分を巡ったことになる。
残りの三国はどんな国だろうか。今から楽しみになる。
と、そんな中、私は王宮に呼び出しを受けた。
お母様が教えて下さったのだ。
「マリカ。
皇王陛下がお呼びですよ」
週に一回は皇王陛下にご機嫌伺に行っているし、必要な時には相談にも行っている。
向こうからの呼び出しはちょっと珍しい。
「なんでも貴女に使者が来ているそうです」
「使者? 私にですか?」
ますます珍しい。
私個人に使者だなんて。
他国から王族への使者なんて滅多にないと聞いている。
それぞれの国は戦以外に他国への介入はしないのがこの世界の基本だから。
妹姫を嫁がせたからと時々非公式訪問してくるプラーミァは例外中の例外。
考える。
使者という時点からアーヴェントルクではない。
アーヴェントルクには今時点で直通の通信鏡が行っている。
なので一週間に一度か二度直通通信が来る。
ヴェートリッヒ皇子から。
出られない日もあるので今は日と時間を決めてもらっている。
あんまり多用するものじゃないと怒られてもいるけど皇子とお話しするのは楽しいし、勉強になるから。
アンヌティーレ皇女はしばらく幽閉されていたけれど、反省の色が見えたことから今は皇女として復帰して公務をいろいろとしているのだという。
近々アーヴェントルクで開設される予定の孤児院の院長になることも決まっていて、近々アルケディウスに見学に来る予定だ。
フリュッスカイトから戻って来たら冬まで国に落ち着いていられるので受け入れていろいろとお話ししたいと思っている。
プラーミァとエルディランドには礼大祭のあと、通信鏡をお送りしたばかり。
届いたとの連絡はあったけれどもアーヴェントルクほど頻繁にはかけてこない。
では、どこの誰が……。
「マリカ様。皇王陛下をお待たせするのも失礼ですし行けば解るのでは?」
「……そだね」
カマラのもっともな指摘に頷いて、私は王宮に向かった。
皇王陛下は謁見の間にいらして私を出迎えて下さる。
「マリカ。こちらへ。フリュッスカイトからの使者がお見えだ」
「フリュッスカイト!」
カマラが言った通り、来たほうが早かった。
フリュッスカイトからの使者は皇王陛下の前に膝をついていたけれど、私を見止め、にっこりと微笑んでくれる。
「お久しぶりでございます。皇女様」
「貴女は確かフリュッスカイトの、化粧品の?」
「覚えていて下さって光栄でございます。
化粧品取り扱いスメーチカ商会 フェリーチェに御座います。
本日は皇女様にフリュッスカイト公主 ナターティア様より信書と贈り物を預かって参りました」
「贈り物? 公主様から?」
フェイリーチェさんが差し出してくれたお盆に乗っていたのは封蝋が施された書簡と美しい箱。
「中を見せて頂いてもよろしいですか?」
「勿論、どうぞ」
カマラに合図して開けて貰うと中から出て来たのは精緻な飾りのついた小瓶、だった。
中にはとろりとした緑色の綺麗な液体が。
「これはオイル、ですか?」
「はい。今年採れた新摘みのオリーヴァの実から採った最高級品にございます」
そういえば、ナターティア様は新年の私の招聘スケジュールを決める時
「フリュッスカイトに来るなら夏以降がお勧めよ。
オリーヴァの実が色づく様子をぜひ見せてあげたいわ」
とおっしゃっていたっけ。
「とても素晴らしい品ですね」
「はい。姫君の影響で今年は飲食にも使用しておりますが、食べて美味、身に着けて良しの最高級品だと公主様からのお褒めの言葉を頂いております」
自慢そうにフェリーチェさんは胸を貼った。
ドヤ顔も許せるこれは最高級品なのは見るだけで解るから、私は頷きつつ親書を開ける。
文書には、私の来訪を心より待っている、という定型のものだけれど、二つ気になることが書かれていた。
「フェリーチェさん。ナターティア様からの文書に
『来訪の際にはぜひ、化粧品について詳しく相談したい』
とあるのですが……」
「そのままの意味にございます。
ナターティア様は食品関連は勿論ですが、アルケディウスの化粧品について大変興味をお持ちです。知識をぜひ譲って頂きたいと希望されておられます。
特に口紅と花の化粧水とシャンプーを。
食品と違い、権利関係に事前の調整が必要かということで私が遣わされました」
「お気遣い、感謝いたします」
国使を使うまでの硬い話ではないけれど、化粧品関連について纏めておいて譲れるものは譲ってほしいということなのだろう。
私達には通信鏡があるけれど、実際は国に入ってしまったら皇王陛下や、シュライフェ商会との打ち合わせしたり指示を仰いだりできなくなるので事前に教えておいて頂けるのは確かに助かる。
「それから……『この我が国にも『聖なる乙女』の祝福を賜りたい』というのは?」
「アルケディウス、アーヴェントルク、エルディランド、プラーミァ。
真なる『聖なる乙女』のご功績。
特に各国においてマリカ様が『精霊神』を復活させた旨、既に大礼祭の奇跡と共にフリュッスカイトにも届いております。
フリュッスカイトの国民にとっても『精霊神』の復活は悲願。
フリュッスカイトおいでの際には、わが国でも儀式をと。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
「皇王陛下……」
深く頭を下げるフリュッスカイトの使節団を前に、私は皇王陛下と顔を見合わせる。
ついに、事故でもなくトラブルでも無く正式に『精霊神』復活を要請されるようになってしまったのか、と。
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