仕事が終わった帰り道。
「あれ?」
ふと、鼻をくすぐる香りがした。
なんだか、優しくて、懐かしい香り。
足を止めて周りを見回すと、石畳が切れたところに紫色の花が咲いていたのを見つけることができた。
「うわあ、可愛い」
「レヴェンダの花よ。初夏に良く咲くわ」
手を繋ぐ護衛騎士、ティラ様がそう教えてくれる。
レヴェンダ、そうか、ラベンダーだ。
「匂いも良いですね」
「そうね。いい香り。私も好きよ。プラーミァには無かったから」
そんな会話をしていたら、ふと初夏、魔王城の島には花が沢山咲いていたことを思い出す。
お城の中庭には薔薇の花がたくさん咲いていたし、森にも白い野ばらやジャスミン、ラベンダーなども群生していたっけ。
花より団子で、この時期はサフィーレの実がもうすぐ生るなあ、とかピアンの実があと少し。
なんて麦の草取りしながら思っていたのだけれど。
時々、摘んできてお城に飾ったりしていたのだけれど、基本、本当に花より団子、だった。
でも…
「あら、なあに?」
私の見上げる視線に気付いたのだろう。
ティラ様は優しい目で微笑んでくれた。
護衛騎士としてティラ様が来てくれるようになって、もうすぐ二週間になる。
夏の戦は長くて二週間。戦地まで往復一週間というから、もう半分くらいは過ぎた計算だ。
「なんでもありません。ティラ様はスタイルが良くてキレイだなあって思って」
「褒めてくれてありがとう。でも、何も出ないわよ。
それに貴女も大きくなればきっと美人になるわ。
お肌はすべすべ、髪の毛もツヤツヤで、羨ましいくらい」
くすっと笑って前を向くティラ様の横顔は本当に自信に満ちて、キレイで…。
私の「大人の形」はもう決まっているけれど、人間としてはこんな女性になりたいと憧れる。
いろいろお世話になったし護衛が終わる前に、何かお礼がしたいなあ、と思ったのだ。
実はちょっと計画して、準備している事もある。
明後日は安息日、作業をするなら、魔王城がいい。
間に合うといいのだけれど…。
私はティラ様と手を繋ぎ、歩きながらそんなことを考えていた。
「マリカ。頼んでいたものが届きましたよ」
リードさんが本店に荷物を運んでくれたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
「わあ、良かった。間に合った」
「? なんだ? 何を頼んだんだ?」
木箱の中をアルが覗き込む。上からティラ様も。
箱の蓋を開けると、いっぱいの干し草。
多分、緩衝材なのだろう。
私はそっとかき分けて、中のものを慎重に取り出した。
「良かった。割れてない」
「ガラス瓶?」
「はい。頼んで取り寄せて貰ったんです」
私達の世界でも、近代になるまでガラスは貴重品だった。
この世界でも、どうやらそうらしく、ガラス窓の家はまだあまり多くなく、家庭で使われる容器も素焼きの瓶など陶器が主流。
ガラスはアルケディウスよりも隣国のフリュッスカイトの方が生産が盛んで良いものが作られている、と聞いてガルフとリードさんに頼んで注文して貰ったのだ。
「これで、何をするの?」
「あー、そのこれから果物が多く出回るので、砂糖漬けやジャムにして保存を…」
嘘ではない。そういう風にも使う。
でも、一番最初に使いたい用事は別にあるんだよね。
「間違いない様なら、家に運んでおく、で良いですね」
「はい、お休みの間に使いたいので」
リードさんが店の人達に荷物運びを頼んでくれた。
私には重いので助かる。
「あ、あとついでに一緒に持って行ってもらいたいものがあるのですが、いいでしょうか?」
「かまいませんよ。箱に入れておいて下さい」
リードさんの言葉に甘えて、私は材料の発注に紛れさせて注文した品物を箱に入れる。
ちなみに、ちゃんと私の分の給料から支払いはしてあるから。
どっちも割れると困るので緩衝材の奥にそっと埋めた。
私のそんな様子を見たあと、ティラ様が私に声をかけてくれた。
腰をかがめて
視線を合わせてくれるのが優しい。
「夜の日は出かける用事は無い? 遊びに行くのなら付き合ってあげるけど?」
「はい。家で料理とか、いろいろしますので」
空の日は給料日なので、全員に…ティラ様にも…お給料を払って、家路につく。
流石に凄腕護衛騎士がついている事が知れ渡っているので、もう襲撃者が出る事は殆どない。
「次は休み明けの木の曜日ね?」
「はい、よろしくお願いします」
家まで私を送ってくれたティラ様にお辞儀をして、私とアルは家に入った。
まだフェイもリオンもいないので、二人で魔王城の島に帰るつもり。
勿論、箱もしっかり持っていく。
「おっも! 瓶の他に何を入れてんだよ」
「ないしょ。上手く行けばお土産になるけど」
私とアルと荷物を載せた魔方陣は無事起動。
いつもの通り、私達は魔王城の島に戻っていた。
「ティーナ。もうハチミツシャンプー、無くなるでしょ?」
島に戻って夕食後、夕食を作りながら一緒に作ったハチミツシャンプーの入った壺を、ティーナに手渡した。
「あ、ありがとうございます。私達や、子ども達だけではハチミツの入手が難しかったんです」
「だよね。だから、向こうで仕入れてきたの」
「あ、ガラス瓶と一緒に持ってきたのはそれだったのか?」
アルに私は頷いて見せた。
アルケディウスでは、蝋燭を作る蜜ろう作りの為に養蜂をしているところがそれなりにある。
蜜はあまり利用されていなかったらしいけれど、最初の、まだ砂糖の確保ができてなかった頃から、ガルフに蜜を確保してもらう様に頼んでおいたので、今はかなり安定して入手できるようになった。
砂糖と併用して料理にも使っている。
今回はシャンプー用に買い取ったけれど。
生のはちみつと、ぬるま湯、お塩を混ぜるだけで保水成分ばっちりのリンスインシャンプーになる。
お城用と、向こうでの家用とあと、もう一つを素焼きの小壺に入れておく。
「それからシュウ、頼みがあるんだけど」
「? なあに?」
「明日のお昼くらいまででいいから、こういうのを作って欲しいんだけど…。材料は用意しとくから」
「いいよ。でも何に使うの?」
「それは、明日のお楽しみ」
私はガラス瓶の一つをギフトで形を変えながら答える。
「くるくるくるくる」
ジャックとリュウは楽しそうに笑いながら、私の手元を見つめていた。
翌朝、少し早くに私は起き出して、こっそりと森に向かった。
手にはハサミ、背中には果物採取に使った背負い籠。
森の中にはあちらこちらにラベンダーが群生していてむせ返るようだ。
「うーん、良い香り」
蕾が開き、紫色の美しい花を咲かせたそれらに私はハサミを入れる。
摘み取った花は籠の中に。
籠いっぱいになるくらい集めた頃。
「マリカ姉、何してるの?」
私がいないのに気付いたのだろう。エリセが森にやって来た。
「エルフィリーネには言ってきたんだけれどね。この花を摘んでたの」
「花?」
「そう、レヴァンダの花っていうんだって。これでねちょっと作りたいものがあって」
「食べられるもの?」
「残念ながら、多分食べられない。でも、面白いと思うよ。見てて」
私は、城に戻ってから、ギフトで作ったパーツと、シュウに作って貰った部品を組み合わせる。
昔、読んだ童話の中にあった、植物からのオイル抽出法を思い出しながら。
ガラスの瓶に水を入れてから植物、今回はレヴァンダの花と、水を入れて蓋をする。
蓋には細い穴を開けて、ガラス瓶を加工して作った管を通す。
その管とくるくる、スパイラルに丸めたガラスの管を繋げた。
あとは、小さな鉄鍋の中に穴を開けたものを用意して、ガラスの管を沈める。
穴からガラス管の反対側を出して、固定してから水を入れる。
ギフトがないと難しかったね。これ。
そして最後にシュウに作って貰った台に固定して、ガラス瓶の下から火をつけた。
「うわあ~、見てみて、こっちの管から水が出て来たよ」
エリセが声を上げると子ども達も集まって来た。
ぽた、ぽた、とゆっくりだけど油分を含んだ水が出てくる。
一種の科学実験。みんな目がキラキラだ。
「どういう仕組みになっているのでしょうか?」
ミルカが首を捻っている。
うーん、説明が難しい。
「花の香りがね、温められる事で花から抜けていくの。
そして水で冷えた管を通っていくことで、水になってここから出てくる…かなあ?」
正直、上手く説明できている自信はない。
でも…
「でも、とってもいい匂い。すごく、うっとりする香り」
くんくんと、花を動かすエリセに子ども達も頷く。
砂糖とか、料理の香りとはまた違うけれども、レヴァンダ。
ラヴェンダーの花は香りの女王とも呼ばれて多くの人に好まれている。
至高の香りだから。
頑張って集めた500gくらいのラヴェンダーの花から取ってもいい香りのフローラルウォーターがコップに2杯ほどと、スプーン1杯程のオイルが採れた。
けっこう時間もかかったけれども苦労しただけあって、ぎゅっと凝縮された花の香りが、部屋中に広がっている。
「この水は服や、肌にちょっと付けると、レヴェンダの花の良い香りがすると思う。後、櫛に水で濡らした布を通してブラッシングすると髪にふんわりいい匂いがつくよ。
枕元に小さなコップに入れておいたりすると、良い香りで眠れるかもね」
一人分取った後のフローラルウォーターはいつも頑張っているご褒美に、エリセとミルカにプレゼント。
オイルは一番小さなガラス瓶に詰めた。
後は、余っている花を編んで…リボンで結ぶ。
頑張って作った品は、丁寧に籠に入れた。
「ティラ様、喜んでくれるといいなあ」
翌日 木の曜日。
「あら、なんだかいい香りがするわね」
迎えに来て下さったティラ様は出迎えた私に向け、くんくんと、鼻を動かした。
昨日一日レヴェンダの花を弄っていたから、香りが移ったかも?
まだ、ガルフやリードさん、アル達は出てこない。
渡すなら、今がチャンスだ。
「はい、ティラ様。これ、良かったら貰って頂けませんか?」
私は、いつもの持ち物バッグとは違う、小ぶりのバッグをティラ様に差し出す。
「これは…なあに?」
「いつもお世話になっているお礼です。
シャンプー…髪の毛を綺麗にするものと、花のオイルとエキス。これをお風呂に居れたりすると良い香りがして心が安らぐんです。
あと、これは花を纏めて作った細工ものですけれど、服の隠しとかにいれておくときっと…って、ティラ様?」
私は、状況が解らず、目を瞬かせる。
気が付けば、私はティラ様に、抱きしめられていた。
ぎゅっと、強く私を抱きしめるその腕は、微かに何かに揺れていて…。
いつも強気でキレイなティラ様の、不思議な弱さを感じさせるようで…。
レヴェンダの香りが、ふんわりと漂う中、
私は、振りほどく事も、身体を動かすこともできず、ただじっとティラ様を見つめる事しか、できなかった。
初夏、花のシーズンなので新しい武器を作ってみました。
花の香り、です。
まだ香料とかが殆どない世界なので、いきなり水蒸気蒸留法、アロマオイルは、ギフトを使った魔王城でしかまだできない、ずるこかし品目ですが、今後の王宮、貴族世界で上手く使えると思います。
ホントは石鹸をなんとかしたかったのですが、どうも中世技術だと上手く行かなくて。
苛性ソーダやグリセリンはどうしたら中世で使えるのでしょうか?
そして、チラッと見えたティラ様、ティラトリーツェの思い、とは。
新年度から職場が変わったので、少し更新スピードが落ちるかもしれませんが、できる限り毎日更新は目指しますので、今後ともよろしくお願いします。
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