相変わらず私の仕事は山盛りで、時間の捻出は難しいのだけれども、風の二月の後半と空の一月、二月は外国に行かなくていいので時間はある方だ。
勿論、国的には秋の戦と、その後の大祭の準備で大忙し。
今年リオンは秋の戦に行かないけれど、ミーティラ様は騎士貴族としての初陣なので一軍を率いていく。
相手は先日行ったばかりの水国フリュッスカイト。
秋の戦はカエラの群生地である森が戦地にあるので、毎年紅葉が見事だそうだ。
私にとってはカエラ≒メイプル=メイプルシロップ。花より団子。
今年は契約で、買っても負けても国境沿いのカエラの森はアルケディウスに貸与されてシロップの採取が可能。でも、やっぱり買った方が堂々と採取できるのでぜひ勝ってほしいところだ。
「軍を率いて戦うのは初めてなので、緊張します。プラーミァとティラトリーツェ様の顔に泥を塗らない様に頑張らないと」
今、ミーティラ様はお父様からリオンと一緒に軍略や、戦術について教えて頂いているらしい。
カマラが正式に準貴族、騎士士官になったのでリオンの護衛は本当に重要な公式場面もないと難しくなったのは少し寂しいけれど、これも大事なステップアップだから我慢しないといけない。精霊古語の勉強会もあるから顔は見れるしね。
で、精霊古語の勉強会だけれども、お父様、お母様に報告してお二人が参加するようになったと思ったら、今度は皇王陛下に呼び出されてしまった。
プライベートな応接室に入れられ、そんでもって
「マリカ。その勉強会は王城で行え」
とのご命令が下る。
「アルケディウスの王宮図書館にも精霊古語の本は何冊かある。
だが、知識が完全に途絶えてしまっていて誰も読めないのだ」
「私も努力はしていますが、当て推量で読むのと、正しく教えて頂くのではまったく違いますから是非に」
そう私と、私が抱っこする精霊神様に深々と頭を下げたのはタートザッヘ様だ。
「ってことは、タートザッヘ様も参加したいってことですよね。皇王陛下も?」
「うむ。妃も参加したがっていたが、あんまり多くなり大変だというのなら遠慮させる。
ただ、ケントニスとトレランスは参加させて頂きたい」
『精霊古語』は私達が今使っている言葉とは違ういわば『神』の言葉。
第三皇子が習得するなら、第一皇子と第二皇子も覚えないと確かに色々と面倒なことになりそうだ。
『まあ、一人に教えるのも何人に教えるのも一緒だと僕も言ったけどね』
この場にいるのは皇王陛下と文官長タートザッヘ様、お父様とお母様と私。
精霊獣が『精霊神』の端末で、繋がっていて会話もできる、と知っている人間はそんなに多くは無いので護衛兵さえもいないのは気遣ったのだろう。
だから『精霊神』様もあんまり遠慮なしに口を開く。
『どうする? マリカ。他の子達にも教えたかったんだろう?
王宮の勉強会にしてもいいの?』
他の子、というのはこの場合、アルとクラージュさんを指すのだろう。
「そうですね。皇王陛下。ユン殿とゲシュマック商会のアルが参加するのを御許可頂けますか? 最初に交渉した時からの約束なんです」
「ゲシュマック商会の子どもは其方の身内だろうから解らんでもないが、異国から来たばかりの彼も?」
「ユン殿はエルディランドの精霊古語にふれていらっしゃいますし、年齢以上の知識もお持ちです。きっと良い刺激を与えて下さると思います」
私とユン君には向こうでの英語の知識が在る。
アルファベットをベースにした外国語の習得なら応用が効くかもしれない。
流石に(多分)英語≒ヒンメルヴェルエクトなので試すのはまだ先になるだろうし、今はまだヒンメルヴェルエクトの精霊古語ができるとは言えないけれど。
「解った。許可しよう。其方が外国に行く。行事が入る、などない限りは週二回。
地の日と空の日の夕刻でよろしいでしょうか?」
『いいよ。その代わり……本気で学べ。『精霊神』の手を煩わせるんだ。途中で飽きて投げ出す様な真似は許さない』
ぞくり、と背筋がざわついた。普段、私には優しく頼りになるお兄さんの顔しか見せないけれど『精霊神』モード? 腕の中からにじみ出るようなオーラ? と威厳。深みを宿した声は怖い位だ。
「承知。愚息共にも厳重に申しつけておきます」
椅子から立ち、何の迷いも無く皇王陛下は私に、正確には私がだっこする『精霊神』に跪く。
普段は可愛い外見に邪魔されて忘れてしまいがちになるけれど、やっぱりラス様も『精霊神』なんだなあ。と改めて思う。
そう言う訳で、アルケディウスの精霊古語講座が開幕した。
正式参加者は、皇王陛下に文官長タートザッヘ様、第一皇子ケントニス様に、第二皇子トレランス様、お父様とお母様。
リオンにフェイ、アルとユン君、そして私の十一人。
護衛代わりに王宮魔術師であるソレルティア様も入っている。
正式には学ばないけれど、話を聞けばソレルティア様なら覚えてしまいそうだ。
勉強部屋として案内されたのは少人数用の宴席の間。
私が最初に王宮に来て、給仕をした部屋だ。
用意してくれるように頼んだ品も用意されてる。
アルケディウスでようやく生産が始まった植物紙で作ったアルファベット表とペンとインク、練習用のミニ黒板と石筆も。
大きめの黒板も用意されていて、枠付きの立派なそれを見ると本当に学校のようだ。
『それじゃあ、始めるよ。マリカ。身体を借りるよ』
「へ? 私の身体を使うんですか?」
『この身体じゃ石筆もペンも持てないだろう?』
つまり、私の身体に乗り移って授業をするってこと?
「それは、まあ、そうですけど、そうすると私勉強できないじゃないですか?」
『大丈夫、君はむしろ楽かもしれないよ?』
「え? それはどういう?」
『やってみれば解るよ。とにかく許可してくれるかい?』
「……解りました。どうぞ」
私が頷くと腕の中の精霊獣の姿がスーッと溶けて私の中に入って来る。
見ている人達が驚いている顔が、私の目で見た最後の記憶。
その後は、ポン、と押し出されるように私の意識は身体から追い出された。
というのは正確じゃないかも。
頭の中で別の席が用意されて、座って外の世界という映画を見ているような感じだ。
身体は動かせないみたいだけど
「なんだか、変な感じです。ラス様。外の様子は見えるのに身体が動かない」
「身体の使用権を少し借りているからね。混乱するからちょっと黙ってて」
口は動いた。返答も私の声で返るから、外から見ると私が一人で会話している漫才のように見えるだろう。ちょっと恥ずかしいので、そこからは口を閉じた。
「じゃあ、始めるよ。まずは基本文字からだ」
基本文字は三十三文字。アルファベットよりちょっと多い。
英語のアルファベットと似ているようで違うのでちょっとややこしいし、小さな点とか多くて書くのも大変だ。
で、やってみると解ったけど、本当にロシア語、キリル文字。
「私は昔、精霊国の女王陛下から形にならない香気、風味をゲシュマック、と伺ったのですが」
『それはナハト……アーヴェントルクの言い方だね。僕風に言うならプリーフクゥスって感じになるかな』
講座の内容はあんまり詳しくは語らないけれど、本当にアルケディウスはロシア由来の国で、ラス様は向こうの国のロシアの方なのだなあと感じ取ることができた。
なんだかイキイキして楽しそうでもある。
……『精霊神』様は多分、私達が思うような生まれついての『神』ではないのだ。元は多分異世界、私達と同じ地球の人間。
それ自体をもうどうやら隠す気はなさそう。
彼らはどうして、いやどうやって『精霊神』になったのだろう?
異世界転移してこの世界で何かがあって『精霊神』になることになったとか?
聖典はでたらめとしても、創世神話はこの世界を『精霊神』が作ったとある。
ならば『星』は? 『神』は? 『精霊』っていったいなんなのだろう?
色々と考え事をしていたら、授業からは意識が外れてしまっていた。
「とりあえず、今日の所は終わり。次までに文字の書き取りと、今日覚えた単語とかはしっかり復習しておくようにね」
「わっ!」
ぽん、と頭の中で音が弾けて、私は私の身体に戻った。
腕の中には短耳ウサギモードのラス様。
「マリカ、身体に不都合はありませんか?」
「お母様、はい、大丈夫そうです」
私は片手でぐーぱーしてみる。うん、大丈夫。身体に違和感や疲れは無い。
『君の頭の中には今日の授業内容の情報が残ってる筈だ』
「あ、ホントですね。解ります」
『文字の書き方とかは自分の身体で練習しないと身に付かないけれど、覚えるのは楽だろう?』
「はい。後は復習してちゃんと自分のものにできるようにします」
『そうして』
こんな感じでアルケディウスロシア語、基、精霊古語講座は時間がある限り続けられるようになった。
後日、タートザッヘ様が書庫から精霊古語の書物を持ってきた。
タートザッヘ様は相変わらず抜群の記憶力で、土が水を吸う様に精霊古語を覚えていく。
「ご覧ください。これは書庫の奥にあった書物で、良く意味が解らなかったのですが、鉱物の種類と活用方法などが詳しく記載されているようなのです。特に鉄の精錬方法が興味深い。純度をさらに上げ、強度を高める方法など。
簡単に実現はできませんが研究して行きたいですな」
フリュッスカイトでの例から察するに
「伝えておきたい、残しておきたい、でも今の文明レベルでは教えない方がいい」
ような知識についてきっと精霊古語で書き残されているのだと思う。
『精霊神様』が知識として授ければ早いのだろうけれど、それはできない。
何か理由があって。
だから、欲しいなら自分で見つけ出すしかないのだと改めて理解したのだった。
因みにラス様、私には身体を借りる代わりに授業内容を頭の中に残して下さるのだけど、ご丁寧に授業の内容だけしか教えてくれない。
「この方法つかえば一気に精霊古語習得できるんじゃ?」
『だーめ。語学は一日にしてならず。覚えても使って書いて、身につけないと直ぐに錆びちゃうよ』
ラス様のケチ。
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