シュトルムスルフト滞在六日目。
調理実習開始から二日目。
「いいですか? ポイントは叩いて細かくしたひき肉の油をしっかり傷めて油を出し切ること。その油が野菜に染み出て良い味になるのです」
私は台所に用意された椅子に座って、全体の様子を見ている。
実物の礼を示し、調理人さん達に指示を出しているのはフェイだ。
「料理の手順は全て正しい理です。例えばオベルジーヌの皮をまだらに向くのはそうすることによって身に油がしっかりと染み込みつつ、皮の歯ごたえなども楽しめるのです。
それぞれの創意工夫で味や手順を変えることを否定はしませんが、まずは基本。
新しい料理の理念はしっかりと習得して下さい」
木の板を手に持ちながら全体に目を光らせる様子に怖気た所は一つもない。
調理場に五人、他に周囲に見学をしている人が十人ほど。
けっこうな大人数を前にしても、堂々とした様子は頼もしい。
私からの指示だと今一つ動いてくれない料理人さん達も、子どもとは言え貴族で男子。
しかも、王族の一員待遇を与えられているから素直に動いてくれる。
「皇女様、茄子の重ね焼きはオーブンに入ったようです。後はどうしますか?」
「サラダ、スープ、ピラフは終わっているので、デザートにしましょう。
オーブンは使っているので、今回は予定通りパンケーキにします。
暖かい焼き立てが絶対に美味しいので、先に飾りつけの果物などを用意しておく方がいいと思います」
「解りました」
「羊肉は冷めると油が固まってしまって美味しくなくなるので、暖かいものはなるべく暖かいうちに。セリーナ。保温の術を」
「はい」
私はフェイからメインディッシュ用のレシピ木板を預かり、デザート用を渡す。
木板を受け取る彼の手は、普段は身に着けること無い白い手袋に包まれていた。
大切なものを守るかのように。
遡ること二日前。
オアシスの儀式を終えた私達は、城に戻る前に王太子マクハーン様と一緒に今回の検証。情報確認を行った。
「推察に過ぎないのですが、このオアシスには行方不明になっておられるというファイルーズ王女が埋葬されている可能性が高いと思います」
そう告げた私の言葉に、マクハーン王太子も驚きや意外という表情は見せなかった。
むしろ
「やはり、姫君もそう思われるのですね」
と、納得の表情だ。
「はい。アルケディウスの『精霊神』様は、このオアシスには管理人がいるとおっしゃいました。国王陛下の
『聖なる乙女の血によってオアシスが生まれる』
『天寿を全うした後乙女は自分のオアシスに埋葬され、オアシスを守っている』
という発言から推察しても、この場合オアシスを守る『管理人』はファイルーズ様以外に考えられません」
「行方不明になった後、見つけ出して連れ戻して殺して埋めた、ってことか?」
「ファイルーズ様は不老不死を得る前に行方不明なっているから、命を奪うことも可能だったと思うし。
ただ、亡くなっているのは間違いないと思うけれど、それが自殺か、他殺かは解らない。
乳児がいるのに母親が死を選ぶことはあんまりないと思うんだけど、逆に子どもを守る為にってことは在りうると……。あ、ゴメン。フェイ」
かなり本気の会話になってしまって、フェイの気持ちを気遣うのを忘れてしまっていた。
自分の母親かもしれない人が殺されて、なんて話、実感は湧いていないとしてもあまり聞きたい話では無い筈だ。
でも、フェイは静かな眼差しで頭を振る。
「いいえ、構いません。
僕の母親かもしれない、というのは置いておいても自分の意思とは関係ない所で命を失い、正しい埋葬もされないまま利用されている魂があるとすれば、それは許せませんから」
音が出るほどに固く握りしめられたフェイの手の中には、薄水色に染まった爪がある。
不思議な影から託された奇跡。
これと似たものを私達は見たことがある。
「マクハーン王太子。この爪は管理人、もしくはこの国の『精霊神』様からの意思表示である可能性が高いと思われます」
「『精霊神』から?」
「はい。儀式を行った際、アルケディウスの『精霊神』が力を導いたことによりこの地は他よりも『精霊神』に繋がりやすい場所になったのだそうです。
先ほど、祈りを捧げたことで僅かではありますが、管理人、もしくは『精霊神』様に力が届き御意思を示されたのではないかと」
かつて、アーヴェントルクで『神』と『精霊神』に力を送る儀式を行った時、封印されていた『精霊神』様がその隙間を縫って私達に力を託してきたことがあった。今回と同じような色に染められた爪は疑似端末。『精霊獣』の超弱い版。
それを通じて僅かだが外に介入できるようになるのだと夜国の『精霊神』ナハト様は言っていた。
「では、この爪を通じて『精霊神』様に意思を伝えることが叶うのか?」
「叶うかもしれませんが、多分、それはできて一回限り。『精霊神』様は現在、とある存在より封印をかけられ、能力の殆どを使用できない状態になっています。
封印を解くまでは軽々に使わない方がいいかもしれません」
『精霊神』様もタイミングを見計らっているのかもしれないし。
そうなると話しかけても多分、返事は返らない。
いざという時に備えておくのが多分いい。
「では『精霊神復活の儀式』を早急に……」
「それは国王陛下からの要請でないと。私はアルケディウスの皇女なので他国の『精霊神』様を祀る聖域に勝手に入るわけにはいかないのです」
「あ、ああ……」
王太子様が肩を落とす。
要請があればやっても構わない、と国からの許可は得ている。
ただ決定権はやはり最高権力者である国王陛下にあるだろう。
王太子様のお願いでは難しい。
「このオアシスにファイルーズ様が眠っているかも、というのも私達の推察にしかすぎません。正直、この熱帯雨林と化してしまったオアシスのどこにいらっしゃるか、解らないんですよ」
ファイルーズ様を(殺害、もしくはそれに準ずることをして亡き者にし)ここに埋めたとすれば犯人は国王陛下か、第一王子、もしくは婚約者であった侯爵のいずれかしか考えられない。
証拠もなく疑うのは悪いとは思う。でも私が『ファイルーズ様にお詫びをしたい』と言って、ここに来ることが当たり前のように受け入れられたことから考えても、国王陛下は最低でもファイルーズ様がここにいると知っているんじゃないかな?
「アルケディウスの『精霊神』様にどこにいるのか、教えて貰うことはできない?」
「うーん、やることが御有りみたいですし、教えてもいいことなら教えて下さると思うんですよね」
教えられない事なのか、それとも自分で真相を見つけ出せということなのか。
どちらにしても、むやみやたらと掘り返して見つかるものではないだろう。
そんなことを許してくれるとは思えないし。
「解りました。姫君。
貴女は当面、王都に戻ったら予定通りの仕事をして頂けますか?
その間、私達はファイルーズの足取りや、兄、侯爵、父上たちの様子を探ってみるつもりです」
色々考えた様子の王太子様は、真摯な眼差しで私にそう告げてきた。
「大丈夫ですか?」
「私よりも、姫君の方が心配です。
おそらく彼らは姫君への接触を図ってくるでしょう。主に獲得の為の求婚や圧力など。
御面倒をおかけしますが、その過程で何か手がかりが掴めるかもしれませんから……」
「解りました。
こちらからも何か解ったらお知らせします。あと、大聖都の葡萄酒蔵にファイルーズ様と思しき女性が滞在したことがあるそうです。行方不明後の足取りを追う手がかりになるかも……」
「大聖都に? そちらは調査してなかったな。一人で国外に出るとは思わなかったから。
調べてみます」
「リオン。フェイを見つけた場所と日時をできるだけ正確に思い出して、後で王太子様に知らせて下さい」
「はい」
行方不明から大聖都でのフェイの出産、そしてその数年後、アルケディウスでフェイが保護されるまでかなりの空白期間がある。
ポイントとポイントを埋めるように調査していけば手がかりが見つかりやすいかもしれない。
「お休みの日に横やりが入らなければ、母がお茶会にお招きしたいと言っています。その時にでも改めて詳しい話をしましょう」
「ありがとうございます。向こうに戻りましたら予約を。
先に申し込まれたを盾に、後からの申し出は断りますので」
「了解した。……フェイ」
「はい」
王太子は柔らかく、暖かい、大切なものを見る眼差しでフェイに微笑む。
「君には多分、ファイルーズの記憶は無いのだろうね。
でも、ファイルーズは君の事を多分、大切に思い、愛していたと思う。
どんな理由で君が宿ったとしても。
あの子は情がとても深い子だったから」
「……」
「君は、捨てられた子ではない。愛されて望まれて生まれてきた子だと信じておくれ。
私達は君の幸せを、望みを最優先すると改めて約束するから」
「ありがとう、ございます」
「姫君、『精霊神』のお力については父王達には告げず彼に預けておく、でいいですか?」
「はい。それでお願いします。きっと本当に必要な時には助けて下さいますから」
フェイも王太子様に対するあたりが随分柔らかくなってきた。と同時。
……お互い秘密を共有しているうちに、被っている猫が剥がれてきているなと、感じる。
私も、王太子様も。
でも、言うまい。今はお互いの為にも。
そうして、王都に戻り、私達は通常業務を開始した。
私がシュトルムスルフトに呼ばれた理由はあくまで、調理指導だからね。
幸い、ファイルーズ様のオアシスからはココの実、デーツの他、肉桂、丁子、それにおそらく胡椒と思われる香辛料などが新しく見つかった。
流石にカカオなどは無かったけれど、ピスタチオとよく似たナッツが見つかったのは大収穫。
それに加え、北の領地から献上された植物が、リア、つまりお米だったから大至急採れるだけ集めてもらった。脱穀、精米してみるとインディカ種で細長い感じ。小麦の生育も今の所、難しい国なのでこれを主食に育てていければいいんじゃないかな、と調理実習でプレゼンテーションを始めたところ。
昨日の実習はなかなかの好評で、今日も悪くない手ごたえは感じた。
フェイを仲介して料理の説明をしないといけないのはめんどくさいけれど、料理人さんというのは元々、他の人達よりも元気や気力がある人が多いから、今までとは違う料理法も美味を生み出すと解れば素直に受け入れてくれるのがありがたい。
それにどうやら、フェイを仲介しろというのは上からの命令みたいで
「姫君。ここでの料理の油抜きはどうしたら?」
「ここで入れる野菜は他のものでも良いでしょうか?」
などと終了後の質問会には積極的なものが直接飛んでくる。
下働きの女性も興味津々で見ているので、できれば技術を盗んでいってほしいなと思いながら話をして今日の調理実習を終えた。
「さて、戻りましょうか?」
「姫君、厨房にお忘れものが……」
「なんでしょう? 特に忘れるようなものは無い筈ですが」
「私、見て来ます」
「ごめんなさい。セリーナ。カマラ。一緒に」
「大丈夫です。すぐに戻りますから」
ちょっと水をさされたけれど、私は少し肩の力を抜く。
調理実習はいいけど皇女モードは疲れる。
明日は滞在期間に二日しかない貴重なお休み。
午後からは王妃様のお茶会の予定だけれど、午前中はゆっくりできるかな。と思いながら廊下を歩いて戻ると私達の宿舎。
離宮の前に人だかり。(おそらく)待ち構えている人達が見えた。
「お待ちしていた。姫君」
「シャッハラール王子。何の御用でしょうか? 今日はお約束、ありませんでしたよね?」
近づいてみればやはり第一王子とその護衛達。
彼らはにやにやと嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「確かに予約は無いが急用だ。直ぐに謁見の間においで頂きたい」
「何故ですか? 私、仕事を終えたばかりで疲れているのですが……」
止めて欲しい、帰っての暗喩はどうやら理解してもらえなかったようだ。
逆に勝ち誇ったような顔で王子は私を見下し告げる。
「そんな疲れなど、今後ゆっくりと取ればいい。
貴女はこれからこの国で暮らすのだから」
「はい?」
「アルケディウスに送った早馬の返事が届いた。
フェイの譲渡と貴方への求婚をアルケディウスが承諾してきたそうだ。これで貴方とファイルーズの子は、正式に我が国の一員となる」
「そんな、馬鹿な!!」
「貴女の夫となる者はこの国で決めて良いそうだがな。
そういうわけだから今日……姫君は……」
胸を張って嘘をつく第一王子に、その父の愚行に私は
『精霊に見放された国、シュトルムスルフト』
その本当の理由が見えた気がした。
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