「おかしいな…」
俺は店の奥、執務室を兼ねたプライベートルームで俺は、思わずそんな独り言を溢した。
「何がおかしいのですか?」
俺の声を聞き来とったのだろう。
横で作業していたリードが顔を上げる。
ここには二人だけ。
少し本音を言っても大丈夫だろう。
「ライオット皇子だ。まだお戻りになられたという連絡が無いだろう?」
「はい。聖王都にお出かけになられたのが星の一月の始めでしたから、もう丸二カ月になりますね」
この皇国 王都から大聖都までは徒歩でなら数週間、馬車や馬で移動しても一週間はかかる。
戻れるのは早くて二週間後。
用事が済んだら直ぐに戻る、戻ったら寄ると言っておられたのにまだ連絡がない、ということはまだ大聖都からお戻りにならない、ということなのだろう。
しかも、妙な噂が流れている。
大聖都に勇者アルフィリーガが再来した、と。
皇子ライオットが勇者だと認め、彼の教育を始めたと。
これもおかしな話だ。
『確実に偽物』
旅立つ前、皇子は勇者のことをそう言っていた。
それが変わったのは何故だ?
会ってみたら、本物だったということなのか?
皇子がいないことと、冬が終わったのを良い事に貴族たちの問い合わせや圧力も強くなってきている。
これが続くとなると、色々と面倒だ。
時間が過ぎれば過ぎる程、奴らの視線と注目を躱し辛くなる。
「リード。すまないが三日後からまた二週間ほど留守にする。
不在の間、なんとか対応を頼む」
「旦那様?」
俺の言葉にリードが目を丸くしたのが解った。
「毎年のことだ。解っているだろう?」
毎年、春と秋には王都を離れる時があった。
リードには雇い主に会いに行き指示を仰ぐためと伝えてはある。
「ですが…どうしても、今でなくてはなりませんか?」
もう少し時期をずらしてくれ、とリードの顔が言っているのが解る。
当然だ。
冬が終わり、新しい木月がやってきたばかり。
今まで雪が僅かに遮ってくれていた客は、春になって待ちかねたように店に押しかけ、その数は跳ね上がるばかりである。
現在直営店は四店舗。
それに加え、冬の間に協力店が二店舗増えた。
主に肉料理を売る店だ。
ベーコンを除くハンバーグ、ステーキ、ソーセージ、エナの実のソース、肉と骨を使ったスープなどの作り方を契約の上で教え売り上げの数割を受け取ることになっているが二割を受け取っても相当の儲けが出ている。
老舗の商店、逆に新進の店から協力店を出したいという申し出が後を絶たない。
最新の直営店は高級志向でかなり料金を高めに設定している。
料理もコース料理に絞り、時間を決めた一日最大十件の限定。
だが予約が途切れない程の盛況ぶりだ。
王都の豪商たち。そして貴族たちがこぞって足を運ぶ。
ライオット皇子が絶賛したというパウンドケーキを味わったことがあるか否かで、今、社交界の注目度が大きく変わるのだと貴族の従者が溢していた。
なんとか作り方を教えろという強迫じみた依頼も引きも切らず断るのが大変だ。
パウンドケーキを初めとする甘味、今や主力商品となったパンケーキ、クレープなどには小麦粉が必須であるが、その備蓄はもう底をつきかけている。
収穫まで後三カ月。かなり危ない綱渡りになるだろう。
小麦も収穫を前に畑の手入れ作業が必要だ。
かなり無理をして広い畑を何枚も用意した。王都近郊の空地の殆どが俺が手配した麦畑になっていると言っても過言ではない。
これら全てから納得のいく収量が得られれば少し楽になるが、その為にはしなければならないことがたくさんある。
何百年も使われていなかった、小麦の脱穀用品の買い取り、修理。
畑そのものも放置はできない。雑草を抜き、病を監視し、鳥害を防ぐ。
その為には人を雇う手配もいるし、彼らを監視する目も必要になる。
やらなくてはならないことは山詰み。
ここで今俺が王都を離れるのは悪手でしかないと解っている。
だが、それでもやはり、今でなくてはならない。
「一番の理由は砂糖だ。もう残りが殆どない。
取りに行かなくては今後の商売に差し支える」
うっ、とリードが反論の言葉を失くしたのが解った。
俺が預けられたカエラの砂糖はほぼ底をついた。
王都に僅かに流れて来る砂糖にも手を出しているが、それを使って正しく儲けを出そうとすると、小売り単価が五倍に跳ね上がる超高級品だ。
「加え、指示を仰がなくてはならないことが山ほどある。
時期をずらせと言われてもこれから、夏にかけて原材料の収穫時期も重なる。仕事が増える事はあっても減ることは無い」
「ですが…」
「なるべく、早く戻る。二週間は最大だ
なんとか持ちこたえてくれ。できる限りの手配はしていく。
留守の間、困ることがあればお前の判断で、金銭を含む必要な手段を全て使って構わない」
首から下げていた鍵をオレはリードに渡した。
「旦那様! これは…!」
この意味が奴なら理解できるだろう。
屋敷の奥の金庫の鍵。
そしてそれには俺が主から受け取って、肌身離さず付けていた精霊金貨だ。
「俺は今回、主になんとか頭を下げて、店を動かす為の人材を回して頂けないか、頼んでくるつもりだ。
正直、お前と俺だけではこの先を回しきれない」
それが一番の目的だ。
なんとかしてマリカ様のご出座を願う。
できなければせめてフェイ様に力を貸してほしい。
フェイ様は若いが高位の魔術師であることは解っている。
正直、王都にいる辻魔術師などとは比べ物にならない実力者の筈だ。
専属の魔術師が一人いれば食料の保存などにかかる手間も大幅に削減できる。
「色々と監視や注目の眼も増えている。
主は表には出られない立場の方でな。外の世界にその姿を晒すことは無い。
俺があの方の真実を明かした場合、死をもって償うと誓っている」
「旦那様!?」
「あの方はそれを望みはしないから、本当に最終手段だがな」
この不老不死の世界。
死は簡単に訪れるものではない。
それ故に、命を賭けた誓いの重さは、かつてとは比較にならない意味を持つ。
「多分、俺が店を離れるのはこれが最後だ。
主から今後における最後の指示を預かって来る。だから…リード。店と皆を頼む」
「私がこれを悪用し、店の運用資金全てを持って逃げる、もしくは店主の名を書き換えて店を乗っ取る、などとはお考えにならないのですか?」
「思わない。欠片もな」
ふと、笑みが零れた。
かつて、主…マリカ様に俺が似たようなことを言った時、あの方もこんな思いをしたのだろうか?
「まあ、お前が、店を切り盛りしてくれるなら、俺は楽になって良い。
主からは毎回、金庫に入っているくらいの運用資金は預けられてくるし、砂糖も持って帰って来る。
必要なら店をもう一軒作り直すくらいはまたできる」
元々0からのスタートだったのだ。何度だってやり直せる。
その自信はある。
自分には力があると。誰かの役に立てるのだと教えて貰った。
今にして思えば、死のうとした俺を助けるためのリップサービスもあったのかもしれないと思わなくもない。
けれど、差し伸べられた手。信頼の眼差し。
それこそが、魔王城で授けられた一番の宝だ。
「だから、遠慮と心配はするな。
儲けや売り上げが一時的に落ち込もうと構わない。どんな失敗をしてもお前と従業員たちが生きてさえいればなんとかしてやる」
だから俺もそれを贈る。
一度、命を捨てた事。
そこから救われたことを考えれば、どんな苦労も大したことではない。
「解りました。お預かりいたします。
必ずやお戻りまで、店を守ります」
「頼む。任せるぞ」
鍵を受け取ったリードの眼は、さっきより逞しい。
安堵する。
本当に心配など欠片も必要ないと解っていた。
こうしてオレは三日後。
可能な限りの手配をして、夜更け、こっそりと王都を後にした。
本当なら、ライオット皇子の帰還を待ちお話をしてから行きたかったが仕方ない。
周囲の尾行に最新注意をして門を潜った俺は、だから知らない。
俺が王都を出て一週間後。
大聖都から、こんな手紙というか、要請文が届いていた事を。
『パウンドケーキ 二個、焼き菓子、可能なだけ。
早急に 発送を願いたい。できれば店主持参にて。
ライオット』
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