い、いつの間に…。
私一人、いや魔王城の守護精霊、エルフィリーネと二人きりだと思っていた台所に気が付けばリオンがいた。
「いつ…帰って来てたの?」
「ついさっきだ。城に戻ったら、エルフィリーネが来いって呼ぶからなんだと思って来てみたら…その、マリカの…声が聞こえて…」
エルフィリーネ!!
責めようにも怒ろうにもエルフィリーネはいない。
『魔王城』に戻ってしまえば彼女を無理に形にすることは私達にはできない。
というか、そんなのは後でいい。
今、私がしなければならないのは、私の本心を聞いてしまったリオンと向き合う事。
なのだから。
「あ、あのね…リオン。さっきのは、その…ね」
「マリカ。ちょっと来てくれ。
話がある」
「え? …ってわああっ!」
真っ赤な顔のまま、私に近付いてきたリオンに手を握られ抱きしめられた、とおもったと同時、周囲の風景がぐらり、と揺らめいた。
足元が無くなったような、浮かび上がるような感覚はフェイの転移術と同じ。
で、トンと足が地面を踏んだと気が付けば、そこは魔王城の二階、バルコニーだった。
「リオン、こんなことできたんだ?
目に見える範囲しか跳べなかったんじゃなかったっけ?」
目を見開いていたであろう私に、リオンは照れたように肩を竦めて見せる。
「座標の確認が必要なだけだ。
魔王城の中なら隅から隅まで知ってる。
前は誰かを連れて跳ぶことは怖くてできなかったけど、今はもう守れる自信もある」
そう言えば、リオンの転移に普通の人が巻き込まれたら半端ないダメージを受けるとも言ってたっけ。
でも今はもう、フェイの転移術とほぼ同じ。
安心安全なフライトだった。
自分の『能力』を完全に使いこなせるようになってるリオンは、本当にあの戦いの後、『変わった』のだと改めて実感する。
「台所は、ちょっと真剣な話をするには向かないだろ。
ムードも無いしな」
「うん」
私は素直に頷いた。
バルコニーは、私にとって思い出のある場所でもある。
ここで初めて、リオンの本当の戦いぶりを見て、リオンが転生者だと知った。
一緒に魔性と戦ったこともある。
雪合戦したり子ども達と遊んだりもしたけれど。
リオンと…最初のキスをした場所も、ここだった。
「マリカ。聞いてくれるか?」
「…なあに?」
「ライオにせっつかれたんだ。自分の思いはちゃんと言葉に出さないと伝わらないぞって…」
紅い大きな夕暮れの太陽がバルコニーを朱色に染める。
その中央に立ち私を見つめるリオンも紅色。
頬がリンゴよりも紅くなっているように見えるのは、照り返しのせいなのか。
それとも違う理由なのか、私には解らない。
「俺は、お前が好きだ」
驚く程、静かなリオンの告白が私の耳に、心にはっきりと届いた。
高ぶるでも、荒ぶるでもない。
本当に真っ直ぐな、それはリオンの思い。
「『精霊の貴人』を守る『精霊の獣』だからじゃ多分無い。
俺が守れなかったマリカ様の転生だからでも、代わりでもない。
真っ暗な魔王城で、何もできなかった俺を導き、照らしてくれた太陽であるお前が、俺は好きなんだ」
「リオン…」
私自身を見て、私の欲しい言葉をリオンは、誠実に紡いでくれた。
リオンのことが好きだと、私が思うたび、いつも心の端に突き刺さるのは私では無い『精霊の貴人』の影。
リオンが私に優しくしてくれるのは、守ってくれるのは、私が彼女の転生だからではないか、という思いだったから。
「お前が、俺を『好き』と言ってくれた事。
兄妹ではなく、家族では無く、結婚を意識した男と思って見てくれたことに俺は今、ガラじゃないくらいに嬉しくて舞い上がっている。
でも…」
舞い上がっている、と言いながらも、リオンの眼差しは静かだ。
まるで凪いだ湖水のように波立つ思いは見えない。
何かを諦めているかのようだ。
「でも?」
「これを隠しておくのは不公平だからはっきりと言う。
俺と生きる事を選んだら、お前の夢は叶わない」
「え? 夢?」
「言ってただろう? いつか、ティラトリーツェ妃のような母親になりたいと。
でも俺と、お前が身体を結ぶことはできない。
子どもを作ること、母親になることは叶わない」
「どういうこと? エルフィリーネは『星』は私達が結ばれることを反対はしないだろう、って言ってたよ」
さっき、確かめたばかりの事だ。
リオンはもしかしたら知らないのかもしれない。そう思って言葉を紡ぐけれどリオンは静かに首を横に振る。
「俺は人間の形をしているだけの精霊だ。精霊は本来性別を持たない。
性的欲求はほぼ無いし、異性に対しても同性に対しても興奮も、欲情も基本しない。
多分、必要ないから、なんだ。
男性形態をしているのも、戦闘を行うのに有利になるよう作られているだけで、女性と肌を合わせてもおそらく、子どもを作れない。
マリカに家族を作ってやること、母親にしてやることはできないと思う」
「でも…それは…」
「それにできたとしても『精霊の獣』が女性を抱いたら。相手に精霊の力を注いだら、どうなるかも解らない。
もしかしたら濃すぎる精霊の力で、相手を死なせてしまうかもしれない。
だから、俺は生涯…誰も抱かないと決めている」
「リオン…」
哀しい決意はおそらく、今決めたコトではないのだろう。
長い、長い五百年の転生の中で己に科し守り続けて来たこと。
確かにエルフィリーネも言っていた。
『精霊の獣』が誰かと交わった時、何が起きるか解らないと。
「『精霊の貴人』には多分、そこまでの危険はないと思う。
人間の器と『精霊の貴人』なら『精霊の貴人』の方が圧倒的に強いから。
『星』が許ぜばマリカには人間相手の方がまだ、子どもを授かる可能性もある」
リオンは優しい。優しすぎるくらいに。
私の事を、いつも自分を大切にしろと言うくせに、自分の事はいつも、リオンは棚に上げて後回し。
下手すれば己の身を捨てて私達を守ろうとする優しくて哀しい『勇者』
「それを知っても、マリカは俺を選んでくれるか?」
「…選ばない、って言ったらどうするつもりなの?」
「マリカが本当に好きな人ができるまで、婚約者としてお前を守る。
言い寄る悪い虫は全部蹴散らす。
そしてマリカが選んだ相手が、お前を守れる存在だと解ったら…婚約を解消して皇家の一騎士としてマリカとそれに連なる者を命がけで…守る」
寂しそうな瞳で、揺れる眼差しで、でもはっきりと決意を込めて告げるリオンを見て
「…バカ…」
「マリカ?」
私はもう頭で考えてはいなかった。
リオンの元に駆け寄るとリオンの首元に飛びつく。
狼狽えて下がった首を手元に引き寄せて、此方を向かせると抱き付いて唇を塞いだ。
「!」
ああ、この感触は好きだ。
柔らかくて暖かいリオンの唇に唇で触れると、ダイレクトに彼の思いが伝わってくる。
戸惑いと驚き、そして喜びが、はっきりと感じ取れる。
そしてこんな時でも、背伸びしてバランスの悪い私を、支えるように視線と身体を下げるリオンは本当に優しすぎると思う。
獣、なんて誰が付けたんだろう。
「別に、肌を合わせる事だけが結婚じゃないでしょ?
お互いに好きで、大切に思って、守りたいって感じて、一緒に生きたいと願えば、それでいいと思う」
リオンを思う存分味わって、唇を離した私をリオンが見つめる目はまだ不安げだ。
「子どもが欲しい、家族を作りたいって気持ちはあるけれど、そんなのは血が繋がってなくってもできるもの」
「本当に…俺を選んでくれるのか?」
「うん、私も、リオンのことが好きだから。
家族になるのならリオンとがいい」
お父様にも言った。
この世にリオン以上の勇者がいる訳はない。
それに勇者であろうと無かろうと私は、リオンが好きなのだから、身体を合わせられるかどうかなど些細な話だ
そもそも子どもの身で、身体を合わせるとか考える必要もまだない。
「でもリオンはいいの? 知っての通り、私、我が儘だよ。
リオンの足かせになるし、逃がさない。
リオンが私を好きだって言ってくれるなら遠慮しないで甘えるよ」
「ああ、それでいい」
お互いに朱色に染まった顔を見ているのが気恥ずかしい。
一度離した唇が、身体が、心がもう一度重なり、合わさった。
今度はどっちが先に動いたかが解らない。
でも、そんなのはもうどうでもいい。
大切なのは、気持ちが通じ合ったってこと。
唇を重ね合わせるだけの、子どものキスだけれど満たされる。
本当に、幸せな、いつまでも味わっていたい、ずっと、一緒にいたい。
そう、感じていた。
リンゴ、この世界で言うならサフィーレのような爽やかな幸せを思う存分堪能して、私達はリオンとマリカに戻る。
気が付けばいつの間にか、日もすっかり落ちて、空はリオンの瞳のような漆黒に染まっていた。
「しまった! お料理放り出したまんま。早く戻らないと!
リオン。お願い」
「承知しました。姫君」
私は当たり前のようにリオンに手を指し出し、リオンは小さく笑って応え手を握った。
ふと、私とリオンの間に小さな光が煌めいて、手のひらに落ちて来る。
「え? 何?」
それは指輪だった。多分、カレドナイト。
真っ暗になった中に蒼く輝く光は小さな星のよう。
「エルーシュウィンの奴…」
リオンは小さな小さなそれを、スッと手に取ると私の指に填める。
まるでサイズを計って合わせたかのようにそれはぴったりと私の薬指に合っていた。
「これって?」
「男なら婚約者に指輪の一つも贈れ、ってことだろ。
いずれちゃんとしたのを考えるけど、エルーシュウィンがお前を守る為に分けてくれたんだ。
暫くこれで我慢してくれないか?」
「え?」
リオンの守り刀が、自分の刀身を削って作ってくれたのだろうか?
私の為に?
「なら他にいらないよ。これだけでいい。
リオンをずっと見守ってきたエルーシュウィンがくれたんだもの。これだけで、十分」
カレドナイトの婚約指輪。
精霊の思いやりを私は胸に抱きしめる。
「ずっと、一緒にいてね。私のリオン」
「ああ、約束する。ずっと一緒にいよう」
夢見るような、語彙力で飾ることもできない真っ直ぐな子どもの約束。
でも、私達はこの時本当の意味での『婚約者』になったのだ。
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