マリカがサークレットを額に乗せた瞬間、それは発生した。
バチン!
マリカの周囲で閃光が弾け、額冠がマリカごと激しく光り輝いた。
サークレットの中央、緑柱石の中央に黒点が浮かぶ。
まるで額に穿たれた瞳の様に。
「あ! うああああああっ!!!」
空気を劈く悲鳴が轟くと同時、マリカの身体が金色の燐光を放つ。
あまりにも神々しく、あまりにも、禍々しい光に。
誰も、何が起きたかも解らぬまま僕らはその様子を一瞬、魅入るように見つめていた。
大神殿
『神』より『聖なる乙女』マリカに預けられた額冠。
サークレットの検証の場に立つを許されたのは本当に限られた存在だけだった。
元皇女であるアドラクィーレが語るアーヴェントルクの秘事の事もあり、食事を終えた小応接間。
残り入ることを許されたのは三組の皇子夫妻と皇王夫妻。
マリカの皇族の他は、マリカの護衛、リオンとカマラ。
そして僕と宮廷魔術師、文官長だけだ。
他の者達は必要な時に呼ぶと、控えの間に待機している。
アルケディウスという国の中枢たる者達の前で、それは起きた。
まずはサークレットを置いたマリカの頭上で小さな光が弾ける。
これは最初、拒絶の閃光だと思われた。
神の冠は、やはりマリカをも拒絶したのだと誰もが思ったのだ。
けれどそれは逆だとすぐに解る。
マリカの額に乗せられたサークレットは、奇妙な音を立ててながら、マリカの頭にピッタリと填まった。
むしろ冠の方からマリカの頭の大きさにその身を合わせたような気さえする。
次の瞬間、
「イヤ!」
マリカの悲鳴が響き渡る。
「マリカ!」
「止めて! 私の中に入ってこないで!!」
頭を押さえ呻くマリカの元に二つの影が弾ける様に駆け寄った。
リオンとライオット皇子だ。
「マリカ! しっかりしろ!」
僕も我に返り側に向かう。
その時には後ろから抱き留め、マリカを支えたリオンは前についたライオット皇子に叫んでいた。
「ライオ! サークレットを外せ!」
「解っている。だが…なんだ? びくりととも動かないぞ!」
ライオット皇子が細いフレームに手をかける。
けれども本当に、頭に根を張ったかのように。
鍛え上げられた戦士の怪力を前にしてもサークレットは曲がりもせず、場所を動かす事もしなかった。
「は………あ…ああっ!」
ぴくぴくと痙攣を続けながら荒い息を吐き出すマリカの額に貼りついたサークレットはさらなる光を放った。
同時、その場にいた全員が目を向く。
「な!」
「あ、ああああっ!!」
マリカの黒髪が、サークレットの触れている場所から金を帯びる。
「なんだ、これは?」
見えない筆がマリカの髪を染め変えていくように瞬きの間にマリカの頭部は、昏き夜から眩い昼へとその輝きを変えていた。
「何が起きているのです?」
「マリカ?」「しっかりしろ!!」
『少し…黙れ』
バチン!!
「くっ!」「な、なんだ!」
再び弾ける閃光、いや稲光にも似た電撃がマリカに触れていた二人を弾き飛ばす。
電撃はマリカ自身も焼いたのか。
「あっ…」
サークレットを押さえ、何かに抗っていたマリカの手も身体も力なく崩れ落ちる。
地面に膝から倒れ伏す筈の身体はリオンが必死に手を伸ばし支えた。
でも…
「な、何だ。一体?」
実際は支える必要は無かったのかもしれない。
次の瞬間、マリカの身体は高く、まるで重さを持たない羽の様に、あるいは翼を持つ鳥の様に。
大地の軛に逆らい空中に浮かんでいたのだから。
テーブルも、椅子も、気が付けば消え失せていた。
人以外の物が無くなったその場で、重い声が紡がれる。
『控えよ』
空中に浮かび立つマリカの額で青白い燐光を放つサークレット。
その中央。
緑柱石の黒点がぎろりと、音を立て蠢くと同時、細く、瞳孔を持つ目玉となって輝く。
輝きに合せるかのように、一際大きな電撃が重い声と共に部屋中に散り爆ぜた。
「くっ!!」
頭から足先まで、全体に雷に打たれたかのような衝撃が奔る。
気をしっかりもっていなければ、膝を付いてしまいそうだ。
「キャアア!」
「うわあっ!」
事実、悲鳴を上げて王子妃や皇王妃が膝をついている。
第一、第二皇子も。カマラと王宮魔術師もだ。
かろうじて立っているのはライオット皇子とリオン、僕に文官長。
そして、マリカの前に怯む事無く立ち睨む、皇王陛下だけだった。
『控えよ。人の子よ』
澄んだマリカの、少女の声では無かった。
形容しがたいが…それは間違いなく男性的な特徴をもった、誰もが頭を上げられない程に重量感のある上位者の声であると感じる。
やがて閉じられていたマリカの瞼がゆっくりと開く。
マリカの瞳の色は深い紫色。
けれど、今、その瞳は額の緑柱石と同じ、深い緑に。
何物にも侵されない碧に変わっていた
『伏して、拝せ。
我こそは汝らが『神』と呼ぶモノ』
「何!」
『お前達に不死不滅を授けた全能の支配者である』
誰もが声を出す事さえできない。
嘘だ、と言葉を紡ぐことさえできなかった。
もはやサークレットからだけではなく、全身から放たれる黄金の光。
そして気力を込めて抗わねば、指先一本動かせないような圧倒的な迫力と威圧感。
対峙しているだけで震える膝が、全身が。
彼女の口から紡がれた言葉が事実であると告げていた。
『何をしている!』
ぶわりと、空間を飛びぬけるようにいきなり空中に白い塊が現れ、リオンの方に飛び乗る。
「精霊神!」
精霊神、とリオンが呼んだのはマリカが授けられたプラーミァの精霊獣だ。
額の宝玉を紅く輝かせ、その瞳は不思議な光を宿している。
白く毛玉の様な愛らしい姿からは想像もつかない男性的な声で、『彼』はリオンを叱責する。
『お前がついていなかがら、何故あれをマリカに身に付けさせた?』
「あれ? やっぱりあのサークレットのせいか? あれは一体何なんだ?」
精霊獣、と聞いていてもまさかしゃべるとは思わなかった。
目を丸くする僕を他所に、リオンは焦る様子もなく逆に問いかける。
『まだ、解らないのか?
あのサークレットは『神』とこの世界を繋ぐ端末だ。
マリカがサークレットを身に付けている限りあの方は、彼女を依代にこの世界に力を発揮できる』
「何!」
『ほう…。アレーリオス』
リオンと精霊獣の会話にそれは顎をしゃくるように目線を下げた。
『マリカ』を見やり、精霊獣は獣のすがたとは思えない程はっきりと、何かを噛みしめるような声で応える。
『…お久しぶりです。我らが長よ』
『貴様、どうやって私の枷を外した? ああ、この娘だな』
返事を待たず一人納得したように浮かべる笑みはマリカの形をしているのに明らかに異質なものを漂わせている。
『この娘は素晴らしい。
五百年待っただけのことはある。
真正の『乙女』
『星』が作り上げた最高傑作。
この娘を手にした今、今度こそ私は『あれ』からこの星の全てを奪い取れる』
「ふざけるな!」「マリカを離せ!」
その中で、やはりまた動く二つの閃光。
ライオット皇子とリオンが、マリカに、いやマリカの姿をした者に飛びかかる。
『下がれ、無礼者!』
「うっ!」「うわあっ!!」
軽く手を動かしたようにしか見えなかった。
けれどもその一撃で、この国最高の戦士二人はなす術もなく弾き飛ばされたのだ。
精霊獣も一緒に…。
『まったく、貴様らは…』
為す術もなく地面に転がされる二人と一匹。
呻く彼らを呆れた様にそれは、見下す。
『いい加減、遊びを止めて我が軍門に下り戻ればいいものを。
いくら諌められてもまだ解らぬようだな』
「俺は!」
何かを言いかけたリオンをライオット皇子は一本の手で諌めて『神』と名乗ったものを睨み付ける。
「あの時もその後も言った筈だ。
歪んだ不老不死、虐げられる子ども達。
そんなものを俺達は平和な未来として望んだ訳ではない。貴方は間違っている、と…」
『誰もが死の苦しみを味わうことなく、永遠に愛する者と生きる事ができる世界を間違っているというのか…。五百年の時をくれてやってもなお、それは変わらないのか』
呆れた様に息を吐き出すとそれは視線を動かした。
『お前らも同意見か? そして、変わらず私に叛旗を翻すのか?』
お前ら、と向けられた視線の先にはリオンとその肩にいる精霊獣がいる。
彼等はどちらも口を堅く引き絞るように閉じ、目を背けていた。
『相変わらず、愚かな子ども達だ。
やはり『星』が選んだ道は間違っている』
まるで出来の悪い奴隷を躾ける主のような目で
『これは、私が正してやらねばなるまいな…』
「ぐっ!」「うわああっ!」
「ライオット!」
マリカの身体が軽く手を翻す。
と同時皇子とリオンが呻き声を上げて地面に這いつくばった。
目には見えない。
けれど、解る。
彼等の頭上に、圧倒的な圧力をかけられたことが。
こうして側に居るだけで呼吸も許されないような『神』の怒りが二人を押しつぶしている。
ここに至り、僕は。
いや、僕だけでなくこの場にいる全て者が理解していた。
理解させられていた。
目の前に在るのは『神』
この世界に不老不死を齎した今現在の星の支配者。
それがサークレットを通して、マリカに降り、その身を使い僕達の前に立っているのだ。
と。
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