その声は耳から聞こえた音ではない、と断言できる。
身体が痺れ、動かない。
重い圧力を頭上からかけられているような気分だ。
そして、頭の中、その内側から声が響いてくる。
「どうなさったんですか? お父様」
マルガレーテや俺達の様子に気付いたのだろう。マリカが駆け寄ってきた。
「マリカ……お前には聞こえないのか? この……声が?」
「声? は、はい。まったく。何か聞こえたのですか?」
「聞こえた、ではない。今も聞こえるのだ。頭の中に……怪しい声が。こ、これは……」
「怪しいとは失礼な。臥して頭を垂れなさい。
『神』の御諚ですよ」
真っ先に膝を折って、手を祈りに組む公子妃マルガレーテ。
その姿は真摯で、まるで聖女のようだ。
『子らよ。審判の時だ』
重く、深く、強いこの声に俺は覚えがあった。
幾年経とうと忘れるものか。
俺から友を奪った『神』の声。
俺と、マリカ。アルフィリーガ以外の者達は、皆、マルガレーテに習い跪いてる。
カマラでさえ、押しつぶされそうな圧に抗いつつも、膝を落としていた。
俺はマリカとアルフィリーガの手を左右に握る。
前にマリカが話した通り、人の体の中にある『神』の力が不老不死を作り出しているのなら、この声は『神』の力を通し、奴が語り掛けているのかもしれない。
聞こえるか、聞こえないか賭けだが、もしかしたらこれで通じるかもしれない。
『勇者アルフィリーガが命とその身を賭してお前達に与えた不老不死。それは間もなく失われることだろう』
再び頭に走る声の響きに、二人がハッと顔を上げる。
どうやら聞こえているようだ。
『全てのモノに永遠は存在しない。
魔王と勇者の身体と、命を賭した術は五〇〇年の時を経て風化しつつある』
「な、なんだと!」「何故、そんな事が?」
騒めく応接室。
場内の身ならず、外の喧騒まで聞こえてくるようだ。
驚愕を表情に浮かべているのはアリアン公子と、その従者が主。
ヒンメルヴェルエクトの大公は、国王会議で話を聞いていた為か、神妙な顔つきをしている。
『お前達が選べる道は二つしかない。
不老不死を失い、元の定命の運命を受け入れる。
そして、新たなる犠牲を差し出す、だ』
「犠牲?」
呟いた公子に答えたわけでは無い様だ。
だが、誰もが思った問いに答えは直ぐに帰った。
『アルケディウス皇女にして大神官 マリカを我が元に捧げるが良い』
「えええっ!」
マリカの悲鳴と同時、部屋中の目視が全てマリカに集まる。
獣を狙う猟師のような。
俺はマリカを胸元に抱き寄せた。
リオンは短剣を引き抜き、オレとマリカを庇うように彼らの前に立ち塞がっていた。
『各国の『精霊神』を蘇らせてきた『真なる乙女』
その命と祈りがお前達に救いを与える事だろう』
やはりそう来たか。
予想通りで怒りを通り越して笑えてしまう。
『決断するがいい。
三日後。
再び問おう。
貴様らの選んだ答えを。
マリカの血と命を神に捧げるか。それとも不老不死を失うかを』
話は終わった、というように消え去る声と共に、身体を縛る負荷も消えた。
「今のは……一体?」
皆が呆然とする中、俺の顔をマリカが見上げた。
随分と大きく、女性らしい体つきにはなったが、まだ細くて小柄。腕の中にすっぽりと納まってしまう子どもだ。
なのに、ここまで星の命運を背負わせられるのか?
「『神』からの宣戦布告だな。お前達の中には自分の影響力がある。
いつでもお前達に介入できるのだと、言いたいのだろう」
俺はマリカをぎゅっと抱きしめ、引き寄せた。
ヒンメルヴェルエクトの男達。
マリカを見つめる瞳の多くは、どこか血走っている。
「ライオット皇子、マリカ皇女を御放し下さい。
皇女にはこれから、大陸と、その全ての命運についてご理解頂ければならないと思います」
そう、言って手を指し伸ばしてきたのは公子アリアンだ。さっきまでは妻の行動に引け目を感じて神妙にしていたのに、今はどこか強気な眼差しをしている。
「ならん。こいつは大神殿に戻し、保護する。
大陸の命運をマリカが背負うというのならなおの事。その身を一国に預ける訳にはいかぬ」
「しかし、大聖都も、神官長も彼女の手の内でしょう?
逃亡されてしまっては、元も子も……」
「失礼いたします! 緊急事態でございます!」
アリアン公子はなおも食い下がろうとするが会話を遮る伝令の声が響く。
これは解っていたことだ。
さて、ここからどう転がるか……。
「どうした? 何があった?」
「国の各地に、魔性が現れて『人』を襲っています」
「なんだと!」
「魔性の爪や刃を受けると、不老不死者でも傷を負うのです。
民は、さっきの『宣告』も合わせて、大混乱で……」
「! 皇子、皇女! 貴方方はこの事態を予測していたのか?」
報告を受けた公子の顔色がさらに血の気を失う。
彼が言っているのは昨日の夜、通信鏡を通して大神殿から告げられた警告のことだろう。
『近日中に魔性が増大。人に害をなす可能性があります。
各国におかれましては、警戒を高めて頂ければ幸いです』
警告は全ての国に送られた。その後、どう対処、準備をしたかはそれぞれの国次第だが少なくとも、アルケディウスとプラーミァ、それからアーヴェントルクは第一級の警戒態勢を敷いていると確認した。
既に対応に動き出している筈だ。
「予測ではなく、『精霊神』からの予言だ。『神』の与えた不老不死が失われ、魔性が力を増すであろう。と。既に国王会議で周知されている」
「父上!」
「話は後だ。アリアン。今は民と国を守るのが優先」
責め立てる息子を気にも留めず、ヒンメルヴェルエクト大公は俺達に膝を折る。
「マリカ様。本日は多大なるご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。
皇子がおっしゃるとおり、一国が抱えるにはやはり、マリカ様の存在は重すぎます。
どうか、大神殿にお戻りになり、その所在を明らかにしておいて頂ければ幸いです」
「解りました。そうします。
……お父様」
俺が守りの手を緩めると、マリカはそっと、カテーシー。
退去の挨拶をした。そして
「マルガレーテ様」
公子の背後に身を隠し、震える妃に、顔と声を向ける。
「『神の国』は確かにこの世界よりも、便利で過ごしやすい国であったとは思います。
ですが、時の流れは決して戻りません。
失われたものを、完全に取り戻すことは、『神』であれきっとできないと存じます」
「…………」
「私は、それでも失ったものを取り戻そうと足掻くより、新しい世界をより良くする方が建設的だと思うのです。
これから、少しずつですが世界は変わり、生き易い世界になっていくと存じます。
そうなるように、今まで努力してまいりました」
「マリカ様……」
「叶うのであれば、マルガレーテ様におかれましては、『帰る』ことだけを考えるのではなくこの世界をより良くできるように助けて頂きたいです。
孤児院を引き受けて頂いた時のように」
彼女の返事を待たす、マリカは踵を返し部屋を退室。
その足で、ヒンメルヴェルエクト神殿の転移陣を使い、大聖都に戻ってきた。
ヒンメルヴェルエクトでも、大神殿でも不老不死者達がマリカを見つめる。
転移陣から出たマリカを女神官長、マイアが出迎えた。
「マリカ様……ご無事のお戻りお喜び申し上げます」
人々と同じ、どこか狂気を宿した熱視線で。
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