魔王城 マリカの寝室。
静かに眠る彼女の横に、ふわりと誰かが舞い降りた。
夜目にも輝く虹の銀髪、整った容姿は彼女が人では無い者だと知らせている。
彼女は精霊 魔王城を守る守護精霊である。
無論、他に見る人間は誰もいないけれど。
彼女が手を伸ばすと、瞬きの間。
部屋の様子は様変わりした。
寝具も家具も全てが消え失せた純白の空間に、浮かぶマリカ。
部屋の変化にも、自分の移動にも気付く様子は無く目を覚ましそうな気配はない。
その安心しきった表情を見つめ、小さく微笑した精霊は再び手を伸ばす。
白い空間から、うにょりにょろりと、金の触手めいた無数のラインが引き出されていく。
銀の精霊の合図の元、それがマリカに向けて放たれ触れ始めた。
その瞬間だ。
『お前、マリカに何をしているのだ?』
人が入れる筈も無い聖域内でかけられた声。
言葉に反して纏う雰囲気は、決して責めるものではないと解っているのだろう。
慄くそぶりも見せず。
お前、と呼びかけられた精霊は呼びかけた白い毛玉に首を垂れる。
「アーレリオス様。
お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」
深夜。
誰も知らない精霊達の内緒話
白い毛玉は軽く身体を揺すりながら、姿に似合わぬ野太い声で頷いて見せる。
『ああ、確かに久しぶりだ。
エルフィリーネ。
こうして直に会って会話するなど、我らがこの星に降り立って以来ではないか?』
「そうですわね。
あの後は、皆様、それぞれの地に散られてしまわれましたから…」
二人の会話は気心の知れたもの同士なのだろう。
親し気で楽しげに聞こえる。
『まだ『星』は目覚められないのだな?』
「別に眠っている訳ではございません。
眠る暇も無いともうしましょうか」
彼女の声には微かな憂いが見える。
「あの方は、今も、この世界を、子ども達を守っておられます。
ですが、たったお一人でこの星全ての精霊を支えておいでなのです。
『神』に星の循環を奪い取られてなお、自身の全てを使って。
あの方は今やこの星の中枢、
よほどの事がない限り、自ら動かれることはないでしょう。
今迄も、これからも…」
大きく息を吐き出す白い毛玉。
その間にも金の触手は空中に浮かぶマリカの身体を包んでいる。
静かに触れ、耳や手足に繋がっていく仕草はそっと、壊れ物を扱う様に優しい。
『もう一度、聞く。
マリカに何をしている?』
「単なる機能調整と洗浄です。
『神』がマリカ様に侵入し、一度は支配したのでしょう?
除去されたとはいえ、痕跡が残っているかもしれない。確認せよと、『星』の仰せですので」
触手の用意ができたのか、微かな光を帯びて輝き出す。
と同時、マリカの身体も薄く発光し始めた。
身体のあちこちが時折光が集まり、微かに痙攣しているのは、体内に潜んでいた残滓が焼かれているのかもしれない。
『『神』か…』
思い出す様に毛玉が息を吐く。深い吐息には微かな憐憫が見える。
『全く、何故あの方はああも変わってしまわれたのか?』
「変わってはおられないのだと思いますわ」
『?』
「私達から逸れ、一人彷徨っておられた間もあの方は変わらないかった。
むしろ変わったのは私達の方。
『約束』を捨てた。『子ども達の手を放した』
あの方はそれが歯がゆく、許せないのでしょう」
『なるほど。だから…か』
「ええ。
自分こそは『子ども達を守ってみせる』『約束を果たす』
それこそが責任、それこそが正しいと今も信じているのだと思います」
『相変わらず頭の固い事だ。
いつまでも変わらぬモノなど無い。『子ども達』はいずれ変わり、我らの手を離れ、飛び立ってくものだ』
「それを認められない、認めたくないのでしょうね」
誰の声も聞かぬと、仲間であった者達を封じ、背を向け、ただひたすらに『子ども達』を守り続ける『神』
「あの方も一緒にこの星に降り立っていたら、どれほど楽だったかと『星』は良くおっしゃっていたのですが」
『そうであれば、今と世界の形は異なっていただろう。マリカやアルフィリーガも生まれなかった。
私はなんだかんだで、今代を気に入っている。
我らが言う事では無いが、これも運命という奴だ』
「本当に、私達が言う事ではありませんわね」
くすくすと笑って見せる魔王城の守護精霊。
触手に繋がれ、空中に浮かぶマリカを、彼女は眩し気な眼差しで見つめていた。
「…私達自身も、気付かなかった。
いいえ、忘れていましたもの。生まれ、成長し、変わっていく。
それがどれほどに輝かしい事かを。
思い出させてくれたのがアルフィリーガであった、というのも皮肉な話ですが」
「故にマリカが生まれた、という訳か」
「はい。
アルフィリーガにも苦労をさせてしまっていますが、精霊を最初から完成体で生み出すのを『星』はお止めになったのです。
不完全で弱い時期があってこそ、努力し、成長し、自らを高めようという意志は『作られた精神』であっても生まれるのだと」
『その意図、解らんでもない。
最初は効率が悪いと思っていたが、実際に二人を見てみれば納得しないわけにもいかないな』
「はい。アルフィリーガとマリカ様はその証明。
数十回の転生を繰り返して来たアルフィリーガの精神と技術は、我々の想像を超えるレベルにまで上がり戦闘型精霊としては最高位に位置するでしょう。
『星』が与えた肉体が完成すれば『神』とて本体をもって対せねば抗えぬ程に。
マリカ様もまた歴代の『精霊の貴人』最強の力を今の時点でもっています」
「確かにな。あの幼い身体で『精霊神』を封じる『神』の封印を壊したのだ。
行く末が恐ろしい」
しゅるりと、仕事が終わったのか触手たちが消えていく。
「『星』はずっと案じておられました。
子ども達の成長を見守るだけでなく、何かできないかと。
自由意思を尊重しつつ、正しい方向に導く。
その為にマリカ様は、原点に返った調整をされて今代、世に齎されたのです。
『星』の精霊二人が揃って、それでも『星』の力を奪い返せなけないのであれば、この星は本当に終わり。
でも、逆に『神』を倒し、星を取り戻せれば子ども達は新たなる進化を遂げるでしょう」
エルフィリーネは目を静かに閉じた。
それは『星』の意思が彼女の口を借りて紡がれているようにさえ思える。
「五百年あったのです。『神』ももう気付いておられる筈。自分一人では望む未来に辿り着けぬ事が。
『星』の力が無くては帰る事も、元に戻す事もできぬのだと。
だから、マリカ様を欲してあらゆる手を使ってくるでしょう」
『やはり解っては下さらないのだろうな。
もはや、我々の『旅』は終わった。
この星こそが、我々の、そして子ども達の新しい故郷。
帰り、元に戻すことだけが『子ども達の幸せ』ではない。と。』
「ええ。解っては下さらないでしょう。きっと…。
託された思いを切り捨てられない。忘れられない。
あの人は本当に真面目で、頑固で、優しくて…わからずやですから…」
寂しげに微笑むエルフィリーネは顔を上げる。
一瞬浮かんだ、寂しげで愛し気なものを見る眼差しはもう見えない。
「だから『星』もようやく『決別』の覚悟を決められたのです。
ただ、ぎりぎりまで『あの方』と『子ども達』を見捨てない方策を『星』は探しておられます。
アーレリオス様、そして皆様もどうかお力をお貸し下さいませ」
『ああ、できる限りの事はしよう』
ふわりと、マリカの身体がエルフィリーネの腕の中に移動し、抱かれる。
アーレリオスは、その光景に不思議な既視感をもつ自分に驚いていた。
聖者の屍を抱く聖母
そんなものがまだ自分の記憶領域の奥に残っていたとは。
「アーレリオス様」
『なんだ』
「マリカ様、アルフィリーガもですが、二人の思考、記憶野には『星』により封印妨害がかけられています。
気付いてしまったことは止められませんが、答えに気付くことが少しでも遅れるように。
くれぐれも秘密を溢す事のないように」
『ああ、解っている』
エルフィリーネは無邪気に眠るマリカの額に手を当てる。
不思議な光が、放たれ、マリカの中に吸い込まれるように消えた。
「最終的には『星』も『神』もマリカ様やアルフィリーガに求めることは同じと言えば同じなのです。
であるならせめて、その時までは彼等に自由でいさせてやりたい。
そしてその時が来たとしても、お二人の心が、大切なものが失われないようにしたい。
『星』はそうお考えです」
『その気持ちは解るし、納得できるが、ならば洗浄はアルフィリーガの方が先ではないか?』
白い獣は頭を上げる。
彼が見つめるのは『星』と『神』の狭間に立つ少年精霊。
その危うさは、最初に出会い記憶に侵入した時から感じていた。
『あの汚染濃度と変質は…。
『降臨』の時も私が側にいなかったら危なかったぞ』
「自分の意志で取り込んでしまった後では、私にはどうしようもできません。
あの子は元から存在自体が綱渡り。
今の私にできるのは、向こう側に落ちないように、奪われないように。戻らないように。
マリカ様やこちら側の皆を、そしてあの子自身を信じる事だけです」
マリカの髪をそっと撫でる優しい眼差し。
自分一人では何もできない。外に一切の介入ができない。
権限を与えられていない精霊のそれは正しく祈りにも似た願いだった。
『…解った。ならば私も信じるとしよう。
そして可能な限り側に居て、侵食を妨害する。
皆との連携回路も早めに構築して『神』に対抗する手段を構築して見せる』
「お願いいたします」
フッと、瞬きの間に白い空間は、元のマリカの部屋に戻り、少女は帰った。
自分の居場所へと。
「貴方が来てくださって、助かりました。
本当に色々と心強いです。今後とも宜しくお願いいたします。
アーレリオス様」
少女を寝台に戻し、寝息を確認する。
自らの優先タスクをしっかりとこなして後、
優雅なお辞儀をするエルフィリーネに、ああ、と白い獣は頷きを返す。
『『星』によろしくお伝えしてくれ。
我々は、少なくとも、私は。
我々を受け入れてくれたこの星と、星に生きる子ども達を愛し、守っていく。とな』
彼の誓いに花の様な笑みをこぼして精霊は消えた。
もうその姿はどこにも見えないけれど、きっと見守っているのだろう。
主たる『星』と同じように。
子ども達を。
白い獣は大きく伸びをすると寝台に飛び乗り、もそもそと布団の中に潜りこみ、少女の横で目を閉じた。
彼女が朝、目を開いた時に、少しでも暖かいぬくもりを感じるように。
それは全てを知る、優しい精霊達の内緒話。
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