タシュケント伯爵家の家令 フリントと名乗る男性は外見年齢四十代半ば。
色目の強いヘーゼルの髪に黒い瞳、執事というより副官、軍師という印象を受ける。
社長の名代として全権を預かりバリバリと仕事をこなしていくやり手秘書という感じだろうか。
だが、私はそんな分析をしている余裕はその時、全くなかった。
彼の言葉にガツン、と頭を殴られたような気持ちになっていたからだ。
「捨て子…ですか?」
吐き出すように紡いでしまった言葉の後
「な、何かのお間違いでは?
私はゲシュマック商会で養い親に育てられており、親の顔も知りませんが主人であるガルフは、身元は知れていると…」
そう続けて、とりあえず場を繋いだことは褒めて欲しい。
そのままだったら、認めたと、言質を取られてしまっていたかもしれない。
けれど彼は、そんな場繋ぎを信じている様子は無かった。
バカにしたように鼻を鳴らすと、私にたたみかけて来る。
「では、どこの、誰の子だ? はっきりと確認できるのか?」
「それは…成人するまでは知らせぬと、主人が…」
「ゲシュマック商会で育つ様になってどのくらいだ? その前の記憶は?」
「子どもですのではっきりとした年月の記憶は…ですが、三回~四回は冬を越したと思います」
「…そう言え、と命じられているのか? 実は越した冬は二回ではないのか?
その前は貴族家で働かされ、連れ出されたのではないのか?」
「ですから、何の事でしょうか!? 私にはまったく意味も状況も解りません!」
あんまりの決めつけの態度に私が声を荒げたのを見て、彼は息を吐くと、抱えていた包みを手近なテーブルに広げて私を見やった。
来い、と呼んでいるのだろう。
椅子から立ち上がり、近づいたテーブルの上、私とザーフトラク様が見たものは、純白で小ぶりな風呂敷のような布と
「これは…おくるみ?」
同じ布で作られた、多分、おくるみだった。
生まれたばかりの赤ちゃんを包む、あの…。
「今から十年ほど前、貴族街の森の中でこの布に包まれた赤子が見つかった。
場所的には王宮から少し離れた第三皇子の離宮近く、だろうか?
私が見つけたのは本当に偶然だ。たまたま、第三皇子家に用事があり、仕事の後、ふと何かに呼ばれた気になり森に入って程近くで赤子を見つけた。
普通であれば捨て子など気にも留めぬところであるが、赤子を包む布といい、そして一緒に包布に一緒に入っていた品といい、何か訳ありであろうと思われた為、拾い上げ主家へと持ち帰った」
「その、品というのは?」
「告げる事はできぬ。当の子ども以外には。
だが、大貴族である主も目を剥く、とんでもない品であったということだけは言っておこう。今の世にこのようなものが本当に存在しうるのか、と思う程の宝物。奇跡の品であった」
私は、そっと布に触れてみた。
手触りは滑らか。艶や輝きも、シルクに似ている。
けれども、触れるとふんわりと柔らかく、暖かい。
「これは…精霊上布、か?」
「精霊上布??」
「特別な虫の繭から採れる高価で美しい布だ。
昔は精霊でなければ作れないと言われ、そう呼ばれていた。今はシュトルムスルフトなどでも生産されているがここまで厚手で、滑らかで美しい上布は王宮でも滅多にお目にかかれないぞ」
多分、向こうの世界で言う所のシルクのようなものなのだろう。
ザーフトラク様が言うまでも無く、高級品だということが一目で解った。
こんな布で包まれた赤ん坊なら、確かに訳ありだと思われても仕方ない。
胸が不思議な熱を帯びる。
これに包まれて…私は?
「大貴族や貴族にそれとなく当たってみたが、産まれてまだそれほど経っていないと思われる子を知る者はなく、主はその子を家人とするようにと命じられた。
その後、娘は館の下働きとして八年を館で過ごす。二年前に突如姿を消すまでは」
「精霊上布に包まれる程の、しかも高価な宝を持つ、おそらくは高貴な生まれの子と、解っていながら、貴公らは下働きに使われたのか?」
見かねたのか、そう聞いて下さったのはザーフトラク様だ。
同じ貴族の追及に、彼は苦く笑って肩を竦めて見せる。
「無論、成長するか、親家族が名乗り出れば真実を知らせ、品も返す予定ではあった。
ただ、家族が名乗り出ぬのであれば、このご時世、子どもの居場所は無い。
余計な希望を持たぬ方が子の為だろうというのが主のお考えであったのだ」
「結局、赤ちゃんが持っていた宝を着服したんじゃないですか!」
喉まで出かかった追及は必死で飲み込んだ。
続く彼の言葉を聞き逃さない為に。
余計な言質を取られないように。
「ゲシュマック商会が、子どもの誘拐犯だ、とまで言うつもりは無い。
奴隷商人などに攫われた子を知らず、買い取ったということもあるだろう。
主は家人が突然失われた事をとてもお嘆きになった。加えて高貴な生まれであろうその子に相応しい対応をしなかったことも悔やまれた。
そして、その子が見つかったら今度こそ、見守り、育てようと誓われたのだ」
私は、布から目が離せない。
これにもし私が包まれて捨てられていたのなら、私にとっては唯一のこの世界の親への手がかり。
もう一度、手を触れて良く見たい、と思った。
けれど…。
「もう一度聞く。
お前は二年前に消えた娘ではないのか?
もし、そうであるなら戻って来るがいい。ゲシュマック商会への追及は一切行わぬ。
戻ってきて、忠実に仕えるのであれば、伯爵は成人の時にこの布と宝物を返却し、子息と娶せ、大貴族の子として迎えようとおっしゃっておられる」
彼の詰問と言葉が、私の意識から、スッと熱を奪い去り、冷静にしてくれた。
ダメだ。
この人は、伯爵家は信用できない。
成人の時に? 伯爵家の子と結婚させ?
私を利用しようという意図が見える。そもそも隠そうともしていない。
鎖を付け、決して逃がすまいという思いも、見下す様子もはっきりと解る。
偽母親を差し向けたのもタシュケント伯爵家の差し金だと言っていた。
私が上手く偽母親に騙されていたのなら、布や宝の存在は知らせず、家人の娘として扱っていたのだろう。
そんな人達を信頼できる筈も無い。
何より私が消えた子どもだと確信を与えてしまえば、ゲシュマック商会に迷惑がかかるし、他の貴族家からも怪しい目で見られる。
「違います。まったく記憶にございません。
仮にそうだとしても、私の居場所はゲシュマック商会に、忠誠は育ての親にございます故、お心に沿う事は叶いません」
精一杯に胸を張り、私は応えお辞儀をした。
下を向いたままの私には、彼の顔は見えない。
だから、どんな表情をしているのかも、解らない。
「解った。今日の所は引こう。
だが、何かを思い出したり、その宝物について知りたいと思ったら、遠慮なく訪ねて来るがいい。
我々は、君を歓迎する」
硬い声に顔を上げた時、彼はもう机の上の荷物を片付けてしまっていた。
せめてもう一度見てみたい、という願いは叶わない。
そんな言葉を紡ぐことも状況から考えると、できなかったであろうけれど。
「本当に良いのですか? タシュケント伯爵は中位ではありますが、大貴族の一角。
その家人として迎えられるのは、一介の商人、一介の料理人には過分の栄誉であると思いますよ」
「過分の名誉であるからこそ、本人でない人物が奪いとることはできません。
その栄光は真実、行方知れずになった子にこそ与えられるべきですから」
アドラクィーレ様が呆れるような眼差しと共に投げかけた言葉に、私は望む答えで応じはしなかった。
この方も、多分共犯者。
私がタシュケント伯爵家に入れば、それは第一皇子派閥の一員となるということだから。
「まあ、其方がそう決めたのであれば、是非もありません。用件は終わりです。下がりなさい」
「はい。ありがとうございました」
踵を返し、お辞儀と共に部屋を退室しようとする。
その直前。
「フリント殿」
今まで殆ど言葉を口にせず、傍観者に徹していたザーフトラク様が声をかけた。
布を包み直し、こちらを今もまだ見据える男性に向けて。
「なんですかな? ザーフトラク殿」
「単なるこれは好奇心なのだが、その宝とは何なのだ?
武器なのか? 防具なのか、宝飾品なのか、それとももっと別のモノなのか。
皇家の宝物庫にさえ無い奇跡の宝、というものに興味が湧いた」
ザーフトラク様が、私の様子に気付き、下手な言葉を口に出せない私の代わりに聞いて下さったのだと解る。
苦笑しながら彼は、仕方ない、と言わんばかりに肩を竦め、もったいぶったように答えた。
「大別すれば、宝飾品に分類されるものでしょうか。
ありふれた品物ではない。
本当に一目見れば、その品の見事さ、特別さが解ります。
正当な持ち主が、これを身に付ける日を、いつか見てみたいものですね」
口調は穏やかではあるが、その眼は私をねめつけ、薄ら笑っているのが解る。
私は今度こそ、深く深くお辞儀をして部屋を出た。
ザーフトラク様と共に。
第一皇子妃様のエリアから離れ、帰りの為の通用門に向かう。
その途中
「ザーフトラク様。今日は、お忙しい所、お時間を頂き、ありがとうございました。
…後は、もう、大丈夫ですから…」
ずっと付き添っていてくれた、ザーフトラク様に私はお礼を言おうとしたのだけれど…
「マリカ。 ゲシュマック商会に先ぶれを。
これからザーフトラクが邪魔をする、と。
急な話で迷惑であろうが、許せ」
ザーフトラク様は、私が最後まで言うより早く、そう続けた。
店まで送る、と言って下さったのだと私は気付いて、慌てて頭を振る。
「迷惑だなんてことは…。でも…よろしいのですか?
午餐の御準備などがお有りでは…」
「部下もいるし、皇王妃様と皇王陛下には許可をとる。
…今は、其方を一人にしてはいけないと思うのだ」
そう言うとザーフトラク様は私の身体を引き、胸元に抱き寄せた。
顔がぽすん、とザーフトラク様の胸元に埋まる。
それ以上、何を言った訳でもなく。何をして下さった訳でもない。
ただ、先ぶれを出し、迎えを待つ間、ずっとそうして下さったザーフトラク様の優しさを、私は心からありがたいと、思っていた。
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