一六人のトーナメントは一人が勝ち残るごとに一人が消える。
第二回戦を終えて、残った戦士は四人になっていた。
リオンと、若い槍騎士さん、ベテランの風格の剣士さん。それから武術家の男の人の計四人だ。
私はトーナメント表を見ても誰が誰だか解らないけれど、残った三人は多分、リオンが気にしていた強い戦士さん達なのだと思う。
私のような素人が見ていても、はっきりと実力差が解るくらいだから。
身のこなしや、武器の取り回しが明らかに違う。
特にリオンが警戒していた武術家さん。
この世界でなんというかは解らないけれど、ファンタジーゲームで言うなら、武闘家、モンクの呼び方がぴったり来るその人は逞しく、筋骨隆々、まさしくマッチョだった。
でも、パワーファイター、というわけではなく、スピードと技の組み合わせで間断の無いない攻撃を仕掛けて相手の隙を探るタイプのように思える。
剣士にしても槍使いにしても武器を生かす間合いを取らせて貰えず、懐に入りまれて無防備な顔や腹部に重い攻撃を喰らい終了。
それが彼の必勝パターンらしい。
リオンは早めに当たって、倒したいと言っていたけれど、残念ながらトーナメント表の端と端。
彼とリオンが戦うとしたら、それは決勝戦になるだろう。
準決勝まで終えたら今日の試合は終了。
明日の朝、決勝戦が行われ、優勝者は貴族に叙任されることになっている。
準決勝第一試合。
「いつもお世話になっています」
遠すぎて声がここまで聞こえた訳ではないけれど、多分、そう言った、という感じでリオンは目の前の騎士さんに深々と、礼儀正しい頭を下げて見せる。
一方の槍使いさんも人好きのする笑顔で頷いて応えてくれる。
光を宿したような金髪が夕方の気配を宿し始めた太陽に煌めいていた。
「あれ? 知り合い?」
「あいつは皇国騎士隊の小隊長、ヴァル。訓練や仕事で一緒になったこともあるかもな」
ライオット皇子が教えて下さったので得心。
なるほど。
既に騎士資格を持っていて、さらに上位を目指して試合に挑んだ方なんだ。
「お強い、ですか?」
「ここまで勝ち残ったんだ。言わずもがな、だろう?」
くすり、とライオット皇子が肯定を返す。
「雷の槍、とも言われている。
平民の子ども上がりではあるが向上心も高い。ヴィクスの腹心だ」
雷の槍…か。
確かにここまでの戦いを見ていればかなり実力は高い方だと解る。
一回戦、プレートアーマーの重戦士の膝を投擲で割ったことは忘れられない。
アレは確かに雷光を、見ているようだった。
かなり業物の見事な白銀の槍を携えている。
長身の彼より、少し高め。
二メートルはあるだろう。
鎧はブレストアーマーと、手足首のみ。
スピード重視の戦士だけれど、動きを阻害されないように最低限の守りも考えている。
実力派だ。これは。
「準決勝! ゲシュマック商会 リオン 対 皇国騎士団 ヴァル 前へ」
二人は闘技場の中央に立ち、間合いを取ると騎士の礼をとった。
武器を構える。
リオンは、右手にショートソード。左手にダガーの二刀流。
対するヴァルさん。槍騎士は槍をその手に構える。
「始め!」
途端、二陣の疾風が駆け抜けた。
その場にいる誰もが、きっと風を感じたに違いない。
様子見の刃合わせも、牽制もなく、同時に疾走した二人の間に、最初の鋼の音が響く。
先手は槍騎士。
相手が子どもだからと言って手加減など無い、疾風にも似た速さで槍を打ちだす。
迎え撃つはリオン。黒い獣。
手首、おそらくは武器を狙って撃たれた攻撃を、最小限の力で受け流し、逸らす。
「チッ!」
聞こえる筈の無い舌打ちが聞こえたようだ。
それが、間合いへの踏み込みを阻まれたリオンのものなのか。それとも絶対の自信を持って放った初撃を交された槍騎士のものかは解らない。
二人の疾走がピタリと、同時に止まった。
正しく二グランテ、槍の間合いと、ほぼ同じ距離を保ってのここから本格的な攻防が始まるのだ。
「す、すごい…」
私は思わずカラカラになった喉に唾を飲み込んだ。
試合開始から、きっとまだほんのわずかな時間しか立っていない。
けれど、二人が打ち合わせた刃はおそらく五十合をとっくに超えている。
槍騎士の腕から突き出される神速の打突は、私の目には残像しか見えない。
しかも、彼はただ突き出すだけでなく、薙ぎ、打ち込み、払う。
長柄の武器の利点を、最大限に生かし、間合いを取りながら、恵まれた体躯と類まれな膂力で自分の身長より高いそれを、正に取り回す。
それはまるで槍の指導教本を見ているような、美しく完璧な動き。
しかも、速い。
前後左右、上下と縦横無尽に動き回る槍は、正しく疾風渦巻く台風の中の雷雨を思わせる。
雨のように降り注ぐ打突の連撃、突風のように前を進むを許さない薙ぎ払い。
そして、雷のような強撃の突き。
生半可な敵はきっと、一分と彼と武器を打ち合わせる事さえできないだろう。
…けれど、リオンはそんな状況でありながらも、まだその間合いの中で刃を交わし続けている。
踏み込めば旋風のごとき広範囲の薙ぎが来ると理解し、踏み込みによる打突が届くギリギリのところで鋭い攻撃を、躱し反らし続けている。
高速で繰り出される一刺を、絶妙の間合いで弾く。
一瞬たりとも反らされる事の無い視線は彼が、間合いに飛び込む隙を狙っている証拠だ。
リオンの露のように濡れた黒い瞳は、槍の穂先ではなく、それを扱う槍騎士の動きを見ている。
槍騎士の一挙手一投足、その攻撃の僅かな前兆も見逃すまいと。
リオンの持つ剣を弾こうと一際、強い攻撃が奔る。
左右の武器を持つ手を狙った雷の如き連撃。
けれど強い攻撃を放とうとすれば、それなりの溜めが必要になる。
私達から見れば、それは刹那にしか見えないけれど、足に力を入れ、手に攻撃を命じる小さな隙。
それを見切ったリオンは、助走も無い連続の後方宙返りで間合いを開けた。
結果、勢いをつけた攻撃は空を斬る。
力を込めただけに、隙も大きい。
行き場を無くして宙を漂う槍。
「あっ!」
その真下。着地と同時、跳躍。
振り絞ったバネのように、あるいは引き絞られた蔓から放たれた矢のように、黒い獣は一直線に槍騎士のその懐に飛び込んでいく。
軽いとはいえ、鎧を身に纏った胸に攻撃は通じない。手足も同じ。
顔や頭は、リオンのリーチでは簡単には届かない。
「ぐっ!!」
リオンが狙ったのは腹部だった。
鳩尾。そこに剣を握ったままの拳を渾身の力を籠め、めり込ませたのだ。
鈍い音と、微かな苦痛の呻き。
けれど、槍騎士そこからの連撃を許しはしなかった。
叫ぶよりも声を上げるよりも先にやることがある。
槍を戻し、渾身で後方に飛びのくと右腕だけで力任せに払う。
同じ場所にいれば、間違いなく肋骨に当たり、不老不死ではないリオンは肋骨をもっていかれていたであろう火事場の一撃にリオンはさらなる追撃を諦め後ろに下がる。
今までで一番、開いた間合い。
戦舞台から鋼の音が消え、不思議な程に静かになった。
観客席からの声も無い。誰もが固唾を呑んで二人の様子を伺っている。
「…君は…誰です?」
針の音が落ちても聞こえそうに静まり返った闘技場で、槍騎士の質問はびっくりするほどはっきり聞こえる。
きっと多くの者達がそれを聞いただろう。
回復までの時間稼ぎであったのかもしれないけれど、心から零れた槍騎士の疑問だった。
「ゲシュマック商会の…リオン」
リオンも荒い呼吸を整えながら答える。
この場でリオンにはそれ以外、応える名は無い。
「そうではなく…、どうして、ただの子どもがそんな動きが…できるんですか?
私の槍を躱し続け、一合たりとも身体に届かせない、なんて」
正確に言うなら一撃でも喰らったらリオンにとっては致命傷に近い。
だから全力で回避し、避けて、流しているのだと思うけれど。
リオンは小さく嗤って、応える。
「意思と努力…かな?」
「ふざけるな!!!」
鬼気を纏わせた叫びが響き渡る。
皇王陛下の前の御前試合、しかも大観衆が見つめる中の騎士の振舞とは思えない程に、彼は全身に怒りを纏わせていた。
「私は、私はここまで辿り着くのに百年以上、かかった。
運よく見出され、学び、育つ事が出来て…、それでも数百年を先に行く『大人』達に届くのに、肩を並べるのに、百年、かかったのです」
振り絞るような吐露。
騎士の位を得て、準貴族になれたのは十年前。
繰り返し繰り返し試験を受けて、準決勝まで進めたのは初めての事だと彼は溢す。
「いつか、子ども上がりとして初めて貴族に、部隊指揮官になるのが夢だった。
そうすれば、伝説のライオット皇子や、家宝の槍を託し、見出してくれたヴィクス様に恩返しができる。
そう、願い続けて来たのに!」
キッ、とリオンを睨み詰める目にははっきりとした困惑とそれを上回る憎しみが見える。
「それを、それをこんな子どもに追い越されるなんて!
在っていい筈はない! 意思も、努力も…私は負けていない筈だ!」
穏やかな笑顔に隠された荒い語気と本音。
苛立ちと、怒りを槍と一緒に握り、彼は立ち上がる。
ライオット皇子にも認められる、皇国に名だたる騎士の吐露を私は妙に冷えて冴えた頭で聞いていた。
「なにを…いってるの?」
思わず内から零れた、怒りの一滴。
そんなに大きな声ではなかったつもりだけれど、もしかしたら、ライオット皇子やティラトリーツェ様には聞こえたかもしれない。
でも…構わない。
彼は確かに努力したのだろう。
子どもに人権ない世界に、後から生まれ血がにじむような努力と意思。
子ども上がりの苦労を否定するつもりは欠片も無い。
けれど
「意思と努力」
冗談めいて聞こえるかもしれないけれど、それがリオンの本心であることを私は知っている。
私だけではない。フェイも、そして横で腕組みをして彼を見下ろすライオット皇子も。
約五百年。
死の消えた世界で、幾度も死に、己の罪と無力を噛みしめながら、決して消えない意思だけを抱いて転生を繰り返して来たリオンに、意思と努力で叶う者がいるはずはない。
リオンの「意思と努力」を否定し、見下すことは許せないし、許したくない。
「そうか」
リオンは両手の剣を握り直し、叩き付けられた怒りを真っ向から受け止める。
呼吸はいつもより静か。
「決着をつけよう」
彼の拳がいつもより、血の気を失い白くなっていると思うのは多分、気のせいではないだろう。
「俺は、負けない。
努力と思いの優劣なんて語って決める事じゃない。
思いも力も、ただ強い方が勝つ。それだけだ」
子どもとは思えない老成な物言いを哂う事はせず、槍騎士は腰を落とし身構えた。
「ええ、その通りです」
力を籠める。自分が信じて来た武器に。己の信念全てを。
そうして、再び激突が始まる。
金と黒。
二人の信念と意地をぶつけ合う、最後の戦いが今、始まったのだ。
戦場は再びぶつかり合う、鋼の音に支配された。
さっきまでと同じ、いや、それ以上に激しく。
互いの思いを響かせるように。
槍騎士の雷雨の如き打突は勢いを増し、縦横無尽に動き回る長柄は疾風となって間合いという己の戦闘領域を死守する。
そうだ。死守だ。
リオンの攻撃は、全体から見れば僅か、ではあるけれど、少しずつ、少しずつ槍騎士の間合いを侵食している。
あと一歩、踏み込まれれば連撃の、微かな隙をついて漆黒の獣は槍騎士の喉笛を食い破るだろう。
そんな確信がはっきりと見えて来る。
互いの体力も限界が見えている。
そもそもこんな、全力の戦いを長時間続けられるように人間の身体はできてはいない。
例え不老不死であっても、外殻が不老不死になった時点で固定されるだけ、強化されたわけではないのだ。
疲労は蓄積するし、内臓に伝わる衝撃はダメージになる。
意思と信念は負けていなくても、どちらもこれが三戦目。
身体は、既に限界に近付いている。いやもしかしたら限界を超えているのだ。
一か八か。
焦る思いで、槍騎士は武器を引き戻す。
繰り出そうと狙うのは、自分にとって一番重い打突。
一撃必殺。
躱されれば、隙も大きいとさっきの経験で解っている。
けれど…相手をこれ以上先に進めない為、自分より細くて小さな体を確実に飛ばすためには、もうこれしかない。
「たあああっ!」
裂帛の気合を込めて槍騎士は、渾身の突きを放つ。
「くっ!」
両刀をクロスさせ、自分の前に盾を作りリオンは攻撃を受け止める。
キン! と高い音がして万歳をするように、リオンの両手が空に向いた。
左手のダガーが宙を舞う。右手のショートソードも槍騎士を狙う軌道から外れて空へ。
代わりに槍の穂先も空に向かうけれど、槍騎士は全力で長柄を引き戻し…
「このおっ!!!」
リオンの右手に向けて、槍を投擲した。
その間、一秒も無かかっていない。
正しく雷光のごとき早業だ。
加速度が増した槍は狙いたがわず、リオンの右手、その指先を貫く。
赤い血液と、ショートソードか飛び散った。
「リオン!!」
観客が息を呑みこんだのが、見える。
不老不死世界。
生きた体の証。人が血しぶきなど見るのは果たしてどれくらいぶりだろうか?
「やった!」
敵の武器を奪い、血を流させ、勝利を確信した槍騎士は、だが己が致命的なミスをしたことにまだ気が付かない。
自分の得物を、手放した事。
そして、リオンという獣を、甘く見た事。
彼が武器を失い、空手になったとてその脅威は何も変わらないのだと忘れた事。
「な、なにっ?」
気が付けばリオンはその時、既に槍騎士の直下にいた。
飛翔。
能力では無い。
身体のバネと踏み込み、その威力全てを込めた、全力のアッパーカットをその顎めがけて打ち込んだ。
流れる命の証を、己の手の中に意思と共に握り込んで。
「がっ…、ああっ!!」
油断した瞬間に打ち込まれた脳を揺さぶる衝撃に、槍騎士は声も無く崩れ落ちた。
地面に、騎士の身体が触れた瞬間、審判の声が上がる。
「勝負あり! ゲシュマック商会のリオン!」
驚きと感嘆を宿し、会場中が歓声を上げる。
不老不死を持たぬ子どもが、並み居る不老不死者達を下し、決勝戦に駒を進めたのだ。
万雷の拍手の中、リオンは一人、倒れまだ意識戻らぬ騎士を見下ろす。
相手も不老不死者だ。多分、直ぐに気が付くだろう。
槍騎士を一瞥すると…リオンは背を向けた。
二回戦の鞭使いの時とは違う。
勝者が手を差し伸べるのは傲慢に過ぎるからだろうと、私は思う。
自分の拠り所たる思いと努力を、強者に打ちのめされて。
粉々にされて、そこから立ち上がれるかどうかは本人次第。
誰も力を貸せることではないのだから。
控室に戻るリオンにアルが駆け寄るのが見えた。
傷は、大丈夫だろうか?
心配する私の前で、今日の最終戦が開始される。
練達の剣士と、武術家の戦い。
リオンの槍騎士とのバトルにも負けず劣らない熱戦となった最終戦。
一進一退の攻防が長く続いたが、剣が身体を引き裂く事の無い鈍器であるという事実と、剣を脇の下に挟み取り逃げを奪い、巴投げのように投げ飛ばすという荒業を怯む事無く見せた胆力が決め手となって武術家の勝利となった。
「勝者! カニヨーンのウルクス!」
私はここで初めて武術家の名前を知った。
準決勝の決着を待っていたかのように、太陽はその姿を地平の彼方へと落とし、周囲は薄紫に染まる。
「本日の試合はここまで! 決勝戦は明日。
火の刻より開始する」
決勝は奇しくもリオンと武術家ウルクスの、ニューフェイス同士のバトルと決まった。
誰もが明日の試合結果を予想しながら笑顔で家路につく中。
「おねがいします! あしたのしあい、おとうさんにかたないでください!」
私達は、そんな思いもよらない願いを耳にすることになった。
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