五百年ぶりの恋だった、と言ったら笑われるだろうか。
鮮やかで、瑞々しく輝かしい少年に、私は魅了された。
罪を犯したあの人を恨んではいない。
あの人の尊厳を踏みにじり、罪に追いやってしまったのは私だろうから。
けれど…ああ、やはり少しだけ恨めしい。
どうして彼は、あの人のものだったのだろうか?
どうして、先に手に入れる事ができなかったのだろうか?
本当に、どうして私は気付けなかったのだろうか?
「やっぱり、行ってしまうのね?」
「はい。どうぞお許し下さい」
アルケディウスと王宮を揺るがしたあの爆発事件から三日。
一通りの整理が終わった日。
彼は、そう言って深く私の前で頭を下げた。
「できるなら、貴方には私の側についてサポートをして欲しかったのだけれど」
「それは、お止めになった方がいいと存じます。
…夫の奴隷を侍らすなど、奥様の評判が下がります」
「そうね。確かにその通りです」
礼儀正しい作法で、美しい発音でそう微笑む少年の言葉に嘘はない。
夫が、放火、麻薬使用、皇家で保護されている子どもの誘拐、拉致監禁、暴行未遂。
重犯罪を犯したのだ。
ただでさえ、風当たりは強い。
第一皇子妃の派閥からは嘲笑と共に弾きだされてしまった。
もし第三皇子妃が手を差し伸べてくれなかったら、私は王宮で完全に孤立してしまっていただろう。
ここで原因となった少年奴隷を自分のものとして侍らすなど、悪手でしかない。
解っている。
それでも…
「…でも、貴方には本当に申し訳ないと思っているのです。
あの人をあそこまで追い詰めてしまった原因は、多分、私にあるのでしょうから…」
思わずにはいられない。
どうして、この子はあの人のものだったのだろうか?
と。
「あの人も昔は悪い人では無かったのです。
貴族としては足りないところも多かったけれど、それを補おうと努力していて…私はそれを助けたいと思った」
彼 グラーデースの力になりたいと上位貴族としての力を使って寄り添った事そのものを後悔している訳ではない。
当時私達は、そういう思惑があっても確かに、愛し合っていたし、信頼し合ってもいた。
ただ、結果として私が彼を助けようと思えば思うほど、彼は追い詰められていった。
上位領地の娘と、家臣に仕事を奪い取られたと思い、狂乱への道を進んで行った。
私がそれに気付いたころには、もう取り返しがつかない程に溝は深まっていたのだ…。
「飾り物の領主と言われ、蔑まれた彼が、自分の言いなりになる子ども、奴隷に手を出した責任は私に有ります。
申し訳なさと同情から、それを放置したのも。
その結果、貴方だけではない、多くの子どもを苦しめる事になったのでしょう。
本当に、申し訳なく思っています」
「私達は奥方様を恨みになど思ってはおりません。
戻って以来、気にかけて下さっていた事は知っており、感謝しています。
それにここに買われなければ、別の所に売られそれはそれで、苦しい思いをしていたことと思います。
奥様が、そう思って下さっている、というだけでも救われる気持ちです」
この子は優しく、そう微笑んでくれる。
新緑のような碧の瞳が優しく揺れる度、胸がチクリと針を刺したように痛んだ。
「せめて貴方を養子として迎え入れ、いずれ貴族として、私の息子として隣に立って欲しいと思うのだけれども」
私の提案は大きく頭が振られ拒否される。
「お止め下さい。
私は奴隷です。奴隷が貴族の養子にとなるなどさらなる醜聞となります。
それに舘の奴隷は、私一人ではありません。私一人が幸せになる事などできないのです」
あの人が使っていた奴隷の内五人は、長年使われていた麻薬のせいで思考と身体に異常をきたし始めているという。
現在第三皇子の息のかかった施設で療養している。
殆ど顔さえ見たことが無かった事を思い出すと、私とあの人は本当に終わっていたのだと思わずにはいられない。
「では、貴方はこれからどうするつもり?」
「彼等の療養を助けながら、自分を必要としてくれているゲシュマック商会に戻り仕事を続けます」
「そう…」
仕方がない。
仕方がないのだ。
ドルガスタ伯爵家はこの子に何も与えなかった。
教育も。食も。優しさも、何もかも。
それを与え、育てたのはゲシュマック商会だった。
命がけで助け、守ろうとしたのも。
ちゃんと水を与え育てていれば、この子は誰よりも美しく強く育つ大樹の苗だった。
それを踏みにじり折り捨てたのは、我々だったのだから。
色々な思いを振り切り、私は顔を上げて宣言する。
「今後、ドルガスタ伯爵家は第三皇子家と共に、食の発展と子どもの保護に尽力を尽くします」
今回の醜聞の処分として伯爵家に与えられたのはそれだ。
夫人である私が夫の醜聞の後始末をする形で、領地の経営と清純化を行う事。
被害者であるゲシュマック商会に賠償を行い、加えて奴隷の少年達の保護育成の為に今後つくられる孤児院への支援、寄付を行う事。
そして…所有する全ての奴隷を開放する事。
「ゲシュマック商会とは食の発展や、孤児院経営の事で世話になることも多いでしょう。
今後とも付き合いがなくなるわけではないから…」
私は自分にそう言い聞かせながら目元を擦った。
本当は欲しかった。
この少年が。
金の髪、碧の瞳、輝く魂を持つアルフィリーガの化身のような子が。
ゲシュマック商会から戻ってきて、初めて見た時、きっと恋をした。
五百年ぶりの恋だった。
もしかしたら自分のものにできたかもしれないこの子を、手放さなければならないのが私に与えられた罰だろう。
この子は届かない。
永遠に…。
「どうか、元気で。
貴方の前途に精霊の祝福があることを願っています」
「ありがとうございます。サラディーナ様、
サラディーナ様の上にも、精霊の祝福がありますように」
美しい笑顔を残し、少年は去っていく。
パタンと、閉められた扉の向こう。
遠ざかる足音を聞きながら私は泣いた。
罪を犯したあの人を恨みはしないけれど、でも…それでもああ、恨めしい。
どうして、自分はもっと早く子どもの価値に気付けなかったのだろう。
どうして、あの子を助けられなかったのだろう。
どうして…。
どうして…と。
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