前に、私の身体を使って『精霊神』様が動いた時。
無礼を働いた神殿長 ペトロザウルに罰を下された時は意識が切られてしまっていた。
なので、あの時の事はまったく覚えていない。
多分今回ナハトクルム様は、状況把握できるように、わざと見てせて下さっているのだと思う。
お祭りで、憑依された時と逆バージョンかな?
私は、私の肩の上に意識があって私が動く様子を見ているという状況に陥っていた。
レアだと思う。
かなり。
『バカとはなんだ。まったく。何百年経ってもお前は先達への礼儀を弁えん。
まあ、今回は怒れんがな……』
意識と世界が真っ白に染まった衝撃。
おそらくナハトクルム様曰く
『私の中に入れられた、『神の部品』を内側から焼き切った』
影響はどうやら現実世界にもあったようで、目元を押さえたり、呆然としたり。
何がなんだか解らないと顔に書いてある人々の動揺を気にも止めず。
祭壇に寝かされていた、私。
正確には私の身体に乗り移った『精霊神』ナハトクルム様は泰然と身を起こし、祭壇に腰を掛け立ち上がる。
胸元に香箱を汲む様に頭を埋め、動かない短耳灰色うさぎ。
アーヴェントルクの『精霊神』ラスサデーニア様の端末。
精霊獣をそっと、愛おしげに胸に抱いたまま。
私、祭壇に寝かされた時は両手両足を拘束されていたと思うんだけど、今は身体の動きを邪魔する者は無い。
鍵が外されていたのか、それとも『精霊神』様のお力で壊れたのかは解らないけれど。
「マリカ?」
一番に駆け寄ってくれたのはリオンだったけれど。
『……跪け』
「うわああっ!」
「リオン?」
抱っこしていた精霊獣を肩にひょいと、乗せ、落すなよ。と思念を送ったナハトクルム様だったけれど、見れば翻した手の先から風、というには重い衝撃の波が揺れて、リオンが吹き飛ばされる形になってる。
(ちょっと、待って下さい。ナハトクルム様。彼は私の……!)
(解っている。だがこういう威厳は最初が肝心なのだ。
後で謝れと言うならいかようにも謝ってやるから今は大人しくしていろ)
『伏して、拝せよ。
我は汝らが『精霊神』と呼ぶモノ。闇を司どるアーヴェントルクの守護者なり』
私の抗議を気にも留めず、ナハトクルム様は場にいる者達に威圧をかけたっぽい。
ハッとした顔で、走り寄って膝をついたヴェートリッヒ皇子を先頭に、隠し部屋の中にいる全員が跪く。
キリアトゥーレ。
アーヴェントルクの者達だけではなく私の随員達やアルにフェイ。
衝撃波に吹き飛ばされたリオンも、同様だ。
不思議な感じ。
声帯も身体も、私のを使っている筈なのに、違っていると解る。
「せ、精霊神……様? でございますか。失礼ながら……本当に?」
『そうだ。我が末裔よ。
聖域での騒動と『聖なる乙女』の力が私を眠りから目覚めさせた。
本当なら、眠りについていた間、よく国を守ったと褒めてやりたいところだが……生憎とそれより先に、やらねばならぬことがあってな』
にこやかに笑ってヴェートリッヒ皇子を労ったのと正反対。
くるりと踵を返した私の身体と視線は、アンヌティーレを見やる。
ただ一人、膝を折る事も忘れて立ち尽くす彼女を。
『跪け』
「きゃああ!」
さっきのリオンの衝撃波に近い、重く暗い波がアンヌティーレの膝を落させる。
自然、私……の身体を借りた『精霊神』様は彼女を見ろす形になる。
『……解っていような。愚かなる我が娘よ』
「わ、私は……ただ……」
凍り付きそうな漆黒の、怒りの冷気を纏って。
『『神』の軍門に下り『精霊神』をないがしろにしたことは、許しがたいがまあ、不問にしてやっても良い。
マリカを捕え無体を働いたことも、怒る権利、赦す権利はマリカにある。
だが……国を守る王族が、守るべき民、しかも子どもらを私利私欲の為に殺めたことは許しがたい……』
「……私は、皇族で……七精霊の血を継ぐ……選ばれしもの。
その尊さを高める為に……必要とされぬモノが役立てるのは……むしろ……」
『恩寵だ、とでも教えられて育ったか? 我が娘ながら……哀れだな。
今回はあまりにも引いた親が悪かったか……。
子の罪全ては親の罪、ではないがアンヌティーレの罪は、お前の罪だ。
お前は間違ったのだ』
我が娘キリアトゥーレと。
『精霊神』様は、アンヌティーレの背後、頭を上げず俯いたままの皇妃を呼ぶ。
キツく唇を噛みしめ、手を石畳の上で握りしめる『娘』はもう、皇妃の顔をしてはいない。
「貴方様も……やはり私を役立たず、とおっしゃるのですね? 『精霊神』」
耳を澄まさなければ聞こえない、小さな呟きはまるで悲鳴のようだった。
「……踊る事の出来ない私は、いくら努力して学問を学び、王女に相応しい知識や作法を身に着けても!
王族として役立たずだと。貴方もおっしゃるのですね! 『精霊神』!!!」
(キリアトゥーレ様……)
「私は努力した! アーヴェントルクの王女として相応しくある様に、と!!
精霊達の姿も見えた、彼等も私を応援してくれていた。
……なのに、足が悪い。踊れない。
ただそれだけのことで家族の愛も、『聖なる乙女』の名声も、次期王の妻の位置も全ては妹に奪われた!!!
自らを高める努力も、精霊への愛もない、ただ健康で美しいだけの妹に!!」
まるで、ではない。
正しくそれは悲鳴だった。
私は、その妹姫を知らないし、彼女が本当に家族から身体不自由を理由に虐げられていたのかも解らない。
周囲からどんな仕打ちを受けていたかも知らない。
キリアトゥーレだけの言い分だから、もしかしたら本当は愛されていたのかもしれない。
けれど、彼女は乾いた心を癒せぬまま大人になり。誰にも気づかれぬまま子を設け、育ててしまった。
誰も、それを知ろうとしなかった。助けてあげることができなかった。
故に彼女はアンヌティーレを愛しながらも、自分の分身として。
『聖なる乙女』
それ以外のものを何も与えずに歪ませてしまったのだ……。
『……そうか。我々も間違えていたのだな』
静かに噛みしめるように『精霊神』は呟いた。
そこにもう怒りや威圧は見え無い。
ただ、道を踏み外してしまった子孫への哀れみがあるだけだ。
「え?」
『『聖なる乙女』に必ずしも舞は必要ではない。
お前は『聖なる乙女』になれたのだ』
「う……そ……」
キリアトゥーレの身体が小刻みに震えている。
自らの全てを肯定し、否定するそれは言葉であったろう。
『必要なのは真摯な命と願い。
ああ、知っている。覚えている…。
精霊に愛された娘の真摯で優しい歌声を。
私は待っていたのだ。お前を……』
「そんな……」
『長き年月、歪められて来た信仰や伝承……。
もし、私が、私達が導いてやれていたら、また状況は変わっていたのか?
まったく『神』には恨みを言っても言い足りぬ』
嘆息した『精霊神』は
『だが、それはそれとして、罪は罪。罰は罰だ』
パチリと指を鳴らして見せる。
アンヌティーレに向けて。
「きゃああ!」
薄紫の靄が抱きしめるようにアンヌティーレを包み込む。
意味も解らず悲鳴を上げる皇女。
有無を言わさぬ強い意思がアンヌティーレの中に侵入していくのが解った。
程なく弾け消え戻って来たけれど
「な、なに?」
ほんの瞬く間の事であるのにまるで全力疾走したように息を荒げるアンヌティーレに『精霊神』は言い放つ。
『アンヌティーレ。其方から不老不死を剥奪した。
お前はこれより常命の皇女として、己の罪を償い続けるがいい』
「え? そ、そんな……。どうして……私だけ……」
『後は人の裁きに任せる。任せたぞ。ヴェートリッヒ』
「は、はい…」
一方的で、抵抗もできない『精霊神』が下した『罰』に人々が慄いたのが解った。
不老不死を解かれる。
私達は見るの二回目だけど、これを怖れない不老不死者はいないだろう。
『私は、お前達を見ている。其方達が忘れようと。
『精霊神』がお前達を見ている事を、忘れるな……』
静かに微笑むと、アーヴェントルク『精霊神』。
ナハトクルム様は、私の身体を使い、両手を高く掲げた。
指先から、全身から闇が広がっていく。
闇と言っても漆黒の、全てを覆い隠す漆黒では無く、昼と夜を分ける暁の空によく似た宵闇の紫だ。
部屋全体、いや、もしかしたら神殿全体を包み込んでいるのかもしれないと感じる、その中央に星が見えた。
青緑に輝くそれに魅かれるように周囲のあちらこちらに黒い靄の塊が浮かぶ。
『さあ、還るがいい。子ども達よ。
『星』の懐へ。あの方が待っている』
黒い靄は『星』に吸い込まれるように集まり触れると共にジュウ、と炎に焼かれ溶ける様に消えて行く。
あれが、ここで殺された子ども達の魂で、聖なる力に浄化されて天国に行った、と思うのは願望が過ぎるだろうか…。
『くっ……』
微かに、私の身体が軋んだ音を立てる。
多分、この浄化に使う力が大きくて、分身である闇神と力を分け与えた緑神だけでは足りないのだ。
(私の力、使えるようならもっと使ってもいいですよ?)
(いや、大丈夫だ。あと少し……)
『やせ我慢をするな。引きこもりの体力無しが』
ぴょーん、とその時、私の左肩。
意識のない短耳灰色うさぎがいるその反対に飛び乗ったのは、今まで沈黙を守っていた純白の獣だ。
『アーレリオス』
『私の力も使え。浄化には相性も悪くない筈だ……』
『悪いな。遠慮はしないぞ』
ぶわりと、私の髪が風になびき『星』が輝きを増す。
……やがて、全ての黒い影が『星』の前に消えて行ったのを見届けるように、私の指先からパチン、と何かが割れる音がして
「あ……うっ……」
気が付けば、私は戻されていた。
自分の身体に。
いきなり感じる重力に、耐えきれない。
肉体も、心も。
「マリカ!」
抱え、支えてくれたリオンの感触を感じながら、私は目と意識を閉じた。
ここんところ、気絶が癖になっているな、と本当にどうでもいいことを思いながら。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!