フリュッスカイトに向かう少し前、エルディランドから通信鏡の連絡が届いた。
『久しぶりだな。マリカ。元気にしていたか?」
「スーダイ様もお元気そうで何よりでございます。
通信鏡も無事届き、問題なく作動しているようですね」
鏡の向こうに立ち、優しい笑顔で返すのはエルディランドのスーダイ王子。
いや、もう王子って呼ばないで大王陛下って呼ばないといけないのかな?
『うむ。実際に使ってみるとこれは便利だな。エルディランドとアルケディウス。
同時双方向通信が可能になるとは。もっと欲しくなるが……』
「値段が高いとか、カレドナイトが必要だとか課題は多いですからね。
でも、だんだんに安価で作れるようにしたり、一つの機材で多方面に通信できるようにしたりと研究を重ねていく予定です」
『その時には、必ず知らせて欲しいものだ。こちらとしてもこれだけの価値ある新技術に金の出し惜しみはしないぞ』
エルディランドで初めて会った時には太った我が儘王子にしか見えなかったけれど、今は貫禄のある次期大王。
その視線にも態度にも自信が満ち溢れている。
横に従える精霊獣も、くりくりとした眼差しでこちらを見ている。
『今回、連絡したのは通信鏡の実験と共にもう一つ、伝えないといけない事があったからだ』
「伝えないといけない事?」
『うむ、こちらからそちらに向かう製紙指導者の準備が整った。
いつ頃から受け入れられる?』
「秋頃と伺っていたのに早い対応ありがとうございます。
住居や設備の準備はできています。ただ、私達が来月はフリュッスカイトに視察に出てしまうので、さ来月頭位だと助かるでしょうか?」
地の国エルディランドは農業と共に製紙、印刷が盛んだった。
色々あってアルケディウスは製紙技術を買い取り、印刷技術に関しては共同研究を行っていくことになっている。
その第一陣として製紙に関する指導員がこちらに派遣されることになっていた。
『解った。その頃だとこちらでもリアの新物が採れ始まる。
土産に持たせてやるにもいいだろう』
「ありがとうございます。新米……じゃなくって採れたてのリアはまた格別の味と聞いています。お土産とお心づかいいただかなくても、がっちり買い取りますので遠慮なくお申し付け下さいませ」
知らず知らず声が弾む。
こっちの世界で新米を食べられるとは思わなかった。
いくらの醤油漬け頑張って作ろう。
『相変わらず其方は食い物の話となると良い笑顔をするな。
芙蓉の花のような顔を鏡越しでしか見られぬのは残念だが……』
「スーダイ様……」
スーダイ様からの求婚を断った身としては、しゅんとした様子に申し訳なくもあるのだけれどどうしようもないことなので切り替える。
「それで、こちらにいらっしゃるのは何人ですか?」
『一人だ。軌道に乗るまでは作業助手として数名が同行するが、最終的には一名のみ、籍を移す形でそちらに移動する』
「一人。それって……」
「ああ、ユンだ。
王子候補の騎士貴族が籍ごと国境を超えるなど、不老不死時代になってからおそらく初めての事だが、本人のたっての希望もあり、また其方への恩を返すべく決まった」
エルディランドの騎士貴族、ユン君と私達が呼ぶ人物は実は『星』の転生者。
精霊国騎士団長 クラージュさんだ。
リオン。精霊国王子 アルフィリーガの剣の師匠で、昔、精霊国女王『精霊の貴人』がアルフィリーガと共に殺された時に、共に死んで『星』と契約。転生者となったという。
私と一緒に向こうの世界にも転生させられたらしく、あちらの世界で私と同じように保育士をしていた日本人の記憶をもつ。
その知識をもとに醤油やお酒、製紙の技術をこちらに齎したのだ。
『待遇としては貴族の嫁入り、婿入りと同じ形になる。
望めば帰国も受け入れるが、本人は其方に忠誠を誓い、骨を埋めるつもりでいるようだ。
……よろしく頼む』
「貴重で優秀な人材をお預け頂き、ありがとうございます。
仲間として、友として、大事にして参ります」
心からの感謝を込めて頭を下げる。
彼と言う存在が『私達の所に』来てくれる意味はおそらくエルディランドが思うより重く深い。
後は細かい日程の打ち合わせなどして会話は終わった。
「楽しみですね。リオンも皇子も彼の帰還をきっと喜ぶことでしょう」
側で魔術師として通信鏡を動かしてくれたフェイが微笑む。
「そうだね。先生だもんね」
大好きな先生との再会。帰還。それは間違いなく嬉しく心強い筈だ。
それは私も同じ。向こうの世界の友人であり、同じ記憶を語りあえる人。
早くまた会いたいと心から思う。
「あ、報告してユン君の役職とか、住居とか相談しておかないと」
「そうですね。彼は不老不死者ではありませんから向こうに行くのに問題はないと思うのですが」
で、最終的にユン君は騎士貴族の一人として、貴族区画に家を一軒用意されることになった。お父様とかは家に招きたかったらしいけれど、流石に他国の騎士貴族を第三皇子が直接召し抱える理由が見つからなかったから。
同じ理由で私の護衛に直接入るのも無理。
当面は本来の役目である、製紙、印刷技術の監督と伝達に勤める。
こちらで大豆、ソーハがある程度収穫の見込みができたら醤油の製造も視野に入れる。
と言う感じだ。
知識伝達を理由として貴族街の実習店舗にこまめに来て貰えれば魔王城の島に戻るのも不自然ではなくなると思う。
製紙、印刷その他の事業が軌道に乗ったら、最終的には『聖なる乙女の護衛』ということで私の護衛に入って貰う事を目標にする流れで……。
そういえば……
「製紙関係を司る商会についてはどうなったんだろう?」
以前、ガルフに信頼できる相手を、と頼んでおいたのだけれどその後ドタバタで返事を聞けなかった。
改めて指導員の到着日時が決まったことを知らせると、即座に面会希望が入る。
受け入れる旨を伝えたら、ガルフは意外な人物を連れてやってきた。
「ギルド長……それに、ミルカ?」
やってきたのはアルケディウスの商業ギルド長アインカウフと同行者。
そしてガルフと、ミルカだったのだ。
「お久しぶりでございます。マリカ様」
優美で、文句の付けようのない挨拶をするミルカ。
最近は魔王城の島に戻ってこない事も多かったので、本当に久しぶりに感じる。
大人っぽくなったなあ。
「マリカ様。製紙、印刷、そしてできた本や印刷物を扱う商会については検討の結果、ギルド長の店、オルトザム商会とゲシュマック商会で合資事業として新しい商会を作ることとなりました」
「まあ、いいのですか?」
私個人としてはゲシュマック商会が利するようにと思ってガルフに話を持って行ったのだけれども、当のガルフは小さく苦笑いをして首を振る。
「『新しい食』が注目を浴びている以上、そちらの手は抜けません。
一つの商会が独占しきれるものでもありませんので、アルケディウスに広く根を張るギルド長の力を借りる事にしました」
「商業の世界に戻ってきて間もないガルフには難しい、根回しや人脈などについてオルトザム商会は自信があります。どうか、お任せを」
まあ、ガルフがそう決めて正しく公平に品物が流れるのなら、私としては文句はない。
「資金はゲシュマック商会六割、オルトザム商会四割。
商会長はミルカが勤め、実務を主にオルトザム商会から派遣された番頭が担当します」
「レルスと申します。オルトザム商会商会長アインカウフの孫にあたります。
どうぞ、お見知りおきを」
こちらも貴族対応には慣れている、という仕草で綺麗なお辞儀をする。
不老不死者ではあるのだろうけれど、若く見える。二十代前半かな?
「まったく新しい事業なので、若く柔軟な思考を重視して選びました」
「良いのですか? 子どもの商会長の下に着く事になりますが?」
ギルド長が胸を張って選び出す以上優秀な人材であることは間違いないのだろうけれど、ミルカを傀儡として軽く扱う様では困る。
そんな私の視線に気付いたのだろう。レルスは静かに笑って頷いた。
「ミルカ嬢とはこの合資商会設立にあたり、会談を重ねましたが知識も豊富で、礼儀作法も身に付き、何より深い見識もお持ちです。
私としては彼女を助け、新しい事業を盛り上げていきたいと思います」
ミルカが侮られない様に事業が軌道に乗るまではリードさんが補助に付いてくれるというし、側に必ずゲシュマック商会派遣の秘書をおいてくれるように頼んだ。
「ミルカは私の妹のような存在です。決して侮ったり、蔑んだりすることの無いように。
解っていると思いますが不埒な真似に及んだりしたら決して許しません」
「勿論でございます。
『神』と『星』と『精霊』の名において決して不埒な真似、侮る真似は致しません」
全力の圧力に真摯な眼差しで頭を下げるレルスをとりあえずは信用する事にする。
商売の細かい事に関して私は門外漢だし。
実際ギルド長が推薦するだけあって、レルスの説明は解りやすく的確だ。
既に必要設備も材料も整い、指導員が来ればすぐにでも製紙が始められるという。
ただ、仕事ができるだけに商人らしい抜け目なさも感じる。
これは油断できない相手だ。私は直感した。
「製紙は今後、アルケディウスにとって重要な事業になります。
万が一にも変なやらかしが合った場合には、たとえギルド長の孫であっても容赦しませんよ」
「心して」
ミルカは侮らないと言ったけれど、利益を独占しないとは言ってない。
できるだけ油断せずこまめに目を光らせて、ミルカと製紙事業を守ろうと私は決めたのだった。
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