アーヴェントルクから帰還一週目。
私の仕事はビッチリ。スケジュール空き無しで詰められている。
神殿での打ち合わせ。
ゲシュマック商会との会談。
シュライフェ商会の仮縫い。
そして
「これを見るがいい。マリカ」
呼び出された王宮の会議室。
私はテーブルから崩れんばかりの木札、羊皮紙の山に息をのみ込んだ。
「な、なんですか? これは?」
「お前の留守の間届いた各大貴族達からの陳情書だ」
「陳情書?」
「そうだ。主に自領になんとか『新しい食』の素材を見つけ出して欲しい、だな」
私の前で書類の山を指したのは第一皇子ケントニス様。
アルケディウス皇家の施策、『新しい味』の拡大および農業の充実の実質的責任者だ。
私が具体的な案を出し、それを伝え広める役目。
ケントニス様はその為の準備や、根回しをを担当して下さっている。
一時期は本当にブラック企業の上司そのものだったけれど、今は少しあたりが柔らかくなっているように思う。
皇王陛下お気に入りの孫。
血の繋がった(本当は繋がってないけど)『姪』
ということで、色々気を遣って下さっているのは解る。
まだぎこちないけれど、この方もちゃんとした皇族なのだと最近は思えるようになった。
で、今日はその打ち合わせ。
「各地の大貴族の皆様には先に食材図録をお渡ししませんでしたか?
まずはそれに載っている食材を発見、確保して頂けるだけでもかなりの収入になると思うのですけれど」
昨年の冬。
私が皇族としてお披露目された大祭の舞踏会の後、アルケディウスの大貴族の皆さんには食品納入基準と、食材図録を配布した。
食材図録は、小麦、大麦の穀物。パータト、シャロ、キャロ、チスノーク、インクヴェリア、グルケなどの野菜。
それからピアンやサフィーレなどの果物など約30種類が記載されている。
記載された野菜は食品納入基準と合わせてゲシュマック商会に持ち込めば適正な価格で買い取られることになっていた。
「配布されたのが昨年の冬だからな。春になり、夏になりようやく自領の確認が始まった所だろう。
ぼちぼちゲシュマック商会に持ち込む者が増えてきているのではないか?」
「あ、そうですね。オランジュ、サフィーレ、ピアン、グルケ、ナーハなどの納入が増えていると聞きました」
私は一昨日のゲシュマック商会との打ち合わせを思い出す。
『大祭の精霊』の話に気を取られてしまったけれど、大貴族達から大量の素材が持ち込まれて来ているという報告は受けている。
精霊魔術を使った保冷庫をさらに拡大したので割と長い間、新鮮さを保つ事はできる。
加えて外部店舗を協力店に委託したゲシュマック商会は、現在直営店を本店と屋台。
それから貴族店舗に絞って食品の加工と小売りに力を入れ始めた。
生で使い切れないオランジュやサフィーレをジュースなどに加工したり、ナーハの油を搾ったり。
おかげでアルケディウスの王都の富豪や大貴族などにも素材が行き渡ってきているようだ。
「アルケディウスの全てが南部地域のように小麦、大麦が育つ肥沃な土地では無いからな。
食品基準を見て自領を捜してみても思う様に行かない領地は、なんとかビエイリークのように一攫千金できないかと考えるのだろうさ」
アルケディウスのあちらこちらを見てみたい気持ちもあるにはある。
でも、実際問題無理なのだ。
ゲシュマック商会の料理人だった頃はともかく皇女になった今は、街歩きをすることさえ簡単じゃない。
王都を離れ他の領地に向かう事は、今のスケジュールからして難しい。
しかも、それをやるのなら多分、上位領地からということになって、一番困っている下位領地は後回しになってしまうだろう。
「今、各領地に足を運ぶのはちょっと難しいので、少しずつ自領を調べて頂き、これはと思うものがあれば見せて頂くという形では難しいでしょうか?」
「まあ、そっちはそれしかないか……」
「寒冷地ということでしたら、パータト、ナーハなどを中心に育成を試みて欲しいとお伝えください。
後、アーヴェントルクは厳しい山間の土地が多かったですが牧畜に力を入れて羊、牛、ヤギ、鳥などの育成をされていました。
肉料理も今は狩りで採取される野豚、猪などの肉が主力ですがそれらを育てる畜産も農業と同様に今後、重要視されると思うのです」
「解った。実際にお前の提案で作った牧場は良い仕事をしている。その方向で話をしておこう」
「なるべく早くに図録の第二弾、第三弾も作ります。
近々エルディランドから製紙技術の指導者も来ますので、そしたらわが国で製紙もできるようになりますから」
最近はかなり手に入りやすくなったけれど、卵、牛乳、バターは今も一般で簡単に使えるほどの量は無いし、値段も高い。
量産して貰えれば、値段はつくと思う。
本当に何も生かすものが無い土地なんて、きっとそうはない。
探せば、きっとどの土地でも何かは見つかる筈だ。
「製紙の方も、準備は始めさせている。
タートザッヘが活版印刷とやらに興味をもって、色々研究を始めた様だ。任せておいていいだろう。だが、先に私に知らせろ。発見の可能性がある食材の特徴や性質などをな。
大貴族達に知らせなければならん」
「解りました。図録用の原稿を後でお持ちします」
頷きながら私の提案を側にいる書記官に書き留めさせて、あとは、とケントニス様は続ける。
「後は、料理人の育成だな。料理研修希望者の順番待ちが今、とんでもない。
新しい実習店舗は作れないか?」
「一朝一夕には無理ですよ。教師と施設と、素材の配分とか用意しなければならないことが山ほどあるんです。
今から頑張って準備して、第一皇子の料理人を店長兼教師に回して最短で秋から冬にかけて…でしょうか?」
大祭の会議でせっつかれたとケントニス皇子はおっしゃるけれどなかなかに難しい。
レシピは文書化してあるけれど、調理はやっぱり、実際にやってみないと身に付かないからだ。
現在、実習店舗にいる研修生たちとゲシュマック商会の料理人を除けば指導ができるのは、皇家直属の料理人さん達しかいない。
実習施設を作りたいなら、第一皇子家の料理人さんに責任者をして貰うしかないと思う。
「お前はまた、直ぐに国を離れてしまうしな」
「はい。ですから、実習店舗の立案のお手伝いとかはしますが、アルケディウス全体を見た農業や『新しい食』についてはケントニス様にお任せします」
皇王陛下からも大貴族対応は皇子に任せておくように言われている。
魔王城に通じる店の事もあるから、貴族街の実習店舗などは私が継続して見るけれど、国の事業としての食糧生産の指揮はケントニス皇子のモノだ。
「解っている。なんだかんだでもう半年以上もお前達のやり方を見て来たのだ。なんとかできる。
多分な」
おや、と素直に思った。
前は本当に、本当に人の都合も考えないブラック皇子だったのに、目にはしっかりとした自信が浮かんでいる。
私や周囲の意見を聞き、それを取り入れようという姿勢を見せてきているだけ、成長しているのではないだろうか。
考えてみれば、この方も『七精霊の子』なのだ。
国を指揮し、守る才のある人。
「多分、じゃなくって大丈夫です。皇子でしたら」
伯父上に対して生意気な言いぐさであると思うけれど、私は願いも込めてそう褒めておいた。
「本当は、お前が手に入れば一番良かったのだがな」
ふと、溢す様にケントニス様が私を見下ろして微笑む。
「止めておいた方がいいと思いますよ。
私を娘にしたせいで、お父様とお母様は仕事も心労も倍になっていると思いますから」
「そう思うなら大人しくしてやったらどうだ?」
「大人しくしてても無理です。なんでか騒ぎが起こっちゃうんですから」
私は首を横に振る。
いつも言っているけど、私が騒ぎを起こそうとして起こした事はない。
知らないうちに何故か、事が大きくなるだけだ。
「まあ、父上もライオットも、ティラトリーツェも苦労しながらもそれを楽しんでいるようだ。
せいぜい困らせてやるがいい」
「だから、困らせようと思って困らせている訳じゃありませんって……、皇子?」
言い返そうと思った、私は言葉を失った。
私を見つめるケントニス様の視線が、不思議なモノを宿している事に気付いたからだ。
「マリカ。聞きたい事がある」
「はい? なんでしょうか?」
「お前から見て、父親、というのはどういうものだ?」
「え?」
思いもかけない、でも真剣な問いに私は一度だけ目を瞬かせたけれど、真剣に答える。
「えっと、優しくて、頼りになる人だと思います。
一緒にいると安心できるんです。絶対に、この人は私を守ってくれるって……」
「そうか……。そうだな。確かに父親、というのはそういう存在だ」
「皇子?」
「どれほど愚かな真似をしても、怒りを込めて叱っても……父上は私を見捨てたりはしなかった」
独り言のように呟く皇子の言葉の意味は、よく解らない。
「ライオットばかりが愛されている。
そう思い続けていたが……多分、私も愛されていたのだと今なら解る。
私も、そういう存在に『父親』になれるのだろうか?」
解らないけれど、でもこの不安を抱く人を、私は知っている。何度か会った事もある。
だから、その時と同じように。学んだように、私は声をかけた。
「大丈夫ですよ。そうなりたい、という思いがあるのなら。
皇子もきっとなれます」
「そう思うのか?」
「はい。生意気なことを言うようですが、父親って、母親もそうですけど子どもを産んだから、自動的になれる訳じゃないと思うんです。
子どもを大切に思って、親になりたいと思う。
その気持ちが、人を親にしてくれるのだと思います」
「そうか……」
「逆に、親になりたくない。子どもなどいらない、と思ってしまえば、子どもを産んだとしても私は本当の意味では親では無いと思っています。
……どうか、お心に止めて頂ければ幸いです」
「あい解った。意見、感謝する」
静かに頷いた皇子はそれ以上、その話はせず、私達は仕事の会話に戻った。
お母様から、第一皇子妃 アドラクィーレ様の懐妊を聞いたのはその翌日のことである。
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