「なあ、エルフィリーネ…」
我慢しきれなくなったようにアルがずっと、沈黙を守っている守護精霊を呼ぶ。
「はい」
「この城、『魔王城』じゃないんだな?」
「私はそう思っておりますが、最後の判断は、どうぞ最上階を御覧になってからご自身にて」
跪きそう告げたエルフィリーネは城主の部屋の奥に進み、ベッドが埋め込まれた最奥の横の壁に手を触れる。
「えっ?」
ただの真っ白な壁にしか見えなかった壁がふわりと揺れて扉が現れた。
黒い扉を開けると先の見えない細い階段が見える。
「こちらです…」
エルフィリーネが階段の前に立つ。
「俺が先に行く…。マリカ…」
後に続いたリオンが、私の前に手を差し伸べてくれた。
階段は細く、並んで歩くのは無理そうだ。
「うん、ありがとう…」
リオンの手に手を引かれながら、わたしはゆっくりと階段を昇っていく。
この城は四階建てだと思っていたけれど、多分二階層は上がったと思うのにまだ先が見えない。
エルフィリーネの背を追い、階段をひたすらに上がるうち、
「あれっ?」
フッとどこかで何かが変わったような気がした。
階段の色も形も、今まで歩いていたところと同じ。
周囲を見ても移動したようには思えない。
けれど、空に浮かぶようなこの感覚はどこかで覚えがある。
「今、どこかに移動しましたか?」
フェイの眼がぎろりとエルフィリーネを睨む。
そうか、ガルフを送った時の空間転移か。
「ご心配なく、城の外に出た訳ではございません。
ここが城の最上階でございます」
目の前に現れたのは白い壁、
どこにも扉はない。
けれど、エルフィリーネは何の躊躇いも無く足を壁に向け…
「あっ…」
そのまま壁の奥に消えて行った。
「いいか? マリカ?」
「うん」
「アル。どこに飛ばされるか解りません。手を…」
「解った」
私達は、決意を決めて白い壁の向こうへと踏み込んで行った。
壁に見えたものは、中に入ってみると濃い霧だったように感じる。
手を繋いでくれている筈のリオンの顔さえ見えない。
でも、そんなことを思っていたのはごく僅かの時間だった。
突然カーテンを開けたかのように霧が晴れ、小さな部屋に私達は辿り着いていた。
「これは…精霊石?」
そこは、白い部屋だった。
装飾は無い。ただ銀色の大きな獣の彫刻が置かれている。
空を仰ぎ、嘶くような姿は今にも動き出しそうだ。
屋の中央には透明で巨大な石が浮かんでいる。
古いゲームに出て来たクリスタルのようだ。と少し、思うくらいの大きな結晶。
エリセの石や、フェイの杖とよく似た印象があるが、まったく色は無い。
水晶のように無色透明。
命を感じさせる炎も、煌めきも何も感じられない。
私が無意識に手を伸ばそうとした瞬間
『触れるでない!』
バチンと、静電気の様な火花が飛んで、私は後ずさった。
「シュルーストラム?」
「杖がしゃべった?」
「その説明は後です!」
驚くアルに言い放って、強引に出てきたと思われる杖から浮かび上がった化身にフェイは問いかける。
「貴方はあれが、何か知っているのですか?」
『見れば、解るであろう。あれは精霊石だ。星の化身』
「どういうことです?」
『あれは、我々精霊石の長たる者。
星のもっとも大きな願いと祈りの結晶であったものだ…。術者が願えば世界の精霊全てが従うほどの…』
「かつてのこの城の主は長たる石を従える精霊術士、いや魔術師だったということだ」
「リオン?」
精霊石を睨むリオンの瞳は、その先の遠い何かを見ているように虚ろな光に揺れていた。
「彼女はこの地を精霊と共に豊かに守っていた。
けれど…それを妬む者によって魔王の冠を被せられ殺された。そして城は滅び世界は作り変えられてしまった…」
「でも、この精霊石を奪われたり、壊されたりしなかったのかな?」
「魔王城で殺された訳ではないのでしょう。
それは、この城が荒らされていなかったことからも想像がつきます。
万が一を考え、この城を守る手段を施して外に行き、そこで殺められたと思われます」
「エルフィリーネ」
「はい…」
リオンとフェイの推理を聞いた私は、守護精霊を見る。
「貴方は私に前主のように魔術師になって、世界を変えて、というの?」
「いいえ」
それは、はっきりとした迷いのない返答だった。
『そもそも不可能だ。その方はもう既に死んでいる』
「シュルーストラム」
青い瞳に怒りに近い苛立ちが見える。
『私でさえ、長がここに在ることは知らなかった。亡くなっているなど思いもしなかった。
何故、黙っていた。エルフィリーネ!!』
「かの方の死が先なのです。
本来有りえぬ『精霊石の死』
その後の出会いも、別れも全ての運命が、そこから始まりました」
シュルーストラムの詰問にエルフィリーネは悲し気に微笑むと深くお辞儀をする。
私に、いや私達に向けて。
「今は、語れぬことをお許し下さい。
私が皆さまを、ここにお招きしたは主の過去を語る為ではございません。
私にはそれは、許されておりません。
ただ、主が俗に呼ばれるような世界を闇に閉ざした魔王ではないことを知って頂きたかったのと…
…あの子の為でございます」
「あの子…?」
「フェイ兄! あれ、あの石像!」
アルの指さす先、石を守るように立っていた銀の獣の石像が微かに揺れていた。
「もしかして、生きてるの?」
「はい。かつての主のお力でずっと眠りについておりました獣にございます。
目覚めさせるが否かのご判断をお委ねしたく…」
「そいつは精霊獣だ。精霊獣オルドクス…。
滅んだと聞いていたが、まだ…残っていたんだな」
「リオン?」
リオンが目を細めて石像を見る。
泣き出しそうな程…それは優しい瞳だった。
「…書庫の本にも…載ってる。
精霊を守り、守護する獣。見た目は怖ろしく見えるが忠誠を誓う主には忠実だ。
魔王城の守りにはぴったりかもな…」
「はい。ただ、主人の『力』を喰い、命を分け合うのです。
力と言っても些少なものですが、主が死す時、獣も死にます。
であるが為、かつての主がこの城を離れる際、ここに封じられました。
主が死んだ為、契約は切れた状態。封印を解くなら即座に新しい主と契約させねば獣も死ぬでしょう」
「私が主になれる?」
「はい。ですが、力を先ほど喰らうと申しましたがとおり、生命力を多少なりとも奪われます。
まだ、身体幼き我が主には負担になる可能性も…」
「なら…俺がやろう。マリカ…」
「リオン…兄?」
私は、目を見開いた。
リオンは、スッと膝を折った。
跪き、心臓を掴む様に、胸の前で握るリオンは、まるで中世の騎士のように見える。
夜そのもののような黒い瞳が私をじっと見つめていた。
「俺は、マリカに忠誠を誓う。
今は亡き精霊の長の前にて、この約束を捧げよう。
この先、何がおきようとも、決して俺はお前を裏切らない…傷つけない。
…二度と…」
強く握られた手が私の前に、スッと向け広げられた。
私には意味が分からない。
アルは同じように首をかしげているけれど、フェイは青ざめた顔で私達を見つめ、シュルーストラムは驚きに目を見開いている。
胸の中がもどかしい。
彼の言葉に、行動に、どんな意味があるかは本当に解らない。
でも、大事なものを捧げられた。それだけは『解った』のだ。
「お前は、何も気にするな。
俺がそうしたかっただけだ。
ただ、俺はお前を守る。何が有ろうと。
それだけ信じてくれれば、ああ、それでいい」
「私は、信じているよ。リオンの事。
これまでも、これからもずっと…」
立ち上がったリオンは、爽やかな笑顔で笑うとぽんぽんと、私の頭を撫でるように叩く。
それが、いつもの兄妹に戻ったようでなんだか、張り詰めていた気持ちが解け嬉しくなる。
「で、さっきの話だ。
あの獣、俺に預けてくれ。
フェイは魔術師としてシュルーストラムを支えるので精一杯だ。
アルはマリカと同じでまだ身体が幼い。危険すぎる」
「リオン兄は大丈夫なの?」
「俺は無駄に体力はあるから、平気だ。マリカに美味いものもたくさん食わせてもらってるからな」
胸をトンと叩いて見せるリオンの眼は無理をしている顔ではない。
自信と確信に満ちている。
だから、私は信じる事にした。
あの獣のことは解らない。
でも、それを従えられるというリオンを、信じる事にしたのだ。
「解った。お願い。
でも、無理はしないで」
ずっと封じられていたという獣にとっては、可哀想な話だと思うし、助けれるなら助けたいと思う。
でも、全く知らない獣とリオンを比べればリオンの方がずっと、ずっとずっとずっと大事だ。
「フェイ兄。シュルーストラム
もし獣が暴れたら止めてくれる?
リオン兄を守って」
「解りました」『ああ、任せるがいい』
杖に戻ったシュルーストラムを強く握って、フェイは身構えてくれた。
「エルフィリーネ。どうすればその獣の封印が解けるの?」
「獣の身体、そのどこかに封印の要があります。それを、砕いて下さいませ」
「マリカ、首、あごの真下だ」
虹を纏わせたアルの瞳と指が、一点を指し示す。
キラリ、と紅い何かが光ったのを確かめて、私はギフトでその形を、『変える』
手ごたえは、小さなものだった。
雪玉がぶつかって砕けるよりも軽い音と共に、何かが砕け
同時にその身を、銀から白へと変えた獣が
「うおおおっ!」
大きく、高く、雄たけびを上げた。
「オルドクス!!」
リオンの闇色の瞳は獣にも似た輝きで獣を射抜く。
ツン、と錆びた匂いが鼻にぬける。
と、同時獣は床を真っ直ぐに蹴り、一直線に襲い掛かった!
他の誰にも目を向けず…リオンに向けて。
「リオン!」
リオンの二倍はありそうな巨体に飛びかかられたリオンの身体はここから見えない。
まさか…。
冷水を全身に浴びせかけられたような…一瞬の後
「ハハハハ。待て…やめろって。くすぐったい!」
「へっ?」
やたらに明るい、楽し気なリオンの声が聞こえて来て私は目を瞬かせた。
見れば、大きな口から伸びた舌がペロペロペロペロと、リオンの顔を舐めてまくっている。
外見から見れば、巨大なオオカミなのに、その様子はまるで飼い主に甘える子犬である。
恐る恐る獣とリオンに近づく私に気付き、リオンは身体を起こした。
「大丈夫だ。ちょっと待ってろ。オルドクス」
リオンの声が聞こえたのか、獣はきちんとお座りしている。
え? けっこう躾が行き届いた良い子なの。この子?
「…どうやって、っていうか、何やったの? リオン?」
「俺の力を分けただけだ。ほら、こうやって…」
掲げられたリオンの手首から流れ出るものに、私は青ざめる。
「血!!!」
ハンカチ、ハンカチはどこだ!!?
私は、ペタンとリオンの横に座ると手首にハンカチを巻く。
「本で見た通りやってみたんだ。
生命力そのものを食わせて、懐かせるってな。フェイが守りをかけてくれたから、跳ね飛ばされた衝撃もないし見様見真似だけど上手くいって良かった良かった」
立て板に水を流す様な誤魔化しっぷり。
乾いた笑いは、…うん、解ってるね。
私はハンカチを結ぶ手に力を込める。
せーの。
ぎゅーーー!
「うわっち!」
悲鳴を上げたリオンは、けれど解ってた。というように苦笑いしながら私の頭をぽんぽんと撫でる。
そのぬくもりが嬉しくて、ホッとして…
「心配かけて、悪かった…」
私は熱くなった目元と、零れる涙を抑えることは出来なかった。
リオンの血が止まったのを確かめて、私達は最上階を後にする。
登って来た時と一匹連れが増えたけれど、下る階段を来た時と同じようにリオンは私をエスコートしてくれた。
全員があの女主人の部屋に戻って来たと同時、壁の扉は消えて白い壁に戻る。
もう、中には入れないだろう。
「やっぱり、教えては貰えない? エルフィリーネ」
「はい。どうか、お許し下さい。今はまだ、語るを許されておりません」
聞きたい事は山ほどある。
あの精霊石のこと。
この城の前の主の事。
『勇者』に倒された『魔王』の伝説の真実も、エルフィリーネは多分、知っている筈なのだ。
けれど、語らない。
『今は』『許されていない』と、今の主である私に言うのであれば、それは彼女にとってもどうしようもできないことなのだろう。
「解った。
でも、いつか…教えてもいい時が来たら教えて。本当の事を」
「はい。その時は必ずや」
トントントン。
階段を降りる。
三階から、二階へ。
そして一階へと私達は、ゆっくりと自分の足で戻っていった。
そして精霊と、狭間の者の内緒話
『まさか、お主が『精霊の誓い』を贈るとはな。アルフィリーガ』
「あの方の恩に俺が報いる為には、それくらいしかできないからな。
本当に、どれだけ先を見据えておられたのか…。
エルーシュウィンにオルドクス。
シュルーストラム。お前を含めて、俺を、全てを信じ、あの方は残して下さったのか?」
「…それでも、まだ彼女に真実を語る気はないのですね?」
「ああ、何かがおかしい。何かがずれている。
俺があの方を死に追いやった。そして、世界が呪われた。だけではないなにかがあるんだ。きっと…」
『確認するが、お前も長の『死』を知らなかったのだな?』
「知っていたら、あの道を進みはしなかったさ。
あの方と俺の死の真実、奴らの企み。
エルフィリーネを縛るモノ…。欠けているものが多すぎて見えてこない。
せめて…何かが掴めるまでは、まだ…」
「僕は、貴方の選択を尊重しますよ。リオン。
ただ、忘れないで下さい」
「ああ、解ってる。彼女は…マリカはあの方とは違う。
俺は、あの方ではなくマリカに『精霊の獣』としての命を捧げたんだ…」
シリアスパート 魔王城の獣 後編(本編)です。
『魔王』と『勇者』の伝説の真実が完全に明かされるのは、まだ先。
魔王城パートが終わって世界に舞台が移るまで続けられての、その先になります。
今はまだ、ふんわりと何かだけ感じて頂ければそれでOKです
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