初めてのダンスを終え、私はアルケディウスの一角に戻ってきた。
「よくやったな。なかなかに見ごたえがある舞であった」
「初めてにしては、上出来でしょう。
今後も練習は怠ってはなりませんよ。其方は今後、様々な所で舞を披露する事になるのですから」
「ありがとうございます」
なんだか、不安な言葉も聞こえたような気がするけれど、皇王陛下と皇王妃様がとりあえずの及第点を下さったことに安堵したとほぼ同時。
「化けたな。リュゼ・フィーヤ。
見事な皇族ぶりだ」
ひょい、と私の身体は背後から持ち上げられ、宙に浮かんだ。
え? 何?
「あ、兄王様?」
この感覚と声には覚えがある。
恐る恐る振り返れば、そこには楽し気に輝く深紅の瞳。
「私のことをそんな風に呼んでいたのか?
ティラトリーツェでさえ、そんな呼び方はしないだろうに…。
まあ、良い。好きに呼ぶがいい。其方には返しきれぬ借りがある故にな」
「失礼しました。ベフェルティルング様」
にやりとした相好を崩さず私の髪をくしゃくしゃとするのはプラーミァ国王 ベフェルティルング様。
私の父設定である第三皇子ライオット様の奥さん。ティラトリーツェ様の兄君だ
「まったく、ライオットめ。よくぞ私に隠しおおしたものだ。
其方が隠し子だと知る前に無理にでも連れ帰れば良かったと心底悔しく思ったのだぞ」
「陛下、舞踏会にデビューした乙女をそんなに粗雑に扱うものではありませんわ。
まだ、皇王陛下にちゃんとしたご挨拶とお礼もまだというのに」
ぶんぶんと私を振り回す兄王様の背中にかけられるのは、優しく理知的な声。
小さく鼻を鳴らして、私を下ろして下さったベフェルティルング様は背後に控える女性と、さらにその後ろを見遣ると肩を竦め、皇王陛下の前に礼を取った。
先頭に立つ国王に背後に控える一団も従う様に首を垂れる。
「エル・トゥルヴィゼクス。
新しき年の良き日に、こうして再会が叶いましたことを神と精霊に感謝を。叔父上。
先日はご無礼をいたしました」
「エル・トゥルヴィゼクス。
其方も元気そうで何よりだ。ベフェルティルング。
アルケディウスより吉報は届いているかな?
そこにいるマリカのおかげでなんとか約束は果たせたようだ」
国王としての挨拶ではなく、私人としての挨拶を交すお二人。
ここにも、私にはなんだか解らない駆け引きがあるようだ。
私はリオンと共に皇王妃様の側に寄ると、その光景を黙って見ている。
「勿論。プラーミァは数百年ぶりの吉事に国中がお祭り騒ぎとなりました。
火の精霊の恵みを受けた勇士の子の生誕。しかも双子とは。
五百年前の悔恨が拭われたと、皆溜飲を下げた思いでした。
…母も、ぜひとも陛下に直接礼を申し上げたいと…」
満面の笑みを浮かべたベフェルティルング様が後ろに視線を向けると、すいっと一人の女性が進み出て、お辞儀をする。
「エル・トゥルヴィゼクス。
皇王陛下。この度はティラトリーツェの念願を叶えて下さった事、心から御礼申し上げます」
「これはこれは、ディアノイリア様…。
王太后様自らお出ましとは」
驚きに目を細めた皇王陛下の視線の先にいるのは小柄な女性。
淡い、クリームを宿した白髪。柔らかい水色の瞳はティラトリーツェ様と同じ色合いをしている。
身長は本当に低めで150cm前後だろうか?
私とあんまり変わらない。
大柄な兄王様と並ぶと本当に小さく見えるけれど、その存在感は凄い。
話の流れからすれば、この方はティラトリーツェ様と、ベフェルティルング様の母君。
プラーミァの王母。ディアノイリア様だ。
「直接お会いするのはティラトリーツェ姫がアルケディウスに嫁いできた、結婚式以来でしょうか?」
「ええ。娘がお世話になっているにも関わらず、ご挨拶もできずにいた事をどうかお許し下さいませ。
このような老人が表に出るべきではない、と承知しておりますが、どうしても娘の念願を叶えて頂いた事にお礼を申したくて…」
老人、とおっしゃるけれど、腰も曲がっていないし 目にも足にもしっかりとした強さが感じられた。
年齢的に言うと多分、60歳前後。
皇王陛下達とどっこいだろう。
「いいえ。こちらこそ。
私の不徳でこのように時間がかかってしまったことは、ティラトリーツェにもプラーミァにも詫びる言葉がございません。
此度の慶事でかつての無念を少しでも拭う事が叶えば良いのですが…」
「時は決して戻りません。失われたものは取り戻せませんが、新しく作り上げていく事は可能だと、娘はその身で証明したのです。
叶うのであればアルケディウスとは今後も、家族のように良き関係を築いていければと願っております」
「こちらこそ、今後ともどうか宜しくお願いいたします」
かつてティラトリーツェ様の子を、兄嫁が流産させた事件。
本来であれば国交断絶さえも在りえた悲劇は、王母様の判断で無かった事になった。
それを今、アルケディウス皇王陛下は正式に謝罪し、プラーミァ王太后は受け入れた。
一つの歴史的な場面ではないかと思う。
アルケディウスとプラーミァの友好が再び約束されたのだから。
「ティラトリーツェは元気にしていますか?
双子という子ども達はどんな感じかしら?」
「産後の肥立ちは良いようです。…マリカ」
「あ、はい…」
皇王陛下に手招きされて、私は隣に、つまりは国王陛下と王太后様の前に立つ。
えっと…
「エル・トゥルヴィゼクス。
新年の良き日に、王太后様には初のご挨拶をさせて頂きますことをお許し下さいませ。
アルケディウスの子にしてティラトリーツェ様の養女。マリカと申します」
胸に手を当て丁寧に頭を下げる。
エル・トゥルヴィゼクス。という言葉は、私が最初に聞いた時は乾杯の意味であったけれど、この新年、何度も聞いた挨拶の枕詞になっていたことからして『あけましておめでとう』とか『お会いできてうれしいです』とか『貴方の幸運を願います』とかの意味合いになっているのだと思う。
だから、今までの挨拶を真似してみた。
「エル・トゥルヴィゼクス。
其方がライオット皇子の子ですね」
柔らかく笑み返してくれる王太后様。
とりあえず、挨拶には間違いは無かったようだ。
ホッと一安心。
ただ、王太后様の中で私の反応はいかなるものか少し心配にはなる。
私は王太后様から見れば、皇子の…婿の浮気の子だからね。
「最初はあの堅物がよもや浮気をと驚き怒りもしたのですが、子には罪はありませんし、何よりティラトリーツェが我が子のように思っていると幾度も手紙に書いてきました。
さらには、驚くべき知識と料理の腕、さらには子どもを救うために常識を超える事をやり遂げる胆力を持つとコリーヌからも褒め言葉しかない手紙を受け取っています。
其方がいなければ双子は無事に生まれなかった、と」
少し硬い表情は宿っているけれど、お言葉や私を見る目線に嘘や見下げる感情は無い。
「ライオット皇子の子なら、ティラトリーツェの血は継いでいなくても貴方は私の姪。
誇り高い火の国、プラーミァの血と精神は貴方にも宿っているのでしょう。ティラトリーツェと孫を救ってくれたことを感謝しています」
「勿体ないお言葉です」
「何より私もチョコレートや、貴方の教えてくれた料理に夢中なの。だから、これからもどうぞよろしく。リュゼ・フィーヤ。家族として仲良くしてくれると嬉しいわ」
「ありがとうございます」
頭を下げながら、正真正銘ホッとした。
良かった。王太后様も良い方で。
「良ければ座って、ティラトリーツェや双子の様子を聞かせて貰えるかしら。
あちらはあちらで話もあるようだし」
クスッ、と微笑んで向けた王太后様の視線の向こう。
私に関する件の区切りをついたのを受けて安心したのだろう。
「ところで、ベフェルティルング。チョコレートの件で話がある。…困っておるのだ。
あのような国の命運を変えかねない重要品目を、私の目の届かぬところで動かされてはな」
「何のことでございましょうか? 叔父上。あれは単に私がマリカに頼まれた植物を私的に届け、礼代わりに味見をさせて貰っているだけですが?」
「よし。
では、プラーミァ国王陛下、チョコレートでも摘みながら事前交渉開始とさせて頂こうか。
主題はカカオ豆と砂糖の輸入についてだ。」
「確かに、丁度良い機会ではありましょう。アルケディウス皇王陛下。当方もチョコレートを含め『新しい食』についてのご相談させて頂きたく…」
王様同士がバチバチと見えない火花を散らし始めた。
国のトップ同士の貿易交渉である。
私には出る幕は(多分)ない。
「王太后様、王妃様、どうぞこちらで。難しい話は男同士に任せ、こちらでは女性同士ゆっくりと会話を楽しむと致しましょう」
静かな皇王妃様の促しに王太后様は頷いて、同伴の女性と一緒に歓談用の小テーブルに着く。
華やかな影に陰謀と、策略と思惑の交錯する舞踏会は、まだ始まったばかりである。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!