「良い情報を感謝する。ベネット。
そういう事なら先手必勝だ」
「せいぜい頑張れよ。警戒が厳重だから注意はした方がいい」
「なに。商品の調達には慣れているさ。じゃあな」
オレは意気揚々と立ち上がる旧知の移動商人に乾いた声をかけた。
奴とはもしかしたら二度と会う事は無いかもしれないが。
応接室から出て執務室に戻る。
机の奥に隠した小さな小箱を空ける。中には一枚の大振りの金貨が入っている。
精霊金貨。
金貨に刻まれた美しい精霊の顔があの娘の顔に良く似ていた。
これは、従属の証。
あの娘に『買われた』契約の印でもある。
今、アルケディウスには今年最後の大祭を前に各地から移動商人が集まってきていた。
今年やってくる彼らの多くが一つの目的を持っている。
『新しい食』
人に快感と気力を与える、一度は打ち捨てられた食文化の復活は、アルケディウスに新しい産業と雇用。
そして莫大な富を与えていた。
オレの生業とは直接は関係ないが、まっとうな者もそうでない者も商人は皆『新しい食』の情報を得ようと血眼になっているのだ。
さっきの男もその一人。
特に金を得る為には悪行を厭わないタイプの商人だ。
オレは机の中から木札とペンとインクを取り出す。
『商人 ムーミエ
黒髪 蒼い瞳 外見年齢 40代 中肉中背
商業範囲 奴隷から日用品まで
配下 直属の部下三名 護衛五名
荒事に出る可能性 大いにあり』
その他こまごまとしたことを書き終えてからオレは机の上のベルを鳴らした。
「お呼びでございますか? ご主人様」
「この木札をいつものようにゲシュマック商会へ」
「解りました」
「目につかぬようにしろよ」
「心得ております」
オレはこの街に入ってきた移動商人の情報をゲシュマック商会に回している。
仲間を売っているのか言われればその通りだと言うしかない。
既に、何人かの『知り合い』が捕えられ、アルケディウスにおける商業権の剥奪を含む厳しい罰を受けていると聞く。
目的の為には手段を選ばない、強引な商売をする者ばかりだが。
オレもかつては自分もその一人だと思っていたが、今は考えを改めている。
きっかけは一人の娘との出会いだった。
「貴方を雇いたいと思います。
奴隷商人ベネット」
ある日、正式な手続きを踏んで面会予約を取って、オレの店に訪れたのは一人の子ども、しかも女だったのだ。
ゲシュマック商会 マリカ。
届けられた札にはそう書かれてあった。
今を時めく食料品取り扱いの店が、奴隷商人に何の用かと思い、でも金の匂いを感じてオレはその面会を受ける事にした。
伴として二人の男を連れてやってきた。
そう、大人を従えてその子どもはやってきたのだ。
「オレを雇う、だと? お前が?」
「子どもと思って侮るのは勝手ですが、貴方も商人の端くれというのなら、情報は集めておいた方がいいと思いますよ。
私はゲシュマック商会の料理人。王宮にも足を運ぶ準貴族待遇のゲシュマック商会、代表の一人です」
オレの睨みに怯む事無く、真っ向から受けて立ったその娘は、笑顔さえ浮かべて見せた。
「貴方が各地で子どもを集めて売りさばく奴隷商人であることは知っています。
ですから貴方を雇う、いいえ買いましょう。奴隷商人ベネット。その商売と才覚ごと、ゲシュマック商会が買い取ります」
「はあ? 何を言ってる? バカにしているのか?」
呆れて目を見張っていたオレは
「バカにしているなんてとんでもない。
私はこれでも貴方を買っているのです。人を見る目と儲けどころを見つける目を。
騎士試験に埋もれていた実力者を送り込み、優勝させることで大金を得ようとする。なかなか考え付く事ではありませんもの」
娘の言葉に凍り付いた。
誰にも、ウルクスにさえはっきりと告げていなかったオレの目的を、何故、この娘が知っている?
「! な、何故それを…」
動揺を隠しきれないオレと正反対に、娘が浮かべる微笑みは消えない。
「惜しい所、でしたわよね。決勝戦の相手がゲシュマック商会の子でなければ成功したかもしれません。
四百倍の倍率をふいにさせてしまってすみませんでした」
オレはもう声も出ない。
『ふいにさせた』と言った。
つまり、ウルクスを敗北に導き、なおかつ皇国騎士団を使って子どもを保護させたのは自分達であると言っているのだ。
そう言えば思い出す。
皇国騎士団がウルクスの子ども達を引き取りに来た時、この娘が側にいた。
「その埋め合わせを兼ねて、貴方を雇います。
知る限りで構いません。この街に入って来る移動商人の情報をゲシュマック商会に知らせて下さい。
一人に付き、高額銀貨一枚を支払います」
「高額銀貨一枚? 正気か?」
「本気です。大祭に向けてゲシュマック商会は移動商人の情報を何よりも求めているのです。
それもできれば表では無い。悪行や裏の手段を辞さない危険な商人の情報を。
奴隷商人であるというのなら、そういう情報も貴方には入って来るでしょう?
危険度が高い存在の情報を教えて頂けるなら、より割り増しも致します」
金額も行動も常識では考えられないが、利には叶っている。
自分達には得られない情報をオレから買おうという訳か。
「加えて、貴方が今後、子どもを買い取り入手した場合は優先してゲシュマック商会に連絡して売って下さい。
男女、年齢問わず相場にプラス一枚の金貨を足して買い取りましょう。
優先販売契約、という形ですね」
「な、何?」
「貴方の本業にとっても悪い話では無い筈です。一々買い取った子どもの売り先を考えずにすみますよ」
深められた笑顔と瞳をオレは呼吸も忘れて魅入っていた。
宵闇の空のような紫の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「そ、そんな大金をいかにゲシュマック商会の息がかかっていても子どもが右から左に動かせるのか?
口約束だけでは商人にとって何の価値も…」
「それは、私が保証しよう。ゲシュマック商会 代表ガルフの名に置いて」
「何?」
震える声で問いかけたオレに、今までずっと沈黙を守っていた男が前に進み出て口を開く。
場末の、しかも商業範囲のまったく被らない相手だから顔も知らなかったが、差し出されたギルドの登録証は間違いなくこの人物が食品取扱い、ゲシュマック商会の代表だと知らせている。
ゲシュマック商会の代表を、この娘は従えていたのか?
「契約の証明には私が立ち会う。
覚えていないか? ベネット。私の顔を?」
「あ、あんたは…」
動揺するオレにさらに追い打ちをかけるようにもう一人の従者が進み出た。
平服であの時とは髪型も表情も何一つ違うから、今の今まで気付けなかった。
この男は…あの時の…
「皇国騎士団 副団長 ヴィクスが契約に立ち会い承認する。
契約に従う限り、貴様の収益と安全は保障されるだろう」
皇国騎士団の副団長。
秋の戦に団長である皇子が出ている現状、今の皇国の武のトップである男まで、この娘に付きしたがって?
「どうですか?
もしこの契約が不服であるというのなら勿論、断って頂いても構わないのですが…」
口元は笑みを形作っているが目は笑っていない。
とオレはその時気付く。
この娘にとっては、オレは重要かもしれないが代わりの効く道具の一つでしかないのだろう。
瞳に浮かぶ酷薄な光が、断るなら容赦なく切り捨てると言っている。
「解った…。条件を呑み契約しよう」
「ありがとうございます。
ああ、勿論大前提条件として、貴方はゲシュマック商会とそこに保護されている子どもには手出しはしないで下さいませ。
彼らは全員、神殿に準市民として登録されている存在です。手出しをすれば罪に問われますよ」
「解っている。オレはこの街の中で子どもを買い取ったことはない。
打ち捨てられている者を拾ったことはあっても、権利者がいる者から強引に奪い取ったこともない」
「はい。承知しています。であるからこそ、信頼し話を持って行ったのですから。
貴方がドルガスタ伯爵のような最悪な貴族に子どもを売るような存在ではなくて良かったです。そうだったらとても信用できませんでしたから」
娘が花が咲いたような笑顔と共にオレに向けた褒め言葉。
聞き流すにはあまりも怖いそれは返事だった。
つまるところこの娘は、オレの商売のやり方や「商品」の仕入れ方法などを調べあげているということなのだろう。
背筋に流れる脂汗が止まらない。
この娘は何だ?
奴隷商人としてたくさんの子どもを見てきたつもりだが、こんな化け物を見た事は無い。
「貴方の事を頼りにしています。
奴隷商人ベネット。今後とも宜しくお願いしますね」
心にもない事を口にしていると誰もが解る魔性の笑みで、そう言うと娘はオレを買い取ったのだ。
契約金の精霊金貨。
そして約束通り情報を渡すごとに支払われる金は、あっと言う間に金貨を超えてしまった。
けれどもゲシュマック商会はその情報を有効に活用しているようで、既に仕掛けた幾人ものあくどい移動商人が捕えられて、身分を明かされ、商業権を奪われたり監禁されたりしている。
皇国騎士団が完全にバックアップについているのだ。
罪を犯せば容赦はない。
彼等が見せしめになって、最近は行動に慎重さを見せる商人も多くなっているようだ。
ムーミエがそれを知っているのかどうかは知ったことではない。
奴の運命もだ。
オレはただ、言われた通り。
「ゲシュマック商会の躍進の秘密は黒髪の娘にある。
あの娘が新しい味の調理法や素材についてほとんどすべてを知っているようだ」
という事実を伝えただけ。
一応警告はくれてやったのだ。
後はあいつ次第だ。
オレは、自分が小者であるということを理解している。
金を動かしているつもりで、動かされている金の奴隷。
小金に目が眩み、長いモノに巻かれるありふれた商人。
国を又にかけて大きな商いをするような、国を動かす様な商売をする魔性たちには叶うべくもない小さな存在だ。
だが、それでいいと今は思う。
オレは、本物を見てしまったのだから。
子どもの皮を被ったあの魔性、いや『魔王』を。
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