くそっ、くそっ! くそっ!!
その瞬間、神矢君は震える足を必死に動かし、自分の船のある格納庫へと飛び込む。
コスモプランダーが、大気圏に入った瞬間、彼は誰よりもはっきりと理解したのだ。
これは、勝てない。叶う筈はない。
コスモプランダー達の前に、自分達はただ弄ばれ、喰われるだけの家畜だと理解させられたのだ。
直接前に立ったわけでは無い。それどころか姿さえも見ていないのに突き付けられる圧倒的な力量差。押しつぶされそうな程の重圧感。
次元の違い、格の差。半端に力が有る分、それが解る。いや解らせられる。
この重圧を第一世代が半分でも毎日かけられていたのだとすれば、勝てないと先生が断言し、強気の第一世代達の心が折れ、バイオコンピューター化に逃げたかった理由も理解できるというものだ。
「神矢!」
「星子! お前まだ……。いや、いてくれて、良かった」
船のコントロールルームには既に万全の用意がされている。
変生用のナノマシンウイルスのプールもあるのでそうする、と決めれば、即座に成れる。
もう皆の準備は整っているので、彼の決断から数十秒で、飛び立てるだろう。
その上で、待っていてくれたパートナー。
白いレオタードドレス、接続スーツを身に纏い準備を整えた大事な妻。
星子ちゃんに、神矢君は抱き着いた。抱きしめた。縋りつくように。
「勝てない。……確かに今の俺達では奴らに勝てない」
けれど、彼はもう一度、その場に立ち尽くし、視力でない目を見開く。
彼の視線の先には大きく抉られた大地。数多のクレーターが見える。
そして、隕石としか思えないような黒い、石の塊が扉のように開き、ソレが現れた。
意外にも人型。
流体金属でできているのか、柔らかくしなやかで。
水銀でできたのっぺらぼうのように見えた。
人を真似、同じくらいの大きさをしているだけに、逆にはっきりと解る。
密度の濃さ。圧力、放たれる次元の違う圧迫感
この世にもし、神というものが存在するのなら、こういう者なのかもしれないと素直に納得できる。
彼らは、さらに驚くべきことに、地上に降り立ち、出迎えの前に立つと、スルスルっと姿を変え、その面に人間の目鼻、顔立ちを浮かび上がらせた。
濠の深い、髭の生えた男性に……見える?
『あ、あれは……男性? どこかで見たような?』
首を傾げるティエイラの端末。流石に今はカリオンではなく目立ちにくい黒猫を模しているけれど。それを肩に乗せた軍部のエリートさんが教えてくれる。
「宇宙飛行士です。ティエイラ。宇宙ステーションに滞在し、消息を絶った九名の一人に酷似しています」
ティエイラの視界。真理香先生の端末の情報が、疑似クラウドを通して、能力者達に共有されている。勿論、リアルカメラで普通の人たちにも。
「よ、ようこそ。地球へ」
ティエイラの端末を連れた人物が、彼らを出迎えるようにお辞儀をする。
八名の軍人たちが、今、コスモプランダーの前に立っている。
一応、第一世代に外見を似せてある彼らは、決死隊。
生きては戻らない覚悟で、このファーストインプレッションに臨んでいた。
長である人物が肩に子猫を乗せているのはどこかシュールだけれど、コスモプランダーにはきっと解らない。
そんな彼らを見ているのか、いないのか。
流体金属の顔は、最初の男性の顔から、次の女性の顔へ、そしてまた別の人物へと変わる。スライムのように実体なく蠢く姿は恐怖感しかない。
「ハジメテノ、ケイケンデアッタ」
「うっ!」
彼らが、地球で初めての、意思を発した。
ただ、それだけで、逆らい難い重圧が眼前に立つ者達の脳を締め上げる。
視覚情報を共有しているだけであるのに、神矢君は雪山で震える遭難者のように身震いを止めることができないでいるようだ。
「ジョウクウデ、コレホドニ、アシドメサレタノモ、コンナニ、オオクノニンゲンガ、テキゴウシ、ワレワレヲ、マッテイタノモ、ハジメテノコトダ」
『どう思われますか? ティエイラ』
隊長さんのインカムから伝わってくる大統領の問いに演算機能としてと、第一世代として。両面からティエイラは返答を見出す。
『多くの人間が適合し、ということは彼らには人間形を保っている人間は、能力者。自分達の配下に見えるのかもしれませんね』
伝えられる意思は、日本語のように私の耳に届くけれども、きっと日本語ではないのだろう。その証拠に、リアルタイムでティエイラからの中継は世界中に発信されているが、全員が即座に意味を理解しているように見えた。
「ホシノ、ジュウリョクカラ、トビタツチカラヲ、モツモノト、デアウノモ、ヒサシイ。
ソラデ、デアッタモノタチハ、スグニコワレ、タイシテ、ショクセナカッタ。
ダガ、キョウミブカイ、アジダ。
キタイシテイル。コノホシニハ」
「大して食せなかった、だと!」
『おそらく、コスモプランダーは宇宙ステーションで人間に遭遇、彼らから情報を得てこの地球に目を付けたのでしょう。もしかしたら、地球に目を付けてから宇宙ステーションの人間で情報を得たのかもしれませんが……』
NASAの情報を取り込んだティエイラが、情報を補足する。
「ヒサシブリニ、ワレラヲ、タノシマセテクレルコトヲ、キタイシテイル!」
「!」
人型を取っていたソレは、次の瞬間、弾けた水雨風船のように容を無くし、巨大な、でも実体をもつ靄になった。
さらに、他の隕石からも大小の差こそあれ似たような流体金属達が表れて、融合していく。
巨大な、巨大な、一つの意思に。
瞬間、声が、響いた!
『行って!!』
ティエイラ。いや、真理香先生の声。
仲間達と教え子に向けた願いと、意思。未来に託された希望という花。
それを確かに受け取って。
『シンヤ!』『急げ! マリカ達が時間を稼いでいる隙に!』
「解ってる。でも……星子、力をくれ!!!」
神矢君は星子ちゃんを抱きしめ、願った。
ナノマシンウイルス精製装置たる彼女に。
「え?」
「今は、逃げるしかない。解っている。
自分の責任と、船団の守護から逃れるつもりもない。
でも……このまま、ただ逃げてなんかやるもんか!」
「神矢……」
「最後に、地球人の意地、人間の力を見せつけてやる! 皆も、頼む……」
『大気圏脱出までの間なら、皆が、力を貸してくれる、ってさ』
『ナハト!』
心配の声を上げたのは誰だったのか。
でも、止めろ。とは誰も言わなかった。
これから宇宙の旅に出るというのに、その為のリソースはいくらあっても困らないというのに。
それでも……、皆、同じ思いだったのだろう。
『早く、持ち場に着け。レルギディオス。
出発と船団の誘導は俺達がやってやる。迷いや思い残しを地球に置いていくな』
「ありがとう。……星子」
仲間達の思いを受け止めた神矢君は、最期に自分の腕で一度だけ、星子ちゃんを強く抱きしめる。
唇を軽く重ねて。
もう、人間の身体で彼女を感じられるのはこれが最後だと解っている。
でも、今の彼は移民船団の長、地球の希望。
欲望よりも、愛よりも、もっと強い信念をその胸に抱えていた。
「神矢……」
「今は、無理だ。奴らの格に、力に今の俺達では叶わないと解る。
でも、逆にいつかは届くかもしれないと、感じるんだ。
俺達の後、子どもやその後、進化した……もしかしたら、第三世代が出てくれば。奴らを倒せるかもしれない」
「そう、だといいね」
まだマシン化していない『子ども』の夢。
願望かもしれないけれど。自分には彼ほどはっきりと確証を持つことはできないけれど。
実際にコスモプランダーをその目で見たパートナーの判断に、星子ちゃんは小さく頷く。
「だから、力をくれ。星子。
俺に、今、この場から逃げる勇気を。
そして、先生や地球に残る全ての人達に希望を送り、俺達自身が、いつかお前達を倒すと、コスモプランダー達に伝えて行く為の力を」
愛する男の強い意志。
彼女は静かに星のような笑みで応えた。
「……解った。私の全部。神矢に預ける」
「ありがとう。俺が逃げるのは今回だけだ。
二度と逃げない。必ず、お前を、仲間を、子ども達を守って見せるから」
もう一度だけ、深い抱擁と口づけを交わし、二人はそれぞれの船に駆け出して行った。
そこからはかかった時間はわずか一分弱。
神矢君は彼が死装束に選んだ学生服を脱ぎ捨て、メインルームに搭載してあった、ナノマシン集合体の中に迷いなくその身を投じる。
程なく、出現した黒金の水晶。
神矢君が、融合したバイオコンピューターが、揺るぎない意思を宿した声を星に響かせた。
『出立だ! 全力で大気圏を突破。重力圏を一気に振り切れ!』
と、同時、格納庫に灯りが灯る。
コスモプランダーの出現と同時、世界全てから失われた希望の光が、ここだけ戻ったように。
「エネルギーレベル オールグリーン。
バイオコンピューターに干渉するコスモプランダーの介入微小。出立に影響ありません」
「格納庫のハッチ開きます。移民船のエンジン点火。
発射カウント開始します」
「移民船ステラの周囲に大量のナノマシンウイルスの発生を確認。さらに増大中。
大丈夫ですか?」
『出発に影響は与えません。カウントの継続お願いします』
星子ちゃんは白いレオタードドレスを身に纏い培養槽の中に浮かび、金の触手めいたコードで、手足を船と繋いでいる。
私が、城と接続した時と似ているな。
「……了解しました。今まで、ありがとうございます。能力者達。
皆様の航海の無事を、祈っております」
サポートのオペレーターが、送った最後の手向けの花。
それを胸に、彼らは
「5・4・3・2・1」
『移民船団ノア、出航!』
移民船団長。バイオコンピューター レルギディオスの命令と同時。
九機の宇宙船が爆発音もなく、滑るように宙へと飛翔した。
黄金の光と、人々の祈りを、その身に宿らせて。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!