通信鏡の向こうから聞こえる声は、静かで、穏やかで。
少しも高ぶった所や怯えた様子は見られない。
アルを攫った『神の子ども』
まだ確定ではないけれど、犯人の可能性が高い相手からの接触だ。
私はカマラを手招きすると、側にいてもらった。
誘拐事件の場合、犯人からの交渉が人質の明暗を分ける。
できるなら証拠として録音しておきたいところだけれど、中世異世界は辛い。
せめて後で内容を証言して貰える第三者が欲しいと思ったのだ。
「マルガレーテ様。体調を崩して臥せっておられると聞きましたが、もうよろしいのですか?」
『大事な時に、身体が辛いなどと言っている暇はございません。
私はこれでもこの国の公子妃でございますから。どうぞご用件を』
丁寧な口調は逆に柔らかな拒絶とも感じるけれど
「ありがとうございます。では前置き無しで失礼いたします」
怯んではいられない。私は顔を上げて胸を張った。
せめて気持ちの上だけでも負けないように。
アルの命と未来がかかっている。
「ゲシュマック商会の技術部統括で、私が弟と思っている人物アルについてご存じの事はありますか?」
『ございます』
いきなり、貴女はアルを誘拐したんですか? と聞いてもイエスは帰ってこないだろう。
別の方向から、既に証拠として残っている文書と封蝋から攻めることにする。
『彼は、私にとって妹の子、甥、いえ、実の弟のような存在でございます。
一度、話をしたいとオルクスに仲介を頼み、手紙を出しました』
「現在、アルは何者かに拐かされ行方不明となっております。その件についてご存じの事はございませんか?」
『拐かしとは穏やかではございませんね。本人が自分の意志で消息を絶ったという事はございませんの?』
「妹分と呼べる少女を攫われ、返してほしければ一緒に来いと言われれば従うしかないでしょう。目撃者が幾人もいます。立派な誘拐です」
『まあ、そんなことが。随分と手荒な手段ですこと。そこまでしてでも手に入れたいと彼は求められ、必要とされていたのでしょうね』
あくまで他人事のように語っているけれど、誘拐犯を庇っているような色も見える。
知らない。という言質も得られていない。
「だからと言って、本人の意思を無視して連れ去っていい理由にはなりません。
彼には居場所があり、家族があり、仕事があり、待っている人がいるのですから。
アルの失踪を多くの者が心配しております」
『……あの子に、あのような仕打ちをしておいて?』
「え?」
一瞬、背筋に冷水を浴びせられたような気分になった。
通信鏡の向こうからでも感じられるはっきりとした敵意。
それは確かにマルガレーテ様から発せられ、私にぶつけられたのだ。
「それは、どういう意味ですか?」
『いえ、特に意味は。
私からの手紙には、今の家族と仕事が大事なので興味はない。という返事が返っております。その後の彼の行動や現在の居場所については存じません』
「そうですか。オルクスさんは、お戻りですか?」
『まだでございます。ヒンメルヴェルエクトはアルケディウスのように転移陣や転移術を使って国内を瞬く間に行き来する、などということはできませんので。一度国内視察に出れば数週間戻って来ない事も珍しくはございませんし』
「そうですか」
『収穫を終えたばかりのコーン畑。収穫目前の麦畑などを狙って魔性が現れたという報告もあります。オルクスはそちらの対処もしている筈ですから』
「魔性が?」
『こちらもここ数年では珍しい事ではございません。『精霊神』の恵みが深まったことで魔性達も力を増しているのでしょう』
「そうですね」
魔性の増加は確かに世界的な傾向だ。
珍しい話ではない。
『それにオルクスが、少年の不明に関わっているという判断も早急なものではありませんか? そんな証拠や目撃証言はございませんでしょう?』
「いえ、その件については……」
私は、少し考えて一端口を噤んだ。
こんな誰もいない所で交渉してものらりくらりと躱されるだけだ。
アル救出の為に情報が少しでも欲しい事もある。
「直接、改めて直接お会いしてお話させて頂くことは難しいでしょうか?
マルガレーテ様がご存じの、アルの母親かもしれない人について教えて頂きたくもありますし」
『それは、個人的な話でございますから他人に軽々とは……』
「私とアルは家族のようなものですから」
『皇女と、孤児が家族、ですか?』
「私もアルも貴族家で飼われていた奴隷上がりです。
偶然親が皇子であっただけの話で」
この辺は公式設定だから別に話しても問題ない。
「それにアル自身も自分の起源。
産みの親について興味が無かったわけでは無い。とも聞いています。
私のように親の身元がはっきりすれば、何かが変わるかもしれませんし、そうでなくても心の支えになると思うのです。
誘拐その他とは別に、お話を伺わせて下さい」
『精霊神』様の話からすればアルの母親は少なくとも確定で『神の子ども』だ。
その話を聞くことができれば向こうの現状が少しでも解るかもしれない。
さっき語られなかった謎の一つ。
外に出てきている一部の以外の『神の子ども』達は今、どうしているのか。とか。
『……解りました。
では、明後日、ヒンメルヴェルエクトにおいで頂けますと幸いです。
アル少年について、私が知ることをお話いたします』
「ありがとうございます」
『こちらでもオルクスの今の居場所を懸命に探しております。
彼が誘拐事件に関与しているということはないと思いますが、戻ってきましたら同伴させますので』
「お願いいたします」
明後日か。
本当は今すぐ、とかせめて明日、と願いたいところだけれども貴族、王族の面会にそうそう無理は通せない事は解っている。
本来なら中世異世界でリアルタイム通信とか、即日国境超え移動なんてありえないのだから。
『通信鏡は便利ですわね』
「え? はい。そうですね。アルケディウス近年の最高の発明だと思います」
突然の話題転換に戸惑いながらも私は頷く。
情報通信は近代科学の産んだ最高の兵器だとも言われている。
国の防衛、食料生産、経済の流通。ありとあらゆる点において多大な影響を齎す。
『今は、王族や限られた者しか使えないこの通信鏡を誰もが持つようになったら、世界はきっと大きく変わるのでしょうね』
「そうですね。今は材料とか技術的なものとか色々な問題で量産が難しいですが」
『人の技術ではなく『精霊の力』に頼っている現状ではそうなってしまうのでしょうね。
『精霊神』に管理された厳しい世界。人々は、世界はもっと自由であっていいと思うのですが……』
「マルガレーテ様?」
『こちらの話です。では明後日。場所はヒンメルヴェルエクトで。お待ちしております』
「あ!」
通信が切られてしまった。こちらからかけ直してもいいけど、多分出ないだろう。
「なんだか、意味深な発言でしたね」
「カマラもそう思う?」
『精霊神に管理された』『厳しい世界』
なんかこう『精霊神』様への敵意というかあてこすりめいたものを感じる。
この世界は自分達に優しくないのだと。
それは、やっぱり……。
「とにかく、一端戻ろう。大聖都に帰って相談しないと。さっきの連絡についても」
「はい」
私はカマラと一緒に大聖都に戻っていった。
転移陣に入る私達を、いつの間に戻ってきていたのだろう。
灰色の短耳兎。ラス様が見送ってくれていた。
どこか、寂しげな眼差しで。
兎なのに、寂しげとか解るのかと言われそうだけれど、私は。そう感じたのだ。
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