私はティラトリーツェ様に、自分の前世。
記憶にない、魔王の転生の方ではなく、異世界で生きた保育士北村真理香についての話をした。
頭がおかしいと言われても仕方ない突拍子の無い話であるのに、ティラトリーツェ様は黙って聞いていた。
「成程。要するに貴女は、精霊も魔術も無い。
けれど、他の技術が発達した世界の知識を持っているというのですね」
私の話を一通り聞き、ティラトリーツェ様はそう纏めると
「はい。信じて頂けますか?」
「信じがたい事ではあるけれど、それが事実であれば信じるしかないでしょう」
静かに頷いて下さったのだ。
「実際、それが真実であるのなら全てに辻褄が合います。
貴女という存在の不可思議さも説明が付くのです。
貴女がプラーミァの果実を別の名で呼んだのは、その世界にも同じ果実があってそれを知っていたからなのですね」
「全てが同じではないのですが、二つの世界はよく似た音、よく似た名を持つ同じ食材が多くあると感じていました。
向こうの世界の調理技術は食が重要視されている事もあって、複雑、かつ高度。
私は専門家でもないので、覚えこの世界で運用している分など本当に欠片でしかありません」
お料理お父さんは偉大。
でも、醤油、米、味噌、調理用酒、香辛料なども無い世界、私が本当に食べていた日本食、得意料理などは全然再現できていない。
「発酵に纏わるあれこれ、出産の時の知識。香りや化粧品、マッサージなども、その世界が出典なの?」
「はい。どれも専門というにはほど遠いですが、興味があり特に習い覚えていたものでした」
「あのような知識を普通の人間が持ち、運用できる。
貴女のいた世界、というのは凄い世界ね…」
専門家が見ていたら鼻で笑われるレベルでしかないけれど、好きで楽しんでいた知識と経験が私を助けてくれている。
「私は向こうの世界で、子どもを親から預かり、守り教育する事『保育士』を仕事にしていました。
乳母の仕事を、特定多数の子どもに当てはめるようなものと御理解下さい。
この世界で子ども達が不当に虐待されていることが許せなくて、皇子が助けて下さった子達を守る為に、魔王城で保育士を始めました」
魔王城の住環境を整え、子ども達に教育を与え、その過程で自分が魔王の転生と言われた事などまで包み隠さず話した。
流石にリオンやフェイについてや変生、精霊の力についてなどについては積極的には言わなかったけれど。
「今の私は向こうの世界に生きた保育士、北村真理香でそのものではなく、この世界に生まれ、学んだマリカが入り混じっているような存在です。
私の願いは、向こうでもこちらでもただ一つ、子ども達を守り、笑顔で幸せに暮らせる世界を作る事。
その為に自分のできる全力を尽くすと決めています」
「…そう。だから貴女は…」
「え?」
「いいえ、こちらの話です」
私の全てを聞いたティラトリーツェ様の笑顔は、本当に驚くほどに今までと変わらなかった。
ちょっと、拍子抜けするくらいに。
「そういうことであるのなら、やはり今まで通り、転生者である、というのは隠しておくのがいいでしょう。
異世界、という貴女の言葉を私自身、ちゃんと理解していると言える自信はありませんが、貴女の言い分を信じるなら他の者にとって…貴方達には例えが悪いと承知していますが…
『神の国で生まれ育ちました。その知識を持っています。実は成人していて大人としての分別ももっています』
と言っているようなものですよ」
「神の国というのは…」
「解っていると言ったでしょう。単なる例えです」
あからさまに嫌な顔をしてしまったらしい私にティラトリーツェ様は言い訳ると、スッと真顔になった。
「タダでさえ、貴女は子どもで女で、料理人、そしてこれからは皇女として注目され、狙われる存在です。
この世界では在りえない、貴重な知識があると宣伝して危険を増やす必要はありません」
「はい」
転生者という話を、誰もがティラトリーツェ様のように信じてくれるとは思わないけれど、無理に言いふらす必要はないと思っている。
余計なトラブルは避けるに越したことはない。
「私も、皇子には告げますが、他の者には…ミーティラにも其方の今の話は伝えません。
コリーヌも上手く誤魔化しておくから心配しないで」
「ありがとうございます」
ティラトリーツェ様の微笑みも、私を見る眼差しも前と変わらない。
やっぱりそんな、大したことでも無かったよね?
「…後は本当に良く注意なさい。
多分、貴女はこの世界の住人として生きているつもりでありながらも、無意識に元いた世界の常識で行動してしてしまう。
それが今までの騒動の元、危機感のなさの原因であると、やっと理解しました。
何かを始める前に、この世界においてこれはどう思われるか。どんな騒動を巻き起こすか。
良く考え、ガルフや、私達に相談する事いいですね」
「解りました」
私に向けられたティラトリーツェ様の瞳が深い泉のような、深く美しい光を宿す。
「私達は貴女を守ります。でも、貴女自身の身を護るのは最終的には自分しかないのだという事を忘れないように」
「はい。ありがとうございます」
今まで、幾度となく言われて来た事。
でも改めて私は心にしっかりと刻み付けた。
「今日は、色々疲れたでしょう。お下がりなさい。
ゆっくり休んで、落ちついたらまた来て、子育てについて色々教えてくれると嬉しいわ。
子育てについては専門家なのでしょう?」
「解りました。ティラトリーツェ様もどうか、ゆっくりとお身体をお休め下さいませ」
「ありがとう」
挨拶を終えた私はそのまま、荷物を纏めて王宮にいるフェイと一緒に店に戻った。
「双子、それも男と女ですか?」
「それは凄い。どちらがどちらに似ても文武両道間違いなしだ」
ティラトリーツェ様の双子出産を知ったガルフの店は、大歓声に包まれる。
特に厨房は大盛り上がりで、
「お祝いのケーキを焼いたら召し上がってくれるかな?」
「喜んで下さるとおもいますよ」
早速、計画を立て始めたようだ。
ガルフの店から、やがて伝わった新しい皇族の誕生は、深い雪に閉ざされたアルケディウスの人々に、希望を届ける少し早い春告げの風となって拡がっていった。
ちなみに魔王城に戻ってから
「はあ? ティラトリーツェ様に、異世界転生者だということがバレた?」
「何がどうしてどうなったら、そうなるんですか?」
私は、一応、リオン達に事の顛末を報告した。
「ちょっと色々あったんだってば。でも大丈夫だよ。
ティラトリーツェ様達は、そんなの気になさらないから。
全然、いつも通りだったしね」
「まあ、マリカがいいならいいけどさ」
我ながらノー天気にそう笑った私は知らなかったのだ。
「私達は、貴女を守ります」
皇子の誓いの意味も、ティラトリーツェ様達がその言葉に乗せた思いも、決意も何も…。
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