私が、ガルフという存在について知っている事はそれほど多くは無い。
ずっと昔、食料品販売を手がけていた元商人。
食の絶滅以降、転がり落ちる石のように地の底に堕ち、浮かび上がれなくなった。
家族は無く、以前結婚はしていたけれど、子どもには恵まれなかったと。
彼が語ってくれた身の上話以降の事は聞いていないからだ。
人には誰しも言えない事、言いたくない事がある。
私達だってガルフに色々と隠し事をしている。そこを責めるつもりはまったくない。
でも、ガルフが相当に頭が良く、行動力もある人物だということは解っている。
潤沢な資金があったとはいえ、まったくの0から食料品を集め復活させ、約二年で国を動かす大事業に育て上げたのは彼の才覚があってのこと。
『剛腕のガルフ』
という名の二つ名があるというけれど、それは決して大げさなものではないとよく解っているつもりだ。
そもそも、外に出てきて理解したけれどこの不老不死の世界で、死を選び魔王城の島に自力で辿り着くというのは、実はかなり頭が良く、運がないとできないことなのだ。
「我ながら、大した行動力だった
、と思いますね。
伝承を調べ、勇者達の道筋を追い、人を呑み込む滝に辿り着いた。
ここなら死ねるかも、と身を投げようとした時に、滝つぼの裏の洞窟に気付き、転移門を見つけたのです」
後で聞いたらガルフはそう笑っていた。
転移門は一方通行で魔王城の島から外の世界に戻ることはできず、改めて死を覚悟して首を括りかけていたところで私達に出会ったらしい。
お互いにとって『星』の導きとしか思えない奇跡的な出会いを経て、私達は今こうしている。
私達にとってはガルフはガルフであるだけで十分だから、彼が語らない過去や素性は探るつもりも、聞くつもりもなかったけれど。
うーん。
変な所から変な話を聞くよりは、ガルフに相談してちゃんと話を聞いた方がいいのかな?
そんな事を考えながら貴族店舗での仕事を終えて、第三皇子家に戻ると
「マリカ。ちょっといらっしゃい。話があります」
お母様が私を呼び止め声をかけた。
「何でしょうか? お母様」
「貴女宛てに手紙が届いています。
本来なら皇女である貴女に、一個人、しかも平民が手紙など無礼にも程があるのですが…」
「手紙? 誰からです?」
別室で差し出された手紙を見る。
丸められ綺麗なリボンと封蝋の施された上質の羊皮紙。
相当にお金がかかっている。
まだこの時代、封筒は一般的ではないのだろうな、とちょっと思った。
でも、羊皮紙がバカみたいに高くて貴族同士の招待であっても木板を使う事が多いのに、平民が羊皮紙を使ってくる、ということは何か重要な理由があるのだろう。
解る人が見れば、この紋章だけでどこの誰からのものか解るのかもしれないけど、私には解らない。
そっと開いてみる。
えっと、何々?
マリカ皇女様、初めてのお手紙をするご無礼をお許し下さい…。
中の文章は要約すれば、アーヴェントルクのオルトザム商会でゲシュマック商会と食に関する契約を結びたい、というものだった。
王宮御用達である自分達にぜひ。
とかいてある。
文章の書き方がちょっと鼻につくな、と思うところもあるけれど、まあ容認範囲かな…。
「でも、こういう問い合わせはゲシュマック商会に直接出すのが筋だと思うのですが、何故私に?」
基本的に食の事業の前線対応は私の手を離れた。
どことどう契約するかはゲシュマック商会に任せている。
私が関与する話では無い。
「文末に書いてあるでしょう?
ゲシュマック商会に問い合わせているけれど、黙殺されている。
口添えを願えないか、と。
一緒に贈り物としてアーヴェントルクの最高級品と思しき織物やお金が添えられていましたよ」
「え? お金?」
見せて貰ったら確かに暖かそうな羊毛の織物と一緒に小さな小袋。
金貨だ。十枚入ってる。
結構な大金だけど、まさか付け届け?
「こんなお金なんか使わなくても、ゲシュマック商会ならちゃんと問い合わせには対応するでしょうに」
「対応して貰えなかったからこちらに頼んで来たのでしょう。
まあ、黙殺したいガルフの気持ちも解らないでもありませんが…」
「え? ガルフが問い合わせをホントに黙殺? 何でですか?」
私はお母様の言葉に目を瞬かせた。
ガルフはそういう私情を見せるような人じゃないと思っていたのだけれど。
あと、口ぶりからしてお母様は、ガルフの事情を知っている?
「…オルトザム商会はガルフの元妻が嫁いでいるところなのです。
ガルフとしては関わりあいになりたくはないのではないかしら」
「え? 元妻?」
ガルフの妻がなんで他国の商会に?
「ガルフは以前結婚していて離婚して、というのは聞いていますけれど…」
「実際の事情はかなり複雑なようです」
「お母様は事情をご存知で?」
「ガルフの店と付き合っていくことになった時に素性その他については調べられる限り徹底的に調べましたから。
まあ、スポンサーについてはまったく解らなかったので皇子が支援している、と思い込んでしまったのですが」
流石皇族、流石お母様。
優し気に見えるけれど、他国から嫁いできて生き抜いた王女。
情報収集と策謀に長けるとはお父様の評価だったけれど。
と、今問題にすべきはそれじゃない。
「ガルフとその商会には人間関係に軋轢があるのですね」
「ええ。誰が悪いわけでもないのですが、そう簡単に割り切れる者は無いのでしょう」
それがきっとラールさんが行っていた醜聞だ。
「知りたいですか? 知りたいのなら話しますが…」
「いえ、いいです」
知りたくない、気にならないといえば嘘になるけれど、私達に話しておいた方がいい事ならばガルフは自分から話してくれるだろう。
相当にデリケートな話を、他人の口から聞くのは良くない。
「この品物と手紙はどうしますか?」
「早馬で送り返します。費用は私が出しますので。
今から送り返せば夏の戦の決着よりも早くアーヴェントルクに、返事は届くでしょうから」
「任せます」
私は手にした手紙を眇めた。
当たり前の話だけれど、ガルフにも今のガルフになるに至った事情があり、過去がある。
ラールさんの話からして、ガルフが悪いわけではないようだったけれど。
「ノアール。
今から手紙を書くのでゲシュマック商会に届けて下さい」
「解りました」
私は何が有ろうとガルフを信じる。
そしてガルフが話してくれるのを待つことにしたのだった。
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