王都で麦の収穫が始まった。
王都と城壁の外側、空き耕地はその昔は麦の畑だったらしい。
食料がいらないと捨て置かれるようになってからは雑草扱い。
ずっと500年放置させていた。
それでも麦が使用できる程度に残っていたのは大地の精霊が、自分の土地に生える植物を守っていたからだとフェイは言う。
魔王城の島で麦が残っていたのも同じ理由だろう。
雑草扱いされていたそれを、昨年ガルフは土地の所有者や皇王家にかけあい全て刈り取り小麦として確保した。
そして、昨年の秋、借りられるだけの土地と、ライオット皇子の裁量で借りられる直轄領。
その全てに麦を撒いておいてくれたのだ。
畑の草取りなどは下町の住民や、税が高くて街の中に住めない近隣の小さな集落の者達を支援して見させる。
春以降、魔術師が来るようになってからは力を貸したり、店の野菜くずなどを肥料として与えたりして大地の精霊を手伝ったらしい。
結果、久しぶりの仕事に張りきった大地の精霊のおかげもあって、王都の近郊は美しい黄金色に輝いていた。
一面の金野原は心が躍るほどに美しい。
これを刈り取ってしまうのは本当に、本当に申し訳ないのだけれど。
「みなさん、よろしくお願いします」
私は振り向き、集まっている人達に声をかけた。
唸るような声が大地に響く。
老若男女様々、彼らは、これから仕事を始めるというのに、みんな一様に楽しそうでうれしそうな笑みを浮かべていた。
麦の収穫の為にガルフが下町に声をかけ集めた者達は登録されているだけで二百人を超える。
一日少額銀貨一枚は下町の人間から見れば、夢のような高給だから働く意志がある人間は全部来たのではないか、とガルフは言っていた。
集まってきた作業員は下町から雇われた人達が殆ど。
でも、中には別の店とかで働いている工夫とかもいると聞く。
人海戦術でとにかく一気にやってしまおうというガルフの提案はとても正しい。
魔王城の島の畑よりも遙かに広い畑を手狩りでするのは大変だけれども、この日の為にフェイと私は作業計画を綿密に練ってきたのだ。
「いいですか? 横に一列に並んで真っ直ぐ、向こう側まで麦を刈り取って下さい。
向こうまで到着したら、刈り取った麦を束ねて戻ってきて下さい。
麦束と引き換えに手に印をつけます。
印をつけて貰ったら最後尾に行って麦を刈り取って戻ります。
一日の間十列刈り取って下さった方には、約束通りの報酬、少額銀貨一枚をお支払いします。
ただし十列まで満たなかった場合には高額銅貨一枚分ずつ給料を差し引きます」
作業の手順を説明する私の言葉に、ええっ! とも、なにっ! とも言えない声が上がる。
給料を減らされる可能性がある、とは考えていなかったのだろう。
でも、真面目に働く人と、サボった人の給料を同じになんて私はしない。
その為の監督役に来ているのだし。
「逆に十列よりもっとたくさん刈って下さった方には一列に付き高額銅貨一枚を追加します。
日暮れまで頑張って下さった方には、ガルフの店からの慰労もあります。
頑張って下さいね」
慰労。
その言葉に不満を浮かべていた者達の目も、ぎらりと輝いた。
やる気が出たのならそれでいい。
「では、始めて下さい」
火の一月は、向こうの気候で言うと七月初めから八月と言ったところだろうか。
立っているだけでもにじみ出るような汗が湧き出て来る。
この炎天下で畑仕事を刺せるのは申し訳ないと思うけれども、麦の収穫はとにかく急ぎの仕事なのだ。
皇家の調理実習も頼み込んで一日休みを貰った。
とにかく、一刻も早く小麦粉を確保したい。
見ている限り、仕事をさぼろうとしている者はそんなにいない。
大半が真面目に麦を狩り運んできてくれている。
「お疲れさまです。喉が渇いたらそこの水で喉を潤して下さいね」
インクでちょん、と手の甲に印をつけてから一列を狩り終った男性に声をかける。
不老不死で渇き死ぬことは無くても、喉は乾くのは解っているから給水所は用意しておいた。
「ありがとう…うわっ! 冷たい!」
準備をしてくれたミルカがやった、と嬉しそうに笑っている。
この炎天下での作業後だ。
精霊術で冷やした水はさぞかし美味しいと思う。
喉を鳴らして水を飲みほした青年はギュッと手に力を籠めるとまた麦の刈り取りに戻っていく。
どうやらやる気と元気が出たらしい。
鎌を振るう手にも力が籠っている。
集められた麦は倉庫に集め運ぶ。これは店から派遣されてきた従業員たちの仕事だ。
ホントは天日干しにしたいけれどお金の元だから盗まれる可能性がある。
乾燥と脱穀は倉庫で待機しているフェイに頼み、少しでも時間を短縮する事にしていた。
休憩を入れて丸一日夕刻、周囲の空気が朱色に染まってきた頃。
「お疲れさまです。ここまでにしましょう!」
私は作業員さん達に声を張る。
やっぱり人海戦術は強くって王都の北側の平原は大よそ刈り取りを終える事が出来た。
まだもう少し作業できなくはないけれども門からかなり離れている。帰り時間を考えるとこの辺で切り上げておいた方がいいだろう。
「では、門に戻ります。そこでお給料をお支払いしますから」
集まってきた人たちは私の促しにそれぞれに門を目指す。
胸を膨らませる彼らの期待に応えるように門に近づくにつれ、濃密ないい香りが漂ってくる。
彼らを門で出迎えたもの。
それは、ガルフの店の臨時屋台、だった。
「うわあっ!」「やった!」
開店から約一年。
大祭でも出店してかなりの人に食べて貰ったと思うけれども、まだ下町の下町では口にしたことがない人もいるというガルフの店の串焼き。
ジュウジュウと油の弾ける音に喉を鳴らさない者はいない。
「今日は暑い中お疲れさまでした。
お給料と一緒に木の板をお渡ししますので、それと引き換えに串焼きを貰って下さい。
そちらで冷たい水もどうぞ。
また明日もよろしくお願いしますね」
屋台横の荷車から私は袋を持ってきて貰い、給料を支払っていく。
手の甲の印に従って約束通り追加分も渡す。
「お疲れさまでした」「ありがとうございます」
声をかけながらお金を手渡すと、受け取った皆それぞれに、照れたように笑って感謝の言葉を述べる。
ビックリする事に十列の刈り取りができなかった者は皆無。
中にはノルマの倍、三倍近くを刈った者もいた。
「お疲れさまです。もし、よろしければガルフの店で働いてみる気はありませんか?」
因みにこのノルマ性。人材確保も兼ねている。
やる気があるのに仕事にあぶれている人に働く機会を与えるのも、大事な世界の環境整備の一環だと思うのだ。
真面目に取り組んだ人には本店へのリクルートを誘い掛け、そのうちの何人かには色よい返事を貰うことができた。
ガルフの店は急成長している。
やる気のある人物はいくらでも欲しい。
「うおおおっ! 美味い!」「初めて食べたわ」「すげえっ! すげえぞ!」
「この水もなんかすごい!」「甘い香りがするぞ」
ちなみに水には少しだけれどオランジュの果汁を混ぜてある。
天然水、オランジュ風味、というところだろうか。
仕事上がりの疲れた体に染み入る冷たい水と、串焼き。
思った通り、人々の心をがっちりと鷲掴んだようだ。
「随分、お金を使ってますね。いいんですか?」
サポートについてくれているルカさんが心配そうに聞く。
たしかに麦の収穫にはかなりの人件費を使っている。
高額の給料に、水に串焼き。最終的には金貨数枚は多分超えてしまうだろう
「いいんです。
これで、みなさんに楽しく働いて貰えるなら必要経費ですよ」
向こうの世界でも、稲刈りとかは周囲総出、地域総出のイベントみたいなものだった。
美味しいものを食べて貰う事で、働いた人達が気持ちよく動けてそして働く事、農業に意欲を持ってもらえたら食の裾野は広がっていく。
料理はレシピだけあってもダメ。
材料がないと作ることができない。
全ての人に食べる喜びと元気を思い出して貰うためには、素材の増産が絶対必要だから。
「また、食べたいな…」
零れるような願望を未来に繋ぐ為に…。
翌日、店には自分達も麦の収穫に参加させてほしい、という人間が殺到した。
どうやら、参加者たちが給料と待遇を自慢したらしい。
麦の狩り入れは班編成が終わっているけれど、その後の作業にも人手はいるのでせっかくだから手伝って貰う事にする。
結果、最終日には初日の倍以上の人数が集まり、収穫のみならず脱穀、ふるい、精選まで終える事が出来た。最終的な収穫はトンのレベルに達し、倉庫は満杯。
王都全部を賄うにはまだまだ足りないけれど、これで暫くは余裕が出来そうだ。
三日目の仕事終わり。
「お疲れさまでした。こちらをどうぞ」
私達は仕事の参加者全員に給料と一緒に一枚の薄焼きビスケットを手渡した。
「これは?」
「皆さんが収穫して下さった小麦粉から作ったビスケット、です。どうか召し上がってみて下さい」
正確には去年の最後の備蓄だけれどもそんな盛り下げる事を今言う必要はないからね。
串焼きほどの香りは無い。
ただ微かに漂う甘い香りに興味を惹かれ、彼らはそれを口に運んだ。
「うわっ!」「なんだ?」「これは…」「…甘い。そして…おいしい」
口に運んだ彼らの反応は、正直串焼きの比では無い。
まあ、当然だ。
500年前の食の記憶を、仮に持っていた者がいたとしても、砂糖を使ったビスケットの味は多分生まれて初めての経験だろう。
サクッと広がる柔らかい感触、舌に伝わるほのかな香ばしさ、そして口いっぱいに広がる甘さは、正に口福を齎している筈だ。
「秋になったら、来年用の小麦の種まきを行います。来年は今年以上に大規模に栽培、収穫を行いたいと思うのです。もしよろしければまた御参加下さいませ」
私は精一杯の笑顔で労い、そうお辞儀をした。
「もちろんだ」「また雇って下さいますか?」「ぜひ、どうか、こちらこそ!!」
それぞれの表情で頷きを返す彼らの表情に私は、今回の『勝利』を確信したのだった。
これは後日の話だけれど、秋の種まきの募集がかかった時、募集人数300人は僅か一日で埋まったという。
小麦の魔力、恐るべし。
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