私は考える。
アドラクィーレ様の言葉の意味を。
今日の調理実習の後、お母様は私にアルケディウス一の奉納舞の舞手の舞を見せて下さるとおっしゃった。
つまりお母様ではないということで、なんだか心底嫌そうだった様子も見えた。
重ねて今、第一皇子妃アドラクィーレ様が発した
「楽しみにしていらっしゃい、の一言」
そこから鑑みるに…。
え? つまり…
「アルケディウス一の奉納舞の舞手って、アドラクィーレ様だったのですか?」
そうは見えないという言葉を必死に飲み込んだ私に、アドラクィーレ様は実に楽し気な笑みを向ける。
「意外でしたか? まあ奉納舞を舞う事ができる舞手は元々この国に四人しかいませんし、四人の中で一番、と言われてもあまり偉そうなことは言えませんが」
「…アドラクィーレ様の舞は、やはり幼い頃から最高の教育を受けて来ただけのことはあって、私とはレベルが違いますの」
おっとりとおっしゃるのは第二皇子妃メリーディエーラ様。
メリーディエーラ様は失礼だけれど、元は貴族ではない階級の出でいらっしゃるから皇子妃になってから舞を覚えたのだという。
アドラクィーレ様のを振り写しで。
「私も皇子妃となるべく教育を受けたので舞う事はできますが、アドラクィーレ程ではありません。
元々、身体を動かすことがあまり得意では無くて。皇子妃時代も、フィエラロートの方が上手に舞いましたからね」
王妃になってもけっこう長い事舞を担当した、と皇王妃様は溜息を吐き出す。
原則神殿の奥の間で『神』と『精霊』に捧げる舞だから伴侶家族、後は神官と楽師以外が見る事は無いのだけれど、練習と確認の意味を込めて王宮で披露させられるので下手な舞は舞えないのだそうだ。
「舞は好きですよ。努力すれば努力しただけ上達しますし、踊っている間は余計な事を考えずにすみます。
気持ちが研ぎ澄まされて、自分では無い大きな力、祝福を感じるようにも思うのです。
国で、神に捧げる舞を舞う事は一度しかありませんでしたが」
寂しそうに目を伏せるアドラクィーレ様。
確か姉姫様がいらっしゃって、今も巫女をなさっておいでなのだ。
だから多分、代役とかそんな感じでしか舞えなかった…。
アルケディウスに嫁いできて、毎年舞えるようになったのだったらきっと毎年楽しみにしていたのだろうな、と思う。
「今年からは其方が舞う事になるのですから、私にとっては最後の舞になるでしょう。
もう舞う機会はないと思っていたので嬉しい事」
「…よろしいのですか?」
私は伺う様にアドラクィーレ様を見る。
国でできず、嫁いできてやっと得られた自分が認められる場所。
それを私は奪う形になるのではないだろうか?
「本来であれば、嫁いで…正確に言うなら男性と交わった時点で『聖なる乙女』の資格を失うので奉納舞には適さなくなるのです。
それを無理を言って舞わせて貰っていたのですから、時が来たということでしょう。
理解はしています」
静かな声でアドラクィーレ様はおっしゃるけれど、やはり名残惜しさはあると思う。
「其方の為とはいえ、ティラトリーツェが頭を下げて来たのですから、私の今できる最高の舞を見せてあげましょう。
次代を担うアルケディウスの『聖なる乙女』
その眼にしっかりと焼き付けなさい」
「はい。どうぞよろしくお願いします」
ならば、アドラクィーレ様のおっしゃる通り、しっかり見つめ目に焼き付けて次に生かすことが私の役目だ。
私は深く、深く、頭を下げた。
心を込めて。
調理実習後、王宮の大広間に行ってみれば特設の舞台が設えられていた。
そして既に多くの人達が周囲を取り巻いている。
「これは?」
「本来であるのなら、奉納舞は神と精霊に捧げるもの。
伴侶、家族以外は見る事が叶いません。予行練習を王族、皇族が見れるだけ。
でも、今回はマリカに見せる為の教授の舞。しかもアドラクィーレ様にとってはご本人がおっしゃったとおり最後の舞となるでしょう。
特別に皇王陛下と第一皇子の許可を得て、王宮に在る者は見てもいいことにしました。
それだけの価値はあるものですから」
室内に入り唖然としていた私の手を取り、ティラトリーツェ様は最前列の、真ん中に置かれた椅子に私を座らせる。
私の右隣には皇王陛下と皇王妃様。
左隣にはお母様とお父様まで来ている。
第二皇子様もいらっしゃって皇族揃い踏みだ。
第一皇子は舞台の横に椅子が置いてあるから、そこでご覧になるのだろう。
皇族以外は立ち見で、護衛騎士や文官達、おそらくは侍女のような側仕えの人達もそれぞれ集まって見ている。
フェイはソレルティア様達と。アレクも一緒にと頼んでおいたので側で見ていてくれるようだ。
リオンも多分、部下の士官たちと一緒に、一角を占めて舞台を見つめている。
不思議な緊張が場を支配していた。
やがて
ピーン。
リュートの一弦が高らかに響くと共に室内を支配していた微かなざわめきもピタリと止まった。
聞こえてくるの雪を踏むかのような衣擦れの音だけ。
白いドレスを身にまとったアドラクィーレ様が入ってきたのだ。
薄絹の振袖のように長い袖は指輪のようなもので下がらないように止めてある。
白銀のサークレットから流れる薄いヴェールは光を弾くように煌めき、雪の女王を思わせる美しさだ。
以前メリーディエーラ様に奉納舞用の衣装を見せて頂いたことを思い出す。
あの時も美しいと思ったけれど、実際に舞手が身に着けると踊りの為に作られ、舞いを妨げないように配慮されているのが解る。
ドレスの裾は足を見せない、けれど裾を踏まない絶対領域。
凄い技術だな、と思ったけれど、音楽が鳴り、アドラクィーレ様の舞が始まった瞬間、そんな考えは全て忘れた。
高く伸びた手が音楽に合わせ、動く、閃く。
緩やかに伸ばされた手が虚空を舞う。蝶のように、ひらり、くるりと。
回転と腕の動きがメインの、派手さの無い踊り。
昨日、ティラトリーツェ様に教えて貰った踊りと基本は同じだというのに。
本当にまったく別物に見えた。
まず足さばきが全然違う。
滑るように舞台の上を流れていく。
いや、実際の所、足は見えない。足をどんな風に動かしているかは解らない。
回転してふんわりとした薄絹の裾が浮き上がっても、その内側にタイトスカートのようなものが重ね着されているようで本当に、まったく足元は見えない。
だから、実はローラースケートを履いてるって言っても信じてしまうくらい。
小刻みに滑らかに、舞台の上を時に円を描くように。時に真っ直ぐ私達の方に迫るように動いている。
確か足元はハイヒールの筈。
どうやって音もたてずあんな風に動けるのだろう。
手は一瞬たりとも動きを止める事は無い。
上から下へ、下から上へ。
見えない何かを掴む様に、何かを抱きしめるように。
その指先の動き、返しは日舞、座敷舞や歌舞伎にも似ているけれども、むしろハワイアンダンスを思わせる。
ハワイアンダンスを習った時、その腕の動きはパントマイムや手話のように意味があるのだと聞いたことがある。
多分、この舞もそんな感じで、言葉の届かない神や精霊に人の思いや言葉を伝える意味があるのだと素直に思えた。
お辞儀をするように、遠い何かを見つめるような視線で、アドラクィーレ様の舞は聞こえない言葉を語る。
大いなる意志に感謝と希望を。
今、生きてここにあることに喜びを。
胸の中がカーッと燃え上がるように熱くなった。
向こうの世界で、最高峰の劇団のミュージカルを見た時よりも、もっと。
心がときめく。魂の本質に訴えるような踊りだった。
やがてくるくるくると、アドラクィーレ様が回り始める。
十、二十、いや三十、四十を超えてもなおくるくる、くるくると。
軸はまったくぶれず、足場からまったく動いてもいない。
ただ回っているだけじゃあない。凄い技術だと解る。
回転中も腕は、一時も動きを止めてはいない。胸の前で合された手が花びらのようにゆっくりと開かれ、そして上へと。
右に左に、上下にはらり、ひらりと緩やかにしなやかに。
百回、もしかしたら二百回以上回ったのじゃないかという回転が終わるとアドラクィーレ様は、ふわりと膝を折った。
目が回ってるんじゃないかと思うけれど、そんな様子、弱みは微塵も見えない。
優雅で、静かな笑みで、両手を胸の前に重ねて跪く。
私達の前、本当はきっと神と精霊の御前に。
白いドレスが水に落ちた水紋のように純白の輪を作る。
最後にもう一度、流れるように美しく手を左右に開き、両腕を高く掲げ、胸元で抱きしめる。
リュートの調べと、ぴったりと合された舞の終わり。
私はあまりの美しさに呼吸も忘れて、ただただ魅入っていた。
次に、我に返ったのは隣から拍手の音が聞こえて来たから。
呆然と皆、魂が抜かれた様に硬直する中、一番に拍手を送ったのはティラトリーツェ様だったのだ。
慌てて私も手を叩く。
もう全力で。
感動を伝える為にはそれしかなかったから。
周囲からは感動にすすり泣くような声も聞こえていたけれど、それはやがて万雷の拍手に包まれてかき消された。
舞台の上に第一皇子が立ち、アドラクィーレ様をエスコートして立たせると、さらに拍手は勢いを増す。
リオンやフェイ達さえも、神域に通じるような本物の『舞』に喝采を惜しむ気はないようだった。
凄い。本当に凄い。
お祭りの時のダンサーさん。
向こうの世界でなら、ミュージカル劇団の人とか、日舞のお師匠さんや舞妓さん。テレビでヒップホップやバレエとか、他にも色々ダンスを見る機会はあった。
でも、こんなに凄い『舞』を見るのは初めてだ。
人間というのはここまでに、技術や思いを磨き上げられるのだと感動する。
止まらない感動の涙を手で拭って、私はアドラクィーレ様に駆け寄った。
「素晴らしい舞を見せて下さり、ありがとうございます。アドラクィーレ様」
「…少しは見直しましたか?」
「はい。本当に感動しました。
いつか、いつか。ほんとうにいつかですけれども、私もアドラクィーレ様のように踊れるようになりたいです」
息を整えながら微笑むアドラクィーレ様に、告げた思いに嘘は無い。
500年磨き上げられた、この思いを技術を、舞を、私が継承していくのなら、いつかこの高みまで届かせたい。
本心からそう思う。
「其方がそう思うなら、思えたのなら、私のような本来資格なき者が舞い、繋いできたことに意味もあったのでしょう」
ふわり。
微笑んだアドラクィーレ様は皇子から手を離すと、自分の被っていたサークレットを縫い止められたヴェールごとそっと外して私の頭に乗せた。
「励みなさい。
世界でただ一人の『真実の聖なる乙女』
其方のこれからに期待していますよ」
「…アドラクィーレ様」
冷たくて、自分勝手で嫌いだと思っていた第一皇子妃様。
でもこの方も、尊敬するべき先達なのだと私は膝を付き深く頭を下げる。
この日の舞は、後にアルケディウスの王宮で長く語り継がれる伝説となった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!