「お話になりませんな。
貴女が、マリカの母親であるという証拠が何一つない」
話を聞いて、私の代わりに来訪者の相手をしに出て来てくれたガルフが、腕を組んで目の前の二人を見る。
男性の方はディアン、女性の方はエリスというらしい。
どちらも見た目の年齢は二十代から三十代くらいだと思う。
二人はとある貴族家の使用人。
私を自分達の子どもだと名乗り出て来たのだ。
「正確に言うなら、エリスと主の子ですが。
主の手が付いたエリスが孕み、奥様の怒りを躱す為に使用人の子として他家に出され、育てられたのです」
「母親であるあなたはそれを良しとしたのですか?」
「主に逆らえる立場ではございませんでしたもの。でも、ずっと案じておりました。
ですが、急に行方が知れなくなって…、探して、やっとゲシュマック商会にそれらしい娘がいると聞いてやってきたのです。
一目見て解りました。
ほら、髪の色も、瞳の色も、これほどまでにそっくりではありませんか!」
確かに言われてみれば、眼の前の女性は、黒髪、紫の瞳。
似た色合いをしている。
でも、他の部分が似ているかと言われれば…私にはよく解らない。
「同じ色合いの髪や瞳の人間などいくらでもいます。
他に、何か揺ぎ無い証拠でもありますか?
痣があるとか、傷があるとか」
リードさんが冷たい目で女性を見る。
丁寧な口調ではあるけれど、冷徹で冷酷な眼差しから逃れるように瞳を逸らす彼女は攻略のターゲットを私に変えたようだ。
「それは…ありませんが、でも、私がお腹を痛めて産んだ子です。
見れば解るのです。貴女も…解るでしょう? 私が母親だと!」
縋るように詰め寄って来る。
「いいえ、解りません」
「そんな…。貴女産んで十年余り。一度だって私は貴女を忘れてことなど無いのに…」
服を掴んで縋られても、泣き出しそうな程潤んだ眼で上げ見られても私は、この女性を見て母親だ、とか懐かしいとか、欠片も感じないのだからそうとしか言い様がない。
「そもそも、何か誤解されているようだが、マリカは私がある方からお預かりしている娘で、孤児などでは無い。
ちゃんと身元もはっきりしている。
何の勘違いしているかは知らないが、適当な事を言わないで欲しいものだ」
これはガルフのハッタリ。
私を孤児だと思い、適当なことを言って奪い取ろうとしたのであれば、これで諦めるだろう。
仮に、本当に私の両親だったり、私が皇子に助けられる前に働かされていた貴族家の関係者だったら、少なくとも、私が姿を消したのがいつか。
どんな待遇をしていたかくらいは言える筈だ。
私は暗い厩で寒さに震えていたくらいの記憶しかないけれど。
反論できないなら、それは偽物。
間違いなく。
「そ、そうなのですか?
いえ、違います。この子は私の子です!
やっと…、やっと我が子と再会できたと思ったのに…」
「失礼しました…。記憶違いであったのかもしれません。
改めて、調べ直し、確認してまいります」
尚も縋る女性を引き離し、男性は口元を歪める帰って行った。
やっぱり、偽物かな。
「はー、面白いもん見た。
親が手放した子どもを探していたってか?
あるわけないじゃんそんなの」
「いや、そこは断言したくはないけどね。ティーナとリグは仲がいいでしょ?」
「あ、まあティーナならあるかもな。でも大前提がまず違うぜ。
あの女とマリカは親子じゃない。
外見の色がちょっと似てるくらいで、全然何も似てねえもん」
アルは彼女の演技を最初っから侮蔑の眼差しで見てた。
そもそも今のマリカを含め魔王城の子ども達、リグ以外は誰一人として『親』の記憶は無いからああいうお涙頂戴は心に響かないのだ。
まあ、私は向こうの世界で『母親』という存在を知っているから、アリかなと思うけど。
「アルがそう言うのなら、やっぱり違うよね」
少し、ホッとした反面、不安にもなる。
「ガルフ…」
招かれざる客が帰った応接室で、私はガルフとリードさん、そしてアルに声を向ける。
ガルフに向けたものではあるけれど、部屋の皆に向けたものでもある。
「私と、リオン、フェイ…アルはもう解決していますが、他の子ども達も含めて皆、ライオット皇子が貴族館などで命の危機にあったのを、誘拐に近い形で助け出して下さったのです。
多分、今後も増えてきます。こういうの。
どうしましょう?」
子どもの価値が高まって、私達や、今後エリセやアレクなども注目を浴びればきっとまた出る。
投げ捨てた石が宝石であったのなら、拾ってまた自分のものにしたい、という輩は。
「皇子がお戻りになったら覚えている分だけでも誰が、どの家から連れ出されたか教えて頂く事はできないでしょうか?
今回のように適当な事を言って、あわよくばという者であるのなら対処は簡単ですが、逆に本当に連れ出された子どもであった場合は、変わらず知らぬ存ぜぬで通すとしても対処に慎重になった方が良いと思いますので」
「そうですね。お願いしておきます」
子どもの多くが捨てられ、親子関係が死滅しているこの不老不死世界で、あんな茶番劇は多分、そうはないと思うけれど、今後、また私の(自称)親やリオンとフェイの育ての親(本物)とかが出て来たら面倒な事になる。
また似たような輩が来た時の為に対処法は考えておいた方がいいかもしれない。
◇◇◇
色々な事を考えながらその日も夜まで仕事をして、ガルフ達と一緒に家に戻り、エリセ達を魔王城に帰す為に、私は皆と一緒に転移陣を開いた。
魔王城に帰ると
「お帰り~」
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ。マリカ様」
元気な子ども達と、ティーナとリグ。
そしてエルフィリーネが出迎えてくれた。
ああ、やっぱり和む。
私の家はここなんだなあ。とホッとする。
「夕食の用意はできておりますわ」
「寒くなってきたので、ミルクシチューにしてみました」
「わーい! 大好き」「ごはんだごはんだ」
急ぎ足で大広間に向かう子ども達を見送って、肩の力を落とした私に
「どうなさいましたか?」
気遣う様にエルフィリーネが声をかけてくれた。
「あ、何でもない。
子ども達を無事に城に戻せてよかったなあって。安心しただけ。
向こうは最近特に気が抜けないから」
「それは、ようございました。少しでもお身体とお気持ちをお安めになって下さい」
「ありがとう」
子ども達よりも少し遅れて食堂に入った私は、今日あった子ども達の話を聞く。
木の実集めを頑張ったとか、基本文字が全部書けるようになったとか。
前よりもちゃんとついていてあげられなくなったので、そういう子ども達の成長に寄り添ってあげられないのがもどかしくも辛いところだ。
私でさえ、そうなんだから、自分のお腹を痛めて産んだ子どものお母さんはなおそう思うんだろうなあ。
なんて考えたのは多分、ティラトリーツェ様と、あの偽母親。
両方のことを思い出したから、だろうか?
「ねえ、ティーナ?」
「はい、なんでしょう?」
「ちょっと相談に乗ってくれるかな?」
私達の為に給仕をしてくれたティーナにふと、声をかける。
リグは向こうでトタトタと、食事を終えた兄弟達と遊んでいた。
遊んでいるというよりも手当たり次第に歩き回り、手を伸ばしている。というのが正しいのだけれど。
不思議な事に用意されて、目の前に差し出されたオモチャは要らないのだ。
兄弟達が遊んでいるオモチャ。兄弟達がやっていることに興味をもって近付いていくのが1歳児。
とても正しく発達していると思う。
「何か、お悩みの様子ですものね。私で応えられる事でしたらなんなりと」
ティーナは人の思っている事を感じられるという。
複雑な悩みを相談できる女友達にして保育士。
私は彼女の優しさに甘えさせて貰う事にした。
「嫌な事聞くと思うんだけど、もし、リグがいなくなったらって考えたらどんな感じ?
訳あって手放さなきゃいけなくなるとか…、突然行方知れずになったとか…」
「…それは、とても、難しい質問でごさいますね」
「うん、解ってる。ゴメン」
我ながら酷い質問をしていると思う。
でも、生前の私は結婚もしないまま仕事に明け暮れたので、本当の意味での母親の心理、というのが解らないのだ。
…そう言えば、子どもを産んだことが無いのに母親の気持ちは解らない、って保護者に言われたこと、あったなあ。
「あくまで、今の、私の主観、なのですが」
でも優しいティーナは私の失礼な質問に真剣に思いを巡らせ、自分の心理をシュミレートしてくれているようだ。
「この子が、仮に父の、貴族の元に引き取られたとして、生活面で何不自由なく暮らしていると解っても、多分、いつも心配で心配で何も手が付けられなくなると思います。
もし、突然行方不明になったとすればなおの事。
何故、どうしてと探し回るのではないでしょうか?」
「やっぱり、そうだよね」
「ええ、ですがこれは私が、魔王城に迎えられ、愛と祝福の中、出産し、我が子を、リグを愛してるからで…多分、世の現状は異なると思いますが」
「…え? そう?」
「はい。今、世の中の多くの『母親』は妊娠、出産の知識も無く、子どもを流すお金も無く、あの身体が引き裂かれるような苦痛の中子どもを一人で産み落としていることでしょう。
私も、そうであった場合、おそらくリグを愛していられたかどうか…。
自分の自由を長く奪い、苦痛を与えた者として恨みの中打ち捨てた可能性もあると思っています。
実際、教会に駆け込み、流そうと考えた事は一度や二度ではありませんでしたから。
産む前も、産んでからも辛い事はたくさんありました。
勿論、それに勝る喜びもたくさんあったのですが、それは魔王城に来てからの事。
教え、支え、助けてくれる存在がいなければ、心が闇に堕ちてもなんの不思議もありませんわ」
「…そう…だね」
ティーナの正直で、真っ直ぐな言葉を私は噛みしめ、聞いていた。
向こうの世界でだって、貧窮で子どもを育てられずに手放す事例はあった。
嬰児遺棄は絶対に許される事ではないけれど…そうしなければならない程に追い詰められてしまう女性はやはり存在するのだ。
子ども達を思うと、弁護はできないけれど。
「…今日ね、店に私の母親だっていう人が来たの」
「まあ!」
食事を終えた子ども達はもう遊び始め、テーブルには私とティーナしかもう残っていない。
だから、静かに、子ども達に聞こえないようにそう呟いた。
思い出すに胸が重いけれど、ティーナに辛い思いを語らせたのだから、私もちゃんと理由を話さないと。
「子どもの頃、誘拐された娘だ。ずっと探していた…って。
同じ髪色と瞳をしてはいたんだけどね。
私はどうしてもお母さんとは思えなかったし、ガルフもアルも多分偽物だって言ってたし、ちょっとカマかけたらすぐに逃げ出したから多分偽物だとは思う。
でも…、ちょっと思っちゃったの。
私達のお母さんは、子どもと離れるとき、どんな気持ちだったのかなあって」
娘を心配しない母親は居ない、とティラトリーツェ様は言って下さった。
私も向こうの世界での感覚で、それに納得する。
では、私の両親は…最低でも母親は、どんな思いで私を産んだのだろう。
「…お気持ちは解りますわ。
私も孤児でございましたから親の記憶などありませんが、親になってみて、私の母はどんな思いで自分を産んだのだろう、と思う事はございますもの」
「うん。あの女性みたいなのはやりすぎの演技しすぎだと思うけど、自分も、あんな風に言って貰えるくらい、愛されて産まれて来てたらいいのに、っては思うよね」
母子保健の言葉もあるように。
この世界で本当の意味で子どもを幸せにするためには、母親も救わなきゃいけないのだと、あの女性を見て気付いた。
もっと広く考えるなら、収入とか夫の性格とかも関わってくるけれど。
子ども達が幸せに、笑顔で暮らせる環境整備は、思う以上に大変だなあと実感する。
頷いてくれるティーナと一緒に、私は遊ぶ子ども達を見ながら目を細めていた私の背中を
「そのようなことをご心配なさらなくでも」
ふわり、甘く優しい声が包み込んだ。
現れたのは美しいこの城の守護精霊。
「エルフィリーネ様」
「エルフィリーネ…」
「偽りの母親などに、お心を痛められる必要はございません。
マリカ様は、愛されて、求められて生まれた存在。
この私が保証いたします」
彼女は一片の迷いも間違い無いという自信と誇りに満ちた眼差しで、私に深いお辞儀と微笑みと言葉をくれた。
それは、迷っていてた私が一番欲しかったもので。
何の証拠も保証も無い気休めかも知れないけれど、気持ちはほんわりと温かく、軽くなる。
「そうですわね。マリカ様は、精霊の貴人。
星の祝福を受けておいでですもの。きっと愛されて望まれてお産まれですわ」
「ありがとう。うん、そうだといいな。
よーし、世界の環境整備、がんばろー!」
ティーナも微笑んで頷いてくれたので、私は嬉しくなってそこでこの件についてぐだぐだと考え悩むことを投げ捨てた。
他にも色々と、考えなければならいないこと。やらなくてはならないことはたくさんあるもんね。
この何気ない会話が、私という存在。
精霊の貴人の存在と、秘密の解明に大きな意味を思っていたと、知る由も無く。
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