真っ暗な中にふわりと、光が浮かぶ。
魔術師の光の呪文だろうか? 柔らかい光の精霊の灯りだと思う。
この舞台の為に、魔術師を見つけたのかな。
やる気凄いな、と思いつつ私は舞台の中央に立つエンテシウスを見つめる。
薄紫で、裾と袖の長いチェルケスカ身に纏っている。
色は闇に溶けそうなのに、手を伸ばす度に長い袖が揺れて凄く、目立つ。
子ども達は
「うわー、すごーい」「いつの間に出て来たんだろ?」
とビックリ顔だけれど、多分照明を落とした暗がりに紛れて黒い布を被って舞台に上がってタイミングを見計らって、布を脱いだんだよね。
向こうの世界での劇を見慣れているから、私はなんとなくスレた見方をしちゃうけれど、皇王陛下やお付きの人、お母様も目を輝かせてる。
なかなか人の心を掴む良い演出だ。
私の護衛として連れて来た、リオンやフェイも感心した様子で
「『夢』それは、とても便利な言葉です」
優雅な手つきで胸に手を当て、顔を伏せ、エンテシウスは歌う様にセリフを紡ぎ始める。
「眠りの中にあるつかの間の安らぎ。
遠い願い。憧れ。いつしか届かせたい未来の自分。
信じられない幻や奇跡も、人は『夢』と言う言葉で表します。
『夢』とは、私達の一番身近で、それでいて遠い、友なのかもしれません」
朗々とオープニング、掴みの長台詞を決して声を張り上げるでなく淡々と、でも狭いとはいえ部屋の中の誰もが聞こえる声に届かせるのはなかなかの技術だと思う。
しっかりとした声量。聞いていて気持ちの良い声質。
舞台劇が好きというだけあって、エンテシウスは役者としてもかなりの実力がある人なのではないかと感じた。
「では、今宵、この一時。
皆様の前で繰り広げられる舞台も、また『夢』と呼ぶべきでしょう。
アルケディウスに降りた奇跡。人々に幸せを齎した正しく祭りに降りた『夢』
大祭の精霊。
これは、彼等にもしかしたら、こんな理由があったのでは、と誰かが思った『夢』の『夢』に他なりません。
ですから、どうぞ心置きなく、笑い、怒り、泣き、そして楽しんで下さい。
何、心配はいりません。これは『夢』なのですから。羞恥や対面など全て忘れて『夢』にしてしまえばよろしい」
けっこうな長台詞をよどみなく、朗々と語るエンテシウスは、セリフの最後にこやかな笑顔で片目を閉じて見せる。所謂ウインク。女の子達が騒めいた。こういう色男の仕草って万国共通なのだろうか。
「では、物語の幕を開けましょう。
『夢』と『精霊』は、遠いようで、いつも貴方の隣にあるものなのです。
ほら、すぐそこに」
「一体、いつになったら機嫌を直してくれるのだ我が妃。麗しくも意地っ張りなヴィエネーラ」
「え?」
「それはこちらのセリフですわ。我が王。尊くも浮気で愚かなコルドゥーン陛下」
舞台の上手に人が現れる。煌びやかな刺繍と鮮やかな色合いの服を纏った金髪の男性。さっきと同じ仕掛けで、エンテシウスが注目を集めている間に舞台に立って、横の小姓が持っている燭台に火をつけたんだね。
で、驚いたのは下手の、しかも客席の後ろから声がしたこと。
振り向けばそこには金髪で綺麗な女性が佇んでいる。
やっぱり侍女がついて燭台を持っているので、闇夜に二人の姿がはっきりと浮かんで見える。やっぱり凄いな。エンテシウスの演出力。
「愚かとはなんだ。私はただ『精霊神』の復活なっためでたき宵、祭りに遊びに行くと言っただけなのに」
「『精霊』は人の世に過剰な干渉はならぬ。それが『神』と『星』と『精霊神』の定めた決まり。それを王自らが破ってなんとなさるのです?
人の世を、我らに預けられた『精霊神』様に合せる顔もありますまい」
上と下から言い合いを続けながら、観客席に表れた女性はゆっくりと舞台に昇っていく。
まだ緞帳は降りたまま。
昏い闇の中、二人の声と姿だけが、小姓と侍女が照らす光の中、煌めいている。
観客席から役者を出す事で、この場全てを舞台にして人々を惹きつけたのだろう。
子ども達はおろか、皇王陛下やお付きの人達。
リオンやフェイまで舞台上の二人から視線が離せなくなっている。
「『過剰な干渉』がならぬだけで、人の世に関わってはならぬ、と決められている訳ではない。むしろ、人の世を知らなければ人を支える事はできまいて。
人を愛し、支え導くのが、我ら『精霊』の務め。
其方は、少し厳しすぎるのではないか?」
「あら、お優しいコルドゥーン様の『愛』のように私の『愛』は無秩序に振りまくものではありませんの」
「私の『愛』のどこが無秩序だというのか?
いつもこれほどまでに妃の事を思っているというのに。ヴィエネーラ」
話の流れからするに、二人は精霊の国の王と女王で、祭りに遊びに行こうとする王様を女王様が止めている、という感じだろうか。
「花屋のレイナは?」
「ああ、あれは笑顔が愛らしい」
「服屋のマルティラは?」
「あの子のセンスは一級品だ」
「果物売りのミラはどうです?」
「華やかで明るい呼び声は聞いていて楽しくなるな」
「水精霊のルサールカも貴方に声をかけられたと言っておりましたし」
「優しい性質が良い。いつも私を受け入れてくれる」
「風精霊のシェフィーラも貴方と踊ったそうですわね」
「…………良く、知っているな」
ドドッと、大人たちの間から笑い声が聞こえる。
まだ恋愛とかを知らない小さな子達はちょっと小首を傾げているけれど、二人のやり取り、掛け合いは漫才を見ているようだ。楽しい。
二人と一緒に後ろに控える小姓と侍女が百面相しながら、舌を出したり困り顔をしているのも面白い。
「ええ、知っておりますとも。人の街に行かずとも、私は人の世を知っております。
これでも私は精霊達を統べる精霊国の女王ですから。
私が『目』を見開けば、世界の全てが見えるのです。
わざわざ足を運ぶ必要などございませんわ」
「やれやれ。其方は私には勿体ないほどできた妻だが、見える事と知る事は違うのだぞ」
「何がおっしゃりたいのです? コルドウィーン様?」
妖精の王は腕を組み、ポンと手を叩く。
いい事を思いついたという様に。
「よし、賭けをしよう、ヴィエネーラ。全てを見通す目を持つ我が女王よ」
「賭け、とは何です? コルドゥーン様」
「これから、二人で街に行こう。そしてあの街で輝かしいものを見つけ出すのだ。」
「輝かしいもの? ですか?」
「そうだ。人の世で最も輝かしいものを見つけ出し、復活された『精霊神』に捧げればきっとお慶び下さるだろう」
「『精霊神』様への捧げものを捜しに行くというのですか?」
「そうだ。全てを見通す其方なら、容易い事であろう。ヴィエネーラよ」
「ええ、ええ、容易い事です。私なら。貴方よりも絶対に、素晴らしいものを見つけ出して見せますわ」
「より価値あるモノを見つけた者が、負けた方の言う事を一つ聞くというのはどうだ?」
「え?」
「勝つ自信が無いのかな?ヴィエネーラ?」
「そ、そんなことあありませんわ。私が負ける筈はありませんもの!」
「なら、決まりだ。期限は星が木の陰に隠れるまで」
「日が変わるまでということですわね。解りました」
「では…」
上手く話に乗せた精霊女王に王は手を指し伸ばそうとするけれど
「では行きましょう。ルーチ。のんびりしていられません。一刻も早くあの街で輝かしきものを見つけ出さなければ」
「お待ちください。女王様!」
女王はくるりと王に背を向けて消えてしまった。
手を差し伸べたまま、取り残されため息をつく王様を小姓がつんつんとからかうように肘でつく。
ごつん、と王様はその小姓に拳骨を落すと、私達の方に向き合った。
「やれやれ、女心というものは、男にはままならぬ。
これは人も獣も精霊も、もしかしたら神さえも変わることなく。
『星』という女よりこの地に生きる全てが生み出された時から、それはきっと宿命なのだろう。
賢くも愚かで、あまりにも愛しい」
愚痴のように肩を竦める精霊王の瞳には、それでもなんだか楽し気で優し気なものが宿っているように見えた。
「行くぞ。パル。後れを取るな。
かの街へ。愛すべき人の子の街で、我らも宝探しを始めるとしよう」
勢いよく翻ったマントともに、王を照らす光が消える。
序章が終わり、舞台の本当の幕が開く。
緞帳が上がった先には、楽し気なリュートとフルートの調べと共に、眩しいほどに色鮮やかな、人々の笑顔と街並みが広がっていた。
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