丘の上から、俺は戦場を見つめていた。
眼下の戦場からは、人と人のぶつかり合い、剣戟の音が聞こえる。
今日は『直接戦闘の日』なのだろう。
昨日まで、向こうの軍も、あちらの軍も、罠や仕掛けの準備をしていた。
直接戦闘をしながら、いかにその罠のところに敵を追い込むか、誘い込むか。
そこが勝負の分かれ目だと、今回の指揮官は昨晩の宴で自信ありげに弟たちに語っていた。
今のところはアルケディウスが優勢だ。
最初の直接戦闘に関わる人間を薄くしたことで、敵を誘い込み、陣形を引き延ばすことに成功している。
だが、敵もこのまま思惑には乗らないだろう。
アーヴェントルクは夜の国。
伏兵の使い方には定評がある。
見ているうちに、アーヴェントルクの軍勢の後ろ側に一団が現れた。
あれがアルケディウスのものであるのなら、指揮官の思惑通り、挟撃に成功したということなのだろう。
けれど、そいつらはそのまま軍に溶け込んで陣形を固く厚くする。
やはり、アルケディウスの作戦は読まれていたようだ。
伏兵を予測し、伏せていた兵と罠で速やかに排除。
一気に攻勢に出てきたようだ。
俺は戦場に背を向ける。
今日の戦闘の決着はこれで多分ついた。
伏兵を奪われたであろう軍は、そのまま退却する。
本陣に退却した兵を今日は、まだ追いかける事をアーヴェントルクもしないだろう。
まだ四日目。
最低でもあと三日はこの戦場を維持しなければいけないのだから。
本陣に戻ると、丁度疲労困憊した様子の兵たちが、戻ってきてあちらこちらに寝そべっていた。
生きて帰れた、という安堵も無い。明日は死ぬかもしれないという恐怖も無い。
敵に捕らわれるかもしれない、という不安な思いはあっても。
血も死も無い安全な戦場。
けれど、彼らの目は死んでいた。
彼等は戦いを前に何も、思ってもいない。期待してもいない。
ただ言われるがままに戦うだけだ。
「まるで、ままごと、いや人形遊びだな」
俺はひとりごちた。
足早に俺は人形たちの間を通り過ぎて最奥の天幕に向かう。
「お帰りなさい。リオン」
「戻ったか? アルフィリーガ」
自分の意志を宿した強い瞳が迎えてくれた。
「ああ、我が儘を言ってすまなかった。フェイ。ライオ」
俺は少し安堵する。
この世界にも、まだ人間はいるのだ、と。
俺は皇国アルケディウスの第三皇子、ライオットの従卒として『夏の戦』と呼ばれる戦場にやってきていた。
この不老不死の世界で経済活動の一環として行われる遊戯の戦いだ。
「どうだ? 実際に見てみた感想は?」
答えは解っている、という顔でライオが問いかける。
したり顔の奴の思う通りの答えを返すのはしゃくだったが、他に答えようはない。
俺は答えた。
「最悪だ。どうやったらこんな酷い事を思いつくんだ」
この戦では国境付近の人の少ない森林平野を互いに、同じ広さだけ戦場として提供する。
兵士の数も同じだ。
約二千人。
アルケディウスの例でいえば、うち一五〇〇人が一般兵。
この戦の為に『雇用』された訓練もほぼ受けていない市民兵だ。
四〇〇人が護民衛士と呼ばれる軍属の兵士。残り一〇〇人が彼らを指揮する騎士階級である。
その割合の分配はそれぞれの国に任されているが、大よそは似た割合になるという話だ。
彼らに指揮官である王族が命令を与え、戦わせる。
戦場には本陣が用意され、本陣の見えるところに掲げられた精霊石(精霊の化身したものでは無く精霊の力が込められた宝石、という意味だ)を奪うか、壊すか出来た方が勝利というもの。
勝った方国のは、戦場となった部分全てを領土として得る。
捕れられた兵士は捕えた国のものになり、多くの場合は次の戦で兵士として使われる。
戦場になるくらいだから、実りある農地、などではない。基本、森林エリアで平原もあるくらいなもので領地が増えても税収が増えるというわけでもない
ただ、勝利した、という名誉が国につくだけだ。
「500年あったんだぞ。
どうして500年前と殆ど何も変わってないんだ?
文化も、戦闘技術も、国境も何も変わらない。むしろ精霊術なんかは低下してる。
芸術だって、技術だっていくらでも磨き上げることができただろうに?」
今まで転生を繰り返してきても、どこの国に生まれても神を倒す、そのことで頭がいっぱいだった俺は、今生までその歪みに、まったく気付けなかった。
「兵士たちの目はまるで人形のようだ。
王都でも思ったが、なんで皆、前に進もうとしないんだ? どうして500年も最下層で人の言うなりに悪事をしたり、寝そべって無為に過ごせるんだ?」
吐き出す様な俺の言葉にライオは腕を組み呟く。
「変わらないからだ。
何をしても、変える意味はない、と皆が思って、考える事を止めてしまったからだ」
不老不死を誰もが得た世界。
最初の熱狂にも似た歓喜と、混乱の後、世の中は持つ者と持たない者にはっきりと分かれた。
それは土地であったり、金であったり、人や知識であったりもしたが一度定まった位置は時を経る事に覆せない程、強固になっていった。
仮に、ある者が王になろうと思って手を尽くし、クーデターを計画しようとする。
けれど、工夫と努力の果て王を追い落としたとしても、自分が王になったとしても、その王は死なないのだ。
幽閉しておいたとしても万が一、王がその配下によって救い出されたとしたら、今度は自分が鏡に映した仕打ちを受けるだろう。
魔王が倒され、世界が平和を甘受していた時期であったことも、幸い、いや災いした。
持つ者達は、特に不満が無いのなら、このままでいいのではないか、と誰もが思ってしまったのだ。
一方で食という人間にとって不可欠な産業が消えたことで、職と収入源を失った者は持たざる者、となった。
彼らはのし上がろうという努力さえ、できなくなった。
収入が無いから、税は払えない。
税を払う為にお金を稼ごうとしても仕事は無い。
騎士や兵士になる為の技術を身につけようとしても、その為のお金もない。
自学独習で死に物狂いの努力をしても、既にそこには既に『持っている者達』がいる。
彼らになんとかして届いたとしても、その差は永遠に埋まらないのだと知った時、多くの者達は心が折れた。
やがて永遠に続く一日をただ繰り返すことに疑問を頂かず、暮らす様になっていったのだという。
「芸術家などの創作意欲も、永遠に変わらぬ世界では長続きせぬようでな。
200年を過ぎる頃には新しいものなど殆ど生まれなくなった。
皆、心のどこかで不老不死の世界に飽きながらも、今日と同じ明日を繰り返し、澱んだ世界を生きている。
まだ、いくらかやる気を持って新しいものを生み出すのは王侯貴族や商人だけ、というのは皮肉なものだが」
「俺の…せいだな」
俺は拳を握りしめる。
自分の愚かさが、この歪み澱んだ世界を生み出したのだ。
勇者と呼ばれた時代、自分は確かに世界の人々が不老不死を得る事を望んだ。
誰もが死なない世界になれば、皆が大切な誰かを失う悲しみを、味わうことが無くなると思った。
争う事も無くなり、皆が幸せに生きられると思ったのだ。
でも、実際にそうなってみれば、不老不死になっても人の心は変わらない。
争いが無ければ、自分達の都合のいい争いを作っても争い、優劣を決めるのが人間だ。
むしろ不老不死世界になったからこそ、人は大切なものを失った。
向上心も、思いやりも、努力しようという意思も、優しさも、全ては限りある命だったからこそ生まれたものだったのだということを、あの時の自分は気付けなかった。
「そうだな。俺達のせいだ」
ライオが俺を見る。
余分なものの何一つない飾り気のない、それは奴の思いだったろう。
「勘違いするな。アルフィリーガ。
お前、一人のせいじゃない。
あの時、俺達は確かにそれを望んだ。
そういう意味で言うなら俺達全員のせいだ。お前一人が責任を負う事ではない」
「ライオ…」
「そもそもこんな形でいきなり世界中の人間に不老不死を与えて欲しいなんて、俺達の誰も望んじゃいなかった。
お前を、お前らを利用して、神が自分の都合のいい世界を作っただけのことだ。
お前は本当に望んだのか?
自分の身を犠牲にするから、マリカ様も捧げるから世界の人間を不老不死にしてくれ、と?」
「いや…。そんなことを願いはしなかった…」
「だろう?
俺は、神々そのものを、あの日以降見なくなったが、それでも感じるぞ。
奴らが、この世界から何かを搾取し、何かをしようとしていることを…」
ライオにはあの日、『会見の場』で遭ったことを告げていない。
けれど、確信を持ったその眼差しは、フェイにも、マリカにも告げていないあの日の事を見通しているようだった。
ただ一人、この世界に残されたこいつは、おそらく神の世界という敵陣で、自分の力で真実に近い所まで辿り着いたのだろう。
あるいは信じてくれていたのかもしれない。
俺達が、自分の身を犠牲にして世界中の人間を不老不死にするなどしない、という事を。
「なら、自分を責めるな。胸を張って世界を取り戻せ。
この世界は澱んでいる。
誰もが不老不死になったせいで、思考を止めて日々を、変わらぬ日々を生きる事に疑問を抱かなくなっている。
でも、それが変わり始めている。今以外の好機はない」
堂々と、自身が迷いなく胸を貼って告げるライオの言葉には有無を言わせぬ説得力があった。
皇子として十万の民が生きる国を率いる、それは責任感と気迫、だと思う。
迷わない。迷ってもそれを見せず、確固とした意思で人を導く。
王子と呼ばれようと俺が最初から最後まで持てなかったものだ。
「正直、俺は驚いたんだ。
あのガルフと出会った時。奴の目に意志がやる気が溢れている事に。
そんな奴は、王侯貴族連中以外では数百年見たことが無かった。
俺は奴が、そしてお前達がこの世界に取り戻した『食』に神に対抗する鍵が込められている気がする」
「『食』に?」
「ああ、永遠に繰り返される日々を疑問に思わない奴らを変える何かが、あるような気がする。
何の根拠もない、俺のカンに過ぎないがな」
「いや、お前のカンは良く当たる。それに…」
思い出す。
かつて、ガルフが魔王城の島に来た時に、一度の食が奴に気力を取り戻させた。
それを見て、俺は食の可能性に気付いたのではなかったのか?
500年、いくら転生を繰り返しても届かなかった、神に届く何かを感じたのではなかったのか?
「…俺はな、アルフィリーガ」
椅子から立ち上がった奴が俺の肩を叩く。
ぽん、と励ます様に。
「三年のうちに、この世界からこんな遊びの戦を終わらせるつもりだ。
永遠に変わらない日々を変える。この世界を取り戻す。
一人では無理だが、お前が、お前達がいるならできる気がする」
「ライオ…」
「俺の戦い方は、あの時と変わらない。
お前を狙う敵を引きつけ、蹴散らし、お前の翼を守る。
それでいい。
お前はただ、お前の思うまま突っ走り、この星を守れ。アルフィリーガ」
時の止まったこの世界。
唯一変わらなくて良かった、と思うものがあるとしたら、それはこいつ、ライオットの存在だろう。
心から思う。
こいつともう一度会えて良かった。
こいつが変わらなくて、良かった。
だから、はっきりと誓う。いや、約束する。
「ああ。俺は今度こそ、必ずこの星を守る。世界を変える。
神々から世界を、人々を取り戻して見せる」
親友との500年変わらぬ、友情に賭けて。
トン。
今まで、ずっと沈黙を守っていたフェイが、持っていた杖を鳴らした音で、ライオとアルフィリーガの時間は終わった。
「リオン。戦況はどうだった?
報告を」
「はい。現状ではアルケディウスが劣勢のようです。作戦を見透かされ、伏兵部隊を奪われていました」
「ライオット皇子。ご報告致します。
ケントニス様が、決戦用の温存兵力を明日投入すると…」
「よほど敵に自分の作戦を読まれたことが気に入らないようだな。だがこの状況から、逆転となると…」
報告に入って来た副官と共に戦況を確認する皇子と、その従卒に戻る。
この状況も嫌いではない。
いつも助けられてばかりだったライオを、少しでも助けられるなら、助けられる事があるのなら、全力を尽くすと決めている。
それは、誰にも言わない、俺の中の約束…だ。
国境の男達の会話。
世界の秘密の欠片と、世界を変える者の思いと願い。
これと対になる女達の会話が、実はほぼ同じ時に行われていたりも。
それは次話にて。
実は、世界が500年変わらない理由と、それが急速に変わり始める理由はどちらも『食』にあります。
とある理由によって『食』をしない人間は気力ややる気を、変えようとする思いを奪われているのです。
でないと、500年地べたに寝そべったり、ゴロツキ500年やったりできないですよね。
詳しい理由が明かされるのはまだまだ、ずーっと先の予定ですが。
そこまでちゃんと書ける様に頑張ります。
どうぞよろしくお願いします。
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