足は、疲れてフラフラ。
押されたら、その場で転んで倒れてしまう。
でも、そんなふがいない身体に、力を籠める。
精一杯の虚勢と共に。
前を睨み付けて。
そこにはまだあいつがいるのだから。
解っている。
…彼は、彼女は…
運命の姉弟。精霊に愛されし者。
同じ志と、願いを持つ者。
足に力を入れ直す。
であるからこそ、負けるわけにはいかない。
『彼に』『彼女に』
負ける事は、自分を信じてくれた精霊石に、キズが付く。
精霊石の信頼を裏切ることそれだけは、認める訳にはいかない。
「行きますよ!」「今度こそ、終わりです!」
『私』は、きっと今度こそ本当に最後になる一歩を、正に踏み出そうとしていた。
…全く、この子どもは…。
私は、驚きに声も出ない。。
もう、なんだかんだ一刻近く戦っているのに、この子どもは、戦意を失っていないのだ。
多分、体力は尽きている筈だ。
そう思いたい。
こちらはもう、疲れ切ってこのまま寝そべりたいくらいなのに。
私は、やってきた少年に試験結果を告げた。
冷静に、冷酷に。そう演技して。
でも、心の中では飛び跳ねたいくらいに嬉しくて、しゅんと項垂れる様子さえ、かわいい、とそう思っていた。
この子は、私が、そしてあの方がずっと待ち続けていた、本当の、本物の、魔術師なのだから。
今の世界を支配しているのは言うまでも無く、神だ。
神が世界を動かし、精霊と人間はそれに従属している。
不老不死という恩恵を受けて生きる身。
それが間違っている、などと大っぴらにはとてもいう事はできないけれど。
でも、間違っていると思う心は自分の中に確かに在る。
精霊魔術というのは、精霊の力を借りるモノ。
精霊にお願いして、力を借りるものだ、と私は思っている。
そうでない魔術師もいるけれど。
でも神の使う魔術は精霊魔術とは根本から異なる。
神と言う名の鎖で縛り付け、強制的にいう事を聞かせるモノなのだ。
私は、そんな事は大嫌い。
でも、それを言葉に出すことはとてもできなかった。
一度不老不死を得てからはなおの事。
死ぬことが何より怖く、神に逆らう事はなお恐ろしい。
色々なしがらみに、建前に思いに。
がんじがらめにされて、本心を出すことはできなくなっていた。
だから、きっと彼にも、杖にも愛想を尽かされたのだろう。
それでいい。
仕方ないと。
この世界で生きるにはそれしかないのだ、と自分に言い聞かせて、覚悟も決めている。
けれど、この少年は違う。
『ほほう、こんなことを書ける者がまだ存在したか』
皇王陛下が感心するくらいに。
はっきりと、胸を張って。
『神と、精霊は同系統ではない。
似て非なるものである。
世界を本当の意味で守り。統べるのは精霊であり、神はその従属物。
付随するモノに過ぎない』
そう宣言したのだ。
ありえない、と試験結果を見て思った。
神と精霊の関係を記せという問題。
大抵の者は神を精霊の系統樹の上に、支配者、上位者として書く。
でもこの少年は、はっきりと否定し、精霊こそがこの星の主たるものだと言ってのけた。
それは…精霊を愛する者にとって…気持ちいい答えだった。
嬉しかった。
立場に縛られた大人の自分はとても言葉には出せないことだから。
正しく精霊に愛され、精霊を愛する者にしか出せない答え。
溜飲が下がるというのはああいう時に使うのだろう。
他の問題も、はっきりとした間違いのない自分の正義を持ち、それを貫いていると解る答えだった。
大切な、揺ぎ無いものの為だけに、全力を尽くす。
悪く言えば、他者への気遣いが無い。
周囲を見たり合わせたりできない子どもの考え方、だと言える。
でも、それは失ってしまった者にとっては眩しいまでに美しい。
「大事なものを最優先に、他のものを切り捨てるのは簡単な事。
大事なものと、そうでないもの、両方を立てて、生かし切るのが大人、というものなのですよ」
偉そうに、そう言ってはみたけれど、そんな事を考えているうちに、両方を失ってしまうことだってある。
大事なものを命がけて守り、全力を尽くすというのは決して間違いではない、と私は思う。
魔術師、フェイ。
杖に、精霊に愛された真正の魔術師。
術師としての小手先の技なら、自分の方がまだ多分勝る。
生まれて約五十年。
五百年を生きる人々が闊歩するこの世界で、まだまだ若造、子ども上がりと言われるしかないけれど。
でも、その中で、こと精霊を愛する事と魔術に対する腕は、決して他の誰にも引けを取らないと自負していた。
けれど、本物の魔術師を前にすれば、そんな事は自惚れだったと解る。
こうして戦っていても、圧倒的に勝利するヴィジョンが全くと言って良い程見えてこない。
少し気を抜けば遠慮なく叩きのめされる未来があることは確実に解るのに。
虹が宿るような美しい銀髪、強い意志の込められた蒼く眼。
最高位の杖を操り、精霊に愛された者。
自分には子ども時代でさえ、ここまでの力は出せなかったと悔しい思いはあるけれど、その在り方存在には見惚れてしまう。
杖を奪い取り、自分が精霊として永らえる。
そんな思惑は、この子に会って霧散してしまった。
『まさか、其方、杖無しで術が使えないと言いますか?』
『勿論、できます!』
自分以外に何人できるだろう?
皇子付きの魔術師達にはできない、杖無しの詠唱、秘術もあっさりとやってのけたこの子は、紛れもない天才だ。
羨ましいと思う。
けれど、それにも増してこんな子が生まれてきてくれたことを。存在した奇跡が嬉しい。
心から。
戦いが終わったら、自分の知る全てを教えてあげたいと思う。
この子が次の王宮魔術師。
自分は引退するべきだと、と覚悟は決めている。
悔しくても、それがこの国と精霊達にとって最良の魔術師を得られる事なら我慢できる。
この少年が正しく、周囲への気遣いや関りを覚えれば自分の後、人と精霊を繋ぐ真実の魔術師になれる。
きっと…。
けれど、それは今じゃない。
この勝負には、負けるわけにはいかない。
私は唇の端に滲んだ血を指で擦った。
負けて、この子に見下される訳にはいかない。
一度、その鼻っ柱を叩きおっておく必要がある。
この子の為にも、国の為にも。
それに私の杖を渡す訳にもいかない。
レベルの違う高位の杖を持つ者にとっては取るに足らないかもしれないけれど、私の杖は四十年近く私を支えてくれた大事な杖なのだから。
渡してぞんざいに扱われる訳には、断じていかない!
「そろそろ、終わりにしましょう」
少年は間合いを開けて、短剣に炎を宿らせる。
「エル・フェイアルス」
ボッ、鈍い音がして剣に炎が宿った。
「ほう!」
驚いた。
思わず取り繕うでない、真実の称賛が零れた。
。
初めてみた。
精霊を武器に纏わせて戦う戦い方、新しい技術だ。
まだこの世界に精霊との事で新しい何かが生まれるとは。
「面白い事を考えますね」
「風の術だけしか、使えない訳ではないですから…」
剣に炎を纏わせることで、剣の耐久力と攻撃力を上げるのだろうか。
真似してみようか、と思った時に、思いついたことがあった。
ポケットの中の、護身用の小さな小瓶。
これを使って…。
思いついた楽しさに胸が震える。
上手く決まれば、きっとあの子の驚く顔が見られるだろう。
「行きますよ!」
少年が短剣を掲げる。
「今度こそ、終わりです!」
私は受けて立つ。
体力も、そろそろ限界。時間ももうきっと残り少ない。
これがきっと最後の攻防になる。
互いに無言で、地面を蹴った。
見惚れる程に美しい剣捌き。
正面から真っ直ぐに打ち付けると見せかけて、剣を返して側面から!
「!」
油断していた訳ではないけれど、軌道を読み損ねた。
相手は勝利を確信しているだろう。
私はポケットの小瓶を取り出し、ふたを開けた。中の液体を相手に投げかけ、呪文を唱えた。
「エル・ミュートウム」
「うわあっ!」
バシャン!
と水しぶきが周囲に降り注ぐ。
私の前に張り巡らせた水の盾が、剣の炎を消すと同時、弾け跳んだのだ。
ミュートウムは水の盾。
炎の剣を止めるには最適解。
空気中から水を取り出すのには時間がかかるから、いざという時の護身用にいつも持ち歩いているのだ。
渾身の攻撃を止められて呆然とする彼に私はは、空っぽになった小瓶を投げつけ、一気に間合いを詰めた。
「うっ!」
首元を掴み、そのまま全体重をかけて押し倒した。
もう足はフラフラだけれど、丁度いい。クッションになってもらおう。
「時間と、杖があれば空中から水をくみ出す事も、できなくはないですが、こんな時の為に精霊を用意しておくのも魔術師としての備え、というものですよ」
ほぼ馬乗り。
男の子の上に跨る女なんて、絵面は最高に悪いけれど、仕方がない。
「…僕は…まったく何の準備もさせて貰えなかったのに…ずるいと、思います」
「まあ、それは否定しませんが…さて、降参しますか?」
体格が違う。身長も違う。
まだ、細身で成長しきっていない少年の身体。
あと三年経てば確実に追い越されてしまうだろうけれど、今ならまだこちらが押せる。
なんだかんだで、私もいろいろな、場数は踏んでいるのだ。
殺しかけたことも、殺されかけたことも何度もある。
『子ども上がり』の経験と人生、舐めるなよ。
まだ、ジタバタと抵抗に身体を動かす少年の喉元に短剣を当てようとした丁度その時。
「そこまでだ!」
声が響いた。
「時間切れだ。良い勝負ではあったがこの戦い、私が預かる!」
え? 完全に詰んだ勝ち戦を反故にされるの??
不満と共に声の方を見た私は声の主の命令に従わない訳にはいかなかった。
私達の戦場だった場所。
だった。過去形だ。主役は今や入れ替わった。
少年の上から降り、私は跪く。
「随分と楽しそうだな。ソレルティア」
「皇王陛下…」
舞台の中央には、アルケディウス皇王陛下が立っておられたのだから。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!