室内は静寂の中に合った。
吐息も驚愕の声さえも上がらない。上げてはならない様な空気の中に、その場にいる全員が居場所もなく揺蕩っている。
何かが一つ、確実に終わった、変わったと感じた。
今まで、心のどこかで気付いていながら、見ないふりをしていたこと。
リオンの正体が、本人の口からはっきりと断言されたからだ。
「勘違いして貰っては困るのだが『魔王』というのはお前達が思うような『絶対悪』ではない。この星の延命と人類の成長の為に『神』が生み出した『必要悪』。故に人型精霊が造られその役割についたのだ」
「世を暗黒に貶め、『精霊の力』を喰らい、人々の生きる糧を奪う『魔王』が何故、必要悪だというんだ?」
「『神』がこの星に降りし時、この星の奔放さに頭を抱えたという。『精霊神』に甘やかされた子ども達は想像以上に変質していたと。
このまま代を重ねてはもはや帰れぬ。取り返しがつかぬと『神』は『精霊神』を封じ、人々の魂と肉体を飽満させる余剰の『精霊の力』を奪うことにした」
『それは、『神』の勝手な言い分だ』
「ラス様?」
アルの手の中で灰色の精霊獣。いや『精霊神』が身震いするように反論の声を上げる。
『僕達の苦労や考えを知りもせずに、後から来て偉そうに口出しして、勝手に好き勝手やらかして。あげくの果てに不老不死だ。
精霊の力を奪ったのだって、結局は自分の目的の為だろう?
おかげで丸五百年。本来なら人が『彼方』に気付き星さえも動かせるようになる時間が無為に過ぎてしまった』
「だが、貴方方の『子ども達の自由意思優先』の指導が、結果として子ども達の増長を招いたのでしょう? 国同士の戦は増え、他人を思いやれぬ人間が増加した。『神』はそれを憂いたのです。子ども達には時に厳しい管理と指導が必要だ、と」
『精霊神』はマリクにとっても一応上位者。敬語を使っているけれど口調は厳しい。
人間だったらきっと論破された、という形なのだろうか?
兎の表情でさえもはっきりと解る苦々しい表情で、ラス様は顔を背ける。
『やっぱり、お前は忘れている。彼女の思いと願いを』
完全に論破されたわけでもなく、言いたいことは色々とお有りのようだけれど。
何かを吞み込んだ『精霊神』様にそれ以上、畳みかけることはせず『神』の代理権者。
リオンの姿をした彼は肩を竦めて見せる。
「マリク。
あいつと別人格だというのなら、仮にそう呼ばせてもらおう。
『魔王』が『神』の意志の元に動いていたのは解った。『星』の人型精霊。
『精霊の貴人』によって滅ぼされたことも。
だが、何故その後も世界は暗雲に包まれ、魔性に犯され続けた?」
「魔性を生み出し、『精霊の力』を収集するように命じていたのは『神』であったから」
「なっ……」
仮称マリクは何を当たり前のことを。
そんな表情でさらりと衝撃の事実を言ってのける。
ここも驚くのはヴェートリッヒ皇子とヴィクスさん、そしてカマラだけ。
私達にはもう解っていたことだったから。
推測が事実であると確信できただけだ。
「魔性を制御する『私』が失われたことで既に製造され、稼働していた魔性達は制御を無くし暴走を始めた。代わりの人型精霊を作り上げるには『神』にしても膨大な時間と力を必要とする。機能を限定した後継機を用意し神殿に派遣、人心の掌握と状況悪化を防いではいたがそれが精一杯。
故に『星』に奪われ『精霊の獣』として新たなる役割を課せられた人型精霊アルフィリーガが『星』の聖結界。魔王城から出て『神』の身許にたどり着くまでは現状維持以外の事ができなかったのだ」
「ちょっと、待ってくれ。あまりの急展開に理解がおいつかない。
『魔王』を生み出したのは『神』? 『魔王』は既に『星』の力で倒されていた?
そして勇者と呼ばれたアルフィリーガは、実は『魔王』の転生で『神』の代行者だった?」
「そうだ。『神』は初期化され勇者『精霊の獣』として『星』の精霊の肉体を与えられていた私を見て、一計を案じた。
今度は『星』に奪われた『精霊の獣』を取り返し、逆に『星』の人型精霊『精霊の貴人』の魂を奪い、自分の配下として括りつけてしまえばいい。そうすればこの星の全権。『星』の能力を手に入れることができる。と」
「……だから、アルフィリーガを操り『精霊の貴人』を呼び出して、だまし討ちにしようとしたのだな?」
「『星』は何故か手に入れた『人型精霊』を使って『神』の力を行使しようとはしなかったからな。まあ、こちらの意図は読まれていたようで『神』の目的は果たせなかったが。
『星』の人型精霊の器。純粋で高密度の『精霊の力』を使って、星における『神』の影響力を高めるのが精一杯だった」
「じゃあ、僕達は本物の魔王と一緒に『魔王』のいない世界で、魔王を倒そうと必死になっていたのか?」
「当時『本当に解っていなかった』のはお前と、ライオット。そして当の本人である『精霊の獣』だけだ。
勇者のパーティの中であるのなら、魔術師リーテと神官ミオルは『知っていた』筈」
「え?」
「魔王城の者達はある程度のからくりは理解していたし『神』との会談に赴いた者は全員、全てを理解し『神』の罠であることも覚悟した上で勝負に出たのだ。
結果は痛み分けに終わったがな」
意外な発言に元勇者の仲間ヴェートリッヒ皇子は目を瞬かせるけれど、お父様は何かを噛みしめるように厳しく、決絶とした眼差しでマリクを見ている。
「まあ、その辺の説明は余話。お前達の納得の為の無駄な話だ。
お前達の知るリオンは消えた。以降、この身体を使いリオンとして生きるのは『私』マリク・ヴァン・ドゥルーフだという事を理解すれば、それでいい」
「……そんな説明で、納得させるのかよ」
最初は吐息のように。
その納得できない思いは囁かれた。
「アル」
「リオン兄はいらない存在だから、別れも言わせず消した。以後は別の奴がリオン兄になる。なんて、世界が、星が、俺達が! 納得できると思ってるのかよ!」
徐々に大きく。そして最後には悲鳴にも似た慟哭が部屋を揺らした。
ぶつけられる自分ではない。でも何よりも大切な存在であった『人』の為の理不尽への抗議。
けれど、それは奪った相手には届かない。
「別に納得する必要は無い。別れの必要もない。
リオン・アルフィリーガは死んだ訳ではないのだから」
欠片たりとも響かない。リオンに成り代わった存在。マリクは平然とそう言い放つ。
「言っただろう。私はリオンであった頃の全ての記憶を有している。奴の感情や心理は理解できないが模倣は可能だ。今後も完璧なアルケディウスの騎士貴族にして、大神殿の守護騎士隊長として勤めあげる。
その役割が終わる時まで」
「人型精霊として、名乗りを上げ人々を導くのではないのか?」
これはお父様の発言。マリクは静かに頷き肯定する。
「人型精霊の役割は人の生活を導き助ける事。王として人々の上に立つことではない、
要は人の為の道具だ。
表層は書き換わったが、その魂に刻まれた基本理念に変更はない。
元々『魔王』であった時も、私には栄光など無縁のものであった」
彼ははっきりと自分を定義している。
自分は『神』の道具だと。
「この身体は未だに『星』の精霊でもある。
『私』は人を殺めることはしないし、世界に不必要な害を与えることもしない。
『神』もしくは『星』に役割の終了。帰還を命じられる時までは、星の守護者。
ありとあらゆる存在から『星』を守る『精霊の獣』としての役割を全うする。
今は『魔王』の役割を果たす者もいる。『神』の精霊の力や気力の収集は妨げないが、それは『神殿の騎士隊長』であるリオンの役割と矛盾しない。
ならば求められる指導者『リオン』として振舞うことになるだろう」
他人として生きる。
人が自分ではない別人として己を見ても、それでいい。
ただ役割を演じ、熟すと当たり前のように。
「必要とされるのがリオンである限り、私はリオンとして行動し、そう振舞い、対処する。
故に外で、私の事をマリクと呼び、そう扱う事は非推奨だと言っておく。
まあ、外の人間に今の話をして理解させる自信があるのなら話は別だが」
「皆が、貴方をマリクとして認識しなくてもいいのですか?」
今のリオンの立ち位置はこの世界に生まれた『リオン』が努力し、悩み、苦しみ、人と関り、その過程で作り上げてきたものだ。地位も、人間関係も、技術も、知識も。
それをマリクが自分のモノとして使うのは腹に据えかねるけれど、同様に彼もまた、マリクとして誰にも見られない。
そんな苦しみを、孤独を、永劫味わうことになるのではないだろうか?
「それが『人型精霊』の役割だと、いつかお前も理解する時が来る」
諦観した瞳に浮かんだ微笑は同時に、私への憐憫も宿っているように思えた。
私も彼と同じ『人型精霊』なのだから。
「話はこれで終わりだ。余計な事をしゃべりすぎた」
マリクはそういうと顔を上げ、少し広げていた足をスッと戻して手指を真っすぐに伸ばす。
直立の姿勢。
「以降、私が『マリク』として受け答えすることは、私が必要と思わない限りはしない。
リオンを学習し、そう振舞うのに思う以上にリソースが必要だからな」
「待って!」
「私に余計な感情を向ける必要もない。感情や愛情は、誤作動や不具合の元だからな。
私には『神』と『使命』と『精霊の貴人』が有ればいい」
一度目を閉じ、また目を開ける。
スイッチを切り替えたように。
黒い瞳が再び、私達を見た時。そこにマリクはいなかった。
「どうした? いつまでも変にこだわる必要は無いだろう?
俺は、ここにいるんだから」
そして、思い知らされる。リオンももういない。
怪訝そうな顔で私達を見る『リオン』には、きっと届かない。
「う……うわああああん!! お父様!!」
「くそっ、くそっ、くそっ!!」
お父様の胸に顔を押し付け、泣きじゃくる私の気持ちも、私を抱きしめながらも顔を上に上げ、零れるものを堪えるお父様の悔恨も。
精霊獣達を落とし、テーブルをたたき続けるアルの滂沱の思いも、上唇を噛みしめるヴェートリッヒ皇子の落胆も。
そして背後で、杖を血が出る程に強く何かを堪えているフェイの悔恨も。
今、私達の前に在るリオンは、同じ声、同じ体を使っていてもマリクがエミュレートし演じる疑似人格。
私達と共に生きてきたリオンでは無いのだから。
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