貴族として生まれ、皇子の側近として育ち、こんなに体力気力を消耗した日は始めてかも知れない。
夕食まで魔王城で馳走になり、城に戻った私は、使用人達に指示を回した。
「…というわけだ。
明日の準備と湯あみの用意が終わったら、其方達は戻り休んでいい。
お二人はお疲れなので就寝までの世話は我々がする。
明日の早朝は通常通りに」
「かしこまりました」
侍女や掃除夫、他の従卒や側近も全員が退いたのを確認して、私は、二階へと上がる。
第三皇子家のプライベートルーム。ここに居室を賜っているのは私と妻だけだ。
私達の部屋は二階の北側。けれど中央階段を登ると自室に背を向け、別方向への廊下を進んでいく。
途中、小さな仕掛けを施してまた歩く。
長い廊下を通っての反対奥。
一際豪奢な扉の前に私は立った。
軽いノックと共に声を上げる。
「ヴィクスです。ただ今戻りました」
中から静かに扉が開かれた。
「お帰りなさい。貴方」
「世話をかけたな。ヴィクス。人は払えたか?」
扉を開けてくれた妻には軽く目配せすると、私は執務机に向かい、書き物をしている皇子の前に進み出、頭を下げた。
妻は黙って私の一歩後ろへ。
優先すべきは主君への報告。
妻も皇族に仕える貴族。それくらいは理解している。
「はい。問題なく。二階に入り込んで来るものはいないでしょう。
いれば気付ける様にしてあります」
「ご苦労」
館の使用人の身元は『あの事件』以来、十二分に注意をしているが、用心に超したことはない。
まして、今回は絶対に、何が有ろうと洩らす事が許されぬ秘密の話をするのだから。
「さて、ヴィクス。ミーティラ。
忌憚のないお前達の意見を聞かせろ。今日、あそこに行ってどう思った」
ペンを置き、こちらに椅子の正面を向ける主君。
アルケディウス第三皇子 ライオット様。
その傍らには皇子妃ティラトリーツェ様が佇んでいる。
外出用の騎士服から皇子の奥方へと戻った立場と装い。
静穏の眼差しでこちらを見ている。
皇子もまたプライベートな部屋着とはいえ、皇族の威厳が戻っている。
半日前、畑で麦束を抱えていたとは想像もできない真剣な眼だ。
「そうですね…」
皇子の瞳に移っているのは私と妻。
でも、私が今、皇子の双眸の奥に見るのはほんの少しまで見て来た皇子の、親友に向けた笑顔、だった。
「あの島のハンバーガーとパンケーキはとても美味でした。
また食べたいと心から思っております」
私の返事に、お二人が纏っていた空気が弛緩した。
皇子の表情は特に、くるくると変わって失礼ながら面白い。
唖然としたような表情から、真剣な眼差しへ。
そして面白いものを見たような顔つきへと。
「それが、お前の答えか?」
「はい。かの地にて誓った通り。皇子とその親友、幼き魔王姫を守る盾であり、剣でありたいと思っています。
何より魔王城の子ども達との交流も、かの地で食べた料理も素晴らしいモノでした。
以後、忘れろ、近づくなと言われても御免です」
「私も同じです。あのマリカという娘。
護衛の時から面白い子だとは思っていましたが、まさかあのような秘密を隠していようとは。
ティラトリーツェ様が気に入るも道理。幼い頃の姫様にそっくりです。
まるで真実の親子のよう。危なっかしくて目が離せません」
「ちょっと待ちなさい。ミーティラ。
私とあの子の何処が似ているというのですか!」
皇子の後ろでティラトリーツェ様が目を剥くけれど、皇子は大爆笑しながら頷いているし、私も失礼ながら同意見。
幼い頃のティラトリーツェ様と話した回数はそう多くはないが、思い込んだら一直線なところとか、女性とはとても思えない信じられない行動力は良く似ている。
「もし、本気で似ていないと思うのなら、胸に手を当ててよく思い出して下さいませ。
大貴族の姫君が、暗殺者につけ狙われた時、姫君と入れ替わってワザと誘拐された事は、500年経ってもプラーミァの語り草ですよ?」
「ああ、その話は義兄上から何度か聞いた。
この妹は其方に何かあったら大人しく待ってなどおらぬ故、気を付けろとな」
「あなた!」
くくと、笑いをこらえるように返す皇子。
ティラトリーツェ様は顔を真っ赤にして必死にあたふた、言い訳を試みておられるが…まあ、無駄な抵抗だ。
「…だって、あれは、大貴族同士の共倒れを狙った叔父上の陰謀だったのですもの。
放っておいたら兄上の身にも危険が及ぶのです。
手っ取り早く事を治めるにはそれが一番で…」
「そういうところがそっくりだといっているのです。
目標までの最短距離を突っ走る。周りの事など気にせず猛進あるのみ。
まあ、その行動力がライオット皇子の心を射止めたことも、アルケディウスにいらして少しは、落ちつかれたのも事実ですが、あの子に出会ってからぶりかえしてきていると感じます。
私の名を借りて勝手に護衛任務に降りる、と聞いた時には、本当にどうなることかと思いました。
毎日、死にそうな思いで心配していた私の身にもなって下さい」
「ああ…、その、あの…ごめんなさい」
普段から身の回りの面倒を全て任せる護衛兼親友に、逆らえる筈もない。
あの娘に対しては慈しみながらも当たり厳しく、完璧な貴婦人として教育しておられるらしいが、こんな本性を知られたら…いや、もう知っているか。
ミーティラの名を借りて護衛に行っていたと言うのだから。
護衛騒動の時は、私は皇子と戦に出ていた為、詳しい事情は聴いていない。
聞いてはいないが、酷い目にあったとえらく愚痴られたことは覚えている。
直後、またミーティラが名前を使われて皇子と一緒に外出していたから、今思えばあの時も魔王城の島に行っていたのだろう。
「…でも、まあ。
こうして秘密をお話し頂けただけでも嬉しいです。
我々の事を信じて下さっている、という証、ですから」
呆れた様にいからせていた肩を下ろしミーティラは微笑する。
「二人の事は、心から信じているのです。そしてあの子達も私達が信じている者であるから信じる、と受け入れてくれた。
どうかあの子達を守るのに力を貸して頂戴」
「無論、信頼を裏切る気はありません。
この命に代えてもお二人と、あの子達を守ります。
お二人に、笑顔と喜びを取り戻してくれたあの子達を」
差し伸べた手をミーティラはしっかりと受け取り、握り返す。
剣を持つ手を預けるというプラーミァの信頼の証だと以前聞いた。
二人だけの大事な、誓いなのだろう。
私は邪魔せず、私の主君に向かい合う。
「私も心はミーティラと同じです。500年の間。
ただ、国の民の為の道具に徹しておられた皇子が長年待ち続けていた新しい風。
親友と並び立ち、笑う姿は心から羨ましいと思った程です」
瞼の裏にさっきまでの眩しい光景が目に浮かぶ。
あの楽しそうな微かな憂いさえ見えぬ、ありのままの自分を出した皇子の笑顔は、幼き頃から側に仕えて来た私でさえ見たことのないものだった。
「…許せ、ヴィクス。
正直俺は、皇子、と呼ばれる度に、何故自分が皇子あったのか。
何故一人、奴らを追う事も許されずに生きなければならないのか、と思わずにはいられなかった。
悔しくて悔しくて、ずっと死にたいと願っていた」
『自死なんて、愚か者のする事だ。
死んだら、星に還る事もできない。人に傷を残し、己の生きた意味さえ無くしてしまう』
「奴との約束が無ければ魔王城の島で俺は死んでいただろう。
アルフィリーガとの再会。それだけを願い、信じて俺は生きて来た」
遠い、夢を仰ぐように顔を上げ、ここには無いものを見つめる眼差しは切ない程だ。
「こうして、長い時の果て再会を果たし、俺は自分の為すべき事を知った。
生き残って生き恥を晒し続けて来た意味も、今は理解している。
皇子。
望んだことは一度も無い肩書だが、それが持つ力が奴らを助け、守り、羽ばたく手助けができるのなら全力で使う。
そして、神を倒す。星から不老不死を取り払う。
500年の屈辱を、この手で神に叩き返してやる!」
「であるのなら、共に参ります。今度こそ、最後まで」
意思と決意の篭った皇子の言葉に私は跪いた。
なんだかんだ言って、このご夫婦は似た者同士だ。
こうと決めたら一直線。迷わず真っ直ぐに突き進む。
ならば、その背後を守るのが臣下たる自分、いや、自分達の務めだと思う。
「ああ、頼む。ヴィクス。お前になら俺達の後ろを任せられる」
「必ずや」
かつての魔王討伐の旅。
皇子は身分を捨てて、一人の戦士として旅立つ事を命じられた為、共に行く事は許されなかった。
だが、今度はきっと最後、いや最期まで付いていくことが許されるだろう。
いや、ついていくのだ。
きっと…。
「では、あなた。
私達は湯あみをしてから休みます。
今日は流石に疲れましたので…」
話の区切りを察し、ティラトリーツェ様が優雅にお辞儀をする。
貴婦人モードが戻ってきたようだ。
「ああ、今日はゆっくり休めよ」
「ありがとうございます。では…行きましょう。ミーティラ」
「はい。失礼いたします」
静かに退室していった二人、扉の閉まった向こうでは親友同士に戻った二人が
「魔王城や、あの子の『新しい味』が美味であるのは承知しておりますが、食べ過ぎではありませんか?
ティラトリーツェ様。最近お腹周りが…」
「言わないで。ミーティラ。気にしているのですから。
不老不死でも食べ過ぎると太るのかしら?」
そんな軽口を叩きあっているのが聞こえる。
少し微笑ましい。
「ヴィクス」
「はい」
飛んでいた意識を呼び戻し、私は皇子を見た。
「お前も魔王城で見ただろう? 子ども達の異能。ギフトと呼ばれるものを」
その言葉に頷く。
魔術師とは違う異能力者の噂は聞いていたがこの目で見ると驚きが違う。
「…はい。私が直接見たのは怪力の子どもと、足の速い子ども。
動物を招き寄せる子どもと、魅惑的な音楽を奏でる子どもですが」
子どもがひょいひょいと私より重い麦束を運んだり、白い犬にいう事を聞かせたりする姿は本当に信じられなかった。
休憩時間に弾いてくれた少年のリュートと歌声も素晴らしいものであったし。
「あとは、マリカのものの形を変える、も見た筈だ。魔王と呼ばれるも道理の能力。
今は子どもで麦の刈りとりだ、料理だ、服作りだなどとはしゃいでいるが、成長するにつれて解って来るだろう。
自分の力の恐ろしさが」
「正しい使い方とコントロールを知らせ、監視していかないといけませんね」
「ああ、後は子ども達の保護も、だ。捨て置かれる子ども達をできる限り保護し、見守る必要がある。
先のドルガスタ伯爵家のアルのように、そして王都の偽勇者のように、その能力を利用され使われる可能性も少なくないからな」
「解りました」
皇子が前々から言っていた『子どもの保護』
その実際運用の話を始めようとしてたその時。
「キャアアア! ティラトリーツェ様!」
絹を裂くような悲鳴が響いた、二階、そのプライベートルーム全体に響き渡った。
皇子と私、顔を見合わせた二人は同時に部屋の外に出て走り出す。
幸い、直ぐに見つける事が出来た。
「大丈夫ですか? しっかりなさって下さいませ」
必死で主の背をさする悲鳴の主、ミーティラと、その足元で苦し気に蹲るティラトリーツェ様を。
「どうした?」
「お風呂に行こうと思ったら、ティラトリーツェ様が急に吐き気を催したと…座り込んで…」
見れば確かに廊下の隅に嘔吐の跡が見える。
不老不死者が体調不良で嘔吐など…とは。
だが、疑問しか見えない我々と違って
「…皇子。今日は休みと言っていた所申し訳ありませんが、朝一でガルフの店に連絡を。
マリカを呼んで下さいませ」
「マリカを? 何故だ?」
「まさか、ティラトリーツェ様にあの少女が何かしたとでも?」
「いいえ、そうではありません。この症状に覚えが。
魔王城での午餐には赤子とその母がおりました故…」
「赤子? まさか?」
苦し気に口元を押さえるティラトリーツェ様の横顔は、けれど不思議に強い意思と光を宿していた。
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