魔王城の大広間には『暦』と呼ばれるものが飾ってある。
マリカが
「予定を立てる目安にね」
と置いたものだ。
1~28日までの日付が4列になって書かれてある板が8枚。
裏表にそれぞれの月のモチーフが描かれている。
昨日まで飾られてあった星をモチーフにした板は片付けられ、今日からの板には木が描かれている。
星の月が終わり、木の月に代わった、その最初の日。
「はああああっ!!」
俺はノー天気に遊ぶチビ達をバルコニーから、黙って見つめていた。
今日は魔王城の休日。
城の中で、危ない事をしないなら何をしても構わない日と言われているので、チビ達はみんな思い思いに好きな事をして遊んでいる。
なんだかんだで魔王城の生活は規律正しい。
朝寝坊や夜更かしはできないし、課せられる仕事も課題もあるから、それから完全に解放された今日は楽しみな一日なのだろう。
まだベッドから出てこないアーサーや、早速リュートを持ち出して中庭で弾き倒しているアレクのようにそれぞれが休みを満喫している。
「ああ、オレ、なにしてるんだろうな」
そんな中、一人、やることもなくボーっと日向ぼっこしているオレは我ながら情けないとは思っている。
でも、本当に今日のオレは一人。
何にも、やる気が出ないのもまた事実なのだ。
この間、マリカが倒れたあの日。
大人の姿にいきなり変化したあの日以来、マリカが完全に「変わった」ことをオレは知っている。
本人は気付いていないか、意識していないようだったけれど完全にオレ達とは別の生き物に、精霊に近しいものになっていた。
…リオン兄と、フェイ兄と同じだ。
外見は変わらないけれど、内側から放つ力は桁違い。
あの日以降、マリカを見る度、オレの中でチリチリと、胸の隅っこで立てる音が生まれている事をオレは自覚していた。
でも無視できるものだと思っていた。そうして無視していた。
けれど昨日、オレは見た。見てしまった。
…この地上におけるただ二つの頂。
精霊の貴人と精霊の獣を。
精霊の貴人
闇の髪、紫水晶の瞳。
大人の女性など、ろくに接する機会など無かったけれど、この世のどんな女性よりも美しいと解る、星が生み出した奇跡の具現。
精霊の獣
黒曜石と緑柱石のオッドアイ。
流れる闇の髪は精霊の貴人と同じ色で、並べば完璧な一対に見えるだろう。
完成された戦士の身体を持ち、この世のどんな敵からも人と精霊を守る者として星が生み出した夢の結晶。
星によって選ばれ、作り上げられた希望。
人が努力しても決して届かぬ生まれながらの『選ばれし者』
そして二人の前に膝をつき忠誠を捧げたフェイ兄を見た時、
オレの心の中に火が付いた。
小さな小さな、燃え残りの灰の中の熾火だと思っていたものが音を立てて燃えだしたのだ。
ジリジリと、どんどん大きくなり、広がっていく。
早く、消さないといけないと解っているのに、自分一人ではもうどうしようもないということも、オレには解っていた。
ケーン!
甲高い声を上げて、中庭から鳥が飛び立った。
ヨハンのクロトリだろう。
見れば下で、嬉しそうにヨハンが手を振っていた。
冬の間、城の中に閉じこもってろくに翼も広げられなかった鳥は、つがいと共に嬉しそうにどこまでも楽しそうに空を舞っている。
そうだ。解っている。
これは嫉妬なのだ。
例えて言うなら、自分達と一緒に歩いていたと思っていた仲間が、実は鳥で自分の前で翼を広げ、空に飛んでいくのを見ているような感じ。
自分だけが、地上に縛り付けられて、空を飛ぶことができないのだと思い知らされる。
自分と彼らは違う生き物だと割り切ればいいのだろう。
彼らは、自分達を置いて行ったりはしない。
ちゃんと呼べば、求めれば、足を止めてくれる。
戻ってきてくれる。
「おいで、カイト」
眼下でヨハンの腕に舞い降りるクロトリのように。
でも、それは嫌なのだと、オレは胸の中で叫んでいるオレを感じていた。
自分がやりたいことは解っている。
決まっている。
それは、この世界をぶっ壊す事。
誰もが不老不死で、自分の命も他人の命も何もかも軽くて、ゴミのような世界を壊す事だ。
…目を閉じる。
思い出したくもないけれど、それでも定期的に思い出す様にしている。
魔王城に来る前。
貴族に買われ、首に鎖を付けて『飼われていた』日々の事を。
目の前に広がる光景はまるで、動く者も、そうでないモノも石と漆喰で固められたように固くて、真っ黒だった。
オレは一際大きくて、固くて黒くて醜いモノの側に置かれていた。
寒い、痛い、冷たい、以外を感じた事は無かった。
覆いかぶさって来る黒いモノに押しつぶされそうだった。
ごくたまに、光るものが目の前に現れる事があって、それに手を伸ばす。
それが決して自分の手に触れる事は無かったけれど。
あの日
「大丈夫か? しっかりしろ!」
「もう、心配いりません。一緒に行きましょう」
初めてこの手に光が触れるまで。
『眼』が輝かしいモノを、人を知覚するまでは。
正直な話。
世界を壊した後、どうなるかは知ったことではない。
マリカやフェイ兄は多分考えているのかもしれないけど、オレは少なくとも気にしたことは無い。
魔王城でみんなと、一緒に暮らせればいいとは思うけど、そこで全部終わったって別に構わないくらいだ。
リオン兄が元勇者で、同じ思いを持っていると知ってからはなおのこと。
この世界を壊したいと、オレは真剣に思っている。
俺のこの『眼』は特別なもので、悪いモノから皆を守ってやれるのだ、とリオン兄は教えてくれた。
ただ流れ込んでくるだけだった目の前の世界を『切り替える』方法を教えてくれたのもリオン兄だ。
今にして思えば、勇者だった時代。
かつてのアルフィリーガも持っていたのだろう。予知眼を。
でなければコントロールの仕方を知る筈もない。
大人になった精霊の獣が見せた、碧の瞳。
あれは、オレと同じだと解ったし。
「オレも、精霊の力が欲しいな」
独り言のようにそんなホンネが零れた。
完全な独り言だったのだけれども
「何が欲しいのですか?」
「うわっ! エルフィリーネ!」
返事が返った。
一人だと思っていたバルコニーにふわりと、城の守護精霊が舞い降りる。
「ずっと、見てたのか?」
「はい」
「ずっと、聞いてた?」
「はい。マリカ様が、お休みになられる前、できればアル様の事を気にかけてやってほしいと頼んで行かれましたから」
「…ちっ。お見通しかよ」
オレは舌打ちして、守護精霊を見た。
「エルフィリーネ。あんた、昨日の事も見てただろ?」
「それは、勿論。この城の中で起きる事は全て把握しています。
まして、精霊の貴人の再来、と精霊の獣の新生。見逃すわけには参りません」
「だよな。兄貴達やマリカも多分解ってただろうし」
当たり前のように言う守護精霊にオレは聞いてみる。
考えてみれば、エルフィリーネとオレの二人きり、というのは初めての事。
リオン兄はまだ意識が戻らない。フェイ兄は付きっきり。
マリカは空き部屋で眠っている。
「なあ、エルフィリーネ。あんたはオレに変生とやらをかけること、ってできないのか?
兄貴達やマリカに内緒で」
皆がいる時には絶対聞けない事だ。
「できません。私の力はマリカ様のものですのでマリカ様の許可なしには大きな術の行使は不可能です。
そも、精霊が人間に変生をかけるのは主との契約のようなもの。
人間を精霊の一族に迎えるのと等しいですから。
今、それができる精霊は他ならぬ精霊の貴人と精霊の獣だけ、ですわ」
「だよな」
あの二人が、それを許してくれる筈はない。
大きく息を吐き出して、オレは視線を空へと上げる。
「オレもみんなと同じになりたい。精霊の力が欲しい」
マリカやリオン兄のように、生まれながらの力は無理だとしても、せめてフェイ兄のように同じ、肩を並べて堂々と歩ける力が欲しいと本当に思う。
オレの予知眼は、皆の役に立てるものだと解ってはいるけれど、それだけじゃ置いて行かれる。
そもそも予知眼そのものはリオン兄だって持っているのだ。
もしかしたら、明日にでもお前なんかいらない、と言われるかもしれない。
リオン兄も、フェイ兄も、マリカも、絶対にそんな事は言わないと解っているけれど。
「変生以外に、力を得る手段が、無い、わけではないですよ」
「えっ?」
告げられた言葉に、オレは慌てて逃がした視線を戻す。
エルフィリーネに向けて。
「アルフィリーガは忘れているようですが、精霊の力だけでは神の力を破るのは困難なのです。
かつて神が精霊の貴人と、精霊の獣を騙し討ちした時、唯一それから逃れたのは騎士長だけでした。
神は、どういう手段でかはわかりませんが、精霊を支配する力を持っています。
それを破るには、別の方向の力が必要なのではないかと、私、思っておりました」
さらりと、とんでもない発言を溢すエルフィリーネにオレは驚いて怒鳴る。
「じゃあ、なんでそれを兄貴達に言わないんだよ!」
「生まれついての鳥に、空に罠があるから飛ぶなどいうのは無理な話です。
のたのたと、地上を歩けばそれこそ狙い撃ちとなりましょう」
ぞわりと、背筋に寒気が奔った。
エルフィリーネの言葉は、今までの状況、歴史、全てを俯瞰してきたが故の冷酷なまでに冷静な言葉だ。
一を聞いて十を知るフェイ兄よりも一から百までを見て来た彼女しか知らないこと、知らない方法もあるのだろうか。
「アル様。貴方は自覚されておられるか解りませんが、金の髪、碧の瞳というのは生まれながらに精霊の守護深き者の証。
あえて精霊の族に加わらずとも、精霊達は貴方を愛し力を貸すことを惜しみはしないでしょう。
そして、精霊ではなく、人であるからこそ、できることもある。
地上から空に向けられた神の罠を知覚し、壊すことができるのは貴方だけのようにさえ、私は思えるのです」
「…オレは、オレのままで兄貴達やマリカの力になれるのか? 神をブッ飛ばすことができるのか?」
「身に付けられるかどうかは、貴方様次第でございますが…」
ふと、以前リオン兄が語った思い出話を思い出す。
あの話で、リオン兄についていけなかった仲間達は、それでもリオン兄と共に戦う為に。
その翼を止めない為に、生かす方法を考えたのでは無かっただろうか?
口元が笑いを形作る。
流石に零れはしなかったけれど。
どんどん、力を付けて空を飛んでいく兄貴達やマリカが羨ましい、ズルいなどと囀るのはエリセ達よりももっと子どもじみてる。
自分でも言ったのだ。決めたのだ。
力を付けて、這いつくばってもついていくと。
「おそらく貴方の剣も、力を貸してくれるでしょう」
「オレの剣?」
「はい、あの剣はかつて騎士長が使っていたものですから。これも、運命でしょうか?」
いつか、冗談のように言った。
マリカが女王で、リオン兄が王様で、フェイ兄が魔術師。
ならオレは騎士団長に、と言った。
ああ、それでいい。
オレは、兄貴達を、マリカを助けたいのだから。
「オレに、その方法を教えてくれるか? エルフィリーネ」
「私の知る限りでよろしければ、喜んで」
胸の中に燃えていた、嫉妬の炎が小さくなっていく。
消えたわけではないけれど。
どんどん、空を飛んでいく皆が羨ましくないと言えば今だって、嘘だ。
でも、オレにできることがあるのならそれでいいと思える。
晴れた青空を高く、高くクロトリのつがいが飛んでいく。
まるでマリカとリオン兄のようだ。
その翼を守って見せると、オレは心に決めたのだった。
ほのぼのお休み風景の描写にはなりませんでした。
なぜだ?
昨日の修羅場を見て、アルが悩み始めたのでアルのターンとなりました。
アルは変生することは多分できません。
でも、しないからこそできることがある。
人間として強くなり神に剣を突きたてる。
そんな存在に描いていければと思っています。
もう一話、今度こそほのぼのストーリーを書いて、次からはガルフ再訪からの第一部完に向けて全力疾走行きます。
どうぞよろしくお願いします。
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