この世界は、昔、魔王と呼ばれる存在がいたのだそうだ。
ヴァン・レ・ドゥルーフ。
精霊の力を喰らう者と呼ばれ、その名の通り世界を闇に覆い、魔性を操り、精霊を喰らわせていた存在が。
勇者アルフィリーガは魔王を倒し『神』に人々の不老不死と永遠の平和を願った。
『神』はそれに応え、勇者と仲間達の命。そして魔王の身体という強大なエネルギーを使って世界を作り変え、人々に不老不死を齎した。
というのが『神』の語る勇者伝説だ。
けれどそれは偽りだと、勇者本人とその仲間は語る。
実際に『魔王』の冠を被せられ、世界変革の素材にされたのは精霊国 エルトゥリアの女王であり、勇者も同時に殺された。
その直後、世界を覆っていた闇は晴れ、魔性の殆どが姿を消した。
エルトゥリア女王は魔王、魔性の主ではない。
ならば魔性を操り、世界を闇に包んでいたのは『神』の他にはいないだろう。と。
「何故、魔性が、私を襲ってきたのですか?」
明日から本格的に始まる大聖都の礼大祭。
その下見中に魔性が突然現れ、私を襲ってきた。
「詳しくは、解りません。ですが、姫君『聖なる乙女』の強大な『力』に引き寄せられてやってきたのではないかと思われます。
魔性が好んで喰らうのは『精霊』。
王家の方や『聖なる乙女』はその身の内に精霊の強い力を宿しておられますから」
護衛士カマラと一緒に魔性を倒してくれた神官長にかけた私への質問の答えがこれだ。
「魔性は『神』の配下ではないのですか?」
と、喉の奥まで出かかった言葉はなんとか呑み込む。
実は実際に神官長本人から言質もとっているのだけれど、彼はそんなこと、他の人の目があるところでは決して口にしないだろう。
「昨年より、魔性の存在が目に見えて増加しております。
すでにアルケディウス皇女であり、ライオット皇子のご息女である姫君のお耳には届いておりますでしょうが、実は昨年、魔王が復活。大聖都に宣戦布告をしておるのです」
「……聞いています。魔王城に通じる扉を破壊し『勇者の転生』を倒し、世界は闇に閉ざさないが『神』には従わないと言ったとか……」
これは、別に知っててもおかしくない事だよね。
だって、その場にいて宣戦布告を聞いた『ライオット皇子』がアルケディウスにはいるんだもん。
「はい。以後、各国で魔性の目撃事例が激増しております。
特に『新しい食』の推進により農業が盛んになり、『精霊』の力が高まったアルケディウス、エルディランドなどが目立って被害が多いようです。
次いで元から葡萄酒の栽培が盛んで魔性の目撃事例が多かった大聖都。香辛料の栽培に力を入れ始めたプラーミァなどでしょうか?
おそらく魔性達は蘇った主の為に『精霊』の力を集めているのではないかと思われます」
「そう、ですか……」
あくまで、魔性達は『神』に属するものではなく、魔王の手先。
その形を崩すつもりは無いのだということは理解しているのであえて突っ込まない。
藪から蛇を出したくもないし。
それに、微かな真実も零れている。
魔性達は主。つまりは『神』の為に精霊の力を集めているのだ。
『神』は人のエネルギー。『気力』だけではなく、精霊の力も集めている。
五百年。
気の遠くなるような時、力を集め続けて。
それほどの力で一体、何をしようとしているのだろうか?
「明日からの祭りに向けて、これから大神殿の全力を挙げて、周辺の魔性の探索、退治を行います。姫君の安全の為、少しでも人手が欲しいので、アルケディウスの護衛武官達にも協力を仰いでもよろしいでしょうか?」
「強制はしないと約束してくれるなら構いません。
あくまで判断は残っている使節団を率いる指揮官に委ねるという事で」
「承知しました。二回連続で戦に勝利した、ライオット皇子の愛弟子。
天才少年騎士の協力はぜひ、仰ぎたいものですが、ええ、決して強制は致しませんとも」
言葉だけ聞いていれば素直な同意に聞こえるのだけど、私はなんだか背中がぞわりとした。
なんだか、ヤバイ?
藪の蛇、踏んじゃった?
「少年騎士も、おそらくは姫君の安心と安全を守る為に、お力をお貸し下さることでしょう。
これからの祭り、決して大聖都への魔性の襲撃などは許しません。
姫君におかれましては、どうか心安らかに、式への準備と清めをお続け頂ければ幸いにございます」
なんだか神官長の言い方が怖い。
でも、話をしているうちに奥の院に戻ってきてしまった。
後は、明日の『前夜祭』まで外には、もう出られないだろう。
「明日は朝。一の空の刻にお迎えに上がります。
安息日ですので、アルケディウスと同じように大聖堂で礼拝がございます。
『聖なる乙女』に置かれましては、私の後ろに佇み、大聖堂で一度。
移動して祭壇で一度、讃美歌をご斉唱頂きたくお願い致します」
「私の楽師を使いますがいいですよね?」
「無論。丁重にお連れ致します」
「後、しゃべれなくでも構いませんから、アルケディウス随員団の席を作り、護衛士が側に付く事を許して下さい」
「そちらについても了承しております。
既にアルケディウス側に連絡済みです」
大聖堂での礼拝の時は側に付けるのはカマラだけだけれど、祭壇での歌の時には私が向かう通路の左右にアルケディウスの護衛士達が並んでついてくれるという。
久しぶりに、皆の顔を見れるだけでも嬉しいかな。
「では、今日は明日に備え、よく清めを行ってゆっくりとお休みになって下さい」
そう神官長が告げて部屋を出ると同時。
「姫君。魔性の襲撃があった、と伺っております。
夜の清めにはまだ早いですが、泉での禊を行いますのでご準備を。
その後は、一端お休みになって下さいませ。
明日から、礼大祭が始まるのです。お疲れなどが残ってはなりません」
「解りました。カマラ。今日はありがとう」
「いいえ。マリカ様をお守りできたこと、光栄です。
姫様、私からもリオン様に報告書を書いて出してもいいでしょうか?」
「構いません。もし、私が寝てしまって、ネアちゃんが来る時間に間に合わなかったら、手紙と報告書を渡しておいて下さい」
「かしこまりました」
マイアさん達が待ちかねたように禊を始めた上に早々に寝台に入れられてしまったから、魔性襲撃の興奮と共に私は気付くことも知ることもできなかった。
この後、アルケディウス、ううん。
リオンに起きた騒動も、大神殿の、神官長の思惑にも……。
「よいか? ネアには命じてあるが、失敗もあろう。
その時には、必ずお前がそれを為すのだ」
「何故、そのような事を?」
「お前は知らずともよい。『勇者の転生』その場に居続けたくば、我等には逆らわぬ事だ」
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