私が魔王城から戻ってきて、転移陣から出た直後。
「マリカ様! お帰りをお待ちしておりました」
珍しくも焦った表情で店長のラールさんが駆け寄ってきた。
「どうしたんですか? ラールさん?」
「マリカ様の、留守中に、この店に手紙が届きました。これを……」
「店に私宛の手紙が?」
ちょっと意味が解らなくて首を傾げてしまう。
大神官としての私に用があるのなら神殿に、皇女としての私に用事があるのなら第三皇子家かアルケディウス王家に連絡してくるだろう。
もしくは大神殿に。
面会予約などがあってもどちらかで、正式な手続きをしてお母様か神官長を通してから。
こう見えても! 一応! 周囲に気を使って許可を必ず得てから仕事を受けたり、移動したりしている。
アルケディウスで商人をしていた頃から一人で突っ走っていくことはしないようにしているつもりだ。
誘拐事件もあったし、私が不用意に単独行動をして攫われたりすれば大事になるから。
最も、私が確実に訪れる場所、ということでたまに店に吶喊して来る人がいることはいる。
ゲシュマック商会に取引相手としての顔で割り込んで来る人とかも。
でも、そう言う人は大抵ラールさんが誠実に追い返してくれていた筈だ。
ここは貴族区画の料理人育成用実習店舗。
各国からの留学生を預かる店だからセキュリティにも気を配っているし。
「誰からです? 私に繋がなくてはならない程特別な人ですか?」
「はい」
意外な事に青ざめた顔のラールさんから帰ってきた返事はイエス。
銀のお盆に乗せられて差し出された封筒を、私はカマラに受け取って貰った。
淡い緑色の封筒。植物紙かな?
最近、貴族の間で植物紙を使い手紙を書く事が流行している。
アルケディウスでも植物紙が造られるようになってきて、まだお高めではあるけれど貴族達の手には入りやすいものになってきたからだろう。
植物紙を扱う商会の商会長、ミルカの提案で紙に薄く絵の具や花などを混ぜ込む高級品なども作られている。
ミルカはセンスがいいから、私から見てもステキだなって思うものが多くて時々自分用に納めて貰っている。
私は各国王族やお父様、お母様に使うけれど面会希望や要望、恋文とかに使う人が多いんだって。
特別感があって、相手をいい気分にさせやすいから。
「! マリカ様! これをご覧下さい」
封筒を手に取ったカマラの顔からサッと血の気が引いた。一体?
基本的に、使い方は向こうの世界と同じ。表にあて名書き、裏に差出人。
「え?」
そこに流暢な文字で書かれていた名前は、私達にとってはあまりにも以外で、そして懐かしい名前だった。
「……ノ、アール?」
「え? ノアール? ホントですか?」
傍らに控えていたセリーナも近寄ってきて目を見開いた。
「た、確かにノアールの筆跡です。丁寧ですが少し癖のある書き方に見覚えがあります」
元同室で同じ仕事をしていたセリーナが言うのだから間違いは無いだろう。
私は深く息を吸いこみ、瞑想。
心を落ち着かせる。
ノアール。
黒髪、黒い瞳の私の影武者。
元はプラーミァの貴族家に仕えていた奴隷で、色々な事件の後、私が侍女として引き取った子だ。同い年だから、今14歳になっている筈。
パッと見も似ているけれど、私にそっくりなる『能力』を持っていて、私の代りを務めて貰ったこともある。
二年前の新年。魔王エリクスが大聖都を襲い、大神官を殺害した時、誘拐されてしまった。
その後、行方は全く知れず、時々魔性達を指揮する目撃証言があるのみ。
救出の為に七国全てに協力を仰いで魔王城……っていうと私達のお城とごっちゃになるからエリクスの城、を探して貰ったけれど、今もって発見の報告はない。
「おそらく、エル……かつての魔王の城のようにこの大陸には城そのものはないのだろう。
世界のどこかに隠されている転移陣などを使って行き来しているのだ。
後は、風の転移術とか」
お父様はそう言って苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていた。
実際、ノアールもエリクスも襲撃の後、魔性を残し、自分達だけかき消すように消えた。
という目撃証言がいくつか残っている。
二人とも転移術使いなのは間違いないだろう。
『ノアール、とかいうあの娘はおそらく、七つの精霊の属性を持つ魔術師になっていることだろう。七国の王の血によって変生した精霊と人の狭間の者として』
騒動後、プラーミァの『精霊神』アーレリオス様がそうおっしゃっていた。
元々、ノアールは子どもで『精霊』の祝福を受けて魔術師の勉強をしていたけれど、変生によって魔術師になるというのは、それとは別次元の言わば改造手術。
身体を作り替えられて、精霊と交感しやすく、魔術を使いやすい存在になる。
厳密には人間とは違う者になるから、古い時代でもよっぽどの才能と覚悟がある者以外は許されない秘術だったという。
私は、その前に意識を失っていて、ノアールが連れ去られる時は彼女自身が気絶したままで。全く会話もできないまま見送ってしまった。
『彼女自身がきっと、望んだこと』
『助けを求めるなら方法は在る筈』
『心を痛める必要はありません』
と周囲は言い、私もそう思わなくは無いけれど。
できるなら、エリクスの元から救い出して、光の中で幸せに生きられる道に戻してあげたい気持ちは今も揺るがない。
そのノアールからの初めてのコンタクトだ。一体何だろう。
「ラールさん、中を見ましたか?」
「いいえ。皇女宛の手紙を開封するなど」
ラールさんが言う通り、封筒は固く封じられたままだ。
つまり、ここにあるのは間違いのない彼女の意志。
「マリカ様!」
封筒に手をかけかけた私を止めるように厳しい眼差しでカマラが見据える。
そうか、そうだよね。
「カマラ、開けてくれますか? 針や刃物の仕掛けが無いか気を付けて……」
「解りました」
私はカマラに手紙を開封して貰った。
言ったようなトラップが無い事は解っているし、信じている。
けれど、心臓の鼓動は激しく勢いを増すばかりだ。
微かな音を立ててカマラの手元で封筒が開く。
衣擦れならぬ紙擦れの音と共に手紙が封筒から引き出された。
私と視線を合せたカマラが頷き、そっと紙を広げる。
それは思いがけない『デート』のお誘いだった。
翌日。
私は彼女と再会する。
「お久しぶりでございます。マリカ様」
彼女は二年前とは全く違う、笑顔で微笑んでいた。
美しい『大人の女』の笑顔で。
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