その日…カレドナイト鉱山で、謎の魔性の飛行を目撃した夜。
私は子ども達に迂闊に外に出ないように話をした後、オルドクスとエルフィリーネに子ども達を頼んで速攻、アルケディウスに戻った。
「フェイ!」
「マリカ?」
転移の魔法陣を転がるように出てくると、私の様子を聞きつけたのか部屋に戻っていたフェイとアルが出て来る。
リオンは今日も仕事でまだ戻ってきていないようだ。
「どうしたんです? 今日はあちらに泊まって来るんじゃなかったんですか?」
「ゴメン! フェイ。大至急、ビエイリークに連れて行って!」
「ビエイリーク? どうして?」
「実は…さっき…」
私は怪訝そうな顔の二人に、さっきの魔王城の島で見たもの。
北から飛んできた空を覆い尽くす様な魔性の群れの事。そしてそれが南下していったことを話す。
「魔王城の南、ってトランスヴァール伯爵のビエイリークでしょ?
もしかしたら、何か起きてるかもしれない」
「解りました」
何の証拠も無い話だけれど、フェイは信じて頷いてくれた。
「直ぐに行ってみます。でも、マリカは留守番です」
「え? 私も行くよ」
「ダメです。何かあったら危険すぎます。
皇女を危険とかもしれない場所に連れて行く事は王宮魔術師としてできません」
きっぱりと言い切ったフェイの目は厳しくて、正論で、私はそれ以上の言葉を紡げなくなる。
「でも…根拠は、私が魔王城で見たことしかないんだよ。
説明も出来なくて…」
「何事も無ければ、それでいい。ビエイリークには魚の仕入れの状況確認とでも言い訳できます。
アル。一緒に来てもらえますか? 何か異常があったのならアルの目が必要になるかもしれません」
「解った」
「それから、皇子に連絡を取ってリオンにも一緒に行って貰いますから…。
マリカは心配しないでここで待っててください」
「解った。気を付けて行って来てね」
私の言葉に頷くと同時、フェイはアルと共にかき消すように消えた。
それが大体、二の火の刻くらいだ。つまりは夕方六時~七時前後。
今は冬。
終わりが近いとはいえ火の刻を過ぎれば、外は真っ暗。
「三人が、どうか無事に戻ってきますように…」
私は祈る思いで、窓の外を見つめていた。
三人が戻ってきたのは、空の刻も終わろうかという頃。
夜の十時過ぎだった。
「リオン! フェイ! アル! どうだったの?」
疲労困憊、という様子の三人は顔を見合わせ、それでも私に微笑んでくれた。
「大丈夫だ。お前のおかげで、ビエイリークに大きな被害は出なかった」
ぽんぽん、と安心させる様に私の頭をリオンは叩くけど、
「大きな被害…って?」
その言葉の意味を理解できない程私は子どもじゃない。
「やっぱり魔性が出たの?」
はいとも、いいえとも答えず、フェイが青い瞳を私の目線に合わせる。
「…マリカ、その件について、皇子が話を聞きたいと言っています。もう夜遅いのですが付き合って貰えますか?」
「あ、うん。勿論」
フェイに手を取られ、私達四人で跳んだ先は皇国騎士団の市民区画の詰所前。
奥の隊長室に入れば良く知ったお二人が、待っていた。
「…待っていたぞ」
「先程は、ありがとうございました」
「ライオット皇子…。トランスヴァール伯爵…」
隊長室にいるのはライオット皇子、副官のヴィクスさん。
大貴族のトランスヴァール伯爵。
リオンの配下のヴァルさん。
後はリオンにフェイにアルだ。
「まず、事情を説明しておく。
他言無用に願うが、俺の娘のマリカは、予知とも遠見とも言えない『何か』を見る異能を持っている。
現代過去未来、何が見えるか本人には解らないそうだがそれによって、魔性の異常発生。ビエイリークの襲撃を予知した」
なるほど、そういう設定にしたのか、と心の中で頷く。
魔王城の島から南下するのを見た、なんて言えないもんね。
「予知の精度は高いが確定ではないので確認の為に、魔術師と皇国騎士がビエイリークに赴いたところ、丁度飛行魔性の群れが南下中。
何体かが海岸で漁の片づけをしていた市民に襲い掛かっていたのだ」
「今まで魔性の襲撃など何百年も無かったこともあり、街の警備体制は有名無実化していた。
だから、魔性に襲われた民を助ける事もできず、護民兵は慄くばかり。
魔術師と騎士が駈けつけてくれたおかげで、民は助かり、重傷者や死者は出ないで済んだ。感謝する」
トランスヴァール伯爵は頭を下げて下さるけれど…重傷者や、死者…は?
「もしかしたら怪我人は出たんですか? 不老不死の世界なのに?」
「そこが問題なのだ。マリカ。
それから、皆も聞け。今回現れた魔性は人に襲い掛かり、身体を傷つけ、その血を啜ろうとしていた。
剣にも槍にも傷つかぬ筈の不老不死者、だが魔性の爪と牙にはその身を切り裂かれていたという」
「魔性の腕から救い出し、別室で暫く安静にすることで肉体は修復され、襲撃を受けた人達は事なきを得ました。
ですが、もし救出が遅れていたら、彼らは血を啜り、肉を喰われ死に至っていた可能性があると思われます」
冷静なフェイの分析に寒気がした。
何も言わないけれど、皆同じことを感じている筈だ。
不老不死者の死が魔王城以外の所で、現実のものになるなんて…。
「かつて『魔王』が世界を闇に染めたと呼ばれる時代、魔性は、基本的に精霊を喰らう存在だった。
二次的に人間も襲ってはいたが、主食は精霊。
畑や、草花、大地の精霊などを魔性に喰らわれると、植物は枯れ一瞬で大地は荒れ果てる。
だが、精霊を喰らった魔性を倒せば、精霊の魂は解放され、僅かではあるが実りが戻り、いずれ時間はかかるが精霊も再び蘇る。
それが、常識、だった」
皇子の分析をリオンが引き継ぐ。
「だが今回それが覆された。
奴らは最初から人間を襲っていたのは海辺でめぼしい精霊がいなかったからかもしれないが、積極的に人間を襲い、血と命を啜る奴らはかつての…闇の時代の魔性とはまた違う存在なのかもしれないと感じている」
「ですが、奴らは魔王城から方角から飛来した。
ということはやはり、昨年から噂されている魔王の復活が事実であり、その先兵なのでは?」
トランスヴァール伯爵は腕を組む。
確かにビエイリークから見れば北方、魔王城から飛来したように見えただろう。でも…
「いえ、魔性達は魔王城のさらに北の方から来たように見えました。
夢で、私が見た事なので何の根拠にもならないことは、解っておりますが…」
真実を知っている私は首を横に振るしかない。
そもそも魔王城から、魔性が生まれる筈は無い。魔王城の先兵では在りない。
魔王である私が言うのだから、間違いはない。
とは勿論、言えないけれど。
「状況は解った」
ライオット皇子は読み取って下さったようだ。私の意図を。
「とりあえず、魔性の裏に魔王がいるか、などは今は様子を見る事にする。
魔王退治後も、魔性自体の確認事例はあったからな
各地、各国には早馬で伝令を送り、魔性の出現を伝え注意するように促す。
ヴィクス。皇国騎士団も再配置。本日中に提出せよ」
「はっ!」
「リオン、ヴァルは予定通り小隊を率いて、新年の皇王陛下と皇女の参賀に同行。
王都の防衛はウルクスに。
今までに無く危険な旅になる可能性がある。注意するように。
周囲の確認も合せて城壁外の様子を確かめろ」
「お任せください」
リオン、ヴィクスさん、ヴァルさん達が『騎士団長 ライオット皇子』の命令に頭を下げる。
「ストゥディウム。
其方も領地の護民兵や騎士の配置を確認し、海からの襲撃に備えよ。
海産物の受け取りも兼ねて、毎日フェイが確認に赴く。
『魔王城の島』に大きな変化があればすぐに知らせるように」
「心得ました」
「フェイはストウディウムをビエイリークに送れ。
それから明日、朝一で皇王陛下に報告と、俺からの謁見願いを。
新年まで後一週間、何が有ろうと大聖都への参拝に変更はないが、護衛兵、護衛騎士の数は増やす。
配置の変更などを相談しなくてはならない」
「解りました」
皇子の指示にそれぞれが動き始め、部屋を出ていく。
瞬きする間に残ったのはライオット皇子と私だけ。
「マリカ…。本当に魔王城じゃないんだな?」
ゆっくりと、でも確かめるように問いかける皇子に私は頷き返す。
「はい。
信じて下さい。魔王城のさらに北の方角から突然無数の飛行魔性が飛来し、南下していったんです。
魔王がもし、魔性の発生源だったら、そして人を傷つける目的を持っていたら、わざわざ言いに来たりしません」
「解っている。だが…そうなると一体奴らはどこから…」
テーブルに広げられた大きな世界地図。
世界の大陸の最上部に、小さな丸が描かれ、その上に×印が付いている。
これが多分、魔王城の城。
向こうの世界でいうならイギリスとアイスランドのような位置関係に見えた。
こうしてみると一枚の板のように見えるけれど、実際はこの世界も球体。
『星』だと解っている。
「皇子…。大型船が無いこの世界では海の様子などは解りませんね?」
「ああ」
「魔王城の北方から、魔性達は飛翔してきました。もしかしたら、なのですが…失礼します」
「? おい、何をする?」
皇子が焦るのも解る。
貴重な羊皮紙の大事な地図をしわくちゃにしてはいけないだろう。
でも、ここはあえて。
羊皮紙の地図の左右を合わせ、上下を絞るようにした。
キャンディを包むような、もしくは紙風船を作るような感じに。
「皇子は、ご存知ですか? この世界が球体であるということ」
「? ああ、旅の時代にアルフィリーガとリーテから聞いた。本気では信じられなかったが」
「このような形で、宇宙という星空の中に一つの星として、この世界は浮かんでいます。
ですから魔王城の島のさらに北方から魔性が飛来した、ということはこのあたり。
別の世界の言葉でいうなら、極点と呼ばれる場所に何かがあるのではないでしょうか?」
私は手で絞った羊皮紙の風船、その北の頂点を指さす。
「…だが、そうだとしてもこれは簡単には調べに行けまい?」
皇子が息を飲み込んだのが解った。
造船業などが発達していた向こうの世界でさえ、北極南極点探索は苦難の冒険であった。
この世界の人々にはまだ難しいのは解る。
「ええ、当面は対処療法しかないと思います。
飛行魔性のみならず、他のタイプの魔性も昔は出現していたのですよね?」
「…ああ、人語を介する人型高位魔性も稀に。獣の形をしたもの、無形のもの、飛行魔性様々だ」
「なら、仮に飛行魔性の発生点が極点でも、他にも…大陸にも発生個所があるのではないでしょうか?
でも、どこにあるか、いくつあるかも解らないそれらを全て見つける事も不可能でしょう」
「そうだな。旅をしていた五百年前の時でさえ、見つける事は叶わなかった」
「それならやはり、警備を強化して民を守りながら、元を断つ努力をすべきだと思います」
元…。
皇子が小さく呟いた。
「君ももう気付いているのだな?」
「ええ、多分、かつて世界を闇に落とした真実の魔王…魔性の主は『神』ですよね」
私達…魔王城の島の住人…が違うのだから残るのは『神』しかいない。
昔、『神』は魔性を使い、精霊から人から何かを集めていた。
何かをするために。
今は不老不死の民から効率よく集められるようになった為に必要なくなった筈。
なのに魔性を蘇らせて人を襲わせたのは、何か意図あってのことだろう。
本格的に集めた「何か」で「何か」をしようとしているのか?
それとも、精霊の貴人と精霊の獣の復活に気付いての宣戦布告か。
「どちらにせよ、いつか、どこかで神との対決は避けられません。
私もリオンも精霊の力を隠す努力はしていますが『神』という存在にどこまで通じるかは解らないので、まずは参詣の時に、相手の様子と出方を見るしかないと思います」
「そう…だな…。だが…」
息を吐き出し、肩を竦め、近づいてきた皇子はそっと私の肩を抱きしめる。
「あの…皇子?」
「無理はするなよ。俺は、もうあの時のように置いて行かれるのは御免だからな」
その腕は、暖かくて優しくて…だから、私は素直に抱きしめられながら頷いた。
「はい。お父様」
魔性復活の報告はアルケディウスから稲光のように各国に伝わった。
とほぼ同時、大聖都から正式に
『魔王復活』
が世界に告知される。
新年の祝賀を三日前に控えてのことだった。
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