話は、オルトザム商会から来客が来る少し前に遡る。
明日にアーヴェントルク滞在中日の報告晩餐会を控えた二の刻の頃。
「お帰りなさい。マリカ様」
私はまず真っ先に明日の晩餐会に向けた料理の準備に頑張る厨房に向かっていた。
帰還の挨拶を皇帝陛下にするべきだったかな。と思うけれど、一応今日の夜も調理実習がある為、皇家の方達は夜に集まることになっている。
ご挨拶はその時に、とお話してあるのでとりあえずはこっち優先だ。
「お疲れ様です。
進歩の方はどうですか?」
「お味見を頂ければ幸いです」
特に時間がかかるコンソメスープと酵母の仕込みを確認。
「うん、いい感じで行っていると思います。スープは丁寧にアクをとり煮詰めていって下さい。
パンはこれから仕込みを行います」
食パンとロールパンをなるべく焼きたて状態で出す為に、発酵時間を計算に入れながら仕込みを行っていく。
流石プロ。
基本的なパウンドケーキやクッキー、クレープ類などはもうマスターしているし、調味料の使い方や、下ごしらえの仕方、手打ちパスタもお手の物だ。
「『新しい味』だと食材のゴミが殆ど出ないのが合理的ですね」
「ステーキやソテー用に使った残り肉が主菜を貼れる料理になることに驚きました」
「食材は貴重ですから。大事に使いたいと思っています」
明日の晩餐会の主菜は切り落とし肉をミンチにして作ったハンバーグ。
付け合わせは玉ねぎでシャキシャキ感を出して、醤油やキトロンを使ったさっぱりソースで頂く。
前菜はパータトとチーズ、チューロスののカナッペにグリルトマト。
コールスローサラダはゆで卵を使って彩り華やかに。
パンは出来立てバターとジャムでシンプルに。
コンソメスープ、メインのハンバーグ。
デザートはバニラアイス添えのパウンドケーキに焼きたてクレープシュゼット。
どの国でも好評を博した向こうの世界でも通用するレシピだと思っている。
醤油やキトロン、バニラなどは輸入が必要だけれど、後はアーヴェントルクの食材で行ける。
「私は基本、指示と助言とお手伝いです。
皆さんなら大丈夫。ここ数日で凄く腕が上がってますから、絶対に喜んで頂けますよ」
真摯で真面目な料理人さん達を素直な気持ちで私は褒めた。
すると厨房の料理人さん達の顔が上気する。
まるでゆでたてのエナ(トマト)のよう。
「よっしゃ! 姫君に褒められた!」
「調理人やってて良かった。頑張るぞ!」
ちょろいん、じゃなくって可愛い。
アーヴェントルクの一般の方達は、純朴な方達が多くて素直にそう思うのだけど、これが上の方達だとまったく変わってしまうのは何故だろう。
今日の夕餐用の料理はそれよりはシンプルにステーキを中心にスープにサラダ、マッシュパータトとかにした。
牧場を味方にして牛肉、ミルク、チーズがふんだんに使えるようになったのはありがたい。
料理のバリエーションが格段に広がったから。
「ふむ、視察旅行の成果も上がっているようで何よりだ」
皇帝陛下は満足そうな笑みでお肉を食んでおられる。
皇家揃っての夕餐会。
「はい。短い時間でしたがとても有意義でした。
アーヴェントルクの方々の誠実な仕事ぶりには感涙するばかりです。
チューロスや蜂蜜などはぜひアルケディウスに輸出して頂きたいくらいで…」
「検討はしておこう。まずは国内での需要を満たすのが先だからな」
「それは勿論ですが…」
私は、皇帝陛下にまずは勝手なスケジュール設定について抗議する予定だったのだけれど。
「マリカ様! まさかお兄様にまでシャンプーを分けられたのですか!」
料理よりもそちらが気になるらしいアンヌティーレ様に逆に抗議というか質問された。
強行旅行を終えたばかりなのは同じなのに、ヴェートリッヒ皇子はツヤツヤイキイキ。
これは比喩じゃなくって。
髪の淡くて綺麗な金髪が明らかな輝きを放っているのだ。
「分けたというか…これは…」
「正式にアルケディウスからシャンプーとやらの作り方を買い取っただけだよ。
これはアザーリエの領地でできた蜂蜜から作った、アーヴェントルク産第一号の試作品さ。ね?」
片目を閉じて私を見る皇子に、私はやられた! って思う。
多分、皇子にシャンプーの作り方を解析、真似られたのだ。
「は、はい。
とても上質な蜂蜜でしたので、アーヴェントルクで消費される分は、こちらで作って頂く方がいいかと思い、契約しお教えしました。
あまり長期保存も出来ない品ですし」
でも、皇子はあくまでアルケディウスから契約して買い取った、を強調して下さる。
自分で解析して再現したのだから、お金なんか払わない、と言えばそれでいいことなのに。
だから、この場は話を合わせさせて頂いた。
ちゃんと、正式な契約を交わしたよ、ってね。
「ズルいですわ! この国の女性必須となる社交の最重要品目を独り占めするなんて!
マリカ様もマリカ様です。
どうしてよりにもよってお兄様に知らせるのですか? 皇家で専有したいとお伝えしましたのに…」
「基本、皇家の専有なのだから問題は無いだろう?
それに上質の蜂蜜が必要なんだ。お前が作り方だけ覚えても安定した蜂蜜の供給が得られなければ作ることはできないんじゃないか?」
「…そ、それはそうですけれど…」
国内第一の女性として、女性に絶対の影響力、支配力を発揮するシャンプーの製法を兄に取られたことが多分アンヌティーレ様は悔しいのだ。
「皇家から、大貴族に降ろして行く形になるなら、皇家の影響力が高まったことには変わりない。
アンヌティーレもアーヴェントルクで欲しいものが手に入るようになったということで妥協しておけ」
「ですが…お父様…」
諌められてもまだ唇を噛んでいるアンヌティーレ様を黙殺して、皇帝陛下は皇子をみやる。
「ヴェートリッヒは契約内容について後ほど、詳しい報告を。
レシピと生産は皇家で管理する」
「かしこまりました。明日の報告会までには纏まった量のアーヴェントルク産シャンプーと契約内容をお渡しできるでしょう」
「ふっ、少しはアーヴェントルクの皇子らしくなったか。
ならば任せる」
「はい」
解りにくいけど、多分、皇子を褒めたのだろう。
報告会で『新しい味』を周知し、シャンプーを配れば大貴族達の注目や指示をかなり集める事ができる。
「マリカ様! 口紅は? 香りを纏う方法こそは、お兄様にお渡しせず私に、譲って頂きたいのですが!」
「申しわけありません。その二つはアーヴェントルクでの自給自足はちょっと難しいと思いますので……。
それに、明日の準備で私、今、それどころではなくって」
と、流れが変わったので私は、皇帝陛下達を見据えた。
話のペースを皇子にもっていかれてしまったけれど、ここでちゃんと無茶ぶりへの抗議はしておかないと。
「皇帝陛下。
失礼ながら私は今回『聖なる乙女』としてこの国に参った訳ではありません。
本人や本国への了承なしに『聖なる乙女』として祀り上げられるのはとても困るのですが……」
「確かに、旅行不在中に話を進めた非礼はお詫びしよう。
だが、先の舞踏会でのアンヌティーレの粗相を拭い、二人の『聖なる乙女』の友好、融和を国中に知らせるにはそれが一番だと思ったのだ」
友好と融和…ね。
アンヌティーレ様の粗相を打ち消して、格上を見せつけたい、というのが真相だと解ってはいるけれど。
「であるなら、この滞在期間中私を『聖なる乙女』として祀るようなことはこれで最後にして下さいませ。
私もアルケディウスの神事を預かる者。軽々に他国で事を為す訳には参りません」
アルケディウスの神殿長としての立場がある、と言外に匂わせれば、神を崇める神国 アーヴェントルク。
文句を言う事はできないのだろう。
「……了解した」
「ありがとうございます。では、私も偉大なる先達から学ばせて頂ける良い機会。
精一杯勤めさせて頂きます」
ちゃんと抗議をした上で、無茶仕事を引き受ける事で相手に貸しを作る。
断れないのならこれがベストでは無くてもベターだと思う。
「時刻は午餐を終えた二の夜の刻。
遅くて申し訳ないが、それが一番この国において『神』と『精霊神』の祝福が高まる時間だからな。
場所は、野外に特設の祭壇がある。後で案内させよう。
大貴族だけでは無く、城や国全体に祝福を賜れるとありがたい」
「かしこまりました」
夜の刻、は夜の10時くらいかな。
子どもが起きる時間じゃないけど、それくらいの夜更かしはいつもしているし、報告会が終わった後、衣装替えとかもしなければならないから、まあいい。
「先に姫君に舞っていただき、その後アンヌティーレが纏める形でよろしいか?」
「お任せいたします」
「舞踏会では恥ずかしい所をお見せしましたが、今度こそ、先達として恥ずかしくない舞をご披露いたしますわ」
「私も楽しみにしておりますね」
夕餐を終えた後、私は皇子にエスコートされて、野外祭壇というのを見学させて貰った。
この辺に楽師にいてもらって、こっちから入場して、というのは実際に見て見ないと解らないからね。
その途中
「どうして、自分で発見した、って言わなかったんですか?」
周囲に人目が無いのを確かめて、私は横に立つヴェートリッヒ皇子を仰ぎ見た。
主語は無いけれど、皇子なら解るだろう。
「うーん、形をなんとなく真似ただけだからね。
完全に同じものでもないし。だから、ちゃんと契約して本物を手に入れる為の、あれは見せ金だよ」
現にちゃんと皇子は答えて下さった。
「でも、よくお気付きで……」
「君が台所に持ち込んだもの、製作までにかかった時間、使ったであろう道具を調べて考えればなんとなく察しはつくよ。
あんなに簡単にできるとは思わなかったけれど、それは料理と同じでその素材にどういう効果があるかを熟知していないとできないことだから、君は凄いと改めて思ったね」
私に視線を下ろす皇子の目には静かな、でも確かな賞賛が見て取れる。
「別に私が思いついた、訳ではないんですけど……」
「そうなのかい?」
「料理と一緒で長い思考錯誤を続けて来た先達の努力と知識を、私は借り受けているだけです」
いつも知識チートをする度に、どこか後ろめたさというか申し訳なさを感じるのだけれど
「まあ、どっちでもいいことさ。
僕達にそれを齎してくれたのは君なんだから」
私の心情を知らない皇子は笑い飛ばして下さる。
「本当に何もない所から新しい何かを作り出せる者はそれはそれで素晴らしいのだろうけれど、何もないように見えても何かは残っているものさ。
『食』のように一度は不用、いらないと捨てられたものでも、忘れず、無視せず、大切にして育てていけば『新しい食』として蘇るように。
君の知識や行動はちゃんと意味と価値があると思うよ」
「そうだといいのですが…」
俯く私の頭を慰めるように微笑むと、皇子はぽぽんと叩く。
その様子は婚約者、というよりも妹を慰める優しい兄のようだ。
「で、改めての話だけれど、蜂蜜シャンプーの契約にはどのくらい支払えばいい?
ちょっとは割引は効くかな?」
口調軽めに、明るく話題を変えて下さったのは、きっとワザとだと思う。
だから、
「アルケディウスで独占契約を行うシュライフェ商会に教えた時は金貨百枚+おまけ付き、でした。
今後の他国に売る時の基準になりますから、金貨百枚の線は譲れませんね」
その優しさに甘えて私は契約相手に戻る。
互いに油断できない、気の置けない対等な関係に。
「うーん、出せない額じゃないけど、あの手順に金貨百枚はちょっと高いなあ。
じゃあ、こちらにおまけをつけてくれるかい?」
「何が欲しいんですか?」
「口紅か、花の香り」
「ダメですよ。どっちもシャンプーよりも材料貴重だし、手間暇もかかるんですから」
最初に会った時、皇子は
「皆が、僕の事を好きになる」
そう堂々と言ってのけたけど、今はあの言葉、まんざらの虚勢や演技って訳でもなかったんだな。
って思える。
自分の立場を振りかざすことなく、相手の立場や思いを慮って行動できる、頭が良く優しい皇子。
きっと彼の事は皆が好きになる。
それだけに、自分の能力や、『神』を笠に着て迫るアンヌティーレ様より強敵でもあるのだけれど。
「実物支給でもいいけど? 女達は研究用だって言っても貴重品だから分けてくれなくってさ」
「皇子にはダメです。分析して再現されちゃいそうだから。
あ、でも花の香りの簡易バージョンならなんとかなる、かな? ちょっと相談してみます」
「相談? 誰に?」
「……あ、えーっと、随員達や魔術師にです」
この人を、楽しいこの関係と一緒に大事にしたいと、私は思ったのだった。
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